我、再び駆ける。

ADV150・MT-03・4D9マジェスティなどを購入したことから、これらのバイクについて紹介していくブログです。

クリスマスとミリタリー模型です。

2023年12月26日 | ミリタリー
今年の我家のクリスマスは、早めの23日に開催。と言っても、地元のケーキ屋さんのクリスマスケーキぐらい。このクリスマスケーキですが、今や絶滅寸前のバタークリームケーキ。昭和の味です。^^

家内は定番のチキンですが、



私は、晩酌である日本酒熱燗に合う刺身盛。チキン(鳥の足)は子供の頃の大好物でしたが、大人になると食べるのが面倒。(^^)



こんな感じで我家のクリスマスも終わり、翌日はホームセンターへ。



目的は洗面所の混合栓(蛇口)を閉めてもポタポタと漏れるため、パッキンの交換。これぐらいは自分で直せます。



続いてプラモ売場へ。



九七式中戦車のプラモ購入。子供の頃はドイツ軍戦車(パンサー、キングタイガー)が好きでしたが、最近は貧弱な日本陸軍の戦車の方が好み。この九七式中戦車は、実車を靖国神社で見たことも購入の動機。



自分へのクリスマスプレゼントです。子供の頃、親にプラモをあまり買ってもらえなかったので、そのリベンジかも?本当は後方のF4Uコルセア戦闘機(1/32)が欲しかったのですが、16,280円は高すぎ!昔は1/32戦闘機プラモでも2千円ぐらいだったのですが、メチャ高くなりました。

タミヤのプラモは、外箱に実車のプロフィールが紹介されているのが嬉しいところ。



帰宅して箱を開けると、老眼では辛い小さなパーツが一杯。(涙)



さらに、組立説明書の字も小さい。(再涙)



とりあえず九七式中戦車の説明を読んで、早々に押し入れの肥やしとなりました。(^^)



その押し入れの肥やしといえば、最近、お宝が出てきました。マルシン工業(モデルガンの製造メーカーで有名)金属製の九七式艦上攻撃機の模型。加西市の「soraかさい」に展示されている、実物大レプリカモデルと同じです。



今や販売終了の模型です。20年ぐらい前に購入した模型ですが、押し入れの中で眠っていました。まるで本物の九七式艦上攻撃機が、戦後20年を経て発見されたようなところ。^^

箱には、九七式艦上攻撃機の性能紹介。



さらに、当時販売されていた金属製モデルの紹介。赤丸のモデルを購入しましたが、大部分はネットオークションで売却。残ってるのは雷電と、この度の九七式艦上攻撃機かな?ひょっとして、他のモデルも押し入れの中から出てくるかもしれません。



塗装済金属製モデルですが、分解された状態で梱包されています。組立には精密ドライバーが必要。



このモデルは、空母「赤城」搭載機のカラーリング。それも真珠湾攻撃の時、有名な「トラトラトラ」(奇襲ニ成功セリ)を打電した、淵田中佐の搭乗機です。



撮影を終え、九七式艦上攻撃機も再び押し入れの肥やしに(^^)。我家の押し入れには、未組立の晴嵐・震電・零戦・月光・イ-400潜水艦・T34/85などのプラモが眠っています。全て実物なら、スミソニアン博物館です。

こんなところで、クリスマスも終了。次はお正月ですが、千葉から息子も帰って来ないため静かなお正月となるでしょう。初詣とイオンぐらいで終わりそうです。
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「soraかさい」のレプリカ九七式艦上攻撃機を観察する。+「震電」です。

2022年09月23日 | ミリタリー
今回は加西市の鶉野飛行場跡にある、「soraかさい」に展示されている九七式艦上攻撃機を観察しましょう。大分前に今回の記事を作成していたのですが、UPするのを完全に忘れていました(^^)。この九七式艦上攻撃機はレプリカですから、細かいところは指摘せずサラッと紹介します。

先ずは全体画像をどうぞ。紫電改と同じ建物に展示されていますが、天井から吊られていることから、2階への階段はあるものの見辛い(撮り辛い)です。






























続いて詳細です。操縦士・偵察員・航法員(電信員)の、3人乗り三座席となります。これは艦上攻撃機は偵察もおこなうため、特に目印も無い洋上で、自機の位置を把握する航法員は必要でした。



機体下に懸架されているのは800kg爆弾。艦上攻撃機は海面すれすれに飛行し、魚雷を投下する軍用機ですが、この九七式艦上攻撃機は特別攻撃機として使われたレプリカですから、あえて爆弾を搭載しています。通常、爆弾を搭載するのは艦上爆撃機(急降下爆撃機)です。



