まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第7回四国八十八所めぐり~遍路もバスに乗る

2017年02月07日 | 四国八十八ヶ所
昼を回った室戸に到着。およそ6時間バスに揺られて来たからお腹も空いた。体調については大丈夫だろう。

当初の予定では、この先にある道の駅「キラメッセ室戸」に行こうかと思っていた。以前ドライブで訪れた時に鯨料理が美味く、また捕鯨に関する資料館もあったので、室戸に来たらそこまで向かおうと思っていた。しかし行く前にホームページを見ると、道の駅が改修工事中ということで、レストランは2月に入ってから営業再開、捕鯨の資料館は春まで休館となっていた。そのため、その手前で食事をしなければということになった。

バスが到着したのは海の駅「とろむ」。その名前は「むろと」をひっくり返したものだろう。海の駅といっても立派な建物があるわけでもなく、漁港の敷地の一部を活用したような簡素な造りである。観光スポットとしては室戸岬のドルフィンセンターというのがあり、イルカに触れたりすることができるそうだ。ただこういう施設は春や夏が人気のようで、私が訪れたこの日は見学客の姿もほとんどなかった。

それよりも食事ということで、レストランの「ぢばうま八(や)」に入る。元々倉庫かなと思う建物である。メニューを見て「これは」というのはやはりカツオのタタキ、そして鯨の竜田揚げである。太平洋の味、甲乙つけがたいところがあり、ここはカツオのタタキの定食と、鯨の竜田揚げは単品でいただくことに。

ややあって運ばれてきたカツオのタタキ。玉ねぎが上からたっぷりかかっていて見た目はカルパッチョのような感じだが、身も厚く切られていて食べごたえがある。ベースはタレ味だが、一旦取り出して、室戸海洋深層水から作ったという食塩をつけて塩タタキ風にいただくのもよい。

一方の鯨の竜田揚げも歯ごたえがある。後から来る鯨独特の風味も、鯨をいただいているという実感がする。高知県産の米のごはんともよく合う。

この後は隣接する地元の土産物コーナーを回り、安芸行きのバス停がある室戸営業所に向かう。集落との間は防潮堤で仕切られており、この間を抜ける形で昔ながらの家が並ぶ静かな集落に出る。次の安芸行きは14時55分。これで今夜の宿泊地である奈半利までは1時間の乗車である。そのバスは室戸営業所で乗務員が交代するが、先客は1名だけ。こうしたローカルバスも大いに乗ってほしいところだが、地元の人たちも普段の移動はクルマなのだろう。区間にもよるが、バス停そのものは短いところで100mおき、長くても数百メートルおきにあるのだが・・・。

前に歩いた景色だなと思い出すうち、室戸の中心街の入口である室戸に到着。第25番の津照寺の最寄である。ここで一人の巡拝者が乗ってきたが、大きなリュックと菅笠、金剛杖を手にした西洋人の男性である。四国の巡拝者にはこうした外国人も見られるそうで、弘法大師信仰というよりは、日本の風土や日常の姿を体験するプログラムとして人気があるようだ。それにしても、ローカルバスのバス停をきちんと押さえるとは。この後、室戸の市街地を通ったバスは、次の金剛頂寺への上り口にあたる元橋に到着。青年は迷う様子もなく降車ボタンを押し、バス代も釣銭なく普通に料金箱に入れて降りて行った。この様子では日本語も普通に理解しているのだろうし(別にバスの内外に英語表記があるわけでもなく)、日本人ですらバスの料金の支払いはとまどうものだが、手慣れた感じで下車した様子は、四国遍路そのもののリピーターかもしれない。

キラメッセ室戸に到着。果たして捕鯨の資料館は改装工事中で足場が組まれていた。そしてここからも一人の巡拝者が乗ってきた。笈摺姿で頭に手ぬぐいをかぶり、金剛杖も2本持つという出で立ち。これはガチの歩き遍路のように見えるが、そういう人でもバスに乗るところではバスに乗る。キラメッセから乗って来たのは、金剛頂寺から元橋バス停ではなく、反対に奈半利方面に向かう山道を下ったところに当たるからである。

