まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

関西私鉄「サイコロしりとりの旅」2014夏・3‐3

2014年09月12日 | 鉄道企画もの

関西の私鉄駅をサイコロとしりとりの組み合わせで巡るこの企画。そろそろこの夏も残された時間が少なくなってきた。

そんな中で、近鉄から地下鉄に乗り換える時にQBハウスで散髪する。久しく行ってないし、ちょうど空きがあったので。この手の理髪店は顔そりがないのが少しマイナスなのだが、その分ササッとさっぱりできる。散髪を済ませて堺筋線ホームに向かうとちょうど高槻市行がやってきた。

そのまま地上に出て正雀に到着。工場、車庫が近く、地名にも「摂津市阪急正雀」とある。町名に企業名が入るのはたまにあることだが、それだけ土地の顔みたいなものだろう。敷地をぐるりと反対側まで回れば、電車の顔も近くで拝めるのだろうがさすがにそこまでは・・・。

もっとも車庫だけでなく、マンションもあれば郊外の商店街もある。大学もある。住むには便利な環境のようだ。

さて、と駅から出て目を向けると、少し離れたところをJRの新快速が走り抜けるのが見える。東海道線の岸辺駅とは500メートルくらいしか離れていないようだ。岸辺と言えば南には吹田の貨物ターミナルが広がる。梅田を離れて、新設の吹田と拡張の百済に列車は分散されたが、今思えば敷地に何かと制約があり、設備も老朽化した梅田の撤退はプラスだろう。

今回は私鉄訪問が目的で、JR関連は出てこないのだが、またこれらの貨物ターミナルにも訪れてみたいものである。

岸辺の駅前にはいくつかの店舗が集まったエリアがある。そこで見つけたのがスーパー銭湯の極楽湯。そういえば、この企画で訪れた駅ごとに町歩きや見物、寺社参り、食事などしてきたが、入浴だけはまだである(いつでも入れるように、タオルと着替えのシャツは持参しているのだが)。これはいい。早速つかることにしよう。

天然温泉が湧いているわけではないが、いろんなタイプの浴槽がある。それらを一つずつ回ると体もふやけてくる。また、ゆっくり浸かってじっくり汗をかいてもらおうと、温度を低くした浴槽もある。

湯上がりにキューっと行きたいのを我慢して、こちらの休憩スペースで次のサイコロである。

正雀の「く」で始まる駅を選ぶのは2回目。珍しいケースとなった選択肢は・・・

1.九度山(南海高野線)・・・和歌山まで飛ばされるが、行き先としてはちょっと魅力。

2.柴島(阪急千里線)・・・さっき通ってきたばかりだが、降りるとなると初めて。

3.苦楽園口(阪急甲陽線)・・・人生楽ありゃ苦もあるさ。

4.鞍馬(叡山電車)・・・いよいよ、洛北の天狗がそのベールを脱ぐのか。

5.車折神社(京福嵐山線)・・・確かこの神社は・・・?

6.杭瀬(阪神本線)・・・ある意味、尼崎らしさ満載のスポット。

・・・こうして見ると、なかなか骨のある、タフそうな駅が並んでいる。京都に引かれるか、和歌山に飛ばされるが、果たしてどうなるか・・・?

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関西私鉄「サイコロしりとりの旅」2014夏・3‐2

2014年09月11日 | 鉄道企画もの

福王子神社でのおみくじ代わりのサイコロは・・・「3」の法善寺。比叡山や生駒山といった選択肢もあったが、ここは再び大阪に戻る。

とその前に、せっかく嵯峨方面に来たのである。この企画では乗り換え以外の途中下車はNGなのだが、歩いた結果別の駅から乗るのはOKである。ということで、隣の駅にある世界遺産の仁和寺にも行くことにする。歩いても知れている。

「徒然草」を著した吉田兼好が庵を結んだとされる双ヶ丘を横に見て、御室仁和寺駅に着く。木造の御殿風の駅舎に風情を感じる。駅からまっすぐ伸びた道の先に仁和寺の堂々とした山門が見える。嵯峨野の山林をバックに、ゆったりとした造りの寺院である。これだけの境内ながら、普通に金堂や五重塔を拝むだけなら無料である。

徒然草、仁和寺・・・と来れば、徒然草の中に仁和寺の法師の話が出てくる。私が仁和寺という寺を知ったのも徒然草からだと思う。ただ、そこに出る法師というのが、「岩清水八幡宮に行き、途中の寺や神社が岩清水八幡宮だと思って、そこだけ拝んで山に上らず帰ってきた」とか、「酔っ払ってふざけて頭に鼎を被って抜けなくなり、やっと抜けたら血だらけでひどい顔になった」とか、「稚児にサプライズをしようと地面に重箱を埋めたのはいいが、後で見つからなくなった」とか、ボケをかましてくれる法師たちをネタにした段である。仁和寺というのはそんな寺かと思いきや、宇多天皇が開いた由緒ある寺院である。

吉田兼好がネタにしたのも、それだけ由緒ある寺と法師のボケぶりのギャップに面白さを感じたからだろう。あるいはエリートに対する批判とか。「なんぼ偉い言うても、人間やからそんな面もあるわ」と好意的ならいいが、「仁和寺の法師ともあろう者が、所詮うわべだけのエリートよ」と批判的に取るか。文章が短いだけにいかようにも読める。それは読者自身の思いが反映するのだろうか。

さてここから柏原の法善寺に向かう。同じ道で阪急で梅田に戻るのも芸がなく、趣向を変える。御室仁和寺から帷子ノ辻まで戻り、四条大宮行に乗り換える。途中の天神川で地下鉄に乗り換え。さらに烏丸で乗り換えて京都に出た。ここで近鉄に乗り換えようというのである。近鉄なら地下鉄で竹田まで行けば、乗り換えの距離も短くて済むのだが、そこは始発から乗りたいのと、たまにしか来ないので特急に乗ろうというものである。奈良行の特急は外国人の客もそこそこいる一方で、時間短縮とゆったり着席で大和西大寺まで移動しようという人も多い。阪急や京阪の無料特急は混雑するが、料金のかかる近鉄や南海の特急の2人がけシートなら、車内で飲食しようがメイクアップしようがとやかく言われることもない。

