ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

がれきは、命を亡くした人が生きてはった、生活を失うた人が暮らしてはった、海の近くに眠るねん!

2012年02月23日 | 日本とわたし
週刊金曜日ニュースより、都の瓦礫受け入れ事業――公社評議員に東電役員の記事を転載します。


『岩手県宮古市と、宮城県女川町の、震災瓦礫を受け入れ、焼却処分する方針を、東京都が示している件で、
事業を都から委託されている、(財)東京都環境整備公社の評議員メンバーに、東京電力執行役員である、影山嘉宏氏がいることが分かった。
瓦礫受け入れ事業のうち、可燃性瓦礫の焼却事業を請け負っているのが、東京電力グループの「東京臨海リサイクルパワー(株)」(以下、TRP)であるため、入札の透明性に関して、疑問点が出てきた。
東京都は、環境整備公社に対し、3年間で280億円の、運転資金を回している。

TRPが受注していることについて、環境整備公社は、「確かに、東電グループのTRPが受注しているが、TRPと直接契約しているのは破砕業者。公社と直接の契約関係はない」と説明している。

運搬されてきた廃棄物や廃機械の、破砕を行なうのは「リサイクル・ピア」・「有明興業」・「リーテム」など破砕業者。
TRPが請け負う焼却は、これら破砕業者との契約・取引になるため、同公社とTRPに、直接の取引きは、確かに存在しない。
しかし、瓦礫受け入れの事業を担う、公社の中核を担う評議員メンバーに、東電の執行役員がいるのであれば、「直接の関係はない」では済まされないだろう。

また、瓦礫を焼却することによる、住民の被曝、作業員の被曝も深刻だ。
「東京23区清掃一部事務組合」は1月18日、江戸川清掃工場の作業員が、被曝していたことを明らかにした。
同組合が、ホームページ上で公開したのは、昨年10月13日に実施した、「第3回、区民との意見交換会」の議事録。
議事録によると、昨年7月から9月までの3カ月で、清掃作業員が、最大0.03ミリシーベルトの被曝をしていた。
3カ月の間には、江戸川清掃工場だけで、約500トンもの汚染焼却灰が出ている。


都内で出た、ゴミの焼却でも、被曝者が出ている中、汚染瓦礫の焼却を実行してよいものか、再度検討する必要がある。(野中大樹・編集部、2月3日号)』



あんだけ深刻で過大で、地球規模で迷惑かけてる事故を起こした会社が、まだここにきて儲けるんや。
他の電力会社も、おんなじように儲けられるようなシステムになってるんやろな。
会社ちゃうもんな。
会社を隠れ蓑にした原発マフィアやもんな。
なんで被災地で、がれきを丁寧に種分けして、埋めた方がええもんは埋める、燃やせるもんは燃やす、
燃やすにしても、放射能汚染だけやない、他の化学物質や毒物が混じってるかもしれん。
そういうモノを可能な限り除去できる、特別の機能を持つ焼却炉を建てて、被災地ですべて賄えるようにしたら、
そこに雇用が生まれるけども、ちょっと待って……その現場っちゅうのは、人が生活してもええ場所なんか?
もしかしたら、ちょっと遠距離になるけど、通いの勤務にした方がええんか?
これから先の汚染がまだまだ予想もつかへん。
事故は、作業員さんらの、必死の努力にも関わらず、全くというてええほど、なんの進展も解決も無いねんから……。

あの、防風林の代わりに、深く穴掘って、そこにがれきを埋め、その上に土を被せてマウンド(小山)を作り、そこに地域の木々で森を作る。
なんちゅう名前やったか忘れたけど、なんでそういうことをやってみようと思わんのやろ?
がれきの問題も、新たな津波への対応も、どっちも解決する画期的なアイディアやのに。
そしたら、今はがれきに成り果ててしもたみんなの思い出もまた、暮らした土地の海沿いの土の下で、ゆっくりと落ち着ける。
残された人達は、その小山の森を訪れて、懐かしい家族や友人のことを思いながら過ごせる。
わたしにはこれが、一番ええがれきの解決策に思えてならん。

これ以上、原発マフィアのどいつにも儲けさせへん。
がれきは、命を亡くした人、暮らしを失った人が生きてはった、海の近くに眠るねん。
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原子力発電所って、人も町も山も海も川も魂も、みんなみんな汚してしまう、再起不能なぐらいに

2012年02月23日 | 日本とわたし
毎日新聞・記者の目:「ウソ」で原発交付金=古関俊樹

◇「血税」の使途、チェック徹底を

『関西電力・大飯原発のある、福井県おおい町が、国に虚偽の事業計画を提出し、
「原発交付金」25億円を受け取っていたことが、毎日新聞の報道で明るみに出た。
「国にウソをついた」(町幹部)ことを、町議会の議員全員が知りながら、それを黙認していた町も町だが、
町の「ウソ」を見抜けなかった、国の審査体制にも問題がある。
福島第1原発事故を機に、国のエネルギー政策の見直しが検討され、交付金のあり方も問題になっている。
交付金の原資は税金だ。
実効的なチェック体制がなければ、交付金制度継続への、国民の理解は得られない。


 
◇原発マネー入り 貧しい町が一変

人口約8800人のおおい町の経済は、原発と切り離せない。
1960年代、町は、職員給与を支払えないほどの財政難だったが、79年に、大飯原発が稼働し始めると、状況が一変。
多額の固定資産税や、原発交付金が入り、温泉や総合運動公園など、豪華施設が次々に整備された。
県によると、09年度までに、町が受けた交付金は、総額約322億円に上る。

こうした中、町は91年、「原発の町からリゾートの町に」を合言葉に、リゾート施設の整備計画を策定した。
マリーナなどが整備されたが、05年に、その中核施設である、ホテルの事業者を公募した際は、不況で募集が難航。
周囲に観光地がないなど、立地条件も悪く、結局、応募は1業者だけだった。

ここで町は、交付金の支給をあてこみ、国への申請で、最初の「ウソ」をつく。

業者は、年間来場者を、約6万人と予測し、事業計画(総額約59億円=仮にA計画=を立てた。
一方、町が事前に作った計画(同約60億円=仮にB計画=では、年間来場者を10万5000人と予測した。
町は、実際は、A計画を正式採用し、準備を進めたが、交付金申請の際は、利用者予測が多かったB計画を、国に提出した。
当時、交付金で建てた、各地の施設の運営が低迷、批判されており、
「採算性を低く見積もると、交付金が出にくい」との判断が、この虚偽申請の背景にあったと見られる。