尾輪です。タイヤ・パターンがありますが、これは市販品を使ったのかな?です。普通はパターンの無いソリッドタイヤです。



この九七式艦上攻撃機は11型で、「光」エンジン搭載機です。直径の大きな「光」エンジンを、独特の形状のカウリングで覆っています。



同じレプリカである紫電改よりも、リアルなエンジン造形です。



黄色四角は集合排気管ですが、左右2本出しです。



艦上攻撃機ですから、空母着艦時に用いる着艦フックが付いています。



黄色四角は、主翼の折り畳み(ヒンジ)部分です。日本海軍の空母に設けられたエレベーター幅は12mでした。このため翼長約15mの九七式艦上攻撃機を、格納庫からエレベーターで甲板まで運ぶには、主翼を折り畳む必要がありました。



黄色四角は、操縦士が空母甲板の位置や高さを確認するための窓です。着艦時にはやや上向きになるため、空母甲板を見ることは困難であることから設けられました。



九七式艦上攻撃機(12型)のスペックです。

・乗員:3名
・全長:10.3m
・全幅:15.518m
・主翼面積:37.7m2
・自重:2,200kg
・全備重量:3,800kg
・エンジン:中島「栄」11型 空冷二重星型14気筒 出力970馬力
・最大速度:377.8km/h(高度3,600m)
・着陸速度:113km/h
・上昇時間:3,000mまで7分40秒
・実用上昇限度:7,640m
・航続距離:1,021km(正規)、1,993km(過荷)
・武装
 7.7mm旋回機銃×1
 (以下のいずれかを搭載) 
 800kg魚雷×1、800kgまたは500kg爆弾×1、250kg爆弾×2、60kg爆弾×6


前述のように、この九七式艦上攻撃機はレプリカですが、こんな感じで製作されました。



また垂直尾翼に描かれた「ヒメ」ですが、姫路航空隊の略号です。姫路航空隊は、鶉野飛行場での練習隊を昇格して開設されたものです。目的は、沖縄方面のアメリカ艦隊への特別攻撃です。実際の姫路航空隊・九七式艦上攻撃機の写真です。



このため用いられた機体は、新鋭の「天山」や「彗星」ではなく、九七式艦上攻撃機の中でも初期型の11型でした。

九七式艦上攻撃機は初戦に大いに活躍しましたが(真珠湾攻撃で、有名な“トラ・トラ・トラ”を発信)、やがて低速であるためアメリカ軍戦闘機の餌食となりました。
このような状況を日本海軍は対策を怠っていたのではなく、後継機として「天山」が開発されました。しかし「天山」は、搭載する「護」エンジンが不調で数が揃わないことから、結局、最後まで九七式艦上攻撃機を用いることになりました。このあたりは末期の零戦と同じです。

こんなところで、レプリカ九七式艦上攻撃機の紹介を終えましょう。やはり実機とは違い、細かい部分は「?」が多いのですが、そこは止むを得ないところでしょう。
ただ靖国神社の「彗星」と同じで、零戦などの戦闘機との大きさの違いは分かります。そういう意味では、一見の価値は十分にあると言えます。

PS1.
旧海軍機のレプリカといえば、福岡県朝倉郡筑前町にある大刀洗平和記念館に「震電」が展示されています。こちらも見に行きたいところ。



実機です。先尾翼(エンテ型)で有名な戦闘機。設計上は750km/hの最高速でしたが、搭載エンジンであるハ43の生産は不可能に近い状態でしたので、実戦参加は無かったでしょう。






戦争末期の昭和20年8月に、初飛行まで行きました。「震電」の試験飛行の模様は、下記のYouTubeでどうぞ。試験飛行の結果、多くの改良が必要であることが分かりました。



戦後、米軍に引き渡される「震電」。現在、アメリカの博物館に分解保存されています。




PS2.
本日は、息子の結納のため東京行き。多忙のため、コメントは閉じています。^^
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靖国神社・遊就館の九七式中戦車他を観察する。

2022年06月04日 | ミリタリー
今回は3/13に訪れた、靖国神社・遊就館に展示されている九七式中戦車などを紹介しましましょう。紹介するのを、すっかり忘れていました。^^

先ずは、九七式中戦車の詳細から。空冷12気筒ディーゼルエンジンのマフラーです。左右2本出しとなっています。



57mm戦車砲と7.7mm機銃。



砲塔後方の7.7mm機銃。砲塔上部の円形の手摺のようなモノはアンテナです。



前から見ると、一般的な戦車と違い砲塔位置が右側にオフセットされています。



説明パネルです。4名乗車であることが分かります。



九七式中戦車の主なスペックです。

全長:5.55 m
全幅:2.33 m
全高:2.23 m
重量:全備15.0t
速度:38 km/h
行動距離:210km
主砲:九七式57mm戦車砲
副武装:九七式車載7.7mm機関銃×2
エンジン:空冷V型12気筒ディーゼル150hp・排気量21,720cc
乗員:4名


この九七式中戦車は、サイパンの戦いで全車を失った戦車第9連隊所属のものです。戦後、生存された戦車第9連隊の方々や関係者の努力により、日本に帰ってきました。



このため、米軍に攻撃された弾痕が残っています。






ところで戦車に詳しい方なら、例えばドイツ軍のパンサーやタイガー戦車と比べ、小さな車体で小口径の主砲と思われるでしょう。これは、そもそも戦車を用いる用法が、ドイツ軍の機甲戦車軍団とは異なるからです。

