ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

バナナ・パブリック

2010年07月27日 | ひとりごと
じゃ~ん!


台所の一角で、日夜熟成を続け、ここ数日、発酵モードに突入していたグジュグジュのバナナさん達。
部屋中バナナの匂い、というか臭いがどよよ~んと漂い、かなりヤバい状態なのでした。

なんとかせにゃ~!と、この暑い最中、オーブンを使って焼くことにいたしました。

レシピを見ると、ほとんどが2本。うちの超完熟さんは6本。しゃあない、分量3倍でいっとこか!
……で、このデカさになってしまいました

旦那流『星条旗的バナナブレッド』!……だそうです


ほんとはクルミを入れたかったけど、無かったので、手当たり次第、周りにあるもんをパラパラと混ぜちゃいました。
スライスアーモンドにパンプキンの種、それからひまわりの種とレーズン……ええんだろうか……ま、ええでしょう。
この半端ではないナッツ好き、近頃ふと考えるようになりました。
もしかしたらわたし、前世はリスやったんちゃうやろか……。
それも、うちのあの連中みたいに、性格のよろしくない、すぐにイチビル米国東海岸リス……わたしがここに暮らすのも、もしかして神のお導きなのか?

バナナブレッドは、かくも深い考察をわたしに与えてくれるのでありました。



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世界一の平均寿命

2010年07月27日 | お家狂想曲
先日、ネット新聞でこのことを読み、常々自分が思っている百才更新のことを考えた。
すると昨日、ブログの友美代子姉ちゃんの記事にもこういう言葉が載っていた。

『朝刊によれば、日本人の平均寿命が過去最高を更新したことが分かったそうだ。女性が86.44歳、男性が79.59歳。女性は25年連続世界一で、男性は世界五位とのこと。改めて凄いなあと思う。 
95歳まで生きる割合は男性8.2%、女性23.7%だそうだ。女性はナンと、100人のうち23.7人が95歳を超えることが出来るということか。これにはびっくりだ。しかし、95歳まで生きることは良いことなのか……』

平均寿命という言葉にすごく興味がわいてきた。だから調べてみることにした。
すると……、

『平均寿命は平均余命のことで、0歳児が平均してあと何年生きられるかという指標。
若い人の死亡が多いと、平均寿命は引き下げられる。寿命には、喫煙や飲酒などの生活習慣、医療体制、ストレスなど様々な要素が影響するとされる』

と書かれていた。びっくりした。わたしの抱いていたイメージと全く逆じゃないか?
わたしは全国津々浦々の、おじいさんおばあさんの数と年令を足したり割ったりして出された数字だとばかり思っていた。
だから、わたしがこの先何年生きるかは、それこそわたし個人の問題であって、今日生まれている赤ちゃん達の余命に自分を委ねたところで仕方が無いのだ。


改めて数字をしっかり心に刻みながら読んでみると、これは本当に大変なことなのかもしれないと思い始めた。
一国の在り方として考えてみても、この確率にはとても大きな意味合いがある。
自分の、そして友人知人の親も、年をとり続けている。
病に倒れた人、心を病んでいる人、惚けている人、そこそこ健康ではあるけれど幸せだとは思えない人……、
そこにはその人の数だけ人生が存在するのだけれど、誰ひとり、無邪気に、あるいは穏やかに、余生を楽観できている人はいない。

ネットでいろいろと読み歩いていると、こんなことを書いている方がおられた。多分カトリック教関連の方だと思われる。

『新聞の報ずるところでは、介護保険は在宅介護に軸足を移すという。十分余裕のある住居と人手、潤沢な資金があれば不可能ではない。
しかし現実の社会はグロード神父がその著書の中で指摘したとおりほど遠い。政府の計画は現状無視の空論でしかない。
マザー・テレサがコルカタで最初に始めた事業は「死を待つ人の家」であった。
我が国の特養の先駆である。特養に身を委ねる人々は再び自分の家に戻ることはないであろう、そこが地上の生を終える場所なのである。
にもかかわらず特養の実態はグロード神父が指摘するとおり、その場としてはあまりにも貧弱である。
特に日本の施設では肉体だけが人間のすべてという思想に支配されて、人間の真を蔑ろにしている。
地上の生を終える場とは言えないのが実態である』


少し極端に断言しておられるかもしれないけれど、わたしはこの中の『死を待つ人の家』という言葉に心が吸い寄せられた。
地上の生を終える場所。もう二度と再び自分の家に戻ることはなくとも、それを惜しむことなく、心豊かに死を迎えられる場所。
そんな空間を作り出すことが、人にはできるのだろうか。
それは決して、空調の行き届いたピカピカの床や壁に囲まれ、最新の医療設備が整った建物ではなく、贅沢な食事を出してくれるシステムでもない。
あなたがそうやって生きていてくれること、それがとても嬉しい。そのことを伝えられる人がそこにいること。
それは家族であってもなくても、知人や友人であってもなくても、誰でもいいのかもしれない。
その人の、その人なりの存在の仕方を受け入れ、生を喜んでくれる人がひとりでもいてくれれば、きっとその人の心は満たされる。

常々、有言実行のごとく、百才まで生きる!と断言しているわたし。どんなふうに百才まで生きたいのか、それにはどんな心構えと準備が必要なのか、
おまえはそれを真剣に考えなければならないと、暗に諭してもらったような気がした。

コメント (6)
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