さらに町は、2度目の「ウソ」をつく。
B計画、すなわち、虚偽の計画を基に、交付金給付の可否を審査してきた国は、事業費のうち、約10億円の削減が可能だと判断。
町にこれを求めた。
だが、すでに、A計画で事業を進めてきた業者が、「我々の計画(A計画)では、削減は無理だ」と反発。
結局、町は、国が求めた削減分のうち、約7億円を、ひそかに自ら負担することにし、つじつまを合わせた。
無論、国には当時、この「秘密工作」を知らせていない。

これで、国の審査は通り、国は、交付金25億円を支給。
ホテルは09年完成したが、昨年度の稼働率は、3割にすぎない。


◇透明性を高める外部審査委公開

問題点は二つある。
まず、当然ながら、町の対応だ。
一連の経緯は、07年、町議会の全員協議会に報告され、町幹部が、「国にウソをつきました」と告白した。
だが、問題にならず、2日後の本会議で、事業は承認された。
当時の町議らは、「事業が進展しており、今さら反対できなかった」と弁明するが、それで、約7億円もの町税が浪費された。
議会のチェック機能が、全く働かなかった背景には、交付金に長年依存し、公金感覚がマヒした、町の体質があるのは間違いない。

次に、国の対応だ。
「行政(町)が、行政(国)を欺く」という構図の中、国は、一義的には被害者だが、改善の余地はあると思う。
例えば、透明性を高めるため、交付金の給付を審査する、経済産業省資源エネルギー庁の外部審査委員会を、公開してはどうか。
同庁は、「委員が自由に意見を言えるためにも、公開にはなじまない」と話すが、今回、公開されていれば、町の虚偽申請を見抜く可能性は、十分あった。

交付金支給後の、検証体制にも触れたい。
同庁は「検証は、会計検査院の役目」と話すが、それでは遅きに失する可能性がある。
やはり、外部審査委員会の、審査体制を見直すべきだ。
今回、町議会や業者にあたれば、簡単に虚偽申請はわかったはずだ。
審査体制が強固になれば、虚偽申請の防止にも役立つ。
建物の工事終了後に、不正が見つかった場合、失われた交付金を回収するのは、非常に困難になる。

国は、原発推進で、立地自治体に交付金という、「アメ」を大量につぎ込んできた。
だが、交付金の原資は、国民の電気料金に上乗せして徴収される税金だ。
交付金が「血税」だ、ということを、関係者は、再認識すべき時にきている』
(大阪社会部)



もう、この類いの話はぎょうさんあり過ぎて、腹も立たん。
というより、腹立てること自体にもう飽きた。

どこの原発にも、十や二十はあるんやろ、この類いの騙しやらウソやら。
みんな、エラそうな顔して、ええかっこして、やってることはヤクザも顔負けのタカリやん。
なにが交付金やねん。
会計検査院に経済産業省資源エネルギー庁、名前さえもっともらしいのつけたら、あとは中でなにやってもええんか?
そら、ここまで腐ってたら、福一の事故が起ころうが、自分とこももしかしたら、同じような震災やら津波に襲われるかもしれんかっても、
急にまともな人間には戻れんわなあ~!

けどな、言うとくけど、今あんたらがまともにならんかったら、目ぇ覚まさんかったら、マジで日本、終わってまうねん。
もうあんたらの周りの問題だけちゃうねん。
あんたらの町や村や市や県の問題とちゃうねん。
あんたらはもう、マヒしてしもてて、来た時はしゃあないとでも思てるかもしれんけど、
わたしらは、そんなあんたらのせいで、心中騒ぎに巻き込まれとうないねん。
運が悪いならまだあきらめもつく。
けど、ちゃうやん。悪いのはあんたらやん!

これってなんで、ここまで調べが行き渡ってて、誰も罪にならへんわけ?
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「政治勢力や利権組に、言ってもしょうがないが、子らのために邪魔だけはするな!」by 大山議員

2012年02月22日 | 日本とわたし
南相馬市 大山こういちのブログを再び紹介します。

先日、記者会見にて公開された『黒い粉』についての状況が日々、けれどもなぜか、非常に遅々として進んでいる様子です。


以下は、それについての記事全文。

只今、警部補と連絡をとりました。

(危険時の措置)
第33条  
許可届出使用者等は、その所持する放射性同位元素、若しくは放射性同位元素によつて、汚染された物、又は放射線発生装置に関し、
地震、火災、その他の災害が起こったことにより、放射線障害のおそれがある場合、又は放射線障害が発生した場合においては、
直ちに、文部科学省令(放射性同位元素、又は放射性同位元素によつて汚染された物の工場、又は事業所の外における運搬(船舶、又は航空機による運搬を含む)に係る場合にあつては、
文部科学省令、又は国土交通省令(第三項において同じ)で定めるところにより、応急の措置を講じなければならない。

前項の事態を発見した者は、直ちに、その旨を、警察官、又は海上保安官に、通報しなければならない。
__________________________

「報告書」 山内知也・神戸大学大学院海事科学研究科

概要:
南相馬市にある商業施設において、2011年12月21日に採取された土壌から、
キログラム当り、100万ベクレルを超える、放射性セシウムが検出された。
通常、キログラム当り1万ベクレルを超える、放射能密度の放射性セシウムが、1万ベクレル以上あれば(1kg以上あれば)、
それは、放射性同位元素として扱われる。

キログラム当り、100万ベクレルというレベルは、コンクリートに固めても、埋設が認められないような高いレベルである。
近隣には、同様の汚染土壌が、あたり前のように存在しているが、何ら対策も、注意喚起も行われていない、とされている。
早急な調査と、除染が求められる。

計測機器:
高純度ゲルマニウム半導体検出器/Canberra GC3019

測定結果:
詳細は添付のとおり(M120120117092715)。
Cs-134485,252 ± 965 Bq/kg
Cs-137604,360 ± 574 Bq/kg
TOTAL1,089,612 ± 1,123 Bq/kg

採取時の試料(U8容器に入っている)
試料は、黒っぽい褐色を呈しており、植物起源と思われる断片も混入している。
コケ類等か、枯れることで、濃縮が進んだとも考えられる。
100ml足らずの容器表面でも、表面線量は、3µSv/hを超えている。
人が居住する地域に、決して存在してはならない高いレベルの汚染が、
居住する地域に、決して存在してはならない、高いレベルの汚染物質である。
このような土地に、無防備な住民を住まわせてよいとは、とうてい考えられない。
_________________________

先週同様、市長出張中とあれば副市長! 

