今は夜の12時前です。けれども気温が33℃あります。堂々たる熱帯夜ぶりです。
こんな最強の熱帯夜に、旦那とTと三人で、『インセプション』という映画を観に行ってきました。
夢が最大のキーになっている話です。
渡辺謙さんが、ちょい役ではなく、中心人物をとてもよく演じておられました。
何層にも渡る夢の話なので、話が途中でこんがらがりそうになりましたが、なんとか奥歯を食いしばってついていきました。
これが本だったら何回も読み直ししてたかもしれませんが、映像はその点ある程度話を単純化してくれるので、母国語で観られないわたしには救いなのです。
家に戻ってから、もう少し突っ込んだところの内容が知りたくて、日本語のサイトをいろいろと読んでいるうちに、渡辺さんのインタビューを見つけました。
彼の話の中に、とても印象に残ったものがあったので、ここに残しておきたいと思います。
彼は、わたしの意識の中に常にある、形の無いものを表現することへのいろんな思いを、とてもわかり易く言葉にしてくれてあるなあと思いました。
『思ってもないこと、感じていないことをやることに意味はないな。すごく不確かなんだけど、それは“やらないことの恐怖”をどこかに置き去りにしないといけないことでもある。いま、50歳になってそういう状態にあるって楽しいです。確実なものって決して手に入らない気がするんですよ。だから、手に入らないことをあせらない方が良い、と。不確かなままで…まあ『さまよえ!』とは思いませんが、執念深くやることで見えてくるものもある。だから、結果や確かさを求め過ぎたり、“どこか”にたどり着こうとし過ぎるのはもったいない――そんな風に思ってます』
そうだなあ、“どこか”にたどり着こうと焦り過ぎたり、結果や確かさを求め過ぎたり、そんなことよりも、腹に力を据えて続けること。それでいいんだなあ。
そしてそれが、眠る時に見る夢とはまた違う、姿は見えないけれど、心の中にくっきりと存在する夢の実現につながるんだろうなあ。
わたしにも何編か、自分が夢の中にいることをはっきりと認識していて、次に来る場面を自分で作ったりする夢がありました。
どういうわけか、息子達を産んでからは全く見なくなりました。
大地震の夢と、ほうきにまたがってヨーロッパ風の町並みの上を飛んでいる夢です。
あと、余命1年と宣告されたその1年の間にも、とても鮮明で恐ろしい夢を何度も見ました。
なので、今日の映画が、まるで架空の作り話だとは思えません。そういう、まだ明確に説明のできない世界がこの世にはいっぱいあると思っています。
なかなかにおもしろい映画でした。
さて、今夜のようなべっとりとした空気の熱い粒の中で、わたしはどんな夢を見るのでしょうか。
ここからは、ついさきほど思い出した、どうでもいい追伸です。
映画の前に、とても久しぶりにウェンディーズのハンバーガーを食べに行きました。
Tは行きたがらなかったのですが、時間と場所の関係で、渋々わたし達に着いてきました。
脂っこいものの代表格のファストフード。またウェイトトレーニングを再開したTにとって、最も口に入れたくない部類の食べ物なのでした。
ちなみに彼が昨日食べたのは、レストラン『智』のさんまの塩焼きとお味噌汁ともずく。
「そんなん、家で食べれるもんばっかやん!」と旦那。
するとTは、「うちではさんまは食えん!」と反論。
「さんまは秋が美味しいから」とわたし。
すると旦那、「ほぉ~、サンマはサンマー(注・summer)フードかと思てた」
ったく……とわたしが旦那の方をにらんでいると、3秒ほど遅れてTが気づき、「ふははは!」と笑い始めました。
旦那、とっても満足げに、小鼻をヒクヒクさせて喜んでおりました。
優しい(というか、なんでもけっこう笑ってくれる)息子を持って幸せだね、旦那よ。
こんな最強の熱帯夜に、旦那とTと三人で、『インセプション』という映画を観に行ってきました。
夢が最大のキーになっている話です。
渡辺謙さんが、ちょい役ではなく、中心人物をとてもよく演じておられました。
何層にも渡る夢の話なので、話が途中でこんがらがりそうになりましたが、なんとか奥歯を食いしばってついていきました。
これが本だったら何回も読み直ししてたかもしれませんが、映像はその点ある程度話を単純化してくれるので、母国語で観られないわたしには救いなのです。
家に戻ってから、もう少し突っ込んだところの内容が知りたくて、日本語のサイトをいろいろと読んでいるうちに、渡辺さんのインタビューを見つけました。
彼の話の中に、とても印象に残ったものがあったので、ここに残しておきたいと思います。
彼は、わたしの意識の中に常にある、形の無いものを表現することへのいろんな思いを、とてもわかり易く言葉にしてくれてあるなあと思いました。
『思ってもないこと、感じていないことをやることに意味はないな。すごく不確かなんだけど、それは“やらないことの恐怖”をどこかに置き去りにしないといけないことでもある。いま、50歳になってそういう状態にあるって楽しいです。確実なものって決して手に入らない気がするんですよ。だから、手に入らないことをあせらない方が良い、と。不確かなままで…まあ『さまよえ!』とは思いませんが、執念深くやることで見えてくるものもある。だから、結果や確かさを求め過ぎたり、“どこか”にたどり着こうとし過ぎるのはもったいない――そんな風に思ってます』
そうだなあ、“どこか”にたどり着こうと焦り過ぎたり、結果や確かさを求め過ぎたり、そんなことよりも、腹に力を据えて続けること。それでいいんだなあ。
そしてそれが、眠る時に見る夢とはまた違う、姿は見えないけれど、心の中にくっきりと存在する夢の実現につながるんだろうなあ。
わたしにも何編か、自分が夢の中にいることをはっきりと認識していて、次に来る場面を自分で作ったりする夢がありました。
どういうわけか、息子達を産んでからは全く見なくなりました。
大地震の夢と、ほうきにまたがってヨーロッパ風の町並みの上を飛んでいる夢です。
あと、余命1年と宣告されたその1年の間にも、とても鮮明で恐ろしい夢を何度も見ました。
なので、今日の映画が、まるで架空の作り話だとは思えません。そういう、まだ明確に説明のできない世界がこの世にはいっぱいあると思っています。
なかなかにおもしろい映画でした。
さて、今夜のようなべっとりとした空気の熱い粒の中で、わたしはどんな夢を見るのでしょうか。
ここからは、ついさきほど思い出した、どうでもいい追伸です。
映画の前に、とても久しぶりにウェンディーズのハンバーガーを食べに行きました。
Tは行きたがらなかったのですが、時間と場所の関係で、渋々わたし達に着いてきました。
脂っこいものの代表格のファストフード。またウェイトトレーニングを再開したTにとって、最も口に入れたくない部類の食べ物なのでした。
ちなみに彼が昨日食べたのは、レストラン『智』のさんまの塩焼きとお味噌汁ともずく。
「そんなん、家で食べれるもんばっかやん!」と旦那。
するとTは、「うちではさんまは食えん!」と反論。
「さんまは秋が美味しいから」とわたし。
すると旦那、「ほぉ~、サンマはサンマー(注・summer)フードかと思てた」
ったく……とわたしが旦那の方をにらんでいると、3秒ほど遅れてTが気づき、「ふははは!」と笑い始めました。
旦那、とっても満足げに、小鼻をヒクヒクさせて喜んでおりました。
優しい(というか、なんでもけっこう笑ってくれる)息子を持って幸せだね、旦那よ。