次から次へといろんな行き先の列車が入り乱れる大和西大寺駅のうどんで小腹を満たした後、神戸三宮行の快速急行に乗る。2人がけシートで快適・・・と思っていたら、あるボーンヘッドに気づく。これから向かう法善寺は大阪線の駅。ならば奈良線と合わさる布施で乗り換えなのだが、快速急行は布施を通過して鶴橋まで行ってしまう。で、鶴橋で折り返そうとしたら階段を上がったところに鉄道グッズの店があったから思わず覗いてしまう。結果、大阪線の列車を1本逃す・・・。まあ、急ぐようで急がない、のんびりなようで結構焦るのがサイコロしりとりで・・・・。

法善寺に到着。改札口は掘り下げたところにあるいわば「逆橋上駅」のパターンである。周囲は昔ながらの邸宅と新興マンションと町工場がいっしょくたにされた感じの佇まいである。どうしても「法善寺」と聞くと、「包丁い~ぽん、さらしに巻~い~て」で始まる藤島桓夫の「月の法善寺横丁」とか、それでなくてもミナミでちょっと値段の張るスポットだなという部分がある。ちなみにここ柏原の法善寺は水かけ不動とは全く関係ないそうだが、駅前商店街や居酒屋が洒落で「法善寺横丁」等と名乗っていたら面白い。そんな便乗商法をやってもさほどの儲けにはならないだろうが。

静かな昔ながらの住宅地にある壺井寺。融通念仏宗という、聞いただけでは大変ユルそうな周波の寺であるが、ここにかつてその名も「法禅寺」という寺があったとされている。南北朝の戦乱で焼け落ちたのが、江戸時代になって融通念仏宗の寺として建てられたとか。

さて次の行き先はこの法禅寺、いや壺井寺でのサイコロ。その出目は「し」または「じ」から選ぶ。

1.十条(近鉄京都線)・・・先ほど近鉄特急に乗って高速で通過したが。

2.十三(阪急京都線)・・・淀川北の庶民的な繁華街、ええなあ。

3.夙川(阪急神戸線)・・・以前に桜を観に行ったことがある。

4.正雀(阪急神戸線)・・・車庫、工場がある駅。

5.庄内(阪急宝塚線)・・・こちらも庶民的な商店街があったような。

6.白庭台(近鉄けいはんな線)・・・いかにもニュータウンという響き。

6つのうち4つが阪急である。この企画、駅数の割合で見ても阪急の駅が少ない。たださすがにここでは出るかな。

そしてその結果は・・・・「4」。正雀である。個人的には十三がよかったが、まあ、これも巡り合わせである。法善寺から上本町行に乗車して、鶴橋で大阪難波行に乗り換えて日本橋で下車する。上手く高槻市行に乗り換えればそのまま正雀に行けるわけで・・・・。

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関西私鉄「サイコロしりとりの旅」2014夏・3‐1

2014年09月09日 | 鉄道企画もの

昨年の夏から「関西のあちこちの私鉄の路線、駅を巡ってみよう」というこの企画。通算で第18日目。「スルッとKANSAI3dayチケット」を6枚まるまる使ったことになる。実際に乗って関西を行ったり来たりした運賃を計算すると、どのくらいの金額になるだろうか。それだけおとくなチケットであるとともに、どれだけアホなことをやっているのかというところだが・・・。

さて、この夏3日目は、前回最後の阪急千里線・下新庄の「う」から始まる駅で、京福(通称嵐電)の北野線にある宇多野からである。8月終わり、そろそろチケットの期限が切れそうな日に出かける。

いつもなら藤井寺から始発で向かうところ、6時前に出発する。ちなみにこの夜は会食があり、夕方18時には阿部野橋に戻っておく必要がある。ごく限られた時間の中でのサイコロしりとりである。

梅田から阪急京都線の快速急行に乗る。嵐電の始発に接続する大宮にも停車するので都合良い。ロングシート車であるが最前部の席が空いており、座りながら前方景色を楽しむ。この企画では大阪京都間も何回も移動したが、京阪に乗ったほうが多いと思う。その中で、阪急の「京とれいん」に偶然乗れたことも思い出である。

大宮に到着。地上に出て嵐電に乗り換える。前回は5月の連休ということで2両つないでいたが、この日は1両である。江ノ電風の塗装で、両者の提携を表している。京都と鎌倉という古都同士、路面電車風の風情ある乗り物。それ自体が生活の足であるとともに観光名物になっている。なかなか良いものである。

そんな嵐電でやはり耳に残るのは、「次は太秦広隆寺」の放送で流れる「暴れん坊将軍」のテーマ曲。前回乗った時は突然のこの曲にびっくりするとともに笑ってしまった。この日も、流れるとあらかじめ分かっていても、実際に「ジャジャジャ~ン、ジャ・ジャ・ジャ・ジャ~ン!!」と来たら笑ってしまう。それに輪をかけるのが、続いて流れる案内放送の途中から再びメロディが流れ、曲が終わるタイミングで太秦広隆寺のホームに着くことである。これ、計算済みやろ?と思うが、逆の帷子ノ辻から太秦広隆寺に向かう時は、曲が終わった後もまだ走っていて間延びすることから、四条大宮方面から来る乗客へのサービスとわかる。

帷子ノ辻で北野白梅町行に乗り換えて、宇多野に到着。単線区間であるが、上り線と下り線でホームが千鳥状に配置されている。かつては高雄口という名前の駅だった。ここから北に行けば高雄に至るということだろう。それが宇多野という名前になったのは、京都らしい響きの言葉を選んだからだろうか。

この駅も地味ながらどこか嵯峨野の風情を感じさせるところである。ここから駅前散策ということだが、向かったのはホーム上のパネルにもあった福王子神社。平安の頃の班子皇后を祀るという神社である。小ぶりな神社であるが、それでも江戸の寛永期に再建されたという本殿や拝殿は重要文化財に指定されている。

ともあれ、まずはここで次のサイコロである。宇多野の「の」で始まる駅だが、この企画で対象としている範囲では「野江」と「野田」しかない。しかもいずれの駅も訪問済である。ここは変則ルールによって頭文字を変える必要がある。

前回までのルールなら、「の」の次の五十音ということで「は」で始まる駅から選ぶことになっていた。しかしこの夏からルールを変更して、「五十音表のすぐ横の文字で始まる駅から選ぶ」ということにした。つまり、「の」で始まる駅がなければ、次の行の「ほ」で始まる駅から選ぶということである。

そして検索した候補駅。ちょうど6つあるというのがサイコロ旅らしくてよい。

1.宝山寺(生駒ケーブル)・・・生駒聖天めぐりも面白そう。

2.坊城(近鉄南大阪線)・・・何かあるというイメージはないが、歴史長そうな名前の駅には何かあるかもしれない。

3.法善寺(近鉄大阪線)・・・「包丁い~ぽん~、サラシに巻い~て~・・・」とは違うほうの法善寺。

4.ほうらい丘(坂本ケーブル)・・・うわっ、前回のサイコロで比叡山に上がった時に通過した駅。

5.星ヶ丘(京阪交野線)・・・いかにも住宅地にありそうな名前の駅。

6.蛍池(阪急宝塚線)・・・ある意味で伊丹空港の最寄駅。

さて、「ほ」で始まる駅もとりあえず6つは揃うわけである。移動距離を考えればほうらい丘も面白いかな。一方でケーブルの雄、生駒ケーブルに挑むのもいいだろう。

そして福王子神社で振ったサイコロの目は・・・・?

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旅の終盤~ぐるり北信越

2014年09月08日 | 旅行記C・関東甲信越

半月も前になる北信越の循環紀行。東海道~高山~北陸~北越急行~飯山~上越~信越~北陸~大糸~篠ノ井~中央線とたどってきたが、4日目(8月17日)はBCリーグの観戦で諏訪、茅野に一日滞在。残り1日半となったが、ここは行程をはしょる形で書くことにする。

17日は試合中に一瞬雨が来た程度で、後はそのまま雨も降らずにホテルに戻る。この日は日曜日で、上諏訪駅近辺の店はほとんど定休日である。中には、15日の花火大会の代休とした店もある。開いているのは全国ネットの居酒屋であるが、無理にそこに入ることもないだろう。ということで、コンビニで何がしかを買い求めてホテルでゆっくりする。ビジネスホテルであるが天然温泉もある。

パソコンで旅行記の続きを書いたり情報収集をしようとするが、この日は日本列島が大変なことになっていた。また豪雨である。特に影響があったのは山陰から北陸にかけてで、昨年も河川の氾濫による被害があった福知山あたりがまたやられており、福知山線、山陰線の一部が不通となった。また私も3日前に通った高山線も、飛騨一ノ宮から高山間に土砂が流入したとかで運休。確かこの期間中、名古屋の友人が山陰を回っており、16日には城崎に泊まって17日は福知山経由で名古屋に向かうという連絡をもらっていた。果たして無事に帰ることができたのだろうか。・・・かく言う私も、「だいたいこの辺に行く」ということを実家の親に伝えていたが、そんな私に安否確認のメールが入ってきた。信州まで来れば雨もほとんどなかったのだが、日本アルプスが壁になったのだろうか。

この豪雨の延長に、19日夜から20日未明にかけての広島豪雨土砂災害が起こったのだが、その時はまだそんな大惨事が発生するとまでは思わなかったことである。

さて17日夜も諏訪湖の花火である。この夜はホテルの部屋でゆっくりしようと思っていたが、せっかくなのでもう一度見物することにする。日によって少しずつ種類を変えているようで、飽きるものではない。この日のBGMはMISIA押し。勝手なイメージだが、MISIAといえば「冬が似合うナンバー」が多いような気がする(冬季五輪のイメージソングもあるからかな)。そのせいか、真夏の夜ではあるが冬の澄んだ空に打ち上がる花火を見るかのようである。スキー場とかにあるような。こうして旅先での最後の夜は更けていくのであった・・・。

翌18日。当初は上諏訪から大阪までどのルートで戻るかいろいろ検討していた。早起きして始発でも乗れば、甲府から身延線で富士に出て東海道線という手もあるし、順当に飯田線か中央線に乗る、または前々日通った大糸線に乗る、何なら乗らなかった篠ノ井線から信越線でまた直江津に出ることも可能である。それこそサイコロで決めてもいいくらいのもの。

ただ翌日から仕事ということも考えて、順当?に飯田線に乗ることにした。大阪に向くことと、乗り換えを少なくして朝と車内でゆっくりすることを選んだ。何せ、上諏訪を9時19分に出発して、乗り換えなしで6時間56分後に豊橋に到着。後は米原までかっ飛ばし、大阪まで新快速に乗れば到着する(7時間鈍行に揺られるって、簡単にそう言うけど・・・)。朝5時台の列車に乗る日もあったことを思えば楽なものである。

ということでホテルで朝食を取ってゆっくりと身支度して出発。おまけに上諏訪駅ホーム上の足湯に浸かり、旅の最後、名残を惜しむ。ここから伊那路を走って長野県南部もカバーすることで、大がかりな「ぐるり北信越」の仕上げである。

車両は313系の3両編成。転換クロスシートを備え、乗り心地としては良い。上諏訪を出る時はガラガラだったが、岡谷や辰野からはそれなりに乗車がある。後は停まっては走り、走っては停まりを繰り返す。駅間が長くても5~6分、短いところでは2分というのもある。飯田線といえば長時間走る鈍行列車が「名物」であるが、過去に一気通貫で乗り通したこともあるし、景色を見ると時間が案外早く過ぎるように思う。逆に途中で居眠りしたとしたらそれほど距離が進んだようにも見えなかったりする。

14分停車となった飯田で昼食の調達のために改札の外に出ただけで、後は車内で過ごす。

いわゆる秘境駅のところでは近くのドアまで行き、一瞬だけドアを開けてホームの写真を撮るくらいである。

そんな秘境駅ゾーンを過ぎる。中部天竜からは残り2時間であるが、むしろこの2時間が長く感じた。この旅で初めて青空と真夏の日差しに恵まれたのはいいが、同時に段々と暑くなるのを感じる。豊橋に着いた時にはさすがに疲労を感じた。よほど名古屋から近鉄特急に乗ろうかとも思ったが、接続時間を含めれば新快速乗り継ぎと比べて40分ほどしか短縮効果がない。4000円の費用対効果・・・を考えてここはそのまま走る。