現在、南相馬市内
「放射性同位元素」の百倍以上の物質が、いたるところにある。
__________________________

何がわからず動かないのかわからないが、文意は伝わってるはず。
法治国家、粛々と法令に従い行動せよ!
______________________________

2月16日(木)に、報告書を手にし、翌17日に、市の測定所で「追試」。汚染濃度が追認された。

本日、22日(水)。



以上です。
この事態をどう思わはりますか?
大山議員はまた、別の記事で、こんな思いを叫んではりました。

責任者、出てこい!

私のブログなどで、杞憂べきではなく 本来、統治者や為政者は、情報の先端を行くべきが、
未だ安全神話……。  
いや、危機管理能力がない……。

機能不全、ガラガラポンの時代なのである。

好き勝手なことをいう輩は、私に取材しないで、自分で発信しろ!

それができないのなら、かく乱、先導邪魔するな!

見たくてしょうがないなら、黙って見てろ。

「何とかしたい」と思ったら訊いくれ。いつでも対応する。

政治勢力や利権組に、言ってもしょうがないが、子らのために邪魔だけはするな!
______________________________

市長出張中、留守居役の副市長、教育長、公室長、環境課、災害対策室、市民生活課、除染推進室……、
誰でもいいから、子を持つ親の立場になって、早急に動いてくれ。

児玉氏、これでいいと思っているのか?
地元紙、なんだあの記事は?

「子供たちが、数百万ベクレルの黒い土を、ふんずけて学校に行ってるじゃないか?」
「空間線量など、関係ないじゃないか?」

たとえ想像力がなくても、全記事に照らし、すべきことをしろ!
___________________________

「危険物質」であることは 認識はしているようだが 動かないのは問題だ。

これから警察の関係所管と連絡をする』




もうほんまに、暗澹たる思いで、けれどもそれに負けんとこうと自らを奮い立たせて頑張ってはる。
彼もまた、昨年11月頃から、ずっとのどの調子が悪いと言うてはる。
痰が絡んで、何か重いがすると。
『忙しさにかまけて「そのうち消えるだろう」と思っていたが、まだある』と、記事には書かれてあった。

この大山議員のような人がもし、健康を害して、倒れてしまわはるようなことがあったらもう、南相馬だけやない、日本は終わりや。
どうか、彼を支えてあげてください。
どうか、彼を助けてあげてください。
どうか、彼に教えを乞うて、今までの彼の途方もない毎日の重荷を、少しでも軽うしてあげてください。

この黒い粉の正体は、まだきちんと明かされてません。
ちまたでは、プルトニウムやとか、コバルトちゃうかとか、恐ろしい単語が流れてます。
正体がなんであれ、人が居住する地域に、決して存在してたらあかん高いレベルの、汚染をまき散らしてる放射性同位元素が、
あたり前のように、それもあっちゃこっちゃに存在してて、それに対して、何ら対策も、注意喚起も行われてへんまま日がどんどん経ってます。
こんなん、法治国家でも先進国でも、ましては美しの国でもなんでもないわ!
人間として当たり前の、最低限のこともできん統治者と、そいつらの顔色ばっかり見て、戯けたことしかできん下っ端の寄り集まりや。

自分の生まれ育った国が、ここまでスカタンで情けないとこやとは思てんかったわ。
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人口放射能汚染を被った東京の『五輪誘致』は、世界でも稀に見るアホウ爺の戯言!

2012年02月22日 | 日本とわたし
東京葛飾区の都立公園で測定された、非常に高い放射性セシウム汚染についての記事をふたつ、紹介します。

土壌からセシウム2万ベクレル=葛飾区の都立公園で-共産党都議団調査 時事ドットコム(2012/02/21-18:16)

『共産党東京都議会議員団は21日、都立水元公園(葛飾区)の、野鳥観察舎入り口などの土壌から、
最高で、2万3300ベクレルの放射性セシウムを検出した、と発表した。

がれき焼却灰についての、国の埋め立て基準は、放射性セシウムが、1キロ当たり8000ベクレル以下とされている。
 
同都議団は2月、野鳥観察舎入り口や、ドッグラン南東側など4地点で、土壌や落ち葉の放射性セシウムを測定。
土壌は1キロ当たり7770~2万3300ベクレル落ち葉は同1180~8290ベクレルを検出したという。
 
同都議団は、土壌や落ち葉の放射性セシウム測定と除染を、都に要請。
これに対し都は、「昨年11月にこの公園で空間放射線量を測定したが、文部科学省のガイドラインで除染を求める数値(地上1メートルで毎時1マイクロシーベルト以上)は超えておらず、対応する考えはない」(環境局)としている』



葛飾区の公園でチェルノブイリ最高レベル ホットスポットの衝撃
日刊ゲンダイ 【政治・経済】2012年2月22日 掲載

東京都はすぐに徹底調査と除染しろ!


 
東京・葛飾区の「水元公園」の土壌から、1キロ当たり2万ベクレルを超える、高濃度の放射性セシウムが検出された。
葛飾区や江戸川区など、首都圏東部は、「ホットスポット」地域として知られているが、
事故から1年が経とうとしているのに、今なお、こんな危険地域があったのはショックだ。
 
日本共産党都議団が調査し、21日、会見で明らかにした。
それによると、調査したのは、「水元公園」内にある「メタセコイアの森」、「駐車場植え込み」、「ドッグラン」、「野鳥観察舎」の4カ所で、
土壌や落ち葉を採取し、ドイツ製の測定器で、放射性セシウムの濃度を測定。
精度を高めるため、今月15日以降、複数回に分けて測ったという。
その結果が別表なのだが、仰天なのは、最も高かった「野鳥観察舎」入り口の土壌、落ち葉のセシウム濃度だ。
 
原子力安全委員会によると、「Bq/kg」を「Bq/平方メートル」に換算するには、65をかける
単純計算で、1平方メートル当たり、約140万~150万ベクレルになる値だ。
これは、チェルノブイリ事故の際、土壌の汚染濃度に応じて居住区域が制限された、最高レベル「居住禁止区域」(1平方メートル当たり148万ベクレル以上)に相当する。

「水元公園」の、全ての土壌や落ち葉が、高濃度汚染されているワケではないだろうが、
誰でも自由に出入りできる公園内に、「居住禁止区域」レベルに近い、放射能汚染場所が存在していることになる。
「今回の調査で、『水元公園』の汚染は判明したが、近隣場所にも、こうしたスポットが存在する可能性がある。
そもそも、1キロ当たり、2万1700~2万3300ベクレルというのは、国が、放射性廃棄物を直轄処理する基準として設けた『8000ベクレル』を、3倍近く上回っているのだから、都は早急に対処するべきです」(共産党都議団関係者)
 