伝統的な町並みが残る吉良川を過ぎる。この辺りは台風の通過も多く、風雨が激しいことでも知られている。その風雨を防ぐために石垣の塀が並ぶとともに、土佐漆喰の壁、そして水切り瓦という庇を持つ家屋が並んでいる。今回ここで途中下車することも考えたが、ひとまず、宿泊地である奈半利まで向かうことにする。奈半利にもそうした町並みがあるそうで、単に宿泊して翌朝早くに出てしまうのでなく、ホテルに入るまでの少しの時間、町歩きをしようということである。

宿泊地であるホテルなはりが目の前にある法恩寺前で、笈摺姿の巡拝者が下車した。この人もこのホテルに泊まるのだろうなと、出口に向かう後姿を見ると、笈摺には「南無阿弥陀仏」の文字。え?四国なら「南無大師遍照金剛」じゃないのか?と目を疑う。まあ、八十八所には阿弥陀如来を本尊とする札所もあるし、幅広い意味での巡拝ルートではあるが、「南無阿弥陀仏」にはちょっと違和感を覚える。大正ドームでのバファローズの試合で、タイガースのユニフォームを着たファンが紛れ込んでいるような感覚である。何を拝むかはその人の自由だし、南無阿弥陀仏を着てはいけないという決まりがあるわけではないのだが・・・。

かく言う私はこの日、白衣も笈摺も来ておらず、金剛杖も袋に閉まったままで、要は普通の旅行者と変わらない。

少し時間があるのでもうしばらくバスに乗り、到着したのはごめん・なはり線の起点である奈半利駅。ここからホテルまで歩いて戻りながら、奈半利の町を少し見てみることに・・・。
コメント

第7回四国八十八所めぐり~まずは室戸まで・・・

2017年02月06日 | 四国八十八ヶ所
1月28日の朝。

何とか、起きることができた。まだ今日は移動日だ。明日は最悪でも何とかなるだろうと願うことにする。

・・・先の記事で「厄介なことが起きた」と書いた。なぜこのタイミングで、というところだが、実は前日は39度近い熱を出していた。その前から少ししんどいなとは思っていたが、金曜日は体も熱かった。ただ普通に電車に乗って歩いて出社していたし、どうしてもやらなければならない業務もあったので、定時までは何とか耐えた。で、帰宅したらこの熱である。インフルエンザの自覚症状はないし、私の場合は、疲れが溜まると発熱するところがある。その前もいろいろあったのがここで出たか。

こんな時は眠ること。28日に起きるのもしんどければ中止するが、そうでなければ決行する。そして朝になって体温を測ると37度ちょうどまで下がっていた。汗でだいぶ引いたようだ。後は日中の動きで回復させることにする。この熱は弘法大師からのメッセージだったのか、それとも・・・。

1ヶ月前にも来たなんばパークスの高速バス乗り場に現れる。室戸行きのエディ号は7時半に出発して、室戸着は13時45分。前回は徳島県の端の宍喰まで乗ったが、今回は終点まで行く。高速バスではあるが、高速は四国に入るまで。四国内は国道55号線をひた走る便である。

前回は帰省の時季でもあり続行便も出ていたが、この日はもちろん1台運行。座席指定が1番前だったので陣取るが、何となんば発車時点での乗客は私一人。発車前に、もう一人予約していたらしい客の呼び出しアナウンスをかけたが応答なく、私だけの発車となった。

今回は四つ橋筋を北上して、ハーピス大阪のバス停に到着。さすがにここからは乗客があるが、それでも乗車率は半分いるかいないかという程度である。隣の相客もおらす、ゆったりと行くことができる。6時間も乗るのだし、景色も一度見ている区間だから、眠たければ眠ればいい。

大開から淀川左岸線、湾岸線を乗り継ぐ。住吉浜の出口が少し混むくらいで順調に進む。高速舞子では、前に別系統のバスが乗車扱い中だったので、側線にしばらく停車した後で乗り場に入った。ここでも乗車はあったが、全体では半分程度。後はゆったりと過ごせばいい。

淡路島に入り、室津PAで休憩。コンビニで温かいお茶や栄養補助食品を買う。ここまで来ると元気が出てきたのを感じる。やはり出発してよかったと思う。

それでも休める時は休んだほうがよいのか、淡路島から徳島市街にかけてはウトウトとしていたようだ。気づいたのは徳島大学のバス停到着のアナウンス。いつしか四国に入ったということで、後は車窓を楽しむことにする。前回まで回っていた徳島の札所のことなど思い出しながら・・・。