豊橋からは居眠りの時間が長かったが、それで体力の消耗を押さえることになったか。大阪に到着して、ようやく身体がしゃんとした。と同時に、長旅の終わりである。

今回はローカル線に乗る、北陸新幹線開業を前にあれこれ思う、北信越の味を楽しむ・・・鉄道の旅のさまざまな要素を備えることができた。その中でもやはり気になるのが北陸線である。「今回で乗るのは恐らく最後」と書いたが、ひょっとしたらもう一度乗るかな、いやいや、第三セクターに移管してから4社まとめて訪れるか。まだまだ鉄道の旅を通して見なければならないことは、多い・・・・。

 

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日曜日は10連敗でストップ、大谷は史上初10勝10号、稲葉最後の雄姿~観戦記オリックス対日本ハム

2014年09月07日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

大正ドームのレギュラーシーズンとしては日曜日最後の試合となった7日の対ファイターズ戦。

何でも日曜日のバファローズは10連敗である。最後に勝ったのが6月8日のマツダスタジアムでのカープ戦。そして連敗がスタートしたのは翌15日のドラゴンズ戦。いずれも私は観戦しており、それ以降日曜日に勝てなくなったのが不思議な気がする。もっとも責任投手を見れば、佐藤達也が勝ち越し打を浴びて白星を逃したことはあるが、それ以外の先発はディクソンと吉田一である。別に2人だけのせいではないが、巡り合わせというのかな。

私も7月と8月の2回、チケットを持っていたにも関わらず日曜の観戦を見送っていた。観戦自体も球宴明けの7月21日以来である。別に私が行って連敗を止めてやろうというおこがましいことは言わないが、優勝争いにここまで加わっている中で、日程的に来られるのがこの日が最後ということで現地参戦することにした。

9月に入り多少はしのぎやすくなったが、この日は久しぶりに暑さを感じる。ヤマダエス・バイ・エルの冠試合である。観客の出足も良いようで、多くの席種で「満席」の表示。ホークスとは4.5差と、優勝には厳しい数字であるがファンの期待をここまで持たせるとは。ここ数年、9月の試合ともなればスタンドにも秋風が吹くことが多かっただけに・・・。

開門前にBsGirlsのステージを見る。今やこちらの人気も上昇しており、私は知らなかったのだがメンバーそれぞれに背番号があり、ステージを見るファンの中にもその背番号をあしらったユニフォームを持ったり着たりというのがいる。彼女たちの存在もバファローズのここまでの進撃を支える一つになっているのは、間違いないだろう。

今シーズンの「3位」がほぼ確定的な日本ハムだが、ファンの注目度は高い。まずはやはり大谷。大谷は投手として10勝(防御率もリーグ2位と立派なもの)を挙げており、5日の試合で9号本塁打を放っている。日本プロ野球史上最速のストレートも投げるし、二刀流はどこまで進化するのだろうか。

そしてもう一人が先日今季限りの現役引退を発表した稲葉。確か関西での試合はこの日が最後である。レフトスタンドには稲葉の旗や横断幕も出ているし、コールされた時はライト側、一塁側のバファローズファンからも大きな拍手が送られる。ヤクルトと日本ハムの2球団で5人の監督を胴上げするという功労者である。ヤクルトをFAしてメジャー入りを希望していたが不調に終わり、半ば拾われる形で日本ハムに入団したわけだが、今思えばそれが良かったのだろう。

さて試合。打順を見ると、スタートダッシュに成功したシーズン序盤の形に近い流れである。ここは「原点回帰」というところだろうか。いやいや開幕には確かキューバ出身でメジャー経験もあり、鳴り物入りで入団した何とかいう外国人がいたが。ペーニャの評価は「当たれば飛ぶ」という程度でさほど高くなかったはずである。それがパワーだけではなく最近は激走も目立つし、最近は孤軍奮闘と言ってもいいだろう。

オリックス先発は問題の吉田一。ここまで5勝4敗というのは、1年目としてはまずまずなのだろうが社会人ナンバー1の呼び声に比べれば物足りなさを感じる。先週はリリーフ登板も行っており、正直先発として生き残れるかの瀬戸際だろう。ただ立ち上がりはなかなかよく、陽に内野安打を打たれるものの、この日5番DHの大谷、大観衆に迎えられた7番稲葉も難なく打ち取る。

先制はオリックス。2回、日本ハム先発の上沢に対して先頭のペーニャがコンパクトに振った当たりが弾丸ライナーでレフトスタンドに飛び込む。リーグトップに並ぶ29号。よく思い出せばペーニャの本塁打をナマで見たのは初めて。

3回には打者一巡の猛攻。一死一・三塁から平野恵の犠牲フライで1点を追加。糸井のヒットで再び一・三塁としてペーニャの当たりは三塁への深いゴロ。「走れ走れ!」というファンの声が飛び、小谷野の送球もよかったがペーニャの爆走が早かった。内野安打。これで3点目が入る。この後T-岡田の死球で満塁となり、坂口の合わせた打撃がレフト前のヒットとなる。これで5対0。ここまでの鬱憤を晴らすかのような攻撃であった。

序盤で大きくリードしているし、これで日曜日の連敗も止まるだろう。そう安心して見ていたが、4回表に先頭の陽が左中間への文句なしの一発。反撃ののろしを上げる。

そして迎えた大谷。振り抜いた打球はライナーでセンターへ。そのまま伸びてフェンスを越えた。これで10号本塁打。同一シーズンで10勝、10本塁打を達成したのは日本プロ野球史上初めて。アメリカでもベーブ・ルースの記録があるくらいである。本塁打だけが数字ではないが、誰でも狙って打てるものではない。野球というもともと分業要素の強いスポーツ、まして現代野球では投手ですら先発、中継ぎ、抑えと分業化が進んでいる。その中にあっての快挙である。これにはバファローズファンも驚きの声を挙げていたし、そんな場面に遭遇できてよかった。

