昨日の朝の起き掛けに、前の晩にビーツを食べたわけでも無いのに赤いおしっこが出た。びっくりした。
花火を待つ長い時間、ほとんどずっと座っていたし、しかもジーンズをはいていたし、帰りがけに下腹がしくしくと痛んだりしていたので、そういうことが重なって出たのかなあ、と思った。
でも、排尿後の感じがよろしくない。少し痛みを伴うもどかしさが、股の辺りに貼り付いている。
そんな感じで始まった昨日は一日、おしっこのたびに不快な感じを味わっていた。
旦那に相談すると、あちこちのツボを刺激したりマッサージをしてくれた。
昨日はできるだけゆっくりして、夜も早めにベッドに入り、身体の調子を整えようと思ったけれど、エアコン問題で計画はうまく進まなかった。
旦那いわく、「まうみは寝ようとする努力が足りない」のだそうな。ふう~ん。あんたがあんな騒音の中で眠れるのは、ひとえに努力の賜物だったわけだ。
騒音って、努力次第でなんとかなるもんなんだろうか……。
なので今日は、昨日に引き続き、締めつけない服を着てゆっくりとすることにした。
排尿の不快感は少しずつ薄れていき、尿の色も普通になった。けれどもまだ量が少ない。汗になって出ているのかもしれないけれど、それにしても少ない。
仕事帰りに、旦那に頼まれた砂糖とコーヒーフィルターとミルクを買いに、通り道にあるホールフーズに寄った。
店に入ってすぐの所に、切り売りの果物の売り場があった。
そこの、透明のプラスティックに入ったキューブ状のスイカを見た途端、まるで血に飢えたドラキュラみたいに、身体中の細胞が欲しい欲しい!と手を伸ばした。
容器に入ったほんの少しのスイカと、その近くに四つ切りにして売られているそれとが、ほとんど同じ値段だ。量は四つ切りの方が何倍も多い。
少し迷った。どちらも手に取って考えたりもした。ホールフーズはそれでなくても他の店よりは値段が高い。こういう物を買うには最もよろしくない店だ。
でも、この欲望の激しさはただ事ではない。わたしはもともと、いろんなことに対して淡白な方で、好きな物(人)は好きだけど、そして欲しい物(人)は欲しいけれど、それがなんらかの事情や理由で手に入らない、あるいは手に入れない方がいいとわかればそれで、さっさとあきらめることができる。まあ、もっと詳しく言うと、あきらめるのに時間と努力が必要な時もたまにはあるが、最終的にはあきらめられる。
というか、あきらめた方が良さそうなことが、今までにたくさんあり過ぎて、はじめからあきらめる時の心準備をする癖があったりする。
その対象になるのが物なら、わたしの気持ちだけの問題で済むけれど、ボーイフレンドだったりするとそれぞれ心があるのだから、彼らには本当に悪いことをした、などと思う。
そんなことに至るまで深く考え込んでしまった。スイカが思い出させてくれた、激しい欲望を表に出すことも、相手に望むこともできずにいたわたし。
あ、でも、この男と暮らそうと決めてしまったら最後、どんな困難や問題が襲いかかってきても、相手に散々断られても、決してあきらめないけどね。
いや、今はそんなことじゃなくて、四つ切りのスイカを買うか、プラスティック容器に入ったスイカを買うか、それを決めなくてはならない。
プラスティックのでは、この欲情を満たせない。四つ切りを買おう!
