我、再び駆ける。

ADV150・MT-03・4D9マジェスティなどを購入したことから、これらのバイクについて紹介していくブログです。

滝見物の後、鳥取まで行ってしまいました。

2020年09月27日 | お出かけ
昨日は家内とドライブ。私だけバイクで遊んでばかりいるので、家内からのクレーム対応です。姫路BPからR29を北上し、宍粟市(旧山崎町)に入ります。

そして「道の駅 みなみ波賀」で一回目の休憩。



その後、さらにR29を北上し、「道の駅 波賀」を通り過ぎて目的地に到着です。



ここは原不動滝の入口。家内からのリクエストです。昨年にMT-03で行きましたが、狭い難所道路に閉口。されど会社の同僚さんから「クルマでも行ける広い道があるよ」と教えていただき、あらためて家内と来たものです。






この吊橋を渡ると、



昨年にMT-03で来た道路(と言っていいのか微妙な)が見えました。黄色矢印のルートで来たものです。^^



やがて、入場チケットを購入する受付小屋が見えましたが無人!こりゃ今日は無料のようです。^^



されど先を進むのを躊躇する看板!私が最も苦手というか恐怖を感じる生物。さらに噛まれたり刺されたりした場合、自ら電話をして救急車を呼ぶ必要があるようです。(怖!)



さらに家内とっては恐怖の吊橋。高い場所が苦手に加え、もし落ちたら・・・という恐怖感だそうです。



そんなところで、私は常にニョロとハチに警戒しながら、こんな急な階段を上がり続けます。(上がり切って振り返った画像)



「幸福の鐘」がある最後の吊橋に到着。ここまで来るとゴォ~という滝の音が聞こえてきます。



吊橋を進むと、原不動滝に到着。前日の雨で豪快な瀑布でした。



動画でもどうぞ。



「幸福の鐘」で記念撮影。



帰路もニョロとハチの警戒体制。豪快な瀑布も、最後の方は清流となります。



原不動滝の見学も終わり、当初の予定では行路を戻り道の駅巡りで帰宅の予定でしたが、「若桜 43km」の道路標識に誘惑され、突然の鳥取県・若桜に行きを決定。(^^)
R29を北上し「道の駅 若桜」に到着。兵庫県との県境あたりから雨が降り出しましたが、若桜に到着すると本降りとなりました。



こんな天気ですから、バイク置場はADV150の一台だけ。



「道の駅 若桜」といえば、こいつが気になりますが・・・4年ぐらい前から、全然増えていません。^^



「まさ」さんを含め右側から、全て我々OSG(親父スクーター軍団)の面々。もって増えているのかと思いました。ちなみに私のは、ブログタイトル省略の「我再駆」です。






さて早目の昼食ですが、食堂のメニューはラーメン・うどん、唐揚げ定食など定番ばかり。地元食材のメニューはありません。そこで、こんなのを買い求め、






家内と半分ずつして、ラーメンと一緒に食べて終了です。






食事後、屋外にこんなのが売っていました。懐かしいですね。椎茸の栽培です。私が子供の頃、親戚宅でよく見かけたものです。



で、Lサイズを買ってしまいました(笑)。今後、このブログで「椎茸栽培日記」を掲載するかもしれません。^^



それでは、せっかく若桜に来たので若桜鉄道・若桜駅に到着。



目指すはC12蒸気機関車です。このC12-167号機は加古川線・北条線(現、北条鉄道)を走っていました。



しかし雨が激しくなり、カメラを濡れないように守るのに精一杯。正面からの画像は諦めました。



ホームに行くと、ちょうど昭和号が到着しました。動画でどうぞ。



静止画でも、






昭和号は外装のラッピングだけではなく、内部も改装され観光列車として用いられています。京都丹後鉄道の黒松・赤松・青松号に近いところでしょうか。下記の若桜鉄道のサイトをどうぞ
若桜鉄道「観光列車」