日本環境学会土壌汚染問題WG長の坂巻幸雄氏は、こう言う。
東京は、世界で初めて、人工放射線の被曝(ひばく)をこうむった首都だ、といえます。
東部はもちろんのこと、都庁周辺でも、事故後の空間線量率は、事故前の2~3倍に高まっている。
多くの人が行き交う都心部で、無視してよい数字ではありません。
行政当局を含めた、諸機関の努力が、求められてしかるべき
です」


 
老害の石原知事は、「五輪招致」などと寝言を唱えていないで、そのカネを、一刻も早く、汚染の調査と除染対策に回すべきだ』



この測定数字は、この記事が真実なら、綿密に、正確に測られたもので、また、公に発表されたものやと思われる。
この測定をした都議の方々が、都に、他の場所の測定と除染を要請しはったことは、議員として、いや、人として当たり前の行為やと思う。
で、
それに対する都の答は、

「昨年11月にこの公園で空間放射線量を測定したが、文部科学省のガイドラインで除染を求める数値(地上1メートルで毎時1マイクロシーベルト以上)は超えておらず、対応する考えはない」(環境局)

昨年11月がどしたん?
空間放射線量がどしたん?
ガイドラインがどしたん?
もうほんまに、絶望的に悪やで、環境局のおっさんかおばはんか知らんけど、あんたら。
そんな、ガイドラインの1メートルも1マイクロシーベルトもどうでもええねん!
ガイドラインちゃうねんから。
それはあんたらのために作られた、勝手な害やどラインやねん!
そんなもんでええ気になって、怠けてられる神経は、人でなしにしか持てん。
その親玉があのおっさんや。
こんなええ加減なこと言うのが環境局やで。
ほんで、汚染がれきのこと、まだ信じられるんみんな?
どこまで楽天家なん?
役人は、ほんの一部の人間以外、みぃーんなええ加減で、自分の金と地位と今までとおんなじ暮らしを維持したいだけの阿呆やって、
そらわたしも、そんなこと思いとうないで。
できたら、それでもやっぱし、なんぼなんでも、そうやない人がもっといはるって思いたいから探し続けてるねん。
毎日毎晩、一日も欠かさず。

自治体が出してる、放射線汚染状況っていうサイトもあるけど、あれもデタラメ。
ほんまに測ってる人のん見たら、2~3倍あるし。
東京は、世界で初めて、人工放射線の被曝(ひばく)をこうむった首都
この意味、マジで理解しようとしてる?
花粉も飛び出した。
性能のいいマスク、売り切れる前にちゃんと買うて、外出する時は必ずつけや!
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騙され続けてきた恥ずかしくも悔しいこの思いを、休んだ原発を二度と動かさせんことで晴らそう!

2012年02月21日 | 日本とわたし
【東京新聞・社説】関電の原発停止 私たちの挑戦が始まる 2012年2月21日

『54基中14基が集中する、福井の“原発銀座”。
その全基が停止して、西日本から原発の火が消えた。
4月には、国内の全原発が停止する。
原発ゼロ社会を恐れずに、新たな挑戦と考えたい。

1970年3月14日、大阪万博開会式。
「原子の灯が届いた」、というアナウンスに、場内が沸いた。
この日、この会場へ、電気を送るのを目標に、日本原子力発電敦賀1号機(福井県敦賀市)は、営業運転の準備を整えた。
“原発銀座”にも今や、運転から30年、40年を超えた老朽炉が目立つ。

高度経済成長の灯(あか)りになった、福井の原発が止まるということは、時代が変わる象徴かもしれない。

2度のオイルショックを通じて、石油依存の危うさが叫ばれた。
代替の安定的なエネルギーを求めて、80年代の原発建設ラッシュが始まった。

日本のエネルギー政策は今、その時と同様の節目に立っている。

東日本大震災は、福島第一原発を壊滅させた。
収拾のめどは立っていない。
地震国日本では原子力は、極めて危険な電源であることを、私たちは思い知らされた。

エネルギー改革の第一歩は、電力需給やコストの実情を、電力を使う消費者に、わかりやすく知らせることだ。

関西電力によると、このままでは、火力発電所をフル稼働させても、夏のピーク時には、10%の電力不足になる。
だが、資源エネルギー庁の試算では、隣の中部電力などと融通し合えば、十分余裕があるという。
いまだに数字がはっきりしないのでは、企業も家庭も困る。

それでいて、省エネへの協力や値上げを、一方的に求められても、素直に応じられるものではない。
夏には答えが出ることだ。
対応は早いほうが良い。

その上で、電力の地域独占解消や、電源の小規模地域分散化、太陽光、風力など、代替エネルギーの本格的な推進、次世代送電網の普及など、
原発ゼロ時代を見据えた、新しい社会づくりに向かいたい。

消費者も、それに合わせて、暮らし方を変えていく必要があるだろう。
ゼロは後退ではなく、挑戦の始まりだと考えたい。

福井県に限らず、どの原発立地にも、脱原発に伴う雇用不安がつきまとう。
地域社会も、原発依存体質の改善を始めるときだ。
自然エネルギー普及の拠点を誘致するなど、原発に代わる雇用を生み出すことも、原子力を国策として配置してきた政府の責任だ』



ふう……。
今二基やね。たったの二基。
あの、別にめっちゃ暑くもなかった、寒くもなかった時に、福一の原発が事故起こして使えんようになったからって、
そりゃあ深刻な顔してアナウンスした計画停電……。
いったいほんまに、あれはなんやったん?
もう一回言うけど、あの騒ぎで、交通事故などで亡くなった人が数名いはるんやで。
わたしがもし、その中のひとりである、高校生の男の子の母親やったら、一生かけてでも、政府と東電を「人殺し」で訴えたる。
電車の本数が減って、なんちゅう不便なことやって思わはった人もいるかもしれんけど、
もともと日本って、電車、走り過ぎやねん。
電車がいっぱい走ってなあかんみたいに思てるけど、ちゃうねん、洗脳されてきただけやねん。

そやしもう、電気会社や政府の言うこと、信じんとこうな。
電気が足りんて、そんなん、原発が停止することなんか、めっちゃ前からわかってることやんか。
そやのに、それの代替えの手段もなんも用意せんままダラダラしてて、そのツケを節電で協力してくれってか?
ちゃんちゃらオカシて笑えるわ。
電気はもう、とっくの昔から余っててん。
余って余ってどうしようもないから、モノレールやら電車やら、他の細かい電化製品やら、もうありとあらゆる事に電気使て、
それでもまだ余るから、オール電化どうでっか~ってキャンペーン張って、必死になって売っててん。

