広島に住むchi-koちゃんの、22日付けのブログ( http://chi-ko-chi-ko.seesaa.net/ )に、『被爆ピアノ』のコンサートの記事が載っていた。
このピアノのことは前にも何度か新聞の記事などで読んだことがあった。
三年前に日本に行った時、とうとう念願叶って広島まで行き、平和公園を訪れた時にも、このピアノの話が書かれてあった。
小さな頃から、この恐ろしい原爆というものが気になって気になって、図書館に行って調べたり、映画や写真集を見たり漫画(はだしのゲン)を読んだりした。
いつも心の中に引っかかっていた原爆。それを落とした国の人と人生を共にすることになって、落とした国に移り住んでいる。
落とされた側だけに存在していたわたしは今、落とした側にも存在していて、その両側からあのキノコ雲を見ているのだけど、わたしがどちらの側にいようといまいと、キノコ雲の下で繰り広げられた惨状と犠牲になった人達の無念と苦しみは永遠に変わらない。
戦争はなにも解決しないだけでなく、人を狂わせ、死を量産する最も愚かな行為だ。
戦争をしようとする人が憎い。そんな人間など、この被爆ピアノの下敷きにでもなって死んでしまえ!
chi-koちゃんのブログに遊びに行って、彼女の記事を読んだのが昨日の夜遅く。
そこにニューヨークコンサートの件が載っていて、それをもう少し詳しく調べてみると、なんと、9/9~9/13までの5日間、マンハッタンのいろんな場所でコンサートを開くことになっていて、その演奏者を募集していた!
そして……その募集が20日で締め切られていて、弾きたい者はそれまでに、演奏のデモテープと履歴を送っておかなければならなかった……。
うぅ~……。
5分ぐらい唸りながら考えた。あきらめるべきかどうか。う~ん……う~ん……。
いや、あきらめたらあかん!ダメでもともとやんか!事務局にメールを送ってみよう!
たった今記事を読んだところであること。
〆切日をちゃんと理解している上で、このメールを書いていること。
幼い頃から原爆のことを自分なりに考え続けてきた者であること。
原爆のような破壊的な障害ではないにしろ、わたしのピアノ人生にもたくさんの障害があり、それをひとつひとつ乗り越えながらピアノを続けていること。
同時テロを間近に目撃し、テロ直後の街の、なんともいえない喧噪と静けさと憤りと、そしてなによりも、あそこに居たすべての人達が皆、同じようにつぶやいていた「何故?」「どうしてこんなことができるの?」という言葉を、今も鮮明に覚えていること。
わたしが自分を癒したい時に弾く曲が2つあり、できればその両方を弾かせてもらいたいということ。
けれども、決まりは決まりなので、もし無理ならば、当日会場に行き、そのピアノの音色を心にしみ込ませていただきます、などと書いて送った。
翌朝の今朝、メールを開くと、実行委員プロデューサーの方から返事が送られてきていた。
結果はオッケーだった!
11日の『ピア40』、12日の『ニューヨーク本願寺』でのコンサートで弾かせていただくことになりそう!ああ嬉しい!
近くに住んでいる者として、他のコンサート日にも、ボランティアのお手伝いをさせてもらいに行くつもり。
なんとわたしにとって意味深いコンサートになることよ。今からすごく楽しみ。
ほんとなら知らずに過ごしていたことを、こんなふうに気づかせてくれたchi-koちゃんに心から感謝!!
ただひとつだけ、とても申し訳のないことをしてしまうことになった。
実は9/11のコンサートと同じ日にACMAの演奏ミーティングがあり、その日にわたしはアルベルトとふたりで、ガーシュインのピアノコンチェルトを2台ピアノで弾くことになっていた。ガーシュインオタクのアルベルトから頼まれたのだった。
頼まれたのはもうかなり前のことで、今月末あたりから合わせの練習をしよう、というところまできていた。
彼はとても楽しみにしていて、わたしももちろん楽しみではあったけれど、わたしのこの突然の我がままのせいで、9月には演奏できなくなってしまった。
ついさっき、メールで事情を話した。広島のこと、原爆のこと、それから被爆ピアノのこと。
送って数分も経たないうちに、アルベルトから電話がかかってきた。
「まうみぃ~!!」第一声が叫び声だった……。
どこまで理解してもらえたかはわからないけれど、彼は11月の演奏ミーティングまで待つ、と言ってくれた。
我がまま言ってごめんっ!アルベルト!
