ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

夢ってほんとになんなんだろう?

2010年07月24日 | ひとりごと
今は夜の12時前です。けれども気温が33℃あります。堂々たる熱帯夜ぶりです。

こんな最強の熱帯夜に、旦那とTと三人で、『インセプション』という映画を観に行ってきました。
夢が最大のキーになっている話です。
渡辺謙さんが、ちょい役ではなく、中心人物をとてもよく演じておられました。

何層にも渡る夢の話なので、話が途中でこんがらがりそうになりましたが、なんとか奥歯を食いしばってついていきました。
これが本だったら何回も読み直ししてたかもしれませんが、映像はその点ある程度話を単純化してくれるので、母国語で観られないわたしには救いなのです。

家に戻ってから、もう少し突っ込んだところの内容が知りたくて、日本語のサイトをいろいろと読んでいるうちに、渡辺さんのインタビューを見つけました。
彼の話の中に、とても印象に残ったものがあったので、ここに残しておきたいと思います。
彼は、わたしの意識の中に常にある、形の無いものを表現することへのいろんな思いを、とてもわかり易く言葉にしてくれてあるなあと思いました。

『思ってもないこと、感じていないことをやることに意味はないな。すごく不確かなんだけど、それは“やらないことの恐怖”をどこかに置き去りにしないといけないことでもある。いま、50歳になってそういう状態にあるって楽しいです。確実なものって決して手に入らない気がするんですよ。だから、手に入らないことをあせらない方が良い、と。不確かなままで…まあ『さまよえ!』とは思いませんが、執念深くやることで見えてくるものもある。だから、結果や確かさを求め過ぎたり、“どこか”にたどり着こうとし過ぎるのはもったいない――そんな風に思ってます』

そうだなあ、“どこか”にたどり着こうと焦り過ぎたり、結果や確かさを求め過ぎたり、そんなことよりも、腹に力を据えて続けること。それでいいんだなあ。
そしてそれが、眠る時に見る夢とはまた違う、姿は見えないけれど、心の中にくっきりと存在する夢の実現につながるんだろうなあ。


わたしにも何編か、自分が夢の中にいることをはっきりと認識していて、次に来る場面を自分で作ったりする夢がありました。
どういうわけか、息子達を産んでからは全く見なくなりました。
大地震の夢と、ほうきにまたがってヨーロッパ風の町並みの上を飛んでいる夢です。
あと、余命1年と宣告されたその1年の間にも、とても鮮明で恐ろしい夢を何度も見ました。
なので、今日の映画が、まるで架空の作り話だとは思えません。そういう、まだ明確に説明のできない世界がこの世にはいっぱいあると思っています。

なかなかにおもしろい映画でした。
さて、今夜のようなべっとりとした空気の熱い粒の中で、わたしはどんな夢を見るのでしょうか。


ここからは、ついさきほど思い出した、どうでもいい追伸です。

映画の前に、とても久しぶりにウェンディーズのハンバーガーを食べに行きました。
Tは行きたがらなかったのですが、時間と場所の関係で、渋々わたし達に着いてきました。
脂っこいものの代表格のファストフード。またウェイトトレーニングを再開したTにとって、最も口に入れたくない部類の食べ物なのでした。
ちなみに彼が昨日食べたのは、レストラン『智』のさんまの塩焼きとお味噌汁ともずく。
「そんなん、家で食べれるもんばっかやん!」と旦那。
するとTは、「うちではさんまは食えん!」と反論。
「さんまは秋が美味しいから」とわたし。
すると旦那、「ほぉ~、サンママー(注・summer)フードかと思てた
ったく……とわたしが旦那の方をにらんでいると、3秒ほど遅れてTが気づき、「ふははは!」と笑い始めました。
旦那、とっても満足げに、小鼻をヒクヒクさせて喜んでおりました

優しい(というか、なんでもけっこう笑ってくれる)息子を持って幸せだね、旦那よ。

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猛暑とブラジャーの哲学的考察

2010年07月24日 | ひとりごと


今日も猛暑である。こう何回も来ると、恐くも何ともなくなって、またか……という感じ。
ブー・フー・ウーのウーちゃんはとても正しかったと、百才を超える煉瓦造りの家に住むようになってしみじみ思う。
外はもう35℃を超えているというのに、窓さえ締め切っていれば、扇風機も無しでなんとか凌げる。