原発なんかいらんかってん。
原発なんか、日本に作ったらあかんかってん。
今、日本の子供から大人まで、動物も、海も山も、畑も牧場も、川も湖も、放射能浴びさせられてんねん。
無責任で、無反省で、無知で、恥知らずで、強慾な,一部の人間らのために。

その連中に、この国の法は全く罰を与えへんのなら、わたしらの手で与えたい。
洗脳を解いたわたしらの手で。
そのためには、気づいたわたしらが、あいつらの命綱のシステムに、ひと刺しずつ穴を空けていくねん!
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放射能よ

2012年02月20日 | 日本とわたし
風邪をひいたのか、それともカビカビ大王のソファを分解した部屋に一日こもっていたからか、
喉と鼻の奥をいっぺんにやられた。

なので、昨日は早寝をして、今日もまあ、あともう少ししたら寝るつもり。
昨日の夜は、あまりにも喉が痛くて、呼吸をするにもいちいち困った。
なにか強烈に悪さをしているものが、鼻の奥と喉のあたりで熱を放っていた。

マスクをして、喉をすっぽりカバーできる服を着、湯たんぽをして寝た。
息子がフィラデルフィアのトーナメントで、敗者復活戦で甦ってきて、二位か三位を争う試合がネットで流れているにも関わらず、
わたしは応援する気力も無く、布団の中で手を合わせて、悔しくない試合ができますように、と祈っていた。
旦那は、隣の部屋で、大興奮で観戦していた。
彼の声で、試合の内容がだいたいわかる。残念、負けたみたいだ。

明け方、5時前に目が覚めた。
鼻水がたまり、喉もまだ痛い。
鼻水をかむと旦那を起こしてしまうので、一階に降りてうがいをした。
鼻水や痰がよく出だした。
濃い色なのを見て、少しホッとした。
これを何回か繰り返して外に出せばきっと、痛みはだんだんとひいていくだろう。

夜が明けて、空がうっすらと明るくなってきた。
ふと、思った。
放射能がもし、風邪の菌やカビみたいに、悪さをすると痛みを感じることができたら……。
そしたらみんな、もっともっと早く、脱兎のごとく、我れ先に避難していただろうなと。
放射能が混じった食べ物が喉を通る時、いや、その前に、舌に触れた時、チクチクっと痛みを感じられたら、
みんなきっと、呑み込んだりせずに、口から出せただろうなと。

三ヵ月ぐらい前から、南相馬のあちこちで発見されていた『黒い粉』はやはり、108万ベクレルもの『高濃度黒色物質』であることが判明した。
それはもう、町のあちこちに存在していて、その上を、子供や大人や動物が歩き、車が走っている。
マスクも、防御服も無しで。

慣れてはいけないと思う。
忘れてはいけないと思う。
インフルエンザよりも、もっともっと辛い症状にかかってしまうかもしれないことを、真剣に想像してほしい。
わたしみたいなヘタレ人間は、この喉の痛みだけで充分参ってしまう。
ましてや、息子達がまだ幼い頃に、痛い痛いと泣きそうな顔をした時などは、我が事以上に痛い思いをした。
放射能は小さい命をまず先に狙う。
痛い痛いと、泣く子供を抱きしめながら、ごめんね、ごめんねと、泣きたい親などいるものか。

放射能よ、ほんの少しでもいい、正体を見せてくれ。
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飯舘村は、言い立て無駄になってしもてへんか?

2012年02月20日 | 日本とわたし
「除染がうまく行くとは思えない」飯舘村の酪農家が怒りの訴え BLOGOSより転載させていただきました。

2012年02月21日 01:11




都内で記者会見をする長谷川健一氏
 


高濃度の放射線汚染で、全住民が村外へと避難している、福島県飯舘村。
当地に住んでいた酪農家、長谷川健一氏(58)が2月20日、自由報道協会主催の記者会見を行った。
長谷川氏は、飯舘村前田地区の区長で、地域の取りまとめ役。
原発事故直後に購入した、ビデオカメラで、村の様子を克明に記録し、全国で講演活動をしている。
20日に、宝島社から、単行本「原発に「ふるさと」を奪われて 福島県飯舘村・酪農家の叫び」を上梓したことを受けて、
被災当事者の視点から政府・行政の取り組み方を激しく批判した。【写真・文:安藤健二(BLOGOS編集部)】


安全と安心は違う

長谷川氏は、悲痛な表情で、飯舘村で進められつつある除染作業(放射性物質を地表などから取り除くこと)について、以下のように批判した。

「政府は、住環境を2年、農地を5年、山林を20年で除染をすると言っています。
山林は、里山しかやらない。
住居の近くだけなんです。
そうした場合に、どうでしょう。
放射性物質は、浮遊しているんです。
飯舘村の75%は、山なんです。
いくら住環境や農地を除染しても、また流れてくるんじゃないか
、という気がするんです。
でも、今、村ではまっしぐらに、除染という方向に進んでいます。
私はそれに対して、『それじゃダメだ!村民の声を聞こうじゃないか』と訴えています。
飯舘村だけが、村民アンケートを取っていないんです。
除染するなら、村民の声を受け止めた上で、やらなきゃダメだ、と言ってるんですが、聞き入れられないんです。

もちろん、除染するというのは、本来は当たり前のことなんです。
私だって、もといた土地に戻りたい。
だけども、最悪のシナリオだって、想定しなきゃいけない。
そうしたら、村を離れるというシミュレーションを、今からしとかなきゃダメなんだろう、と思います。

もし、4~5年かけて除染した後に、『これではダメだった』となったときに、その4年なり5年の月日は、どうなるのか。

国でも村でも、除染、除染の一辺倒で、進んでいます。
私は、除染なんて、うまく行くとは思ってはいません!
飯舘村の放射線量が、10マイクロシーベルトより下がったら、国が『帰っていいよ』って言うかもしれない。
でも、私より上の年代は、戻るかもしれないけど、私より下の年代を、戻そうとは思わない。
若い人達が、子作りや、子育てできるような環境じゃない。

もし、私が戻ったとしても、何も農作物は作れませんよ。
国は『安全だ』と言っても、放射性物質がゼロになるまで、安心はできない。
安全と安心は違う、と思うんです。
我々農家は、安心な物を、消費者に届ける義務がある。
それができないんです。
そうなると、飯舘村では、農家は無理なんだろうなと。
私たちが村に戻ったときに、村が終わりになるのかな、とそういう思いがするんです。

