まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第5番「葛井寺」~西国三十三ヶ所巡り・1

2014年09月25日 | 西国三十三所
話を真夏の8月に戻す。

以前の記事で、JRのスタンプラリーが行われるのをきっかけに、西国三十三ヶ所巡りを新たな企画として始めることを書いた。

そして、第1番札所である那智の青岸渡寺へは、値段の安さと特典がつくということもあり、9月のバスツアーに参加を申し込んだ。それで朱印帳とJRキャンペーンのガイドブックを揃えた。後は出発当日を待つばかりであった。

・・・ただ、待てよ。

こうした巡礼ものは、道順の関係で途中一部入れ替わりはあるかもしれないが、1番から始めて、33番で終わるのがすっきりしている。

しかし、拙ブログをご覧の方の中にはご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、私の住まいは藤井寺市である。地名は「藤井寺」と書くが、実は市内には西国三十三ヶ所第5番の札所である「葛井寺」がある(正しくは「くず」の字とも少し違う漢字だが、そこはパソコン、モバイルからの入力ということで)。そもそも町の由来も、近鉄バファローズの球場名も、この寺から来ているのである。開かれたのは奈良時代。聖武天皇が十一面千手観音の制作を命じ、これを受けて寺を興したのは行基であるから、歴史としては相当古い。

子どもの頃から道明寺の天満宮とともに親しんでいるし、今年の本厄の厄除け祈願も葛井寺で行った。筋としては1番から始めるのだろうが、ここはやはり、地元の古刹から始めるのが仁義?というものだろう。

というわけで、私の西国三十三ヶ所巡りは5番ライト鈴木貴久・・・ではなく、5番紫雲山葛井寺から始める。

さて、8月の暑い日、電車に乗って・・・ということもなく、自宅から徒歩圏内の藤井寺駅前の参道の商店街を抜ける。ちなみに商店街を入ってすぐ左側に藤井寺市の観光協会があり、今は「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産認定に向けたPRや、かつての遣唐使で彼の国で客死した井真成(いの・まなり)の紹介がある。

この真成という人は藤井寺の出身とされていることから、今では市のキャラクター「まなりくん」(見た目はゆるくはない、真面目系)にもなっている。この人が注目されるようになったのはここ10年くらいのものだろう。故郷に帰れなかったことで「もう一人の阿倍仲麻呂」とも言われていたが、墓誌が見つかり、それを里帰りさせたというので注目されるようになった。時期的にバファローズが藤井寺から完全に消滅してしまった時と重なることから、町の新たなシンボルとして迎えられたということもある。

観光協会にはかつての「藤井寺近鉄バファローズ」のユニフォーム(数年前の、オリックス・バファローズによる復刻イベントで出たやつ)のレプリカやグッズも展示されている。ちなみに、背番号は永久欠番の「1」。やはり、この番号と言えば「鈴木啓示」だ。さすがに「けーしくん」というキャラクターは成立しないが。

またすぐ南には、私は行ったことないが、かつてのスラッガー・栗橋茂さんのスナックもある。梨田遺跡も今や「ありだなしだ」みたいに忘れ去られていることだし、藤井寺に拠点を持っているのは栗橋氏くらいだろうか。

・・・はい、西国三十三ヶ所巡りなのか近鉄バファローズなのか、よくわからないまま、商店街側からではなく、正門に当たる南大門から境内に入る。まず手水で清めてからお参りする。

その後で、般若心経などが収められた「勤行次第」を買い求め、合わせて朱印をいただく。例の朱印帳を出すと、係りの人はパラパラとめくって「?」という顔をする。そして「初めてでっか?」と尋ねる。やはりそう思うかなと思い、「近くに住んでいるので、最初はここに来ました」と言うと納得した様子で筆を取った。

JRのガイドブックを見せると観音経の一文字を書いた散華と、「慈悲の道」という紙をくれる。スタンプは基本はJRの駅で押してもらうのだが、近鉄沿線の札所については、近鉄駅にもスタンプを置いているので押せばよいとか、「慈悲の道」は各札所の紹介や住職の法話が載っていて、その札所の分は自由に取れるか、納経所で言えば無料でいただけるとか、いろいろ教えてくれる。

まずはこれで一ヶ所目は済んだ。改めて境内を回る。そこで目についたのが「お砂踏み」。西国三十三ヶ所それぞれのご本尊をかたどった石柱があり、札所番号が振られている。これを拝むと三十三ヶ所に行ったのと同じ功徳があるそうだ。それなら、別に全部行かなくても・・・と思うが、これは交通事情が発達しておらず、誰もが巡礼できるわけではなかった時代に、せめてご本尊だけでも身近でお参りしようというもの。あるいは日常から近くの寺で観音様に触れることで敬う気持ちを持ち続けようということか。でもまあ、行けるのなら実際に行くのが1番良い。

そのお砂踏みの後ろにこのようなものを発見。これは駅にでもあったものだろうか。懐かしさを感じる。あえて処分せずに置いているものだろうか。

こんなエピソードを思い出した。

日本ハムファイターズを率いていた大沢監督。しかしあるシーズン、近鉄バファローズに肝心なところでなかなか勝てなかった。そこで「藤井寺球場っていうから、近くに寺でもあんのか?」と人に訊いて、ある朝こっそりとお参りしていたという。あの大沢親分が、である。

親分の祈りが通じたか、いやいや千手観音はあくまで地元球団に微笑んだのか。それはプロ野球史に結果として残っているが、西国三十三ヶ所の信仰のひとこまとして、面白い。

・・・とまあ、西国三十三ヶ所巡りの第一回のお参りはこんな感じである。これから33の札所に3つの番外、そしてお礼参りの善光寺までどんな展開になるのだろうか。ひたすらにお祈りもいいが、寄り道もありかと。またこれから、ぼちぼちと巡ることになる・・・・。
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