ただ吉田にとっては面白くないことで、これで日本ハムも攻撃にプレッシャーをかけるようになったか、5回二死一・三塁のチャンスをつくる。勝利投手まであと一人というところで、5対2とリードしているが吉田は降板、比嘉が登板する。うーん、この展開一度観たぞ。確か本拠地開幕カードの西武戦の第3戦、プロ初先発の吉田は5回二死までこぎつけたがここで比嘉に交代。後続を打ち取り、比嘉が「ごっつぁんです」の今季1勝目を挙げた。それと同じような展開である。まさか9月になって同じようなことになるとは。やはりまだ監督から信頼されていないのだろう。

比嘉は陽に対して遊ゴロを打たせるが、安達の二塁フォースアウトを狙った送球はセーフ。これでさらに1点返される。まさか安達に緩慢プレーがあったとは思わないが、ちょっと嫌な展開である。それでもまあ、5対3とリードを保つ。これってまた、比嘉が「ごっつぁんです」で勝利するパターンか。まあ、当初から予定されたイニングに出るだけでなく、こうした中盤のピンチにパッと出てサッと後続を断ち切る。これぞ文字通りの火消し投手だろう。その分、勝ち星がつくくらいはいいか。

ピンチを断ち切った直後の5回裏。日本ハム2人目の鍵谷から糸井が死球、ペーニャがライトへの当たりでまたも激走を見せて二塁打とする。T-岡田が敬遠気味のストレートの四球で満塁となり再び坂口。左中間に鮮やかな打球を飛ばし、走者一掃。坂口も三塁まで激走してガッツポーズ。8対3と再び5点リードとなる。日本ハム側からすれば、T-岡田への四球が悔やまれるところだろう。歩かせるという判断をしたのなら。

こうなると終盤以降は落ち着いて観ることができる。6回は岸田、7回馬原はパターンとして、5点差があることから8回マエストリ、9回に至っては昨年日本ハムを自由契約となってオリックスにテスト入団した榊原を投入。その9回、一死二塁で稲葉が打席に入る。レフト側からは関西最後となる稲葉ジャンプが起こるが、その時である。ライト側下段のバファローズファンも総立ちになって稲葉ジャンプを始めた。そして「かっ飛ばせ稲葉!」のコール。結局は二ゴロに終わったが、ベンチに引き揚げるその後姿に惜しみない拍手が送られた。まだ試合は残っているし、ひょっとしたらクライマックスシリーズで再び大阪で相まみえる可能性もある。それでも、大きな功績を残した選手には拍手を送る。

稲葉のゴロが進塁打として生き、続く途中出場の谷口のタイムリーで1点返すものの反撃はここまで。8対4と、終わってみれば快勝の形でバファローズの勝利となった。日曜日のジンクスからもようやく解放された。

お立ち台は5打点の坂口と2打点&激走のペーニャ。まだまだ優勝に向けてあきらめない頼もしいインタビューもあり、この9月をどう戦うか。本当に最後のチャンスとなる中旬のソフトバンクとの直接対決。もちろんそこまでに差を詰める必要があるし、直接対決では3つ勝たなければならない。厳しい試合が続くが、せっかくここまで来たのである。まだまだ、熱い戦いを見せてほしい・・・。

・・・とまあ、いろんなことがあって素晴らしい試合だったし、観戦できて大満足だったのだが、一つ「不快な」ことがあったのであえて書かせていただく。あくまで試合とは関係のない余計なことだが・・・。

それは試合前にさかのぼるのだが、始球式である。試合前イベントの最中、一塁ベンチ前で白髪の男性が投球練習をしていた。先に書いたようにヤマダエス・バイ・エルの冠試合だからそこの社長か役員の方が始球式を務めるのかなという感じで何の気なしに見ていたのだが、背番号が「1179」とある。これって、MBS毎日放送のラジオの周波数と同じ。何?と思っているうちに始球式の案内。マウンドに上がってコールされたのは・・・「唐渡吉則」。思わず、「へ?」と言ってしまった。唐渡といえば、大阪朝日の道上洋三と並ぶ、毎日放送を代表する「ミスター・トラ」でしょ?六甲おろしのCDも出しているほどのトラキチだし。それが何でまたここで始球式?しかもバファローズのユニフォームを着て??

いつもなら始球式といえばどんな人であれ大きな拍手が起こるものだが、この日に限っては拍手もまばらだったように思えた。本人も何しに来たのかわかっていないのでは。どうせ、始球式終わったらとっととドームを後にしてナゴヤの中継にでもかじりついたんでしょう。

毎日放送って、バファローズを応援する気なんてさらさらない放送局。正直「じゃがポテ仮面」も何のために試合前のスクリーンに出てくるのかわからないし。番組の罰ゲームか何かですかね。始球式をするほうもするほうだが、こんなのにオファーを出すほうもどうかしていると思う。何でこういうことをやったのか、どなたか事情をご存知の方がいれば教えていただきたい・・・。

 

 

 

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諏訪湖散策~ぐるり北信越

2014年09月07日 | 旅行記C・関東甲信越

こちらのgooブログにて旅行記の続きを書くのは初めて。

ただ、画像の掲載がオリジナルサイズまたはサムネイル(リンクつき)のいずれかということなのだが、前者だと画面の横幅一杯に広がるし、後者だと見た感じが小さすぎる。前のブログだと本文と画像がバランスよく配置されたレイアウトができるのだが、果たしてどちらがいいのだろうか。画像が一杯に広がると、ただでさえ1回の記事の文面が長いのに、余計に記事が長くなる。そこは試行錯誤かな。

旅行4日目の8月17日は茅野でのBCリーグ観戦の日。朝の天気予報では雨はどうかなと心配だったが、外を見ると雨は降っていないようだ。朝食をとり、何とかなるかなと思い支度をする。夜はまた上諏訪に戻り連泊するので荷物も身軽なものである。

列車の出発までは諏訪湖畔の散策とする。まずはホテルの向かいにある片倉館へ。この建物を創設した片倉工業といえば、今年世界文化遺産に登録された富岡製糸場の操業と建物保存に力を尽くした企業である。いずれも当時の産業の様子を伝えるものである。こちら片倉館は「千人風呂」という大浴場がある。前に来た時は朝風呂に入ったと思うが、オープンは10時からとある。夜に入りに来るとするか。