国道55号線は徳島から室戸まで137キロとの表示が出ている。この距離、大阪からだと岐阜の大垣や京都の天橋立、岡山の牛窓くらいに相当する距離である。それを下道で延々と走るのだから乗りでがある。以前、大和八木から紀伊半島を縦断して新宮に行くローカルバスに乗ったのを思い出す。

徳島県内では渋滞するポイントもなく、阿南駅に到着。ここで下車する人が多い。

続いて橘営業所。ここで乗務員の交代ということで、営業所の横にバックして停車する。これはしばらく時間調整ということもあるが、車両の後部を開けている。これはトイレの給水をしている。6時間走る中ではいろいろとあるものである。ただ前に乗った時にはこの動きはなかったのだが、確か乗務員の引き継ぎの時に「トイレ誰も使ってなかったよ」ということを言っていた。

前回の四国八十八所めぐりではベースキャンプとした日和佐を通過する。ここから次の札所がある室戸岬までは80キロ。歩きでの遍路ではハードな区間の一つである。前回、歩きで移動する人をバスの車内から目撃したが、今回はどうだろうか。

国道55号線の徳島から88キロ地点のある宍喰を過ぎ、高知県に入る。東洋町の甲浦岸壁を過ぎると、前回はローカルバスで移動した区間に入る。今度は大阪から直通のバスで訪れることに、何だかうれしいというか、遠くまで来たのだなと感じるところである。ここまで来ると、高速舞子では20数人いた乗客も私ともう2人だけとなり、野根で一人が下車して私と男性の二人だけとなった。

天候も良く、ちょうど太陽が黒潮を照らす。やはりこうした景色を見ると気持ちも明るくなる。そんな中で、前方に菅笠と白衣姿の遍路を見つける。こちらに向かっていたから逆打ちだろう。昼前のこの時間で室戸の東を歩いているということなら、宿泊はどのあたりになるのだろうか。

前回バスを下りた青年大師像前を過ぎ、一気に岬の先端に向かう。ここで北西に進路を変えると次が終点室戸である。確か定時は13時45分だったが、20分以上早く到着ということになる。室戸のバス停は集落の中ではなく、室戸岬の新港の中の広場にある。ここは海の駅とろむという施設で、室戸の観光拠点の一つになっている。前回も国道を歩いてこの横は通っているが、その時は札所までの時間も気になっていたし、海の駅といっても別に何もないのかなと昼食もとらずに素通りしていた。後で調べたところでは食事もできるということで、今回はこの先の路線バスの時間まで過ごすことにする。せっかく高知編に入ったということで、名物のアレをいただくことに・・・。
コメント

第7回四国八十八所めぐり~よさこい高知編へ

2017年02月05日 | 四国八十八ヶ所
2016年の7月から始めた四国八十八所めぐり。これまでさまざまな要素を絡めた旅のスタイルを重ねて、先日の年末年始に第1ステージ・発心の道場である徳島をクリアした。そして次なる第2ステージは修行の道場である高知である。先日、室戸にある3ヶ所はすでに訪れているが、これは徳島の日和佐に連泊した時に足を伸ばしたもので、最初から高知を目指すのは実質初めてである。

高知はその3ヶ所を含めても札所は16しかない。ただ室戸岬から足摺岬、さらにその先までとエリアは広い。また札所間の距離も長く、特に歩きで巡拝する場合は大変である。まる1日歩いても次の札所に着かないという区間もある。私の場合は公共交通機関メインであるが、駅やバス停からの距離がある札所もあるし、そもそもそこにたどり着くにはやはり時刻表をよく読まなければならない。徳島の場合は大阪から日帰りで回ったエリアもあったが、高知となるとそうもいかないだろう。ただその分、計画を立てる楽しみは増える。

また、四国八十八所めぐりでこのような縛りをかけている人がどれくらいいるか知らないが、四国各県どこかの球場で、四国アイランドリーグplusの試合を観るというのを、私の八十八所めぐりでのミッションに入れている。そして、四国アイランドリーグplusで高知といえば、メジャーリーグでも輝かしい成績を残したマニー・ラミレスが今季は高知ファイティングドッグスでプレーすることが話題になっている。今後は高知の試合日程も考慮して巡拝の計画を立てることになる。高知市周辺に札所が結構あるので、その辺りで組み合わせるかな。徳島では台湾プロ野球のレジェンド・張泰山のプレーを観たが、昨年限りで退団した。ラミレスとてまだ来日もしていないが、来日してもどのくらいのペースで出場するか未知数なので、余計にチャンスが限られるかもしれない。今年を逃したら、来年はないかもしれない。

