ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

夢ってほんとになんなんだろう?

2010年07月24日 | ひとりごと
今は夜の12時前です。けれども気温が33℃あります。堂々たる熱帯夜ぶりです。

こんな最強の熱帯夜に、旦那とTと三人で、『インセプション』という映画を観に行ってきました。
夢が最大のキーになっている話です。
渡辺謙さんが、ちょい役ではなく、中心人物をとてもよく演じておられました。

何層にも渡る夢の話なので、話が途中でこんがらがりそうになりましたが、なんとか奥歯を食いしばってついていきました。
これが本だったら何回も読み直ししてたかもしれませんが、映像はその点ある程度話を単純化してくれるので、母国語で観られないわたしには救いなのです。

家に戻ってから、もう少し突っ込んだところの内容が知りたくて、日本語のサイトをいろいろと読んでいるうちに、渡辺さんのインタビューを見つけました。
彼の話の中に、とても印象に残ったものがあったので、ここに残しておきたいと思います。
彼は、わたしの意識の中に常にある、形の無いものを表現することへのいろんな思いを、とてもわかり易く言葉にしてくれてあるなあと思いました。

『思ってもないこと、感じていないことをやることに意味はないな。すごく不確かなんだけど、それは“やらないことの恐怖”をどこかに置き去りにしないといけないことでもある。いま、50歳になってそういう状態にあるって楽しいです。確実なものって決して手に入らない気がするんですよ。だから、手に入らないことをあせらない方が良い、と。不確かなままで…まあ『さまよえ!』とは思いませんが、執念深くやることで見えてくるものもある。だから、結果や確かさを求め過ぎたり、“どこか”にたどり着こうとし過ぎるのはもったいない――そんな風に思ってます』

そうだなあ、“どこか”にたどり着こうと焦り過ぎたり、結果や確かさを求め過ぎたり、そんなことよりも、腹に力を据えて続けること。それでいいんだなあ。
そしてそれが、眠る時に見る夢とはまた違う、姿は見えないけれど、心の中にくっきりと存在する夢の実現につながるんだろうなあ。


わたしにも何編か、自分が夢の中にいることをはっきりと認識していて、次に来る場面を自分で作ったりする夢がありました。
どういうわけか、息子達を産んでからは全く見なくなりました。
大地震の夢と、ほうきにまたがってヨーロッパ風の町並みの上を飛んでいる夢です。
あと、余命1年と宣告されたその1年の間にも、とても鮮明で恐ろしい夢を何度も見ました。
なので、今日の映画が、まるで架空の作り話だとは思えません。そういう、まだ明確に説明のできない世界がこの世にはいっぱいあると思っています。

なかなかにおもしろい映画でした。
さて、今夜のようなべっとりとした空気の熱い粒の中で、わたしはどんな夢を見るのでしょうか。


ここからは、ついさきほど思い出した、どうでもいい追伸です。

映画の前に、とても久しぶりにウェンディーズのハンバーガーを食べに行きました。
Tは行きたがらなかったのですが、時間と場所の関係で、渋々わたし達に着いてきました。
脂っこいものの代表格のファストフード。またウェイトトレーニングを再開したTにとって、最も口に入れたくない部類の食べ物なのでした。
ちなみに彼が昨日食べたのは、レストラン『智』のさんまの塩焼きとお味噌汁ともずく。
「そんなん、家で食べれるもんばっかやん!」と旦那。
するとTは、「うちではさんまは食えん!」と反論。
「さんまは秋が美味しいから」とわたし。
すると旦那、「ほぉ~、サンママー(注・summer)フードかと思てた
ったく……とわたしが旦那の方をにらんでいると、3秒ほど遅れてTが気づき、「ふははは!」と笑い始めました。
旦那、とっても満足げに、小鼻をヒクヒクさせて喜んでおりました

