ようやく残り10ヶ所となった広島新四国八十八ヶ所めぐり。終盤は廿日市、そして宮島に固まるのだが、次の第79番・浄土王院は一転して廿日市の極楽寺山の頂上にある。
その山の名の元である極楽寺だが、実は広島新四国の第7番札所で、この札所めぐりの初期に訪ねている。ちょうど3年前、2021年4月のことである。その時に極楽寺本堂の斜め前にある浄土王院も訪ねており、朱印も一緒にいただいている。当時の記事を見返すと、広島新四国については確かに札所番号順で回るとしても、さすがに同じ境内にあるのなら、本堂と浄土王院の両方に手を合わせて朱印も2枚いただいたことで第79番は先行してクリアしたことでよいのでは・・という内容のことを書いていた。
ただどうだろう、広島新四国はさまざまな経緯があり、四国八十八ヶ所のように札所番号が道順通りに並んでいないのである。原爆で焼失したとか、あるいは市街地の再開発により郊外に移転した札所もあれば、寺の経営難などで廃寺、札所返上といったところもある。そうして広島近郊を行ったり来たりしてきただけに、先に参詣済でもここは改めて第79番を目指すことにする。4月20日、所用があるのに合わせて昼前に出発する。
極楽寺山へは公共交通機関の便がなく、むしろ登山の名所として知られるが、さすがに山登りもないだろうとクルマで行くことにする。西広島バイパスを走り、速谷神社の脇を通って国道433号線を上る。しばらくは新たに開かれた区間だが、本格的な上りになるとまずループ橋にさしかかる。
そして道幅が狭くなり、何度もS字カーブを抜ける。3年前に来た時には「遠い将来には改良されるのだろうが」と楽観的なことを書いているが、3年程度ではまだ「遠い将来」ではないようだ。「国道」ながら相変わらずの「酷道」。
極楽寺山の案内が見え、「さくらの里」にさしかかる。この辺りも含めて、廿日市はさくらの町をアピールしている。今回は山桜がいくつかまだ残っていた。
そのまま車道を進み、奥の駐車場に到着。寺の正面は登山道に向いているため裏から入る形である。
そのため、まず見えるのは奥の院にあたる一願堂である。この寺の先代の住職だった一願和尚が眠っているところで、「一人一願を頼めば必ず成就する」との言葉を遺したという。「一願」といえば簡単なようだが、その「一つ」を何にするかは結構難しい。また「必ず成就する」といっても「何事も自分の思うとおりになる」とか「いつまでも何事も自分の自由にできる」という願いは、世に混乱を招くだけだろう。そこは謙虚になり、そして自分の身の丈にあった願いでなければ叶わないだろうし、願いを叶えるには自分もいろいろ努力しなければならない・・。
この後は西国三十三観音、十三仏の石像が並ぶ中を過ぎ、本堂の裏に着く。本来の参詣順路とは異なるが(やはり極楽寺山の登山も含めての参詣である)、ともかく到着。
極楽寺の歴史は古く、奈良時代に行基により開かれ、平安時代には弘法大師空海も修行で訪れている(対岸の宮島とセットで弘法大師にはゆかりがある)。そして現在の本堂は戦国時代、毛利元就が再建、寄進したものである。広島で現存する貴重な建物である。まずは本堂にてお勤めとする。
そして、斜め前の浄土王院に向かう。先ほど触れた先代の一願和尚の誓願により、京仏師である松本明慶師作の阿弥陀如来を勧請し、祀った建物である。「大仏殿」の文字もある。極楽寺としては、本堂の千手観音、浄土王院の阿弥陀如来の両方が本尊の扱いとなっている。扉を開けると、薄暗い向こうにほのかに大仏の姿が現れる。その大仏の後方には三千体の阿弥陀像が奉納されている。改めて手を合わせる。
境内には登山姿の人が何人かいる。境内の展望台からは、宮島の全体は見えないが入り江を挟んだ景色を望むことができる。
3年前に極楽寺本堂とともに浄土王院の朱印もいただいているので、この日は省略。前回とちょうど同じ時季となったが、改めて訪ねてよかったと思う。
この後は広島市内で所用があり、そのままクルマで向かう。先ほども苦労した九十九折の上り坂、実は下りのほうがコントロールやブレーキ操作に気をつかうのでヒヤヒヤする。幸い後続のクルマが追いつくこともなく、道幅が広くなってほっとする・・。
さて、次からいよいよ最終盤の80番台である・・・。