我、再び駆ける。

ADV150・MT-03・4D9マジェスティなどを購入したことから、これらのバイクについて紹介していくブログです。

1990~2000年のヒット曲をBGMにどうぞ。

2017年01月31日 | 昔ネタ
合いも変わらず寒くて出不精の毎日です。そんなところで、1990~2000年のヒット曲をBGMにどうぞ。



今は亡き尾崎豊やZARDの坂井泉水も登場しますが、やはり尾崎豊は圧倒的ですし、ZARDの坂井泉水の生前の姿に悲しくなります。

この中で一番好きなのは「世界中の誰よりきっと」です。もっとも中山美穂ではなくWANDSの方です。バラード調の「世界中の誰よりきっと」の方がいいですね。



これらの曲は、もう20年ぐらい前になるんですね。何か、つい最近のようにも思えますが・・・そんなところで、親父にはピッタリの曲ばかりです(笑)。ちなみに登場回数が一番多いのは、takさんが好きなB'zです。
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YouTubeで昔を懐かしんで・・・

2016年08月21日 | 昔ネタ
暑くて、どこに行く気も失せて・・・そんなところでYouTubeでの動画三昧です。



この時代のスカイラインのCFは夢がありましたね。このCFがTVで流れていた頃は、ちょうど中高生でしたが、大人になればメリーのような女の子を乗せてドライブに行けるんだ!なんて思ったものです。^^

私と同世代の男性の方は、皆さん、そんな風に思われたのではないでしょうか。年齢を重ねると、それは大きな勘違いだったことに気が付くのですが(笑)、それでもこの動画を観ると夕陽の美しさまでも現在とは違うような気がします。

ちなみに11:12のあたりから、北海道・美瑛の「ケンとメリーの木」が登場します。私は3年ほど前に見てきましたが、こう暑いとまた北海道に行きたいなあ~です。


PS.
スカイラインのCFに流れるのは、BUZZ の「ケンとメリー(愛と風のように)」(1972年)という曲です。現在でもBUZZは活動されているようで嬉しい限りです。私のお気に入りの曲の一つです。


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懐かしのボンカレー

2013年04月08日 | 昔ネタ
職場の同僚さんから、沖縄土産をいただきました。お土産はボンカレーですが、こちらで販売しているボンカレーとはパッケージのデザインが違います。こちらで販売しているボンカレーとの比較です。



パッケージの裏面には、沖縄限定と紹介されています。



ここまで読まれて、単に「へぇ~違うんだ」と思われた方はお若い方です。そして「あ~懐かしい」と思われた方は私と同世代以上の方ですね。実はボンカレーが発売された当初は、この沖縄でのパッケージのデザインで登場したのです。
ボンカレーを持っている女性の方は、松山容子さんという女優さんです。当時のTV・CF(1969年)をどうぞ。



私が記憶しているのは、上のTV・CFに松山容子さんと一緒に登場する品川隆二さん(TV時代劇の素浪人・月影兵庫や素浪人・花山大吉などに出演)が河原でボンカレーを温めるTV・CFなんですが、こいつは残念ですが見つかりませんでした。

ちなみに沖縄のボンカレーは、発売当初(1968年)の味とほぼ同じだそうです。何やら沖縄の方は発売当初の方がお好みとか・・・私にとってはタイムスリップするようで、食べるのを楽しみにしています。
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九州・福岡に行ってきました。その4「田川市石炭・歴史博物館」

2012年06月02日 | 昔ネタ
今回は「田川市石炭・歴史博物館」です。田川伊田駅からは、一応、ナビ(歩行モード)を見ながら向かいますが・・・



見上げれば大きな煙突が見え、迷うことなく到着しました。(笑)



高さ45mということで、正に大煙突ですね。炭坑節の♪あんまり煙突が高いので、さぞや お月さん煙たかろう♪の三井田川炭鉱の煙突です。



博物館に到着です。入口で係員さんから「どちらから来れれたのかアンケートしています」と聞かれましたので、「明石からです」とお答すると、「え~そんな遠くから」とビックリされていました。



