今回は「田川市石炭・歴史博物館」です。田川伊田駅からは、一応、ナビ(歩行モード)を見ながら向かいますが・・・
見上げれば大きな煙突が見え、迷うことなく到着しました。(笑)
高さ45mということで、正に大煙突ですね。炭坑節の♪あんまり煙突が高いので、さぞや お月さん煙たかろう♪の三井田川炭鉱の煙突です。
博物館に到着です。入口で係員さんから「どちらから来れれたのかアンケートしています」と聞かれましたので、「明石からです」とお答すると、「え~そんな遠くから」とビックリされていました。
館内の展示です。前回の 「直方市石炭記念館」と同様、厳しい炭鉱夫の労働状況が展示されていました。
屋外には蒸気機関車(9600型)や、採掘した石炭を運び出すコンテナ車が展示されています。
他には「炭住」と呼ばれる炭鉱夫の方の社宅も・・・6畳ほどの広さで台所には水道もありません。
洗い物は共同の洗い場を使います。
三井田川炭鉱で忘れてはいけないのは、激しい労働組合活動です。勤務労働条件(賃金、労働安全)改善のために炭鉱夫達は闘いました。
田川伊田駅に戻る途中の巨大な櫓です。大煙突と同じで、三井田川炭鉱のシンボルだったそうです。
見渡せば、筑豊のランドマークである香春岳が見えました。手前から一の岳、二の岳、三の岳です。一の岳は石灰岩採掘のために頂上は無くなり、平たくなっています。
ゴォーンという、突然に轟音が・・・航空自衛隊・芦屋基地所属のT-4練習機でしょうか。
田川伊田駅に戻ると、変わった自販機がありました。自販機も炭坑節ですね。
写真はありませんが、田川伊田駅前の喫茶店で昼食としました。ここのオーナーであるお母さんとお客さんのお爺さん(練乳のかき氷を食べていました)にお聞きすると、昭和30年代末の田川伊田は、入れ墨を入れた炭鉱夫同士の「切った張った」の喧嘩が絶えなかったそうです。駅近くには映画館や居酒屋、それに遊郭が並び大変な賑わいだったとか・・・それが、石炭需要の先細りと労働組合運動の激しさから一人減り二人減りで、退職金100万円で人員整理をしたとのことでした。一時期は15万人の田川市の人口も、現在は5万人ということで、炭坑関係で10万人が田川を離れたことになります。
それでもお二人は「明治以降、筑豊の石炭で日本は近代国家となり、戦後は香春岳の石灰岩のコンクリートでビルが建った。筑豊は日本のために貢献したのだ」と熱く語られていました。
JR田川伊田駅からディーゼル車に乗り小倉を目指しましたが、途中の香春駅では香春岳を採掘するコンクリート会社が見えました。現在も香春岳から採掘された石灰岩はコンクリートとなり、どこかでビルやマンションの建築材料となっているのでしょう。