さて、わたしはブラジャーが嫌いなひとである。
あの、部分的にギュッと締めつけられる不快感がとてもイヤ。なので、ガードルのようなものも嫌い。
好き嫌いだけではなく、気や血の流れにもきっと影響していると思う。長くつけていると押さえられている部分に目に見えないものがどんどん詰まってきて、気分も体調もどこかおかしくなるから。
なので、わたしにとっての心地良いサイズというのはひたすらユルユルで、それではブラジャーがブラジャーとしての機能を果たせずじまい。
でもまあ、無いよりゃマシかと、つけては洗い、またつけては洗いした、20年もののヨレヨレブラをつけていたが、
一昨年にYMCAの特別減量企画に参加してちょいと体重を落とした後、そのヨレヨレブラがとうとう使えなくなってしまい、新しいのを急きょ何枚か買った。
本当に久々の新しいブラは、仕事をしている間だけつけるのだけど、それでもやっぱり息苦しい。
さすがに外ではしないけれど、家に入ると即、ブラを外す癖のあるわたし。服を着たまま後ろのホックと肩ひもを外し、すごい速さでブラを襟元から引っこ抜く。
問題はそこから。
その外したブラを、その時の居場所にヒョイと置いてしまうのである。
それは机の上だったり、台所の椅子の背もたれだったり、ピアノの上だったり、トイレのタンクの上だったり、もうどこでもござれ。
どこかに置く場合はカップを重ね、その窪みに他の部分をクシャクシャと丸め込む、椅子の背などに引っ掛ける場合はまったくそのまま。
うちの場合、家に入ってくるのは家族だけとは限らない。たくさんの友人や生徒、それから生徒の親御さんなどが毎日のようにいらっしゃる。
旦那はわたしの脱ぎ捨てたブラをあちこちで見つけて、「またやってる!」と小言を言う。
わたしはそのたびに、「あっ!ごめんごめん!」と慌てる。
息子達は多分、かなり呆れているだろうけれど何も言わない。
「ボクだって、始終見張ってるわけにはいかないんだからね。レッスン前には部屋の中をちゃんと点検しなさい!」と旦那は言う。至極ごもっとも。

それでも一度、成人男性の生徒のレッスン時に、ピアノの真向かえにあるパソコン机の上にソレはあった。黒であった。
そしてまた、親と一緒に来た男の子のレッスン時に、椅子にぶらりとかけてあるソレを身体で隠し、後ろ手でぐちゃぐちゃに丸めて机の引き出しに押し込んだ。
そして今日、母親と妹と来た男の子のレッスンが終わり、さあこれで今週の仕事はすべて終了!と、母親と妹がレッスンの間座っていたテーブルに近づいていくと、

きゃぁ~ん!

肌色のソレが、ひっくり返された亀のように、コロンと乗っていた。例の、カップを重ねて小さくなった状態で……。
↓ソファの前のコーヒーテーブルの上です。もちろんこの写真の中には写っていません。あしからず。


ソファに座っている間、自分の息子を教えるわたしの姿を見ながら、彼女はいったいどんなことを考えていたのだろう。

最近ハマっているブラトップは、この猛暑にはちょいと暑過ぎて、だからブラジャーだけをつけるようになって、でも嫌いだからすぐ外してしまう。
こんなに暑くさえなっていなければ、わたしは今もブラトップを着ていて、そしたらブラだけを外すこともなくて、彼女もあんなものを見なくて済んだ。
そうだ、猛暑が悪い!地球を困らせている人間が悪い!そうだよね!
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ダークナイト

2010年07月23日 | 音楽とわたし
これは昨日の夜の空。


そしてこれは今夜。


もうすぐ雷がやってくる、というので、旦那がいそいそと後ろの庭の椅子に座り眺めておりました。
稲光を普通のカメラで撮ろうというのは多分、百年早いのでしょうね。ははは。全く撮れずにスゴスゴと部屋に戻りました。


とうとうわたし、意地を張るのはやめようと決心しました。
去年の晩秋にうちにやってきてくれた『カルロス氏のピアノ』。
彼のアパートで弾いた時は全く感じなかった違和感がずっとありました。
それはきっと、
*長く弾かれていなかったからだ。
*環境が変わって鍵盤の状態が落ち着いていないからだ。
*病気で長い間臥せっていたので、問題があったにせよ、そこまでにいろんなことが至らなかったからだ。
*なによりも、運搬中に破損していたのだから、それが全体に影響しているかもしれない。
などと、ずっとモヤモヤしながらも、自分に言い聞かせながら練習をしてきました。

とにかく、どれだけ押し込んでも、くぐもった音しか出てきません。
スカーンと気持ちのいいフォルテ(強い音)を出したくても出せません。
そのかわり、ピアニッシモ(ごく弱い音)の響きにはそれなりに満足を得ることができます。
でも、弾いている間中感じる、きめ細かい綿でできた壁に囲まれたとても小さな部屋の中で弾いているような、なんとも言えない閉塞感、これにはほとほと疲れてしまいました。

これまでなにもして来なかったのではありません。
まずはとにかく、破損した部分を直してもらいました。そのついでに、ハンマーの部分だけを新しい物に総替えしました。
弦に直接当たるフェルト部分を新しくすると、最初のうちは音が少しこもるのはよくあることなので、きっと時間とともに音が鳴るだろうと思っていました。でも、なにも変わらないまま今に至っています。
調律をしてもらい、キーボード全体の調整もしてもらい(これは1日がかりでした)、そのたびに料金を払ってきましたが、やっぱり変わりません。
その後、アルベルトが練習にやって来て、彼の馬鹿力でガンガン弾かれてしまい、すっかり元の木阿弥に、というより、さらに悪い状態に……。
調律は一気に狂い、高音部の鍵盤のいくつかは叩いても音が鳴らなくなってしまったりしました。
そしてその後、いつも調律をしてもらっているアルバートに来てもらい、これまでのことを話して指導を仰ぎました。

「ボクに言えることは、この鍵盤は多分、覚悟を決めて徹底的に直した方がいいということ。それにはボクは充分ではないので、ある人を紹介したい」

そのある人はマサチューセッツ州に住んでいる男性で、ピアノのキーのことならなんでもござれの技術屋さんなのでした。
これまでどんな悲惨な状態のキーでも、素晴らしい仕事をして直してくれたんだそうな。
でもなあ、これまでもすでに、あれやこれやとお金を費やしてしまっているし、今は夏で仕事が減っていて、それでなくてもタイトな経済……。
どうしよう……。

とりあえず相談だけでもしてみたら?ということで、モーヴァン氏にメールを送ってみました。
すると、『君の用件はわかった。けれども予算を組むにはまず、君の調律師と直に話をしたいので、彼の連絡先を教えてくれ』という返事が返ってきました。
予算が送られてきて、その安さにビックリ?!鍵盤をすべてミネラル・プラスティックという最新のものに張り替え、キーボード全体の調整をしてもらうのですが、そのためにはあの大きな鍵盤を配送するための特別仕様の箱をこちらに送ってもらい、鍵盤を向こうに送らなければなりません。そして修理後またこちらに送ってもらう送料すべて込みで8万円以下なのでした。
鍵盤を外し箱に詰め込む作業は、もちろんアルバートに手伝ってもらわないとできません。彼には時間給で払います。
きっと、最初の段階で、モーヴァン氏にお願いするべきだったんでしょうね。
でも、なんとか安く済ませたい一心だったわたしは、結局回り道をして、その間に無駄なお金を使ってしまったようです。

さて、これでこのカルロス氏のピアノがどう変わるのか、わたしにはもうわかりません。というか、これできっと大丈夫だと思う自信が無いのです。
けれども、カルロス氏のアパートで弾いた、あの時のピアノの音色は、きっといつか必ず戻ってくるはずです。
彼のおかあさんが、目に涙をいっぱいためてわたしの手を握り、「あなたにこのピアノを弾いてもらいたい」とスペイン語で言ってくれた彼女の声を、今でもはっきりと覚えています。
あの部屋の空気の匂い、哀しみの重さ、わたしはいろんなものを引き継いで未来につなげていかなければなりません。

心の中は少しだけダークだけど、全く光のない暗闇ではありません。
雲の合間から見える月や稲光のように、時には淡く、時には鮮やかに輝く光がそこには存在しています。
それは希望だったり楽しみだったり、
とにかくあきらめないで、前に一歩ずつ、たまには後ろに下がってもまた、一歩ずつ進んでいきたいと思います。