館内の展示です。前回の 「直方市石炭記念館」と同様、厳しい炭鉱夫の労働状況が展示されていました。






屋外には蒸気機関車(9600型)や、採掘した石炭を運び出すコンテナ車が展示されています。






他には「炭住」と呼ばれる炭鉱夫の方の社宅も・・・6畳ほどの広さで台所には水道もありません。









洗い物は共同の洗い場を使います。



三井田川炭鉱で忘れてはいけないのは、激しい労働組合活動です。勤務労働条件(賃金、労働安全)改善のために炭鉱夫達は闘いました。









田川伊田駅に戻る途中の巨大な櫓です。大煙突と同じで、三井田川炭鉱のシンボルだったそうです。






見渡せば、筑豊のランドマークである香春岳が見えました。手前から一の岳、二の岳、三の岳です。一の岳は石灰岩採掘のために頂上は無くなり、平たくなっています。



ゴォーンという、突然に轟音が・・・航空自衛隊・芦屋基地所属のT-4練習機でしょうか。



田川伊田駅に戻ると、変わった自販機がありました。自販機も炭坑節ですね。



写真はありませんが、田川伊田駅前の喫茶店で昼食としました。ここのオーナーであるお母さんとお客さんのお爺さん(練乳のかき氷を食べていました)にお聞きすると、昭和30年代末の田川伊田は、入れ墨を入れた炭鉱夫同士の「切った張った」の喧嘩が絶えなかったそうです。駅近くには映画館や居酒屋、それに遊郭が並び大変な賑わいだったとか・・・それが、石炭需要の先細りと労働組合運動の激しさから一人減り二人減りで、退職金100万円で人員整理をしたとのことでした。一時期は15万人の田川市の人口も、現在は5万人ということで、炭坑関係で10万人が田川を離れたことになります。
それでもお二人は「明治以降、筑豊の石炭で日本は近代国家となり、戦後は香春岳の石灰岩のコンクリートでビルが建った。筑豊は日本のために貢献したのだ」と熱く語られていました。

JR田川伊田駅からディーゼル車に乗り小倉を目指しましたが、途中の香春駅では香春岳を採掘するコンクリート会社が見えました。現在も香春岳から採掘された石灰岩はコンクリートとなり、どこかでビルやマンションの建築材料となっているのでしょう。


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九州・福岡に行ってきました。その3「直方市石炭記念館」

2012年05月31日 | 昔ネタ
今回は、TOPの写真の直方駅近くの直方市石炭記念館です。この記念館は地図で見ると直方駅から近かったのですが、電車の車窓から見ると山の中腹・・・無理をせずタクシーで行きました。(笑)

記念館の右側の建物は明治43年に建築された筑豊石炭鉱業組合直方会議所という歴史ある建物です。



内部はこんな感じ・・・展示物よりも建物そのものに感動しました。









左側の建物は別館です。屋外も含めて、石炭採掘のための機械などが展示されています。









2階にはユネスコ世界記憶遺産である「山本作兵衛」コレクションの一部や、当時の炭鉱夫の写真も展示されていました。女性も炭鉱夫として働いていたんですね。劣悪な環境の中、まさしく命がけの重労働だったことでしょう。















屋外には蒸気機関車も展示されていました。C11は播但線でも使われていたので馴染み深いSLです(子供の頃に乗りました)。また昭和51年までドイツ製蒸気機関車が使われていたとは驚きです。












次回は、田川市の「田川市石炭・歴史博物館」を紹介します。


PS.
直方市石炭記念館では、名古屋から来られていた見学者の方と意気投合・・・同じように五木寛之さんの「青春の門」を読んで筑豊に来たかったそうです。
帰路の直方駅までのタクシー代は、二人で乗って折半としました。タクシーの中では、中日と阪神というプロ野球の話題で盛り上がりました。(笑)
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怪傑ハリマオ・・・もう50代以上の方でないとご存知ないでしょう。

2011年09月07日 | 昔ネタ
最近の毎週末は天気が悪く、ツーリングという気分になりません。そんなところで、部屋の中でヒマしている時に目に入ったのが「怪傑ハリマオ」のDVDですね(かなり以前に、500円/枚で購入しました)。この「怪傑ハリマオ」ですが、もう50代以上の方でないとご存知ないでしょう。
TOPの写真はタイトルが映し出された場面ですが、昭和35年(1960年)を感じさせます。

この怪傑ハリマオですが、最初の放映だけは下の写真のように何とカラーなのです(宣弘社プロダクションは、月光仮面の製作社でもあります)。そして番組の最後には、スポンサーである森下仁丹が大きく登場します。






この怪傑ハリマオの舞台はインドネシアですが、悪役はイギリス人と中国人です。そして「さすがに日本の少年だ」とか「白人ども」なんて、日本を賞賛し欧米を卑下するセリフまで登場します。
アニメの「ゼロ戦はやと」もそうでしたが、あれほど悲惨な戦争に敗れても、どこかに負けじ魂があるのでしょうか。

怪傑ハリマオで有名なのは、三橋美智也さんが歌う♪まっかな太陽 燃えている 果てない南の 大空に とどろきわたる 雄叫びは 正しい者に 味方する ハリマオ ハリマオ ぼくらの ハリマオ♪というテーマソングですね。 

怪傑ハリマオについてはもっと書きたいのですが、私がここで「あ~だ、こ~だ」と書くより、ウィキペディアやYou Tubeあたりで調べて方が詳しいので省略します。
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昔の明石駅の写真を紹介します。

2011年02月27日 | 昔ネタ
今回ご紹介するのは、昔の明石駅の写真です。下の方に「明石民衆駅開業1周年記念 昭40.12.1」と記載されていますので、1965年という今から45年前の写真です。
この写真は父が所有していたものですが、当時の父は明石駅に勤務していたため記念に配布されたようです。

