以前の記事(9/15)でも紹介しましたが、10月3日(土)は会社の同僚の方々と舞鶴ツーリングに行ってきました。
この舞鶴ツーリングですが、本来は7月実施の予定だったのですが、雨天中止となりましたので、今回がリターンマッチですね。
この日も天候が危ぶまれたのですが、午後からは晴天の予報でしたので、集合時間を遅らしての作戦強行です。
そんなところで、集合場所である舞鶴若狭自動車道の西紀SAを目指します。集合時間の10時には皆さんが揃いましたので、再出発ですね。で、最初の写真は、西紀SA二輪駐車場でのMaj(マジェスティ)です。
先頭を走るのは、編隊長である私のMaj・・・しかし排気量が異なる混成編隊ですので、巡航速度に気を使います。とりあえず90km/hぐらいで走りましたが、皆さんどう思われたのでしょうか。
舞鶴に到着後は、いきなりの昼食です。昼食場所は事前にネットで探しておいた、「松きち」という海鮮料理のお店です。
それで食したのは、お店からお勧めの岩ガキ丼・・・もちろん舞鶴で獲れた岩ガキですね。下の写真のとおりです。とっても美味でした。(満足!)
下の写真は、「松きち」の駐車場に揃った今回の攻撃編隊・・・1400GTR(烈風)・CBR1000RR(雷電)・フォルツァ(彗星)・フィージョン(九七艦攻)・マジェスティ(流星)です。
食事の後は、引揚記念館に向かいます。ここで道を間違えるという、編隊長としてのあるまじき行為は許していただけるとして(笑)、下の写真の引揚記念館に到着しました。
この引揚記念館について説明しますと、太平洋戦争の末期、満州(現、中国北東部)に侵攻したソビエト軍のために捕虜となった日本兵は、シベリアに抑留させられ強制労働となるのですが、やがて順次、日本に帰還することになります。その日本に帰還した港が舞鶴であったことから、建設された記念館ですね。
二葉百合子さんの「岸壁の母」という歌を知っている方にとっては説明は不要かと思いますが、もう若い方はご存知でないでしょう。
下の写真は、当時の抑留生活を再現したもの・・・冬は零下30度という極寒の中で、木の伐採作業など重労働作業を命じられましたが、信じられないぐらいの僅かな食事で多くの日本人が亡くなりました。
この記念館を見学すると、戦争というものがいかに悲惨なものであるかが分かります。
次に向かったのは、海上自衛隊の艦船が停泊している桟橋です。多くの艦船が停泊していましたが、見学できたのは、下の写真の護衛艦「あぶくま」でした。
真近で見ると圧倒的な大きさです。しかし、これでも2,000トン・・・下の写真の「しらせ」(5,000トン)なんて、ほとんど建築物ですね。
「あぶくま」の装備は、54口径5インチ単装速射砲、アスロック、3連装短魚雷発射管、20ミリ機関砲・・・詳しいことは、各自でお調べください。(笑)
舞鶴ツーリングで最後に立ち寄ったのは、下の写真の「舞鶴港とれとれセンター」です。まあ各地で見受けられる海鮮市場ですが、この市場は干物系が多かったですね。会社と家内へのお土産(お饅頭&岩海苔))を買い込み、任務完了です。(笑)
時間の針が16時を廻りましたので、ボチボチと帰還しましょう。舞鶴西ICまで5台で走りましたが、ここからは自由解散です。1400GTR・CBR1000RRのリッターバイク戦闘機隊は、110km/hぐらいで走る250ビグスク艦上攻爆撃機隊を追い抜いて早期帰還です。
舞鶴若狭道~中国道~山陽道と、特に渋滞もなく順調に帰って来たのですが、三木JC~神戸西IC間は、突然のにわか雨の攻撃を受けました。高速での急な雨は、ひたすら耐えるしかないですね。
18時過ぎに帰宅。やれやれ帰還できましたね。初の社内ツーリングは、編隊長としては「成功」としておきましょう。何よりも大きなトラブルもなく、全員が無事に帰還できてよかったです。
次は蒜山高原でバーベキューを・・・なんて目論んでいますので、またの参加をお願いします。
PS.
走行距離:302km 燃費:26Km/Lでした。