ですから、(山形県の牧場に勤めている)息子が、『山形で(自分の)牧場をやりたい』という話にもしなったら、私は止める気はありません。
私だって、息子と供に、孫と遊びながら、これからの生活をしていきたいと思う。
そうなれば、村を捨てて、息子らのところに寄ってくのかな、という気もするんです。
飯舘村の人も、いろいろな考えがありますけども、アンケートを取らないから、正確な結果としては分りませんが、
(私の印象として)『帰れねえべな』、と思っている人は多いのが、今の飯舘村の現状です」

彼は旅立っちゃった



相馬市の男性が生前に壁に残した書置き


原発事故から3ヵ月後の、2011年6月、隣接する相馬市で、酪農を営む50代の男性が、
「原発さえなければ」などと書き置きを残し、首をつった状態で死亡していたことに、触れる場面もあった。
長谷川氏は、こう振り返った。

「彼は私の友人です。
一番恐れていたことが、起きたわけです。
『原発さえなければ』という書き置きを残して、彼は旅立っちゃった。

『原発さえなければ、と思います。
残った酪農家は、原発にまけないで、頑張ってください。
先立つ不幸を。
仕事をする気力をなくしました』

このような書置きでした。
彼には、5歳と7歳の息子がいました。
その中で、私も、彼に何もしてあげられなかったと、無念な思いが今もあります。

訃報を知ったときは、彼の家に吹っ飛んでいったんですね。
『まさか嘘だろ』って思っていましたが、彼が布団に横たわっていた。
それでも信じられずに、顔にかったシーツをはぐと、やっぱり彼だったと。
『馬鹿野郎!』って叫んだんだけど、彼は帰ってこない。

彼にもいろいろな事情があったにせよ、その事情のもとを辿れば、発端は原発なんですよね。
『原発さえなければ』という言葉が、頂点なんですよ。
『原発さえなければ、何とかやりくりしてやれたんだ』という思いが、非常に入ってるなと。
そんな感じがするんですけどね。

私も、飯舘村の酪農家を守ることで精一杯で、(相馬市の)彼のところまでいけなかったのも、残念に思っています」



一昨日、菅野村長の基調演説を聞いている間中、なんでまず除染なんか、そもそも除染が可能なんか、誰がどうやってするんか、
村をもういっぺん作り直すのに、どうしても同じ飯舘村の土地でないとあかんのか、
聞きたいことが次々に、頭の中に浮かんできて、気がおかしくなりそうやった。

家に戻り、旦那と話してた時、
「あの村は6000人もいて、それであの村長が言うてるように、除染して村に戻ることに賛成してるんか?」と聞かれた。
わたしは、「詳しいことや正確なことはわからへんけども、反対している人達もいることはいる」と答えた。

この長谷川氏は、その中のひとり、ということになる。

村長の基調演説の中には、原発事故という言葉が一度だけ出たけど、起こってしもた事故との闘いに重点を置いた語りかけになってた。
大変な思いをして散り散りばらばらになった村民が、一日も早うまた村に戻り、皆で元のような生活をしたいと思てる。
そんな印象を与える演説やった。

もうこの土地は、数十年間は、若い人達が、子作りや子育てをすることができひん。
そうきっぱりと、キリをつけることも、長としての度量とちゃうのか?
その上で、政府に、第二の飯舘村を再建する土地の提供を、断固として要求する。
やってもやっても無駄になりそうな除染に大金使うくらいなら、その金を、もっと有効に使える事に使えばええねん。
そのためには、あちこちに避難してはる村民の方達の意見をていねいに聞き、それをもとに、何回も話し合いを重ねる。
もちろん、6000人もの人達が、全員賛成できる案なんかあらへんけど、各自に選択の権利を持たせてあげるべきやと思う。
これは、ひとりひとりの人生が、丸ごとかかってるんやから。
きれい事では済まへんのやから。
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『までいの力』が生かされるべき場所は

2012年02月19日 | 日本とわたし
飯舘村長がNYで基調講演 日系の音楽祭で


「ミュージック・フロム・ジャパン」主催の音楽祭で講演する福島県飯舘村の菅野典雄村長=18日、ニューヨーク(共同)

【ニューヨーク共同】
『東京電力福島第1原発事故で、計画的避難区域に指定され、帰村に向けた取り組みを進める福島県飯舘村の菅野典雄村長が18日夜、
米ニューヨーク市内で開催の、コンサートの前に、基調講演を行った。
ニューヨークを中心に、日本の現代音楽普及に努める組織、「ミュージック・フロム・ジャパン」(理事長・三浦尚之福島学院大教授)が主催する「2012年音楽祭」の一環。
「箜篌・シルクロードの響き」と題するコンサートでは、飯舘村のための委嘱作品である「ひとであるあかしとして」(佐々木冬彦作曲・若松丈太郎作詞)や、「飯舘の四季・四句」(嶋津武仁作曲・黛まどか作句)などを演奏』



昨日、何気なしにマンハッタンに行き、どこで時間を過ごそうかと旦那とふたりで思案していた時、
このコンサートのことを見つけ、聞きに行くことにした。
会場のMeukin Concert Hallは、こじんまりとした、けれども箜篌や笙などの和楽器の演奏にはとても適しているサイズのホール。


天井の反響板が、とてもユニークに配置されていた。


ステージには、菅野典雄村長と、その通訳を務める方のためのテーブルが。


基調講演に先だって、三浦理事長の挨拶があったが、その様子を撮ろうとしていると、ホールの係員に注意された。
そっか、演奏だけではなく、講演もまた撮影禁止か……残念……。

菅野氏がステージ上に現れた。
以下↓は、彼の講演内容を、走り書きしたもの。(なので、聞き飛ばしてしまったり、書ききれなかったりした部分があるが、そこはご容赦を!)

『自分が良ければ、他のところ(人)はどうでもよい。
近年、効率やスピード、お金に焦点が当てられ、人と人の間が希薄になってきていると感じていた。
自分の村だけは、もっと住み心地の良いものにしたいと思っていた。
村の十年ライフとして、スローライフというスローガンを掲げたところ、
仕事が遅いのが役所の悪いとこなのに、もっとスローにするつもりか!と怒られた。

戦後、スピードは善いことで、スローは悪のように捉えられる傾向にあった。

スローライフ→までいライフ

『までい』とは、小さい頃、年寄りがよく口にしていた言葉。
「こんなふうに、真手と書きます」とおっしゃり、この写真と同じ紙を、客席に向かって掲げられた。

 
この真手(まて)が『まで』→『までい』になったのだと思う。

『までい』とは、『真手』という古語が語源で、左右揃ったて、両手の意味。
それが転じて、手間ひま惜しまず、丁寧に、大切に、心をこめて、つつましく、という意味
で、現在では、東北地方で使われている放言。
今風に言えば、エコ・もったいない・節約・思いやりの心・人へのやさしさ、というところ。
奥が深く、内容の濃い言葉。