カゴの半分以上を占めるスイカと、牛乳、グレープフルーツジュース、砂糖、卵が入った重いカゴを、レジまでよいしょよいしょと運んだ。
店のフードコートにあるプラスティックのフォークを一本もらい、車の中でスイカの尖った所を食べた。ため息が出るほど冷たくて甘かった。
家に着いて、もうご飯だというのに、そんなことなどおかまいなしに、半分をガツガツと食べてしまった。
あ~美味しかった!とお腹をタプタプさせながら、あっ……と思った。
スイカには疲労回復と利尿作用がある。そうか、そういうことか。
わたしは時々急に、コーヒーやお酒を全く飲みたく無くなる時期がある。好きなのだけど、身体が飲んで欲しく無いと言ってくる。
そうなると、旦那がどんなに目の前で美味しそうに飲んでいても、まるで平気で無視できる。
本当は体質的に飲まない方がいいのに、ものすごく好きな物(コーヒーとビール)なのでどうしてもやめられない旦那からすると、そんなふうにきっぱりとやめられるわたしがうらやましくて仕方がない。
「どうしてそんなことができるのか?」と何回も聞かれるけれど、「身体が欲しく無いと言っている」、と答えるしかない。
「まうみはかなり原始的なところで生きているのかもしれない」などと言われる。そうかもしれない。
今日のスイカへの欲情は、はっきり言って、この原始的なところから発せられた欲情だったのかもしれない。
それにしても……昔のボーイフレンドの顔まで思い出すなんてね……。
花火を待つ長い時間、ほとんどずっと座っていたし、しかもジーンズをはいていたし、帰りがけに下腹がしくしくと痛んだりしていたので、そういうことが重なって出たのかなあ、と思った。
でも、排尿後の感じがよろしくない。少し痛みを伴うもどかしさが、股の辺りに貼り付いている。
そんな感じで始まった昨日は一日、おしっこのたびに不快な感じを味わっていた。
旦那に相談すると、あちこちのツボを刺激したりマッサージをしてくれた。
昨日はできるだけゆっくりして、夜も早めにベッドに入り、身体の調子を整えようと思ったけれど、エアコン問題で計画はうまく進まなかった。
旦那いわく、「まうみは寝ようとする努力が足りない」のだそうな。ふう~ん。あんたがあんな騒音の中で眠れるのは、ひとえに努力の賜物だったわけだ。
騒音って、努力次第でなんとかなるもんなんだろうか……。
なので今日は、昨日に引き続き、締めつけない服を着てゆっくりとすることにした。
排尿の不快感は少しずつ薄れていき、尿の色も普通になった。けれどもまだ量が少ない。汗になって出ているのかもしれないけれど、それにしても少ない。
仕事帰りに、旦那に頼まれた砂糖とコーヒーフィルターとミルクを買いに、通り道にあるホールフーズに寄った。
店に入ってすぐの所に、切り売りの果物の売り場があった。
そこの、透明のプラスティックに入ったキューブ状のスイカを見た途端、まるで血に飢えたドラキュラみたいに、身体中の細胞が欲しい欲しい!と手を伸ばした。
容器に入ったほんの少しのスイカと、その近くに四つ切りにして売られているそれとが、ほとんど同じ値段だ。量は四つ切りの方が何倍も多い。
少し迷った。どちらも手に取って考えたりもした。ホールフーズはそれでなくても他の店よりは値段が高い。こういう物を買うには最もよろしくない店だ。
でも、この欲望の激しさはただ事ではない。わたしはもともと、いろんなことに対して淡白な方で、好きな物(人)は好きだけど、そして欲しい物(人)は欲しいけれど、それがなんらかの事情や理由で手に入らない、あるいは手に入れない方がいいとわかればそれで、さっさとあきらめることができる。まあ、もっと詳しく言うと、あきらめるのに時間と努力が必要な時もたまにはあるが、最終的にはあきらめられる。
というか、あきらめた方が良さそうなことが、今までにたくさんあり過ぎて、はじめからあきらめる時の心準備をする癖があったりする。
その対象になるのが物なら、わたしの気持ちだけの問題で済むけれど、ボーイフレンドだったりするとそれぞれ心があるのだから、彼らには本当に悪いことをした、などと思う。
そんなことに至るまで深く考え込んでしまった。スイカが思い出させてくれた、激しい欲望を表に出すことも、相手に望むこともできずにいたわたし。
あ、でも、この男と暮らそうと決めてしまったら最後、どんな困難や問題が襲いかかってきても、相手に散々断られても、決してあきらめないけどね。
いや、今はそんなことじゃなくて、四つ切りのスイカを買うか、プラスティック容器に入ったスイカを買うか、それを決めなくてはならない。
プラスティックのでは、この欲情を満たせない。四つ切りを買おう!
カゴの半分以上を占めるスイカと、牛乳、グレープフルーツジュース、砂糖、卵が入った重いカゴを、レジまでよいしょよいしょと運んだ。
店のフードコートにあるプラスティックのフォークを一本もらい、車の中でスイカの尖った所を食べた。ため息が出るほど冷たくて甘かった。
家に着いて、もうご飯だというのに、そんなことなどおかまいなしに、半分をガツガツと食べてしまった。
あ~美味しかった!とお腹をタプタプさせながら、あっ……と思った。
スイカには疲労回復と利尿作用がある。そうか、そういうことか。
わたしは時々急に、コーヒーやお酒を全く飲みたく無くなる時期がある。好きなのだけど、身体が飲んで欲しく無いと言ってくる。
そうなると、旦那がどんなに目の前で美味しそうに飲んでいても、まるで平気で無視できる。
本当は体質的に飲まない方がいいのに、ものすごく好きな物(コーヒーとビール)なのでどうしてもやめられない旦那からすると、そんなふうにきっぱりとやめられるわたしがうらやましくて仕方がない。
「どうしてそんなことができるのか?」と何回も聞かれるけれど、「身体が欲しく無いと言っている」、と答えるしかない。
「まうみはかなり原始的なところで生きているのかもしれない」などと言われる。そうかもしれない。
今日のスイカへの欲情は、はっきり言って、この原始的なところから発せられた欲情だったのかもしれない。
それにしても……昔のボーイフレンドの顔まで思い出すなんてね……。