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被爆ピアノコンサート in ニューヨーク

2010年07月22日 | 音楽とわたし
広島に住むchi-koちゃんの、22日付けのブログ( http://chi-ko-chi-ko.seesaa.net/ )に、『被爆ピアノ』のコンサートの記事が載っていた。



このピアノのことは前にも何度か新聞の記事などで読んだことがあった。
三年前に日本に行った時、とうとう念願叶って広島まで行き、平和公園を訪れた時にも、このピアノの話が書かれてあった。
小さな頃から、この恐ろしい原爆というものが気になって気になって、図書館に行って調べたり、映画や写真集を見たり漫画(はだしのゲン)を読んだりした。

いつも心の中に引っかかっていた原爆。それを落とした国の人と人生を共にすることになって、落とした国に移り住んでいる。
落とされた側だけに存在していたわたしは今、落とした側にも存在していて、その両側からあのキノコ雲を見ているのだけど、わたしがどちらの側にいようといまいと、キノコ雲の下で繰り広げられた惨状と犠牲になった人達の無念と苦しみは永遠に変わらない。
戦争はなにも解決しないだけでなく、人を狂わせ、死を量産する最も愚かな行為だ。
戦争をしようとする人が憎い。そんな人間など、この被爆ピアノの下敷きにでもなって死んでしまえ!


chi-koちゃんのブログに遊びに行って、彼女の記事を読んだのが昨日の夜遅く。
そこにニューヨークコンサートの件が載っていて、それをもう少し詳しく調べてみると、なんと、9/9~9/13までの5日間、マンハッタンのいろんな場所でコンサートを開くことになっていて、その演奏者を募集していた!
そして……その募集が20日で締め切られていて、弾きたい者はそれまでに、演奏のデモテープと履歴を送っておかなければならなかった……。
うぅ~……。

5分ぐらい唸りながら考えた。あきらめるべきかどうか。う~ん……う~ん……。
いや、あきらめたらあかん!ダメでもともとやんか!事務局にメールを送ってみよう!

たった今記事を読んだところであること。
〆切日をちゃんと理解している上で、このメールを書いていること。
幼い頃から原爆のことを自分なりに考え続けてきた者であること。
原爆のような破壊的な障害ではないにしろ、わたしのピアノ人生にもたくさんの障害があり、それをひとつひとつ乗り越えながらピアノを続けていること。
同時テロを間近に目撃し、テロ直後の街の、なんともいえない喧噪と静けさと憤りと、そしてなによりも、あそこに居たすべての人達が皆、同じようにつぶやいていた「何故?」「どうしてこんなことができるの?」という言葉を、今も鮮明に覚えていること。
わたしが自分を癒したい時に弾く曲が2つあり、できればその両方を弾かせてもらいたいということ。
けれども、決まりは決まりなので、もし無理ならば、当日会場に行き、そのピアノの音色を心にしみ込ませていただきます、などと書いて送った。

翌朝の今朝、メールを開くと、実行委員プロデューサーの方から返事が送られてきていた。
結果はオッケーだった!
11日の『ピア40』、12日の『ニューヨーク本願寺』でのコンサートで弾かせていただくことになりそう!ああ嬉しい!
近くに住んでいる者として、他のコンサート日にも、ボランティアのお手伝いをさせてもらいに行くつもり。

なんとわたしにとって意味深いコンサートになることよ。今からすごく楽しみ。
ほんとなら知らずに過ごしていたことを、こんなふうに気づかせてくれたchi-koちゃんに心から感謝!!


ただひとつだけ、とても申し訳のないことをしてしまうことになった。
実は9/11のコンサートと同じ日にACMAの演奏ミーティングがあり、その日にわたしはアルベルトとふたりで、ガーシュインのピアノコンチェルトを2台ピアノで弾くことになっていた。ガーシュインオタクのアルベルトから頼まれたのだった。
頼まれたのはもうかなり前のことで、今月末あたりから合わせの練習をしよう、というところまできていた。
彼はとても楽しみにしていて、わたしももちろん楽しみではあったけれど、わたしのこの突然の我がままのせいで、9月には演奏できなくなってしまった。
ついさっき、メールで事情を話した。広島のこと、原爆のこと、それから被爆ピアノのこと。
送って数分も経たないうちに、アルベルトから電話がかかってきた。
「まうみぃ~!!」第一声が叫び声だった……。
どこまで理解してもらえたかはわからないけれど、彼は11月の演奏ミーティングまで待つ、と言ってくれた。
我がまま言ってごめんっ!アルベルト!


*ニューヨーク公演の詳細はこちらです→ http://www.peace-hiroshima.org/ny.html

*そしてもうひとつ。被爆ピアノをマンハッタンまで郵送する費用の募金のお願いです→ http://www.peace-hiroshima.org/application2.html

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今日もお便秘の方へ

2010年07月21日 | アホな小話
息子Kが、居間にいる旦那とわたしにこう言った。
「お便秘の人いる?」

旦那は一瞬の躊躇もなくわたしを真っすぐに指差し、わたしはわたしでこれまた一瞬の躊躇もなく高々と手を上げていた。まるでピカピカの一年生のように。

「それではおかあさま、これをどうぞお聞きください!」
と、うやうやしくパソコンのキーを叩き、出してきたのがコレ。その名も『The Brown Noise(ザ・ブラウン・ノイズ)』そのままやん

The Brown Noise


聞いてみた。
なんかプーとかブーとかプツプツとか、うるさいのやらワケわからんのやら、いったいコレのどこがお便秘にいいのやら……。

するとK、「この音のどれかに、お腹の内側が反応するはずです。ほれほれ、もっと集中して!」とけっこう真剣……。
「あ、ちょっと失礼」
なんでやねぇ~ん!あんたがトイレに駆け込んでどうする

さてさて、みなさんにはいかがでしょうか?もしもお役に立てたなら幸いです
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女であるということ

2010年07月21日 | ひとりごと
昨日、なんか異様に暑くて、旦那にちょっと英語の発音直されたらぶち切れて「あぁ~!!」と叫んだりして(←これは初めて)、自分でもオカシイと思てたら、

生理になった……。

シャワーに入ったら循環が良うなったんか、出血が激しくて、足元見てたら、例えは悪いけど、返り血をいっぱい浴びた犯人みたいな(←あくまでも想像)気分になった。

もしどこかに傷を負って、そこからこんな調子でこんな量の出血があったら、絶対にオタオタ慌てるやろなあ。
ほんま、女っちゅうのは、根性すわってやなやっていかれへん。

旦那が、「流れ出るべき血が滞って身体がしんどくならないようにコレ飲んどき」と言って、漢方の黒い粒を持ってきてくれた。
血と一緒に体内に鬱積する熱も、少しは外に出してくれるらしい。
飲んだら少し楽になった。

暑い……。今日も35℃を超えた。猛暑日。モウショ~がない日。

今日は生徒がひとりっきりしかいないから練習にもってこいやったのに、どうも頭の中がもらもらとして音符が読みにくい。
ちょっとしては休み、ちょっとしては休み、それでも皮膚という皮膚にじんわり汗がにじむ。

演奏を研究するために、YouTubeで数人の演奏を聞いてみる。ふんふん、あんたはそうきたか……。

あ、そや!涼みがてらにちょっと怖い話でも観てみよか。

人一倍恐がりのくせに、あれこれとえらそうに選んで観てみた。こ、こ、こわいっ!ひぃ~!目ぇつぶっといたろ!けど、ちょっと観たい。
薄目で長いこと観てたら下瞼がしんどなってきて、ビリビリと震えてウザイ。なにやってんのやろわたし……。
ぎゃ~!そんなみるからに怪しい女の人、車に乗っけたらあかんがな~、ほらみぃ、青い顔してニタリィ~……ぎゃ~!