ひとつの例として、飯舘村には、思いやり『までい』ピンポン大会、というのがある。
普通、ピンポンの試合では、相手を打ち負かした方が勝ちということになるが、うちのは違う。
互いに打ちやすい球を打ち合い、決められた時間内に、続けて何回多く打てるかを競い合うもの。
夫婦ペア部門などでは、奥さん方は常に、打ちやすい球を打つのに対して、旦那さんはつい、強く打ち負かしてしまう傾向にあった。
そういう旦那さんには、観客席から、「おまえ、それが30年も連れ添った奥さんにすることか!」などとヤジが飛んだ。
 
自分達の地域で、あたたかな、他力本願ではなく、自力で進む力を蓄えていった我々の村は、6000人全員避難している。
3000頭の牛がいた。
全村民、全牛の避難に、二ヵ月を費やした。
1700世帯だったのが、今は2700世帯になってしまった。
三世帯、四世帯の同居が当たり前だったのが、今はいろいろな事情で、家族が離れて暮らさなければならないからだ。

以前のように働けないこと。学校や仕事のために、一家離散の状態にあること。
それがどれほどすごいストレスになっているか。

日本で最も美しい村に認定されていたのに、今は見る陰も無く、ゴーストタウンそのもの。

除染が始まる。
どうなるかはわからない。
この焦燥と苦しみは、当人でないとわからない。
愚痴を言っても始まらないので、努力を重ねて、村をもう一度、以前のような村に再建したい。

大量生産、消費、破棄を繰り返してきた我々は、お互い様、という環境作りが今こそ必要なのではないか。
私はそれを、小さな村の生き残り策と思っていたが、30年、40年後を見据えた、日本のとるべき思想だと思う。

基準を少し変えただけで、世界はうんと変わる。
スピード、効率、お金が大事。今まではそうだったが、21世紀は、バランスの時代。

『無いものねだり』から『あるもの探し』

戦後から、日本は立ち上がってきた。

「いい国を作ろう!何度でも!」

原発事故との戦いは、我々だけの問題ではない。
世界中に暮らす人々が、自分のこととして考え、取り組んでいくことが大切。

物を充足する。これは足し算。
物だけではなく、心や命を大切にする。これは引き算。

原発事故は、本当の幸せとは何かを考え直す、天から与えられた日本への試練、あるいはチャンスかもしれない。
古代ギリシャでは、新しく市民になる際、わたし達が引き継いだ時よりも良い世界、美しい世界にして引き渡します、と誓いを立てなければならなかった。

自然の災害の場合、ゼロからスタートして、徐々に元の状態に戻れる。
けれども原発事故の場合は、目に見えない放射性物質の汚染により、マイナス10、いや、どれほどのマイナスかわからない状態になってしまう。
次の世代のために、前を向いて、この災害と向き合い、努力をしていく』




村長の講演の後、休憩があった。
ロビーに出て、カウンターに置かれた『までいの力』という本を手にとった。


繋がっていれば、決して負けない。負けない……の先にあるものはなんなんだろう、と思いながら。


すると、どこかのテレビ局の人がすぐ横に立っていて、「インタビューをさせてください」と言ってきた。
すっかり混乱していて、村長の講演の内容を文字にしている時も、何度も何度も声を上げそうになった「放射能と闘わないで!」という言葉が、わたしの頭の中でグルグル回っていた。
こんな時にインタビューなんかされても、ちゃんと答えられるわけがないのに、引き受けてしまった。
案の定、「日本から遠く離れて暮らしてらっしゃるあなたが、飯舘村からやって来た村長さんの講演を聞いて、どう思われましたか?」と聞かれて、
「実際わたしは、飯舘村どころか、東北の地を訪れたこともない人間です。
原発のことも、危険かもしれないと思いながら、けれどもどうしようもないじゃないかと、自分で自分に言い訳をしながら誤摩化してきました。
事故が起こって、東北のことを知り、学び、自然や人々の素晴らしさに触れ、悔しい気持ちでいっぱいです。
毎日、欠かさず、なにがしかの記事や文献を読み、自分なりの方法で学んでもいます。
放射能汚染のこと、原発マフィアのこと、ここまでに至ったシステムについて、わたしは専門家のように知る者ではありません。
けれども……」

飯舘村の方々だけではなく、汚染のひどい地域に今も暮らしておられるすべての方々に、即刻その地から離れて欲しい。
避難して欲しい。
放射能と闘わず、その思いとエネルギーを、新しい地で、『までいの村』の再建に注いで欲しい。
その地を、政府から獲得するために、全力を尽くして欲しい。

村長の、飯舘村の土地への、執着とも思慕ともいえる強い思いを聞いた後に、どうしても言えることではなかった。

なので、言葉を濁していたら余計にわからなくなって、マイクを差し出している女性にとっても、きっと意味不明だろうなあと思いながらしゃべり続けた。


まだ、菅直人氏が総理をしていた頃、こんなニュースがあった。
情報の発信源は当時の内閣官房参与松本健一氏。
彼が、首相との会談直後に行った、記者団への説明で、菅首相が、
「10年住めないのか、20年住めないのかということになってくると、そういう人々を住まわせるようなエコタウンを考えなくてはいけない」ということを言っていた、と発言。
それを時事通信が、首相発言として速報した。

今となっては、この意見が、国民の命を最優先に考えた、最もまともなものだとわたしには思えてならない。
そういう人々を住まわせるようなエコタウン。
狭い国土だと言われるが、それでもきっとあると思う。
もちろん、元の村や町と、全く同じ条件の同じ環境のものなどは無理にしても、
飯舘村のように、すでに村づくりに取り組んできた人々にとっては、その知識やノウハウを生かせる再現の場となるのではないか。

過疎が進んだ農村に嫁いで、13年あまりを過ごした。
農民の、先祖代々受け継いできた土地や仕事に対する思いの強さを、その間ずっと見てきた。
自然とともに生き、自然を敬い、自然に苦しみ、自然に育てられ、この世の中で最も、ダイレクトに、自然に抱かれる人々。
だからこそ、より力強く、より簡潔で、より粘り強い。
その素晴らしい資質を、どうか、放射能の汚染との闘いなどに浪費しないで欲しい。

本を買った。
これが思いやり『までい』ピンポン大会の様子。


この子供達は今、どこでどうしているのだろう。


この文章に隠されている、怒りと悲しみを、わたし達はどこまで自分のことのように捉えられるのか。


うまいもんがいっぱいあった。




演奏会では、「ひとであるあかしとして」という、飯館村の人達の思いがこもった詩が、演奏とともに心に突き刺さった。
「山菜採りたい」「家畜を育てたい」「田畑を耕したい」「米を作りたい」……人として。