目指すのは原田泰治美術館。市内をめぐるコミュニティバスもあるのだが、ここは歩いて目指す。その前に訪れたのが高島城。町中に天守閣が復元されており、中は公園として整備されている。「諏訪の浮城」と呼ばれ、かつては諏訪湖畔にせり出していたという。江戸時代初めに諏訪湖畔の干拓が行われ、水城としての姿はなくなった。

再び湖畔に出る。歩くこと30分ほどで原田泰治美術館に到着。ふるさとの懐かしい情景を描いた絵の数々。今回の旅では越後妻有の現代アート、信濃大町のアートな町づくり、碌山美術館の本格派彫刻・・・と、アートに触れる機会もそれぞれあったのだが、肩肘張って鑑賞する必要のない、見ていて楽しくなる作品を見ることでようやく居心地が良くなった。

企画展では「私が選ぶ原田泰治の世界 こころに残る一枚の絵」ということで、原田氏と親交のある33名の著名人がそれぞれ一枚の絵を選び(中には複数の人が同じ絵を選んだのもあるが)、ご自身のふるさとにちなんだ作品、原田氏との交流の中で思い出のある作品、ご自身の創作活動に大きな影響を与えた作品など、それぞれのエピソードとともに紹介したものである。

私はどうかな・・・。ふるさとにはここに描かれている山や海の風景があるわけではないが、両親の実家がそうだったり、自分の中にどこか原点を感じるのだろう。あるいは、そういう風景に憧れているのかもしれない。どれか一枚を選ぶとすれば・・・そこは鉄道が走っているものになる。全国のローカル線を乗ろうと思ったのが、そういう風景をこの目で見たかったのがあったのだろう。現在はローカル線も結構廃止されたり、車両も機能的な一方で味気ないものになったり、また沿線風景も画一的なものになったり・・・と、鉄道旅行を取り巻く環境も変わりつつあるが、それでも自分の目で見れば、まだまだ捨てたものではない、原風景も多く残っていると思う。これからもそれを探しに、あちらこちらを回っていきたいものである。

そろそろ列車の時間が気になる。再び湖畔を歩いて駅に戻る。この後、無事にBCリーグの試合が行われたのは前述の通り。一瞬だけ雨にあったが試合後半は青空すら見られたいい一日であった。

ただ、その一方で山の向こうでは大変なことになっていたのだが・・・・。

 

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ブログの引っ越し

2014年09月06日 | ブログ
「まつなる的雑文」をご覧いただきありがとうございます。

以前はOCNの「ブログ人」を利用して書き綴っていましたが、同サービスの停止により、gooブログでの継続となりました。こちらだと、今までの記事や画像がそっくりそのまま引っ越しができるというものです(ただし、一部のブログパーツやリンクは引き継げませんでした)。

これから環境を整えて、また書き記したいです。

サブタイトルは、「光輝く明日に向かえ」としました。

今後はこちらにて、引き続きご覧いただきますようよろしくお願いいたします。
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諏訪湖の夜~ぐるり北信越

2014年09月04日 | 旅行記C・関東甲信越

松本から上諏訪に向かう列車が塩尻に停車中に電話をかける。

「はい××です!」電話の向こうの声は大きかったがその中身がよく聞き取れなかった。予期していたのとは違う名前だったので、間違い電話かなと思った。でも携帯サイトにあった電話番号のリンクを押したのだから間違いはないはずである。そこで訊いてみた。「あの、信玄屋敷さんですか?」

すると相手は「ああ」という感じで「そうでしたが、店の名前が変わりまして、今は蛍といいます」「お一人ならカウンター空いてますから、予約なしでいつでもどうぞ」と言われる。盆の時期である。ひょっとしたら早々と満席になるかなと思って電話したのだが、それならば安心である。

上諏訪に到着してルートインホテルにチェックインする。諏訪に泊まるのは4年ぶりだが、前回もこのホテルに連泊している。

さて再び駅に戻る。駅前には「まるみつ百貨店」という、温泉浴場も備えた百貨店があるのだが、どうも様子がおかしい。土曜日の夕方18時だが、いくら百貨店といっても閉店が早過ぎではないか。また看板や照明もはがれた感じである。後でわかったが、このまるみつ百貨店、2011年2月に閉店したという。それとともに温泉も閉店(看板は残っているのだが)。

この記事を書いているのは9月になってからだが、8月31日には南海和歌山市駅の高島屋が閉店。また熊本ではその名前が印象的だった県民百貨店も閉店するという。地方経済の空洞化、百貨店業界の衰退・・・という現在の諸相がここにも現れている。上諏訪には何回も来ているが、ついに百貨店の中の温泉には入らずじまいだったのが残念である。

Dscn8919 さてやってきた駅前の「蛍」。4年前に来たときに偶然見つけ、信州の地のものをいただくことができた。その時は信玄屋敷という店名だったのだが名前が変わったわけだ。ただ店の中はそのままのようで、カウンターに通される。

今は交通も発達しているし、盆地の料理屋に魚の刺身が出るのも不思議ではないが(それでも、お通しがマグロ赤身の切り落としというのはすごい)、信州に来たのだからと山の幸、川魚メインで組み立てる。

Dscn8912 やはり欠かせないのが馬刺。解凍ものではなく、肉屋で捌いたものがそのまま出る感じである。身も分厚い。

Dscn8913 次は鱒の昆布締め。昆布締めというと富山のイメージが強いが、口に入れると昆布のほのかな風味が広がる。結構いい味だ。

Dscn8914 そして、強烈なのはやはりイナゴ佃煮。前回来た時が「イナゴ初体験」だったのだが、調理がよいせいか虫を食べているという感じがしなかった。歯応えは海老に近いかな。ただ、やはり調理前の原形を見せられると・・・やはり抵抗感じるのだろうな。土産物屋でも気軽に並べられているイナゴだが、どこで集めるのだろうか。田んぼに自然発生するのを捕まえるわけではないだろうし(それほどいるとなると、稲のほうが大きなダメージだろう)、やはりどこかで養殖のように育てているのかな。

店に入りしばらくすると座敷も次々に埋まり、いつしか5席のカウンターもいっぱいになった。早く来ておいてよかった。店が少ないから観光客も来るのだろうし、盆の時期ということで久しぶりに帰省して地元の旧友たちに会うというのもあるだろう。私もまた来れてよかった。