涼しなったんか、余計に暑なったんか……もうやめとこ。またおしっこ独りで行けんようになる。


夕ご飯が終わる頃、旦那が窓を眺めて言うた。
「コットンキャンディ~!」


いまだに30℃近くある、遥か彼方の空にムクムクといろんな雲がわいている。



旦那が患者さんから桃をいっぱいもらってきた。


うちにはすでに、ドーナツ型の桃と黄桃があったけど、桃食いのわたしには嬉しいかぎり。
桃を見るといつも、赤ちゃんの頃のTとKの、ツルツルのお尻を思い出す。可愛かったなあ……。

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鍋焼きチーズケーキ

2010年07月20日 | 家族とわたし
こんな暑い日に、チーズケーキを焼くことにしました。
いささかの勇気と気合いが必要です。
もともとそういうことをあまりする方ではないわたしが、どうしてしようなどと決めたのか?
その原因はコレ↓


まだこんなにも猛暑になっていなかったある時期に、クリームチーズ&スモークサーモンのベーグルにハマっていた我が家。
どうせいっぱい食べるのだからと、コストコでこれを買ったのが間違いでした。
このクリームチーズ、3パウンド(約1キロと400グラム)もあるのに6ドルで買えちゃうのです。
いくらなんでも食べきれんだろうなあ~と思いながらも、あまりの安さに買っちゃったバケツクリームチーズ……やっぱり余りまくっています。

で、Kのお願いもあって、仕事前にちょっくら焼いてしまおう!ということで。


いやあ、ここまで散らからなくても、みたいな。大変なことになっております。

やっぱり、いくらなんでも暑いので、オーブンとかを使わない、鍋で焼く方法にしました。


室温が高いので、ネタが異様に膨らんで、鍋のフタにべっちょりとついてしまいました。なかなか悲惨な鍋焼きチーズケーキ。
でもまあ、中身は一緒なので、けっこううまいです。


お節っちゃんからのご要望にお応えして。本丸写しのレシピです。

材料
クリームチーズ 200g
小麦粉(薄力粉)30g
バター     30g
砂糖      100g
卵       3個
レモン汁    1/2個
レモン皮(すりおろす)1/2個

中サイズの多重ステンレス鍋(フライパン)を使います。

1 フライパンの側面にバターを塗り、小麦粉をふり、余分の粉を落とし、硫酸紙を底に敷く。
2 クリームチーズとバターをクリーム状に練り、砂糖1/2量を加えてすり合わす。
3 卵黄をほぐして少しずつ加えて混ぜる。
4 すりおろしたレモンの皮、レモン汁を加えて合わす。
5 卵白を泡立てて、残りの砂糖を2~3回に分けて加えながらしっかりと泡立てる。
6 チーズに卵白の泡立ての1/3量を加える。
7 小麦粉を加えてさっくり混ぜ、残りの卵白の泡立てを加えて混ぜる。
8 生地をフライパンに流し、ふたをし、中火にかける。
9 ふたが温かくなればとろ火にし、約30分焼く。竹串をさして何もつかなければよい。
10 鍋から出してさます。

以上です。

火加減の少しの違いで、生焼けになったり焦げたりするけれど、そこはまあ、何回かやってコツをつかんでくださいね。
今日のようなすご~く暑くて湿気の多い日は、流し込む生地の量を、いつもよりチョイと少なめにした方がいいかもしれません。
おかげでわたしは、ふたにベッタリくっついたケーキの残骸をいっぱい食べることができましたけど……。
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米国やがて哀しきサラダバー事情

2010年07月20日 | 米国○○事情
あれに見えるはチョウナンの後ろ姿ではないか?!やつもメタボではあるが、オヤジほどではない。


やはりチョウナンだった。トボケた顔はオヤジそっくり。


ムシャムシャと休みなく芝を食べた後、じわりじわりとハーブに近づいていくチョウナン。
今日はどれにしよっかな~という雰囲気が漂う。


パンッ!パンッ!わたしの怒りの手打ちに驚いて、身体をうねうねと波立たせながら去っていくチョウナン。さすがにオヤジよりは素早い。

チェック開始。


もちろんのように、手前下のパセリは全滅のまま。そして豆も……茎がオバケのQ太郎の毛みたいになって残っているだけだった。グヤジィ~!!


