ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ガスパッチョでドン・ガバチョ!

2010年07月28日 | ひとりごと
今日も猛暑は避けられた。
少しでも涼しくなってくれただけでありがたくて仕方がなかったのに、今日は昨日よりちょっと湿気が高いね、などと早速文句をタレる贅沢者のわたし達。
朝ご飯を食べながら、今日の予定を報告し合い、晩ご飯をなににするかと思案するのがいつもの食卓。
う~んう~ん、ポテトサラダにしようか……けど、この湿気だしな……よし、ガスパッチョだぁ~!

レッスンを終え、自分の練習をしてから買い物に出かけた。
S子さんが植えてくれたプチトマトが、ジャックと豆の木みたいな勢いでどんどん伸びてきて、つかまる所が無いものだから四方八方に倒れている。
その無惨な状態を改善すべく、お気に入りの園芸店に支柱を買いに行きがてら、その店のお向かえにあるスーパーで材料の野菜の調達をすることにした。

園芸店はこのエゲツナイ猛暑でとんでもないことになっていた。
日焼けで葉っぱがアフロパーマをかけられたみたいに先っちょからチリチリ?!の、なんとも哀れな日本紅葉の大群。他の樹木や草花もかなり弱っている。
半額にするから、なんでも好きなの持ってってぇ~!ただし、保障はできないよぉ~!の看板があちこちに立てられている。かなりやけくそっぽい……。
日本紅葉はいつか植えたいと思っている夢の木だけれど、どうかなあ……うちに持って帰っても大丈夫かなあ……いや、大丈夫ではないだろう、きっと……。
それでもあきらめきれずにうろうろと見回っていると、きれいな黄色が目に飛び込んできた。


なんだかとってもしっかりと黄色い。伝わってくる気があたたかい。ほんでもって楽しい。
世話の仕方を教えてもらおうとカウンターに行くと、ユリ科の花だそうで、毎年咲くかどうかは不明。
花の中はこんな感じ。


わたしはどうも、空を向いて咲く、真っ黄っきの花が好きみたい。向日葵みたいに。


さてさて、肝心の料理を始めよう。


完熟のトマトは良しとして、赤いパプリカのおっきいこと!まあ、これがアメリカンサイズなんだけど……。
レシピは日本のを使うので、これが災いにならないことを祈るばかりなり。

庭のバジルをこれでもか~とふりかける旦那。


パセリとトーストでいただきました。


本日のビタミン、これでドン・ガバチョっといただきました!やっぱ夏はガスパッチョでんな~!
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弟を想うと

2010年07月28日 | 家族とわたし
わたしはいつも切なくなる。
誰からも可愛がられた無邪気な小さな男の子。
味噌っ歯の笑顔がめちゃくちゃ可愛らしかった。あの子の笑顔を見た誰もが「かなわんな~」と言いながら笑った。

長い間の暗い予感があった。毎晩恐ろしい争いをこっそり聞いた。だんだんと笑わなくなった。
やがて、当然の結果のように母が家を出て、それからの生活は彼の心をたくさん傷つけた。
それでも曲がることなく頑張っていると思っていたある日、彼が小さな非行をしたことを聞いた。
父は泣いていた。弟は貝のように固い殻をまとっていた。

やがて家族がバラバラになり、それぞれがそれぞれのことを考えるので精一杯になり、わたしも頑張るからあんたもあんたで頑張りや、としか思えなくなった。
彼の眉毛がスッパリと剃り落されて、なんとも恐ろしい、けれどもどこか滑稽な面構えになった。
とうとう本格的にグレるのかな……口には出さなかったけど、本当に哀しかった。
けれども彼は、そういう外見のまま、弓道部に入ったり、他にもいろいろと学校の行事に参加したりして、結局普通に高校を卒業した。
一家離散になった状態だったので、親戚の伯母の家に居候させてもらっていた。
伯母は、甥(弟の息子)を親身になって世話をしてくれた。食べ物も栄養のある良い食事を作ってくれた。

なぜだかいつもタイミングのいいわたしとは違い、弟はいつだってタイミングが悪く、お金の要る時が来てもあても無く、やりたいこと、なりたいことを諦めなければならなかった。
もともとわたしのように、なにかを真剣に学びたいという気持ちも無く、その対象になるものも無かったけれど、そんなものを持っている者の方が珍しいのだ。

事業の失敗に伴って、いろんな悪い影響が泥水のようにドッと押し寄せてきて溺れそうになるたびに、父は藁代わりに息子の名前にしがみついた。
カードの不正使用。不渡り小切手の発行。弟は全く知らない間に、成人になったと同時にブラックリスト入りをした。

それでも父と縁を切ることもなく、引っ越しというと手伝いに行き、なにかの仕入れの力仕事というと手伝いに行き、淡々と関係をつなげていた。
父が末期癌に侵され、亡くなるまでの4ヶ月間は、誰もが感心するほどの看病を続けた。

手に職をつけることも、普通に会社に勤めることも、好きだった女の子の親に会いに行くこともできないまま、それでも雇ってくれる職場で真面目にコツコツ働き、どこの場でも上に立つようになる弟。
輸入品販売の会社では、社長が偽装ブランドの摘発を受けて終わり。
麻雀屋の店長では、震災でビルが壊れて終わり。
それからずっと今に至るまで、建設関係の仕事をしている。もちろんリーダーとして。
そして終の伴侶にも巡り会えた。彼女は気持ちの優しい、人の痛みがわかる人。ただ、弟のことを実家に言えないでいる。もう随分と長い間が経つのだけれど。
弟はこんなふうに一生、紹介されないまま生きていくのだろうか。なにひとつ、彼がやったことではないのに。
口には出さないけれど、きっと傷ついているだろうと思う。彼の、普段抑えられている怒りは、だから突然、小さなことに噴火したりする。
そして『家族(結婚)』というものを、ある意味あきらめているようなところもある。
それは両親から、そして姉のわたしから、見せつけられた現実が深く関係している。

その弟も今年は50才。45を過ぎたあたりから、やっぱりこの仕事はキツいとこぼしていたが、今やかなり全身に応えるのだそうだ。
どうしているだろうか、大丈夫だろうかと心配しいしい、なのに電話もメールもしないまま、この厳しい夏の半分が過ぎてしまった。
弟に比べたらのんきに生きている自分がやけに申し訳なく思えてならない。

昨日、こんなふうにゴチャゴチャ思っていないで、スカイプしよう!とメールで誘ってみた。
すると、
『今年の暑さは普通とちゃう!息するのもシンドイ。
仕事から帰ってきたらまず、水のシャワーをしばらくかぶる!?
それをしないと全身がツって固まってメチャクチャ痛い。熱中症ですなぁ… 今は耐えるだけやね』、というメールが返ってきた。

辛そうだけど、あともう少し。でも、ちょっと恐いこと書いてあるなあ……大丈夫かなあ……などと、また心配が始まってしまう。
「アホやなあ~オネエは!」ってまた叱られるね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする