プロ野球も9月に入り、両リーグともに首位攻防の直接対決。第1戦は巨人が広島に勝利、ソフトバンクとオリックスは引き分け。バファローズとしては是非とも3つ取りたいところだったが、引き分けたというのが最後になってどう出るか。ただ、残り2つを取れば首位に上がる。カープも2つ取れば首位に並ぶ。この原稿を書いている時点ではまだ勝負は決していないが、いずれにしても9月にまだまだ緊張感を味わえるのはうれしいことである。
・・・と思ったら、第2戦を落としたのは例によって勝負弱いガラスのエースですか・・・。ははは!そんなことでは来季巨人にも阪神にもソフトバンクにも行けないよ。まあ、信濃グランセローズか福島ホープスでせいぜい頑張ってくださいや!
さていつまでも引っ張っている旅行記。だいたい1日の行程を4~5回くらいに分けて書いており、ようやく半分(今回は独立リーグ観戦をすでに書いているため、少しは進んでいるが)まで来たところである。
大糸線を南下して穂高に到着する。ここまで来ると雨はほとんど降っていない。ただ北アルプスの山々を見ることはできず、こればかりは仕方がない。ホームに山の位置を記した写真パネルがあり、それを見て実際の山を見たことにする。
駅を出て向かったのは、駅からほど近い穂高神社。ここにあるのは本宮で、上高地に奥宮、さらに奥穂高岳に嶺宮がある。こう書くと山岳信仰の現れかと思うが、穂高神社を創建したのは、西の国から海を伝ってやってきた安曇氏。そして祭神には海がゆかりの綿津見命である。安曇氏が海に関係の深い氏族ということである。
そこで合わせて、やはり仰ぎ見る穂高岳に神聖なものを感じたのだろう。穂高見命も祭神ということになった。海と山、それぞれを押さえる?ことで自然全てが神に守られるということかな。
これに加えて、安曇野と言えば道祖神である。穂高神社の境内にも、千国街道等で打ち捨てられていた道祖神の石像を集めて祀っている。道祖神は五穀豊穣や産業の神、さらには縁結びや子孫繁栄も願うものである。先の海と山に加えて、地上での営みを司る神を置く・・・。言わば全部を押さえたようなもので、そりゃあパワースポットにもなるなと思う。
穂高神社を後にして、線路に沿って10分ほど歩いて碌山美術館に着く。学生時代に一度訪れたことがあるが、それ以来で随分間が空いている。
明治後期に「東洋のロダン」と称され、「女」をはじめとしたさまざまな作品を残しながら30歳の若さで亡くなった荻原守衛(碌山)。学生の時に訪れた際の記録を振り返ると「彫刻の『女』より、美術館にいた女のほうに目が行った」などと訳のわからないことを書いていたようだが、当時から年月を経て、碌山が亡くなった年齢をはるかに超えたこの歳になって訪ねてみると、碌山の人生はこうだったとか(早世したというのは今回で初めて知ったことかもしれない)、この建物が実は戦後のものだったとか、まあ多少は見るべきところを押さえながら見ることができるようになったなというのを感じた。学生時代はまだ世のことがわかってなくて、とりあえず若さと馬力で何とかなったのだなと、なぜか美術館で感じる。
まあ、碌山美術館といえば、展示物よりも建物である。これが、明治の当時にあったものではなく、戦後に建てられたというのが意外なのだ(それまでは、極端に言えば藁葺き屋根のボロ農家の縁側に彫刻が並んでいたようで)。そのことを改めて認識したのが一番の収穫かもしれない。煉瓦と蔦がよく似合うスポットは、そうあるものではない。
美術的な細かな評価はできないが、旅のスポットとしていろいろ感じるところだった。当初の行程では昼過ぎまで栂池自然園にいて、穂高はリゾート列車で通過だったのが、久しぶりに安曇野に来ることができた。これも雨のおかげである。
穂高駅に戻り、昼間に乱れたダイヤもほぼ元通りになったようだ。松本行に乗り、松本では多くの乗り換え客でごった返す中をかき分けて甲府行に乗り継ぐ。長野県に入りながらも、県庁所在地の長野、第2の街松本も無視するという今回の旅行である。115系信州色の列車だが、この型式に乗れるのもあとどのくらいかなと、余計なことを考える。現在はだいたいで分けると長野、新潟、甲府、高崎、岡山、広島、山口、米子の各エリアで乗ることができるが(他にあればご教示ください)、この先数年で一気に淘汰される可能性がないわけではない。
当初のプランでは宿泊地にしていた塩尻も過ぎ、上諏訪に到着する。雨も上がり青空すら見えてきた。翌日の天気は大丈夫かなと思いつつ、駅の改札を出て宿泊地であるルートインホテルまで歩く・・・・。