若桜鉄道の路線と運賃です。若桜駅にバイクを停めて、鳥取駅まで乗ってみたいものです。



駅舎を見て廻ると、待合室がキレイになっていました。レトロ感タップリでした。



それでは帰路としましょうか。安部駅や隼駅にも寄りたかったのですが、本降りの雨の中では気分が乗らず、素直に鳥取自動車道に乗り込みます。

最後の休憩で立ち寄ったのは、「道の駅 あわくらんど」です。



こちらは岡山県となることから、お土産に吉備団子を買うのが楽しみ。さらに道向かいの青空市は、野菜果物が安くてお勧めです。



こちらで、今年初物の柿を買いました。



遠くからガタンゴトンという音が聞こえ、最後に智頭急行の「スーパーはくと」を撮影できました。^^



この後は一気に帰宅。走行距離は320km。燃費は、ジュークとしては頑張った17km/L。後、2か月ぐらいでライズとなりますので、最後のご奉公かな?です。
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OSG京阪神支部ツーリングに参加しました。

2020年09月21日 | BW'S125ツーリング
今日はOSG(親父スクーター軍団)京阪神支部のだつさん呼びかけによる、丹波ツーリングに参加してきました。先ずは我家の近くの7-11でブロ友のグッチさんと集合。スクーター軍団ということで、PCX150(グッチさん)とBW'S125(私)です。

R175を北上し、道の駅三木で休憩。最近、週に一度は寄っている「道の駅 三木」です。^^



再びR175を北上し、黒田庄町あたりからJR加古川線に沿った県道をひた走り。そして谷川駅から篠山川沿いに東進し、集合場所に到着。ここはライダーズ・カフェである「ROUTE 77」です。



到着すると、T2さん(PCX)、ヤマちゃん(NMAX155.超お久しぶりでした)がお待ち。そしてしばらくすると、発起人のだつさん(XMAX)、たいようさん(グロム)、terayanさん(銀翼)が到着。久しぶりにバイク仲間が集まりました。^^






テラス席に陣取り、



モーニングを食しました。これだけメンバーが集まったので、やはりバイク談義。さらに子供が結婚したとかしないとか、再雇用がどうだかこうだか・・・高齢化が進む我々です。(爆)



「ごちそうさまでした」で出発。そして、僅か10分ほどで目的地に到着。ここは丹波竜の化石が発見され、発掘されたところです。



篠山川のこちらで、丹波竜の化石は発掘されました。



篠山川の清流がキレイです。






以前にもこのブログで紹介した、大正時代に建設された水力発電所を撮影。



すぐ近くはJR福知山線ですので、行き交う電車を撮影。^^






ここで、用がある私とグッチさんは早期離脱。次回は美山でお会いしましょう。皆さんの出発の模様を動画でどうぞ。



私とグッチさんは、鉄分補給のため下滝駅に到着。



ホームと駅名標です。






私の地元の明石駅までは1,340円なり。福知山線経由でも加古川線経由でも同額でしょうか。



それでは昼食場所を向かいましょう。R175に戻り、南下して到着。



ここは「道の駅 北播磨エコーミュージアム」です。



上の方が切れていますが、愛のスカイラインGT-Rが停まっていました、(S20エンジン:DOHC6気筒・4バルブ・3連キャブ・160馬力)



さらに猿回しのお姉さんです。この猿回しの方は、「道の駅 北播磨エコーミュージアム」に、よく来られているようです。



さて昼食ですが、レストランは結構なお値段。では、ハンバーガーに・・・ですが、こちらもお値段高め(^^)。高価な黒田庄牛を使っているので仕方ないところですが、親父にはあまりに贅沢なお値段。(爆)

そんなところでお弁当を物色しますが、黒田庄牛のお弁当は高いので、



こちらのお弁当としました。^^



それでは、いただきます。



食後の後は早めの帰宅としました。帰路のR175はクルマが多かったですね。山陽道や阪神高速も渋滞情報が表示されていました。

今日お会いした皆さん、お疲れさまでした。ありがとうございました。次回は美山でしょうか。またよろしくお願いします。


PS.
グッチさんから、こんなのをいただきました。ありがとうございます。鶉野飛行場のパンフと、グッチさん家がよく行かれる古民家カフェetcの名刺です。また、適時行かしていただきます。^^


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BW'S125で故郷への墓参り。秋も見つけました。

2020年09月19日 | BW'S125ツーリング
今日はお彼岸ということで、10年ぶりぐらいに故郷である福崎町に墓参りです。お供え物もあることから、積載に優れたBW'S125です。R175を北上し、小野から青野ヶ原を抜け、先ずは法華口駅に到着。