まあ、アイランドリーグについてはまた考えるとして、まずは高知東部である。室戸にある最御崎寺、津照寺、金剛頂寺は訪れたので、今回目指すのは第27番の神峯寺、第28番の大日寺である。この2ヶ所は土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の沿線にあり、それぞれ唐浜、のいちという駅からの歩きである。まずはごめん・なはり線でこの2つを回り、JR土讃線の後免までのエリアを押さえることにする。とりあえずここまでやっておけば、修行の道場の展開も楽になりそうだ。

で、宿泊と往復の交通機関。これは前回の年末年始の前には計画していたのだが、まず1月中には行くことにした。2月に入ると安芸で阪神タイガースの2軍がキャンプを張るなど、高知は2~3月はプロスポーツのキャンプ地として賑わう。宿の確保も困難なようで、予約サイトを見ても1月はまだ何とかなるが、2月以降は軒並み満室が続く。ごめん・なはり線沿線もこの時季は宿泊の需要が多いようだ。そんな中で、1月28日の宿泊でごめん・なはり線終点の奈半利駅に近い「ホテルなはり」を押さえた。

そして現地までの往復だが、この2ヶ所に行くのなら土讃線で後免まで行き、ごめん・なはり線に乗ると28日から回ることができる。2日目の29日にはもう1~2ヶ所行けるかもしれない。ただ私が選んだのは、前回も乗った大阪から徳島の阿南を経由するエディ号。徳島から室戸岬を回るコースを選んだ。これは、前回訪れた室戸と今回訪れる神峯寺との間の空白を作りたくなかったことがある。時間的に見て、28日は大阪~室戸~奈半利と移動して終わりになりそうだが、ここは、急いで先の札所に行くよりも、四国でのルートを少しでも広くすることのほうが重要かなと思った。一方で帰りは高知駅まで出て、大阪駅行きの高知エクスプレス号に乗る。

当日29日に天気が崩れる予報なのが気になるが、ともかく行くことにする。ただ出発直前にちょっと厄介なことが起きて・・・・。
コメント

第27番「鶴林寺」~新西国三十三所めぐり・26(「西の法隆寺」も実は・・・)

2017年02月04日 | 新西国三十三所
何やら鉄道ネタの記事になった前回の続きで、鶴林寺の山門に着く。

新西国三十三所は聖徳太子の「和の道」もベースにしているということを触れているが、鶴林寺は太子建立の七大寺の一つとされている。太子は当時播磨にいた高句麗の僧・恵便を慕って仏の教えを受け、そのお礼とこの地での仏教興隆のために寺を建てたとされている。ただしこれは伝承で、史実とは合わない話とする説もあるようだ。それでも、太子が推古天皇から播磨に土地をいただいたという史実はあるようで、いずれにしても太子ゆかりの地の一つであることは間違いないとされている。

現在の鶴林寺という名前は、平安末期に鳥羽天皇の勅願所になってからつけられたそうだ。鶴林寺と聞いて思い浮かべるのは、四国八十八所20番、阿波の勝浦にある札所であるが、別にその寺との因果関係があるわけではないようだ。縁起が良いとつけた名前がたまたま同じというだけのことだろう。

前日の1月8日は修正会(鬼追い)という行事で、多くの人で賑わったというが、この日はごく普通の境内である。山門をくぐったところで入山料と宝物館の入館料のセット800円を納める。「降ってきましたねえ」と係の人に声をかけられる。まあ、変わりやすい天気の中での雨だし、まずは正面の本堂まで行けばいいので、傘はささずにそのまま駆け込む。靴を脱いで本堂に入る。室町時代の建造で、和様と大仏様(禅宗様)が折衷した独特の構造という。で、国宝。

ちょうど地元のボランティアガイドの方がいて、案内しようかと声をかけられるが、申し訳ないがお断りした。これからお勤めもするし、やはり自分のペースで回りたいなと思う。