*ニューヨーク公演の詳細はこちらです→ http://www.peace-hiroshima.org/ny.html
*そしてもうひとつ。被爆ピアノをマンハッタンまで郵送する費用の募金のお願いです→ http://www.peace-hiroshima.org/application2.html
このピアノのことは前にも何度か新聞の記事などで読んだことがあった。
三年前に日本に行った時、とうとう念願叶って広島まで行き、平和公園を訪れた時にも、このピアノの話が書かれてあった。
小さな頃から、この恐ろしい原爆というものが気になって気になって、図書館に行って調べたり、映画や写真集を見たり漫画(はだしのゲン)を読んだりした。
いつも心の中に引っかかっていた原爆。それを落とした国の人と人生を共にすることになって、落とした国に移り住んでいる。
落とされた側だけに存在していたわたしは今、落とした側にも存在していて、その両側からあのキノコ雲を見ているのだけど、わたしがどちらの側にいようといまいと、キノコ雲の下で繰り広げられた惨状と犠牲になった人達の無念と苦しみは永遠に変わらない。
戦争はなにも解決しないだけでなく、人を狂わせ、死を量産する最も愚かな行為だ。
戦争をしようとする人が憎い。そんな人間など、この被爆ピアノの下敷きにでもなって死んでしまえ!
chi-koちゃんのブログに遊びに行って、彼女の記事を読んだのが昨日の夜遅く。
そこにニューヨークコンサートの件が載っていて、それをもう少し詳しく調べてみると、なんと、9/9~9/13までの5日間、マンハッタンのいろんな場所でコンサートを開くことになっていて、その演奏者を募集していた!
そして……その募集が20日で締め切られていて、弾きたい者はそれまでに、演奏のデモテープと履歴を送っておかなければならなかった……。
うぅ~……。
5分ぐらい唸りながら考えた。あきらめるべきかどうか。う~ん……う~ん……。
いや、あきらめたらあかん!ダメでもともとやんか!事務局にメールを送ってみよう!
たった今記事を読んだところであること。
〆切日をちゃんと理解している上で、このメールを書いていること。
幼い頃から原爆のことを自分なりに考え続けてきた者であること。
原爆のような破壊的な障害ではないにしろ、わたしのピアノ人生にもたくさんの障害があり、それをひとつひとつ乗り越えながらピアノを続けていること。
同時テロを間近に目撃し、テロ直後の街の、なんともいえない喧噪と静けさと憤りと、そしてなによりも、あそこに居たすべての人達が皆、同じようにつぶやいていた「何故?」「どうしてこんなことができるの?」という言葉を、今も鮮明に覚えていること。
わたしが自分を癒したい時に弾く曲が2つあり、できればその両方を弾かせてもらいたいということ。
けれども、決まりは決まりなので、もし無理ならば、当日会場に行き、そのピアノの音色を心にしみ込ませていただきます、などと書いて送った。
翌朝の今朝、メールを開くと、実行委員プロデューサーの方から返事が送られてきていた。
結果はオッケーだった!
11日の『ピア40』、12日の『ニューヨーク本願寺』でのコンサートで弾かせていただくことになりそう!ああ嬉しい!
近くに住んでいる者として、他のコンサート日にも、ボランティアのお手伝いをさせてもらいに行くつもり。
なんとわたしにとって意味深いコンサートになることよ。今からすごく楽しみ。
ほんとなら知らずに過ごしていたことを、こんなふうに気づかせてくれたchi-koちゃんに心から感謝!!
ただひとつだけ、とても申し訳のないことをしてしまうことになった。
実は9/11のコンサートと同じ日にACMAの演奏ミーティングがあり、その日にわたしはアルベルトとふたりで、ガーシュインのピアノコンチェルトを2台ピアノで弾くことになっていた。ガーシュインオタクのアルベルトから頼まれたのだった。
頼まれたのはもうかなり前のことで、今月末あたりから合わせの練習をしよう、というところまできていた。
彼はとても楽しみにしていて、わたしももちろん楽しみではあったけれど、わたしのこの突然の我がままのせいで、9月には演奏できなくなってしまった。
ついさっき、メールで事情を話した。広島のこと、原爆のこと、それから被爆ピアノのこと。
送って数分も経たないうちに、アルベルトから電話がかかってきた。
「まうみぃ~!!」第一声が叫び声だった……。
どこまで理解してもらえたかはわからないけれど、彼は11月の演奏ミーティングまで待つ、と言ってくれた。
我がまま言ってごめんっ!アルベルト!
*ニューヨーク公演の詳細はこちらです→ http://www.peace-hiroshima.org/ny.html
*そしてもうひとつ。被爆ピアノをマンハッタンまで郵送する費用の募金のお願いです→ http://www.peace-hiroshima.org/application2.html