うちのジャングルはやつらにとっては無料のサラダバー……なのね


気をとり直して……りんごがおっきくなってきた。


こないだ旦那と救済した、倒れて弱っていたムクゲの小さな木に花が咲いた。


こんな暑い日も、密度の濃い毛皮を着て散歩する家猫。


もう悟りを開いているような顔をしている。






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わたしと海

2010年07月19日 | ひとりごと
ちょっと心配はしてたけど、最近のお日様の光線は半端じゃなく、とてもじゃないけれど並のモノでは歯がたたんじゃろと思ったので、新しい、しかもUVの数字がとても高いクリームを買った。
顔用と身体用をそれぞれ一本。とりあえず名の通った会社の製品を選んだ。

昨日の道中から、それをせっせせっせと塗り、汗で流れたからとまた上から塗り、海に着いてからもまた重ねて塗り、とりあえず日が落ちるまで塗っていた。

寝る前にシャワーに入り、鏡を見ると、頬骨と鼻の頭、それから眉間の部分がかなり赤くなっていた。
旦那みたいな骨格ならともかく、別に特に高いっていう部分でも無いのに……と首を傾げながら眺めていた。
よくよく見ると、その赤くなった部分に、いきなり深い線(これをヒトはシワと言ふ)がランダムに刻み込まれていた。
なんでじゃ?

そういえば、浜辺で昼寝をしていた、まだ仕置き人に仕置きをされていなかった時の旦那が、ひょいと起き上がったわたしの顔を見て、ギャハハ!と爆発的に笑うので、「なによ!」とムッとすると、「まうみの顔、ほれ、えっと、『マルサの女』とか『お葬式』とかの映画作った人、ええとええと」「伊丹十三?」「そうそう、彼の顔にそっくり!ギャハハ!」とおぬかしになった。
きっとその時からもう、伊丹十三風の深いシワが、炎症を起こして赤くなっていた所にいっぱいついていたに違いない。
けど、それにしても伊丹十三って……。

気をとり直し、とりあえず水分をたっぷり補給しようと、いつもよりたくさんローションを叩きつけてから寝た。

今朝起きてみると、シワの深みは少しマシになっていたけれど、皮膚は悲惨なことになっていた。
昨日より更に赤く腫れあがり、まるで軽度のやけどを負った皮膚のように、毛穴が各自、プハーッと熱を吐き出しているではないか!
どっひぇ~!!
とりあえずお水でピタピタと冷やし、タオルを軽く押さえるようにして水気を取り、そこに馬油をそぉ~っとまんべんに擦り込んだ。
今日はしばらく馬油とお水でいっとこう。


海がなによりも好きで、泳ぐのが好きで、電話機が黒一色だった頃なんかは「おい、そこの電話!」とか呼ばれてて、「おまえは目をつぶったらどっちが前か後ろかわからんな~」などと真顔で言われてて、それはそれで嬉しかったりして、潮干狩りから始まってクラゲにチクチク刺されるまで、海に通い続けてた子供時代。
小娘になってもやっぱり海が好きで、内緒で婚前旅行!なんてエッチなことを企んで行ったのに、行った先の海で、日焼け止めと日焼けクリームを間違えて塗ったままボートに寝っころがって半日過ごしたら、その晩から二日間、40度近い高熱が出てウンウン唸り続け、旅行最後の朝に、やっと熱が下がってフラフラと洗面所に行ったら、顔一面が見事な水ぶくれになってて、それを恐る恐る額の方からめくっていくと、あらあら不思議、パックした時みたいにぺろりと一皮剥けた……なんてこともあった。

それからずっと時が経ち、実際に半世紀以上も生きてきて、それなりに大人になっているはずなのに、いやあ、浅はかだったことったら!
UVの数字さえ高けりゃいいのではなく、それが自分の肌に合うのかどうか、そういうことを考えるべきだった。
反省っ!!


もうあんな無茶なんかできない。当たり前だけど、それがとっても哀しい。
これからの半生、海に行ってもできるだけ日陰で、いつも使い慣れているクリームをいつもより多めに塗って、あんまり長く時間を過ごさないようにしよう。
海だってきっと、「無茶すんなよ」って言ってくれるに違いない。ずっとずっと仲良しだもんね。
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暑い日のできごと

2010年07月19日 | ひとりごと
朝起きたら、インターネットがまるっきり使えなくなっていた……。

旦那はそうなると仕事が上がったり。
わたしはいきなり、普段していないようなことをコチョコチョとし出す。
息子はすることが丸っきり無いからと、ひたすら寝る……。
家猫は……まるでいつもと変わらない。

夏の間は旦那が稼ぎ頭なので、上がったりのままでいるわけにはいかない。
早速、ケーブル会社への問い合わせ電話をかける。これはいつも我慢大会のごとく、とにかく人と話せるまで向こうのコンピューターからの指示に従う。
うちはテレビとインターネットをこの会社(Comcast)と契約している。携帯電話はat&t、普通の家の電話はverizon。なので相倒れになることはない。
けれども、今旦那の携帯は仮の携帯で、患者さんの番号はすべてコンピューターの中に入っているので、インターネットはどうしても必要なのだ。

さて、話は少しそれるけれど、
半年ほど前、うちは本当にテレビを観ない家族だということに気がついて(どんだけ時間かかってるねん!)、チャンネル数をもっと減らそうと決めた。
それで、月々の支払いが約30ドルほど減ったのはよかったが、なぜかいきなり、いろんな、観られるはずのチャンネルまで映らなくなってしまった。
たまに不便なことになったが、それでもやっぱり、まあ別にそれはそれで諦められたりする範囲のものだったので、だらだらと今まで過ごしていた。
とにかく、ここアメリカでは、技術屋さんに来てもらうということは一大事なのだ。
まず、お願いの電話にとてつもなく手間がかかる。
やっと来てくれる日が決まっても、朝の8時から夕方の5時までに行きます、などと言われるので、その日一日、下手をすると、8時間以上、今か今かと待たなくてはならない。
ほんでもって、散々待ってやっと来てくれた人が、結構いい加減な人だったりする。
だから結局、また誰かに来てもらうことになることが少なく無い。
ね、一大事でしょ?
なので、ずっと放っといたのだけど、同じ会社なんだから、今日はチャンスだ!ということで、テレビとネットの両方をいっぺんに直してもらうことにした。
時間は3時から8時までの間。5時間か……まあ仕方がない。旦那が5時から仕事なので、できたら旦那の居る間に来て欲しいけど、贅沢は言わない。
ところがなんと、お昼前に、ケーブル会社の方から電話がかかってきて、インターネットが使えないのは不便だろうからと、11時から1時までの間に変更してくれた?!奇跡だ!!
そうしてきてくれた若い兄ちゃん。う~ん……見た感じではどっち(ちゃんとやってくれる?いい加減?)だか判断が難しい。様子を見ようではないか。

まずはテレビ。
なんと、居間に移したおっきな方のテレビにつながっていたコードは、チャンネル数に限りがあった。なんで?
そして、台所のチビテレビは、ただ一旦電源を切って、モデムをリセットしたらいいだけ、なのであった……。
技術もなぁ~んもいらん、とっても単純な理由で、わたし達は半年以上もの間、まあしゃあないか……と思い続けてきたようだ。
兄ちゃんはなかなか真面目で、きちんとすることをしてくれる。家の中を這い回っているコードを、地下の天井に移してくれたりもした。
もうその時点で旦那の目はヤギのように優しくなり、わたしも口数が多くなった。
さて、インターネットの方はどうかな~と、二階に上がっていく兄ちゃんに、旦那はわざわざ手作りのアイスコーヒーを作ってあげた。彼のはとても美味しいので、兄ちゃんもきっと喜ぶだろう。なかなかにいい感じである。
インターネットの方はモデムがかなりイカレていて、これには本格的な修理が必要だった。

今日のお兄ちゃんは大当たり!なにもかも、丁寧に、時間をちゃんとかけてやってくれた。そしてすべてがきちんと直った。

今日も暑かった。いや、今もまだ暑い。昼間はまた100℉を越えた。摂氏で39℃。世界のあちこちで茹だっている。
そんな中、生徒の発表会のための曲をコピーしに行ったり、Tから頼まれた小包をUPSまで送りに行ったり、カーネギーのチケット予約代金の小切手を送ったり、期間限定で安くなったペリエの箱詰を買いに行ったり、いろいろとやっておきたかったことを済ませた。暑くて疲れたけど、気分はスッとした。

カーネギーのコンサートに来てくださるわたしの友達、親戚、そして生徒や生徒の家族の皆さんが、なんと総勢50名になった。本当にありがたいし嬉しい。
皆さんの期待に背かないよう一所懸命に練習して、舞台に居る自分も一緒に心から楽しめるよう頑張ります!ほんとにありがとう!







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