さて諏訪湖の夏といえば花火である。ちょうど前日15日がメインの花火大会。さぞ大勢の見物客で賑わったことだろう。その次の日に泊まるというのも何かひねくれているような、間の悪いことに思える。

ただ、諏訪湖の面白いのは、8月の期間中は毎晩花火が上がることである。さすがに何千発、何万発とはいかないが、それでも一時涼むのに良いサービスである。

Dscn8923 湖畔に行くと、20時半の開始を待つ人が結構いる。近くのホテルから浴衣姿の人もいれば、シートを敷いて宴会の最中の人もいる。私も遊歩道の脇に座り、打ち上げを待つ。

Dscn8926 Dscn8946 Dscn8944 音楽と共に次々に花火が上がる。大阪でもPLや淀川(今年は台風のため中止)をはじめとした花火大会が行われるが、混雑が好きでないのと仕事が重なるのと(横で手をつないで見る人がいないのと)で、見ることはめったにない。そんな人でも、諏訪の人たちのおもてなしの花火を楽しむことができる。

15分ほどのショーであるが、それなりに起伏もある。大花火大会ほどの連発ものがない分、BGMで盛り上げる演出がある。いろいろあったが、終盤はサザンの「蛍」、そして最後は「アナと雪の女王」が来る。この並び、花火にも結構会う。

夕方からは雨も上がったし、翌17日の茅野でのBCリーグの試合は無事にできるかな。午前中に栂池高原行きを中止した影響など全くなく、旅の折り返しを味わうのであった・・・。

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安曇野から上諏訪へ~ぐるり北信越

2014年09月03日 | 旅行記C・関東甲信越

プロ野球も9月に入り、両リーグともに首位攻防の直接対決。第1戦は巨人が広島に勝利、ソフトバンクとオリックスは引き分け。バファローズとしては是非とも3つ取りたいところだったが、引き分けたというのが最後になってどう出るか。ただ、残り2つを取れば首位に上がる。カープも2つ取れば首位に並ぶ。この原稿を書いている時点ではまだ勝負は決していないが、いずれにしても9月にまだまだ緊張感を味わえるのはうれしいことである。

・・・と思ったら、第2戦を落としたのは例によって勝負弱いガラスのエースですか・・・。ははは!そんなことでは来季巨人にも阪神にもソフトバンクにも行けないよ。まあ、信濃グランセローズか福島ホープスでせいぜい頑張ってくださいや!

さていつまでも引っ張っている旅行記。だいたい1日の行程を4~5回くらいに分けて書いており、ようやく半分(今回は独立リーグ観戦をすでに書いているため、少しは進んでいるが)まで来たところである。

Dscn8907 大糸線を南下して穂高に到着する。ここまで来ると雨はほとんど降っていない。ただ北アルプスの山々を見ることはできず、こればかりは仕方がない。ホームに山の位置を記した写真パネルがあり、それを見て実際の山を見たことにする。

Dscn8894 Dscn8893 駅を出て向かったのは、駅からほど近い穂高神社。ここにあるのは本宮で、上高地に奥宮、さらに奥穂高岳に嶺宮がある。こう書くと山岳信仰の現れかと思うが、穂高神社を創建したのは、西の国から海を伝ってやってきた安曇氏。そして祭神には海がゆかりの綿津見命である。安曇氏が海に関係の深い氏族ということである。

そこで合わせて、やはり仰ぎ見る穂高岳に神聖なものを感じたのだろう。穂高見命も祭神ということになった。海と山、それぞれを押さえる?ことで自然全てが神に守られるということかな。

Dscn8895 これに加えて、安曇野と言えば道祖神である。穂高神社の境内にも、千国街道等で打ち捨てられていた道祖神の石像を集めて祀っている。道祖神は五穀豊穣や産業の神、さらには縁結びや子孫繁栄も願うものである。先の海と山に加えて、地上での営みを司る神を置く・・・。言わば全部を押さえたようなもので、そりゃあパワースポットにもなるなと思う。

穂高神社を後にして、線路に沿って10分ほど歩いて碌山美術館に着く。学生時代に一度訪れたことがあるが、それ以来で随分間が空いている。

明治後期に「東洋のロダン」と称され、「女」をはじめとしたさまざまな作品を残しながら30歳の若さで亡くなった荻原守衛(碌山)。学生の時に訪れた際の記録を振り返ると「彫刻の『女』より、美術館にいた女のほうに目が行った」などと訳のわからないことを書いていたようだが、当時から年月を経て、碌山が亡くなった年齢をはるかに超えたこの歳になって訪ねてみると、碌山の人生はこうだったとか(早世したというのは今回で初めて知ったことかもしれない)、この建物が実は戦後のものだったとか、まあ多少は見るべきところを押さえながら見ることができるようになったなというのを感じた。学生時代はまだ世のことがわかってなくて、とりあえず若さと馬力で何とかなったのだなと、なぜか美術館で感じる。

Dscn8905 Dscn8902 まあ、碌山美術館といえば、展示物よりも建物である。これが、明治の当時にあったものではなく、戦後に建てられたというのが意外なのだ(それまでは、極端に言えば藁葺き屋根のボロ農家の縁側に彫刻が並んでいたようで)。そのことを改めて認識したのが一番の収穫かもしれない。煉瓦と蔦がよく似合うスポットは、そうあるものではない。

美術的な細かな評価はできないが、旅のスポットとしていろいろ感じるところだった。当初の行程では昼過ぎまで栂池自然園にいて、穂高はリゾート列車で通過だったのが、久しぶりに安曇野に来ることができた。これも雨のおかげである。

穂高駅に戻り、昼間に乱れたダイヤもほぼ元通りになったようだ。松本行に乗り、松本では多くの乗り換え客でごった返す中をかき分けて甲府行に乗り継ぐ。長野県に入りながらも、県庁所在地の長野、第2の街松本も無視するという今回の旅行である。115系信州色の列車だが、この型式に乗れるのもあとどのくらいかなと、余計なことを考える。現在はだいたいで分けると長野、新潟、甲府、高崎、岡山、広島、山口、米子の各エリアで乗ることができるが(他にあればご教示ください)、この先数年で一気に淘汰される可能性がないわけではない。