ちなみに、この頃の私は明石駅から徒歩10分ぐらいのところに住んでいました。ですから、写真の明石駅から電車に乗っていましたね。
何せ45年前ですから当時の明石駅の記憶はあまりありませんが、ホームの木製のベンチや水飲み場は憶えています。

今回UPした写真は、少し解像度を上げています。ですから、右クリックで「名前を付けて画像を保存」していただき、部分的にズームしていただくと当時の状況がよく分かります。
たとえば、女性の装いは着物が多いことや、当時のクルマなどがお分かりになるでしょう。

ホームの左側後方に白い建物が写っていますが、私の記憶間違いでなければ「物資部」と呼ばれた国鉄職員専用の売店です。
この時代は量販店など少なく、職員が安価に買物できるように国鉄が設置した福利厚生施設ですね。当時の国鉄の主要な駅には併設されていたものです。

現在と変わらないのは、ホームから改札口への階段やバックに写っている明石城でしょうか。45年という年月を感じます。
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懐かしのTV・CM

2009年02月01日 | 昔ネタ
今回のネタは、バイクとは何ら関係のない懐かしのTV・CMです。
ことの発端は、家族で「久しぶりに旅行に行きたいな~」なんてことから、家内から「伊豆方面に行きたい」という希望が出たことからです。
伊豆方面といえば、熱海に芦ノ湖に箱根に大湧谷に・・・という感じですが、伊東温泉も気になるところです。

そこで私が「伊東と言えばハトヤホテルやね」なんて家内に言うと、「はあ?何それ?」なんて言います。そこで私が「♪伊東に行くならハトヤ 電話はヨイフロ 4126 4126 はっきり決めた ハトヤに決めた♪のハトヤホテルやんか」と歌うと、ますます頭の中は混沌としているようです。
まあ無理もないでしょうね。TVで放送されていたのは昭和40年代早々だったと思います。
(もちろんモノクロ放送。アニメのハトがタオルを頭の上に置いてお風呂に入ったり、銚子を傾けてお酒を飲んでいたような気も・・・)

そこでネットを使って、ハトヤで検索してみます。すると「ハトヤホテル」と「ホテルサンハトヤ」が見つかりました。んウーン、いつの間に2つに分かれたのでしょう。ただ両方のホームページから、ちゃんと当時のCMソングをダウンロードして聞くことが出来ます。
ちなみに作詞は野坂昭如さんで、作曲はいずみたくさんという超大物です。むむっ!恐るべしハトヤ!ですね。

それにしても、どうして関西地区で伊東温泉のホテルのCMがTVで流れていたのでしょうね。当時としては画期的なことで、しかも膨大なCM費用だったと思います。
ここからは私の推測(考察)ですが、やはり昭和39年の東海道新幹線営業開始が大きな要因だと思います。関西から伊豆方面への時間が大幅に短縮されたことや、東京オリンピックが終ってお客さんの入りが一息付いたこともあるのでしょう。新たな客層の掘り起こしですね。
しかしハトヤホテルのCMは関東方面でも放送されていたのかな?と、少々気になるところです。

そんなところで昔のCMソングが気になりました。当時の記憶を掘り起こすと印象に残っているのが、おそらく関西限定だった「千日堂」のCMソングです。ちなみにこんな曲でした。
♪千日前の千日堂 甘党自慢の千日堂 食堂百貨の千日堂へ 行こうじゃないか♪ 
♪江戸前にぎりは千日堂 串カツ焼肉千日堂 味が自慢のうなぎどんぶり 大阪一の味♪
これを読まれて思わず歌ってしまった方は、関西在住で40歳以上であることは間違いないでしょう。

ところで、この「千日堂」は閉店されました(4年ぐらい前のようです)。場所は千日前のビックカメラの南側附近にあったようですが、今はパチンコ屋さんに変わっているようです。
やや大人向きのファミリーレストランであり、店頭には客寄せマスコットの「すっぽん太郎」(写真参照)が置かれていました。

他に関西限定と思われるのが、「京橋グランシャトー」と「レジャービル味園」でしょう。あるホームページで、前記の3店を「大阪謎のトライアングル店」と紹介されていました。つまり「名前を知っているけど、どんなお店なの?」だそうです。でも紹介したとおり「千日堂」と「レジャービル味園」は閉店しましたが、「京橋グランシャトー」は現在も営業されています。(JR大阪環状線に乗れば車窓から眺めることが出来ます)
また他には「目標427店!」の薬ヒグチ(数年前から1327店に増えている!)、それに「♪大丸そごうを東へ 50歩歩けばナニワ しん しん 心斎橋の カン カン カメラのナニワ♪」のカメラのナニワもありますね。
 
これらのTV・CMは、いかにも大阪らしい雰囲気ですね。私は一つの大阪文化だと言っても過言ではないと思っています。
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