優しい(というか、なんでもけっこう笑ってくれる)息子を持って幸せだね、旦那よ。

コメント (4)
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猛暑とブラジャーの哲学的考察

2010年07月24日 | ひとりごと


今日も猛暑である。こう何回も来ると、恐くも何ともなくなって、またか……という感じ。
ブー・フー・ウーのウーちゃんはとても正しかったと、百才を超える煉瓦造りの家に住むようになってしみじみ思う。
外はもう35℃を超えているというのに、窓さえ締め切っていれば、扇風機も無しでなんとか凌げる。

さて、わたしはブラジャーが嫌いなひとである。
あの、部分的にギュッと締めつけられる不快感がとてもイヤ。なので、ガードルのようなものも嫌い。
好き嫌いだけではなく、気や血の流れにもきっと影響していると思う。長くつけていると押さえられている部分に目に見えないものがどんどん詰まってきて、気分も体調もどこかおかしくなるから。
なので、わたしにとっての心地良いサイズというのはひたすらユルユルで、それではブラジャーがブラジャーとしての機能を果たせずじまい。
でもまあ、無いよりゃマシかと、つけては洗い、またつけては洗いした、20年もののヨレヨレブラをつけていたが、
一昨年にYMCAの特別減量企画に参加してちょいと体重を落とした後、そのヨレヨレブラがとうとう使えなくなってしまい、新しいのを急きょ何枚か買った。
本当に久々の新しいブラは、仕事をしている間だけつけるのだけど、それでもやっぱり息苦しい。
さすがに外ではしないけれど、家に入ると即、ブラを外す癖のあるわたし。服を着たまま後ろのホックと肩ひもを外し、すごい速さでブラを襟元から引っこ抜く。
問題はそこから。
その外したブラを、その時の居場所にヒョイと置いてしまうのである。
それは机の上だったり、台所の椅子の背もたれだったり、ピアノの上だったり、トイレのタンクの上だったり、もうどこでもござれ。
どこかに置く場合はカップを重ね、その窪みに他の部分をクシャクシャと丸め込む、椅子の背などに引っ掛ける場合はまったくそのまま。
うちの場合、家に入ってくるのは家族だけとは限らない。たくさんの友人や生徒、それから生徒の親御さんなどが毎日のようにいらっしゃる。
旦那はわたしの脱ぎ捨てたブラをあちこちで見つけて、「またやってる!」と小言を言う。
わたしはそのたびに、「あっ!ごめんごめん!」と慌てる。
息子達は多分、かなり呆れているだろうけれど何も言わない。
「ボクだって、始終見張ってるわけにはいかないんだからね。レッスン前には部屋の中をちゃんと点検しなさい!」と旦那は言う。至極ごもっとも。

それでも一度、成人男性の生徒のレッスン時に、ピアノの真向かえにあるパソコン机の上にソレはあった。黒であった。
そしてまた、親と一緒に来た男の子のレッスン時に、椅子にぶらりとかけてあるソレを身体で隠し、後ろ手でぐちゃぐちゃに丸めて机の引き出しに押し込んだ。
そして今日、母親と妹と来た男の子のレッスンが終わり、さあこれで今週の仕事はすべて終了!と、母親と妹がレッスンの間座っていたテーブルに近づいていくと、

きゃぁ~ん!

肌色のソレが、ひっくり返された亀のように、コロンと乗っていた。例の、カップを重ねて小さくなった状態で……。
↓ソファの前のコーヒーテーブルの上です。もちろんこの写真の中には写っていません。あしからず。


ソファに座っている間、自分の息子を教えるわたしの姿を見ながら、彼女はいったいどんなことを考えていたのだろう。

最近ハマっているブラトップは、この猛暑にはちょいと暑過ぎて、だからブラジャーだけをつけるようになって、でも嫌いだからすぐ外してしまう。
こんなに暑くさえなっていなければ、わたしは今もブラトップを着ていて、そしたらブラだけを外すこともなくて、彼女もあんなものを見なくて済んだ。
そうだ、猛暑が悪い!地球を困らせている人間が悪い!そうだよね!
コメント (8)
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