本堂は天井が高く、外陣にも長椅子が並べられて多くの参詣者を受け入れることができる開放的な感じである。一方で内陣との間は格子で仕切っている。その奥に祀られている本尊は秘仏の薬師如来。またも新西国の観音霊場というグループから離れているが、どもかくお勤め。

本堂の中に納経所があり、ともかく新西国の納経帳に朱印をいただく。一緒に写っているのは、鶴林寺のマスコットキャラクター「聖太くん」で、聖徳太子の少年時代をモデルにしたとされている。

本堂の右手には太子堂がある。内部は公開していないが、釈迦三尊像を祀り、聖徳太子の壁画像がある。こちらも国宝の建物である。

さらにその右手に観音堂がある。鶴林寺が新西国の一つに選ばれている根拠は一応ここにある。ここは上がれるようになっており、先ほどと同じくここでもお勤めとする。

境内の奥には立派な宝物館がある。太子堂の壁画の様子を再現した展示や、聖観音立像、聖徳太子絵伝など、文化財的に価値の高いものが安置されている。この辺りを見ると「西の法隆寺」と称されるのもわかる。管理体制もしっかりされているようだ。

しばらく見物して出ようとすると、最後に阿弥陀三尊の掛け軸の紹介が目に留まる。これによると、この宝物館を建てたのは2002年にこの掛け軸が盗難に遭ったことにあるという。

つい先日、対馬の寺から韓国に仏像が持ち去られた事件で、韓国の裁判所がその仏像が14世紀に日本の手で略奪されたものだとして韓国の寺に仏像の所有権があるとする判決が出た。誰がどう見てもおかしな判決だと思うのだが、実は鶴林寺の掛け軸を盗んだのも韓国人の窃盗グループだった。この事件で犯人は逮捕されたが、掛け軸は戻っていない。窃盗ビジネスのルートで転売されたのではないかとされている。何とも、やりきれない話である。

宝物館を出て、今度は境内の反対側にある新薬師堂に向かう。本尊の薬師如来が秘仏のため、いつでも拝めるようにと江戸中期に彫られた薬師如来が安置されている。また薬師如来の周りにはいつも日光・月光菩薩と十二神将という「チーム薬師」が控えているのだが、そのうち一体が「ウインクしている仏像がいる」として、かつてフジテレビの「トリビアの泉」で紹介されたとの説明があった。へぇ~。「トリビアの泉」か。私もかつてこの番組の取材を受けたことがあり、懐かしいなと感じる。

それを受けて次のサイコロである。

1.比叡山(延暦寺)

2.西神明石(太山寺)

3.赤穂(花岳寺)

4.京都市街(大報恩寺、誓願寺)

5.大阪市街(太融寺、鶴満寺)

6.龍野(斑鳩寺)

そして出たのは「3」。加古川からさらに西の播州赤穂である。ここは青春18で来ているのだし、時間的にも昼過ぎなのでこのまま行ってもいいところだ。ただ、ここは惜しいが次の機会とする。やはりメリハリというのもあるが、たまたまこの日はそれなりの時間に大阪に戻る必要があったのでここで折り返すことにしていた。不安定な天気ということもあり、駅まではコミュニティバスで戻る。

そして昼食は駅前の「いろはーず」にて加古川のB級グルメの「かつめし」を初体験。ビーフカツとデミグラスソースがごはんと合うかというところだが、個人的には中途半端な味に思えた。これなら加古川駅にもある姫路の「えきそば」にすればよかったかな。

まあ昼食のことは余談として、これまで新快速で通るか加古川線の乗換駅でしかなかった加古川の隠れたスポットを回ることができた。その点ではなかなかの反日、もとい半日であった・・・・。
コメント

第27番「鶴林寺」~新西国三十三所めぐり・26(旧国鉄高砂線、別府鉄道)

2017年02月01日 | 新西国三十三所
このところ2016~2017年の年越し、そして年明けのことを書いている。四国八十八所、新西国三十三所のシリーズが続いているところである。

1月の7日は職場の行事で寝屋川の成田山不動尊、そして伏見稲荷への参拝。翌8日は同じく職場の行事で伊勢神宮への参拝である。年末から寺社詣りが続いているが、成人の日はもういっちょう、加古川の鶴林寺に向かうことにする。前の記事でも触れたが、青春18きっぷの残り1回ぶんを使う最後のチャンスで、JR沿線でなるべく遠いところという意味ではピタリとはまった感じである。天王寺から加古川まで片道1490円だから、往復だけでお得である。