行き違いができる新しいホームが2本できたので、それでは行ってみましょう。クランクのような通路を歩くと、






新しいホームです。



されど最後は行き止まりとなり、何か看板が建っています。



法華口駅のボランティア駅長さんが以前から話されていましたが、法華口駅から紫電改の鶉野飛行場までの遊歩道ができるそうです。遊歩道の工事はこれからですが、先ずは看板だけが先行したところでしょう。



紹介されている飛行場跡施設ですが、半分以上は行ったところです。^^



新しいホームには「祝!」の横断幕がありました。



そして、新しい駅名標。う~ん、何か法華口駅のイメージと合わないような気が・・・(^^)






戦前から使われている、こちらの駅名標の方がエエ感じ。



駅名標の下には、法華口駅の古い写真が並んでいました。



左側には、今は現存していない貨物用建物です。



戦前の構内図です。貨物用の引込線(赤線)と、鶉野飛行場に隣接した川西航空機姫路工場への引込線(黄色線)があります。



紫電改は姫路の京口工場で生産され、鶉野飛行場に隣接した川西航空機姫路工場で最終組立の後、テスト飛行が行われて各部隊に引き渡されました。このため京口(播但線)~姫路(山陽本線)~加古川(加古川線)~粟生(北条線)~法華口と、紫電改のパーツは輸送されたことになります。

最後に、新旧ホームを撮って法華口駅を出発です。



続いて到着したのはマックスバリュー。こちらでお墓に供える仏花を買い求めます。



仏花はこんなところ。



供え物でBW'S125のトランクは一杯なので、仏花はコンビニフックへ・・・やはり、コンビニフックは便利です。^^



田んぼは色付き、稲刈りが近付いています。稲穂は大きく垂れていました。






やがて故郷の山々と川。この道は、私が幼稚園に向かう通園路でした。(^^)



墓地に到着。



お墓参りも終わりに本家に赴くと、残念ながら不在。



叔父さん家に赴くと、こちらも不在(涙)。止む無くスマホに電話をして、お供えを物を玄関に置いているので仏壇へのお供えをお願いしました。

それでは用も終わったので、帰宅としましょうか。加西のあたりではコスモスが咲き、



畦道には彼岸花です。秋を見つけましたね。後、2週間もすれば、畦は真っ赤な彼岸花で染まるでしょう。






最後に、加西の小さな神社で無病息災を祈願して・・・八幡神社ですが、マジェスティに乗っていた頃、よく寄りました。



一気に明石まで帰宅するつもりでしたが、暑いわ、お腹が空いたわで道の駅三木に到着。



こんなメニューもありました。ブロ友のグッチさん用にお弁当メニューもです。^^



食したのは、天丼とざる蕎麦のセット。もうお腹一杯になりました。(^^)



結局、100km少々のミニツーリングでした。真夏の極暑も終わり、走っている間は風は冷たくツーリングの季節が来ましたね。日陰あたりでは寒さも感じたところです。
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映画「ミッドウェイ」を観てきました。

2020年09月12日 | ミリタリー
今日は久しぶりに映画です。訪れたのはイオンシネマが入る、イオンタウン明石・ビブレです。

MT-03は乗る時にシートが熱くならないように、有料ですが屋根付きのバイク置場に停めました。^^



朝一番ということでお客さんは少なめかと思いきや、「ドラえもん」が上映されていましたので子供連れが多かったです。



スクリーン内はコロナ感染対策で、まるで市松模様のように座席が制限されていました。



で、こんな映画上映されていましたが、



観る映画は、真珠湾攻撃~ドーリットル空襲~ミッドウェイ海戦を描いた「ミッドウェイ」です。ミリタリー・マニアの私としては外せない映画(^^)。予告編をどうぞ。



映画の感想ですが、結構、史実に基づいたところ。「5分間」や「AFは真水が不足」等々詳しく紹介されていました。私的には★★★★☆としましょう。

映画も見終わり、「今はパンフっていくらかいな?」で売店を覗くと800円少々。う~ん、どうするか・・・で悩んでいると、隣に「ダンケルク」のDVDがバーゲン価格で売られていたので、こちらを購入。



ダンケルクとは、イギリスに撤退する連合軍をドイツ軍が追撃し、上空ではスピットファイアとBf109との空中戦となり・・・長くなるので止めておきます。(^^)

ミッドウェイに話題を戻しますが、ミッドウェイ海戦では最後まで孤軍奮闘した空母「飛龍」がお気に入り。息子が小学生の時には、夏休み工作で硬質発砲スチロール板で作ったぐらいです。80%ぐらいは私が製作したものですが(^^)、今も現存しています。