Dscn8908 当初のプランでは宿泊地にしていた塩尻も過ぎ、上諏訪に到着する。雨も上がり青空すら見えてきた。翌日の天気は大丈夫かなと思いつつ、駅の改札を出て宿泊地であるルートインホテルまで歩く・・・・。

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信濃大町~ぐるり北信越

2014年09月02日 | 旅行記C・関東甲信越

 

Dscn8887 信濃大町に到着。ここまで来ると先ほどの強い雨もいくらか弱まったようだ。とは言うものの傘は手放せない。

 

ここは塩の道・千国街道の要衝ではあるが、現在では立山黒部アルペンルートの長野県側の玄関口である。そのために登山の格好をした客が駅構内にあふれている。私も時刻表を見て、時間的に黒四ダムくらいまでなら往復できるなと読むが、この天候でもあるし、路線バスやトロリーバスというのは運賃も結構高い

 

Dscn8846 ここは町歩きでいくらか時間を使うとして、まずは早めの食事とする。以前に千国街道をクルマで走った時に信濃大町を通ったのだが、その時に訪れたそば屋が駅前にある。「こばやし」という、この辺りでは有名な店である。

 

Dscn8844Dscn8845 お盆期間中ということで限定メニューという。どうやらそばの大盛と天ぷらができないようだ。確か一つのボリュームは少なかったはずなので、冷たいのと温かいのということでもりそばと山菜そばをいただく。いずれも素朴な味わいである・・・が、すぐに食べ終えてしまう。まあ、本場のそばはそういうものだろう。

 

 

 

Dscn8849 まず訪れるのは駅にほど近い「塩の道博物館」である。塩問屋であった旧平林家の母屋と塩蔵を保存しており、街道や産業の歴史を学ぶことができるところで、過去にも何回か見学した。確かまず最初にビデオを見てという手順だったかな。

 

Dscn8852 それが今回訪れてみると、「塩の道ちょうじや」という名前に変わっていた。「ちょうじや」とは聞きなれないが、平林家の家紋「六つ丁子」から来ているとか。後でネットを見ると、元々博物館を運営していた会社(そもそも、この会社も解体寸前だったこの建物を保存しようと立ち上がったのだったが)が入場者の減少等で運営が立ち行かなくなり解散したのを、市民の有志が引き受けて昨年4月に一般社団法人として再度開館したという。そのためか、以前のいかにも「博物館」然とした展示よりも、ソフトな交流スペースとしての、町並み文化の発信基地としての役割を出すというところである。だから入口もオープンな雰囲気に変わっていた。

 

Dscn8858Dscn8860 囲炉裏で女性の係員から建物の説明を受け、母屋の見学である。2階が展示スペースになっているのだが、この中身は以前と変わっていないようである。改めて、展示物や写真などから当時の道行きの困難さを思う。先ほど糸魚川から大雨の姫川に沿って列車でやってきたが、意外にも塩の道は川沿いではなく山越えのルートである。道路や線路がそうであるように川に沿ったほうが交通としては便利なのだが、やはり昔は暴れ川の脇を通ることに大きなリスクを感じていたのだろうか。

 

武田信玄と上杉謙信の「敵に塩を送る」の伝説のイメージからか、当然塩は日本海、糸魚川や上越の辺りで取れたものだと思うが、改めて解説を読むと、江戸時代以降に商品として塩の道経由で信州にもたらされた塩というのは、日本海のものではなかったようである。瀬戸内の塩が北前船のルートに乗って運ばれたとか。伯方の塩、赤穂の塩もブランドものとして信州にやってきたのかな。ここにも、日本の流通や交易の歴史に大きな役割を果たした北前船というものが存在する。

 

Dscn8867 塩蔵も見学する。蔵の中には、塩から出るにがりを集める「にがりだめ」の遺構も見る。これが現存するのは全国的にも珍しいとか。

 

Dscn8880 さて塩の道、アルペンルートの玄関口としてではなく、今年は「食とアートの回廊」というのが行われており、いわゆる街角ギャラリーがあったり、「男水」「女水」などの水スポットがある。

Dscn8876 他にも商店街では「街中図書館」というのを見る。店先にダンボールを置き、「貸出料金無料、貸出期間無期限」ということでその中に本が収められている。中にはベンチやテーブルまで設けたものもある。たまにローカル線の駅に行くと待合室に善意で集められた本がミニ図書館として整理されているが、これを商店街ぐるみでやってしまうところが面白い。こういうのは一見の客である私もお借りしてよいものだろうか。貸出期間無期限ではあるが、また次に「本を返しに来るために信濃大町を旅行する」のも味な話とは思う。ただあいにくと肝心の「借りたい本」は見つからなかったが・・・。

 

Dscn8882 こうして見ると信濃大町がアートを含めた町おこしに取り組んでいるのがわかる。元々の観光資源はあるし、温泉や酒どころもあるのだが、やはりそれだけでは多くの人を引きつけるのが難しくなったのか。またこれからどうなるか、いつの日か再訪してみたいものである。

 

 

 

さて駅に戻る。決して広くない待合スペースは人でごった返しており、列車の電光掲示板を見ても発車時刻を過ぎているのに前の時間の列車の表示のままである。どうやら沿線の駅で信号機のトラブルがあったようで、単線のために反対方向の列車にも影響が出ている。どうなるかと見ていると、間もなく遅れていた松本行が入るとのアナウンス。予定より一本前の便が遅れてちょうど乗れるタイミングであった。今度はクロスシートとロングシートが混在する車両だったが、松本方面に向かう乗客で混んでおり、最後部に立つ。

 

 

 

Dscn8890 さて次はどうしようか。列車ダイヤの乱れがいつまで影響するかわからないが、もうすでに夕方予定していた「リゾートビューふるさと」の乗車はあきらめた。松本、上諏訪にそのまま南下するか、途中もう一ヶ所くらいで途中下車するかである。そこで選んだのは、穂高。さすがに雨でわさび園などのサイクリングはできないが、徒歩圏内の穂高神社参拝や碌山美術館見学くらいならできるだろう。ということでこちらで下車し、社殿風の造りの駅舎に出る・・・。

 

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