加古川が目的地と書いたが、目指す鶴林寺はJRの加古川と山陽電車の尾上の松の中間にある。普段の時季なら山陽電車で行ったかもしれない。

9日は少しゆっくりめに出発する。朝のテレビでは前日8日に全国で行われた成人式のニュースで、毎度のことながらド派手な衣装やら、飲酒してバカ騒ぎするやら、警察に暴行を働いて逮捕される新成人の映像が何度も流れる。そういうのは新成人のごく一部の連中だとはわかっているが、こういうニュースを面白半分に流されるのを見ると、もう役所主催の成人式などやめてしまえと思う。対象者に通知書と記念品を郵送するくらいでいいのではと思う。

大阪10時15分発の新快速に乗り、加古川に向かう。この日の天気は変わりやすく、一時雨の予報も出ている。加古川には50分ほどで到着したが、まだ天気が持った状態である。

鶴林寺にはコミュニティバスも出ているが、駅から2キロほどということで歩いて行くことにする。歩いて行こうと思ったのにはもう一つ理由があり、旧国鉄の廃線跡めぐりをしようというものである。

旧国鉄高砂線。加古川と高砂を結んでいた路線で、元々は加古川の舟運に替わる輸送手段として建設された。どちらかといえば貨物輸送メインで、山陽本線や山陽電車が近くを走ることから旅客利用は元々少なかったようである。路線として短区間で地味だったためか、宮脇俊三の『時刻表2万キロ』でもこの辺りの未乗車区間の乗りつぶしのところであっさりと触れた程度であった。

高砂線は1984年に廃止され、今は町の開発でその痕跡もほとんど残っていないが、途中に野口という駅の跡があるそうだ。この野口は、別府(べふ)鉄道という、これも貨物メインだった私鉄の分岐駅であった。この別府鉄道も高砂線と同時に廃線となった。なおこちらは同じ宮脇俊三でもローカル私鉄の乗り歩きを連載した『時刻表おくのほそ道』で一章を割いて取り上げられている。私ももう10年早く生まれていたら、貨客混合のこの珍しい路線に乗りに行っていたことだろう。

・・・新西国三十三所めぐりの話が鉄道のほうに脱線したが、鶴林寺も高砂線とは無縁ではない。その名も「鶴林寺」という駅があったわけで・・・。

加古川駅から南へ、野口駅跡のほうに見当をつけて歩く。前からスーツや振袖姿の新成人が歩いてくる。加古川市はきちんと成人の日に成人式を行うようだ。この時間は式典と食事会のインターバルのようで、市役所に隣接するホールの前の敷地から賑やかな話し声が聞こえてくる。この後ニュースにも出なかったから、こちらの成人式は粛々と進んだのであろう。

市役所の先に市立の松風ギャラリーというのがあり、その横に駅名標が立てられていた。ここが野口の駅跡である。ギャラリーの横らしく、レールとレールに乗った台車がオブジェのように置かれている。面した道路は歩道部分が心持ち広く、これは昔線路があったところかと想像する。

100メートルほど南に交差点があり、その先に遊歩道がある。こちらは松風こみちという、別府鉄道の線路跡を整備したものである。別府鉄道のほうもところどころかつての線路跡が窺えるそうだ。鉄道の廃線跡めぐりをしている方のホームページやブログでもこの両線が紹介されている記事が結構あるので、また参考にしたい。

松風こみちをこのまま歩くと鶴林寺には着けないので、途中から元の道に戻る。500メートルほどで緑地が見えてくる。鶴林寺の裏手にある公園である。

その一角にこのような物件がある。C11蒸気機関車。愛知の日本車両で製造され、その後は姫路の機関車区に在籍し、高砂線でも運用されていたようである。なるほど。ただ、横にある駅名標が「ひがしかこがわ」というのは惜しい。廃線から蒸気機関車保存までの間で、「かくりんじ」の駅名標は処分されてしまったのだろう。

蒸気機関車を見た後は立派な山門に出る。聖徳太子ともゆかりがあるとされる鶴林寺に入るが、とうとうここで雨が落ちてきた・・・。
コメント