この空母「飛龍」を作るのにプラモまで買いました。適当な図面が無く、プラモを見ながら工作した方が手っ取り早かったからです。(笑)

ところで「ミッドウェイ海戦」ですが、ご存知の通り日本海軍機動部隊の4空母が撃沈され、太平洋戦争の転機となった海戦です。
いろんな書物やサイトには、暗号解読、兵力分散、索敵不足、複数攻撃目標など、日本海軍の敗因が解説されていますが、私的には慢心というかアメリカ海軍を軽視していたことが主な要因だと思います。

ミッドウェイ海戦の前に珊瑚海海戦があり、ここで初めて空母を有する日米機動部隊が激突しましたが、結果的には引き分け。しかし、この戦いで侮れないアメリカ機動部隊の力量が分かっていたはずです。
にもかかわらず、現場の声が届かなかったのか、初戦の勝利に酔った上層部はあまりに油断していました。

それにしても、当時、空母から戦闘機や攻撃機を発艦させ、敵地を攻撃できる機動部隊を有しているのは日本海軍とアメリカ海軍。それに規模が小さいですが、イギリス海軍ぐらいでした。
正に世界一位と二位が戦ったのです。日本海軍にとっては、あまりに分が悪い相手と戦ったと言えるでしょう。太平洋戦争を通じて日米機動部隊が戦ったのは計6回(珊瑚海海戦、ミッドウェイ海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦、エンガノ岬沖海戦)でしたが、結果的に引き分けとなったのが3回で、他の3回は日本海軍機動部隊の完敗でした。

それでも日本海軍といえば、海軍兵学校で用いられた「五省」(ごせい)と呼ばれる五つの訓戒が好きです。現在も海上自衛隊幹部候補生学校で用いられていますので、紹介しましょう。日々の教訓としても十分に通用するものです。

五省
一、至誠に悖もとる勿なかりしか
  (真心に反する点はなかったか)
一、言行に恥はづる勿なかりしか
  (言動に恥ずかしい点はなかったか)
一、氣力に缺かくる勿なかりしか
  (精神力は十分であったか)
一、努力に憾うらみ勿なかりしか
  (十分に努力したか)
一、不精に亘わたる勿なかりしか
  (最後まで十分に取り組んだか)
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あの頃の拓郎は熱かった・・・で、吉田拓郎のライブCDです。

2020年09月05日 | 日常の出来事
今日は、明日の亡母の七回忌で多忙・・・そんなところで、ストックしていた記事の紹介です。
またもアマゾンから荷物が到着。こう暑いと、ついポチと買ってしまいます。(^^)

中身は「COMPLETE TAKURO TOUR 1979」ということで、吉田拓郎のライブCD。1979年に行われた`TAKURO TOUR 1979`篠島や日本武道館、それに静岡市民会館でのライブの模様を集めたCDです。



収録曲は、こんなところ。この内、DISCの1と2は、1980年頃に「TAKURO TOUR 1979 篠島」としてLPレコードで発売され、私が学生の頃は毎日のように聴いたものです。^^



CDのため小さいですが、一応、パンフも入っていました。



著作権のこともあり、これらの曲を紹介するのは出来ませんが、YouTubeで観る(聴く)ことが出来ます。「英雄」をどうぞ。



ちなみに「英雄」とは、エルビス・プレスリーのことです。また後ろ姿しか分かりませんが、キーボードはユーミンの亭主である松任谷正隆さんです。
吉田拓郎とユーミンとは、水と油のように全く曲調は違いますが、意外と旧知の関係でバックバンドは同じメンバーが多いです。

それにしても、この頃の吉田拓郎は熱いです。もっとも観客も熱く、花火(爆竹)を鳴らしたり大騒ぎでした。そんなことから、離島の篠島でオールナイト(夜明けまで)で開催。中座で長渕剛が登場したのですが、拓郎ファンから「帰れ!」コールが起こったのも伝説です。

それでは、今回のCDの中での一番お気に入りの曲である「人生を語らず」です。最後に拓郎は、深々と観客に頭を下げています。歳を経て、拓郎も熱さが冷めたというか丸くなったところでしょうか。好きな「人生を語らず」ですが、私はこの歳になっても、未だ語るほどの人生は持ち合わせていません。^^


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