演奏会後に、会場に居る皆に振る舞われたシャンペンと日本酒。


日本酒に手を伸ばせない自分を呪いながら、シャンペンをいただいた。
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ホィットニー・ヒューストン→ムール貝→『までいの力』→日本古来のしらべ

2012年02月18日 | 日本とわたし
ホィットニー・ヒューストンのお葬式が行われていた。
はじめ、金曜日の午後に、隣の市の大型スポーツコンプレックスの大ホールで、彼女を悼むセレモニーが行われることになっていた。
ところが、遺族の意向で、それが中止になり、今日の土曜日に、近しい人達のみが参列を許される式が、彼女の故郷の教会で執り行われていた。
特にファンということでもなかったけれど、『ボディ・ガード』の映画は好きだったし、彼女の歌も好きだった。
亡くなって初めて、えらい近所で生まれ育ったんだとわかり、急に親近感がわいた。

テレビの生中継を観ながら、画面の中の人達と一緒に泣いたりしていると、
「ちょっとちょっと、中止中止!ホィットニーで今日一日が終わるのはかなわん」と、旦那が突然テレビの前に立ちはだかった。

「はい、ここまで。これからまうみは、ボクと一緒にマンハッタンに行くから」
なんと強引ぐマイウェイな人なのだ……。

慌てて着替え、バナナを一本食べ、乾燥枇杷とおかきを持って車に乗った。
とりあえず、ラジオの中継は聞かせてくれた。
ああホィットニー、あなたはほんとに、死ぬつもりなんてなかったのだろうね。マイケルのように。
けれども、この国でスーパースターとして生きるということは、よほどの、鉄のような心の持ち主でなかったら、
周りからの干渉や賞賛が、どこの国よりケタ違いにあり過ぎて、まともな神経を保つことができない。
湯水のように入るお金も、心をスカスカのスポンジみたいにしてしまう。
だからきっと、一日一日にすり減らす寿命の量が、わたし達のそれとは比べ物にならないほど多いのかもしれない。

マンハッタンに着いても、なかなか元気が出て来ない。
まずは腹ごしらえに、好物のムール貝とフライドポテト、そしてグラスワインを分けんこ。


今日は思いっきりの曇り空。気温はそれほど低くないけれど、風が強くて、体感気温はかなり低め。


旦那がマンハッタンの会社に勤めていた時の、退屈しのぎの散歩中に、いつもこの階段に座ってわたしに電話をかけていたそうな。


タイムズ・スクエアも省エネ。で、てっきりこっちが新年のくす玉割の方かと思っていたら……、


こっちだった……。


途中で寄ったスタバで、次の行き場所を検索していたら、『Music From Japan』ってのがあるで、と旦那。
ふむふむ、どれどれ。
えっ、Iitate's Spirit of "Madei"?!
それってそれって、飯舘村の『までいの力』ってことちゃうん?!
午後7時から、村長によるレクチャーがあり、8時から、雅楽の楽器による演奏があるという。

もちろん行くことにした。
コンサートの時間つぶしに、途中にあるタイム・ワーナー・ビルディングをぶらぶら。
このビルディング内の店舗は、どれもこれも、わたし達には全く似合わないものばかりだが、その中でも特にここは、群を抜いて似合わないだろう。


隣には、いつもいっぺんは来ようと思っている、ジャズ・アット・リンカーン・センター♪


4階から筒抜けに見える、地下のホール・フーズのフードコート。


ビルディングの中から見た、コロンバス・サークル。


さて、時間になった。
ホールまでは小雨が降っていた。
もしかしたら、ここだって汚染されていて、こんなふうに雨に濡れてはいけないのかもしれない、などと思いながら歩いた。

会場の『Merkin Concert Hall』は、こじんまりとした感じのいいホール。


きっとこの机に、飯館村の村長、菅野典雄村長と、彼の通訳さんが座るのだろう。


天井には、面白い反響板の付け方がしてあった。


笙や篳篥(ひちりき)、尺八や箜篌(くご)が、この会場にどんな音を響かせてくれるのか、楽しみ!
*箜篌(くご)は、こんな感じの楽器。


演奏会は、雅楽の楽器がこんな音楽も奏でることができるのか!?という発見がたくさんの、とてもすばらしいものだった。

飯舘村のことについては、別の記事にまとめることにする。
とてもじゃないが、ついでの話として書く事ができない。
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米国暖かな冬のある日の風景事情

2012年02月18日 | 米国○○事情
かびかび大王のソファ。
くんくんと、臭いを嗅ぎまくってみる。
クッションの中身もくんくん。
背もたれもくんくん。
旦那の友人のお古のソファ。
少なくとも20年以上、いろんな人が座ったり居眠りしたり。

去年の夏前に、突如、かびの臭いを強烈に放ち始めた。
それまでも、フンと嗅いだような嗅がなかったような、そんな一瞬があったのだけど、
かびアレルギーの旦那とわたしは、極力なかったことにしたかったので、臭わなかったと、脳内で事実関係の変換があったのかもしれない。

高いからね、ソファは。

けれども、やっぱり、いくら思い込みたくても、黴びてるんやもんね、思いっきり。
その犯人は……、
簡易ベッドとして、ソファの下部に折り畳まれているマットレス!おぉ~クサッ!

こちらに来てから、お日様に干す、という作業をしなくなってしまった。
日本に居る時は、晴れの日には必ず、布団やマットや座布団を、せっせとベランダに出して干してたのに。
一年の大半は、乾燥しまくっている土地柄なので、ほんの短い間の長雨や、夏の熱帯夜などに、しっかり黴びていることを無視してしまう。
それが20年以上、積もり積もっての結果なのだと思う。

なので、とうとう、わたしより更に、かびに敏感な旦那が、マットレスを撤去。


ただ今の気温7℃。
ちょっと寒いけど、空気の入れ替えをしなければ、頭痛と鼻詰まりで今日の一日が終わってしまう。
いつものような冬では到底できないこと。今年の暖冬に感謝!

どうせ、部屋の中も暖かくないので、久しぶりにカメラを持って裏庭探索。

冬ですなあ~。








う~ん、どうしてくれよう、この侘び寂び、もとい、放ったらかしのミニチュア工事現場。


けれども、岩好き、石好きのわたしには、あまり気にならないというか、もしかしたら好きな方かも……。


などと写真を撮ってたら、「ひよっひよっ」とにぎやかな声が聞こえてきた。


君達はすずめか?なんでそんなにまん丸なのだ?
右から


左から


後ろから
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