日本での戦車の役割は歩兵と共に行動し、トーチカなどに設けられた敵の機関銃陣地を突破することが目的でした。このため主砲の口径は小さく、戦車自身の装甲厚も薄いものでした。
また国内の移動時には橋梁を渡ることもあるのですが、戦前の日本国内の多くの橋は重荷重に耐える橋が少ないことや、道路や鉄道事情が悪く小型化せざるを得ないものでした。
もっとも戦争末期には、アメリカ軍のM4シャーマン戦車に対抗するため三式戦車が開発されましたが、制海権を奪われ南方の戦場に輸送することは不可能でした。

ちなみに旧日本軍の戦車は、意外にも戦後も形を変えて数多く残りました。もちろん武装は撤去されましたが、用途としては雪上運搬車や警察での装甲車です。

続いて紹介するのは、桜花特別攻撃機です。この桜花はレプリカですが、紹介しましょう。






ご覧のように、天井から吊られています。



操縦席です。



エンジン部。ロケット推進ですが、固形燃料ですので打ち上げ花火と基本的に同じです。



桜花のスペックです。ちなみに木製でした。

全長:6.066m
全幅:5.12m
全高:1.16m
自重:440kg
全重量:2270kg
速度:804km/h(急降下突撃状態の速度)
航続距離:37km(高度7,000mで投下して約60km)
武装:1200kg徹甲爆弾
エンジン:固体ロケットエンジン
出力:推力800kg×3
乗員:1名


上記のスペックで注目すべきは、速度と航続距離。さらに武装です。この桜花は敵艦に体当たりする特攻機ですが、速度は高速なれど、あまりに短い航続距離。このため一式陸上攻撃機の下面に搭載され、敵艦に近づいたところでロケットエンジンを噴射して体当たりしましたが、多くは敵艦に近づく前に母機である一式陸上攻撃機と共に撃墜されてしまいました。



それでも命中すれば、1,200kgもの爆弾。駆逐艦は真っ二つになり撃沈したそうです。

この桜花については、下記の動画をどうぞ。松本零士さん原作「戦場まんがシリーズ」をアニメ化したものです。



桜花は、決して搭乗員が生還することが無い特攻機。桜花を設計された方は、心が痛んだことでしょう。

続いて紹介するのは人間魚雷である「回天」です。こちらも桜花同様、生還することのない特攻兵器でした。



内部と操縦席です。あまりにシンプルです。






潜水艦上部から発艦した後、この小さな潜望鏡で敵艦に狙いを定め突撃しました。楠木正成の旗印が描かれています。



回天とは「天を回らし戦局を逆転させる」という意味ですが、人間が魚雷を操縦し、敵艦を攻撃せざるを得ないぐらい戦局が悪化していたことが分かります。もはや通常の潜水艦からの魚雷攻撃は、制空権・制海権を奪われ極めて困難な状況だったのでしょう。

次は、またも特攻兵器である「震洋」。合板(ベニヤ板」のボートに、トラックのエンジンを搭載したもの。船首に250kg爆薬を搭載し、敵艦に体当たりする艦艇です。






しかし当初は、必ずしも体当たりするのではなく、狙いを定めると乗員は飛び降りての生還を目指す訓練を受けていたそうです。

特攻兵器ばかりで気が滅入るので、一般兵器の紹介です。先ずは戦艦「陸奥」の副砲である14cm砲。戦艦「陸奥」は、1943年(昭和18年)6月に突然爆発事故を起こし、広島湾に沈没しました。この副砲は、戦後に引き上げられたものです。






続いて砲弾です。一番左側は、戦艦「武蔵」の46cm主砲弾。黄色四角は、日露戦争での日本海海戦の旗艦として活躍した、戦艦「三笠」の30cm主砲弾です。



これは、三年式8cm高角砲(海軍)と八八式7cm野戦高射砲(陸軍)です。どちらも、上空の敵機攻撃のために用いられた対空砲です。



最後に四式20cm噴進砲です。実際に硫黄島の戦いに用いられたロケット砲です。これは大砲ではなく、砲弾自らが推進するロケットです。沖縄戦でも用いられ、米軍に多大な損害を与えました。






以上で、大展示室に展示されている主要な兵器の紹介を終わります。おそらく、これだけ多くの旧日本軍の兵器類が展示されているのは、この遊就館だけでしょう。しかも実際に使用された兵器が展示されているので、そのリアル感は怖さすら感じます。一度、見学されることをお勧めします。
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靖国神社・遊就館の彗星艦上爆撃機を観察する。

2022年04月09日 | ミリタリー
今回は、靖国神社・遊就館の彗星艦上爆撃機を観察しましょう。この彗星艦上爆撃機(以下、彗星と略)を初めて見たのは、今から18年前のこと。当時、彗星が展示されている大展示室は撮影禁止だったため、内緒で携帯で一枚撮っただけ(^^)。今回は、あらためて詳細を撮影しました。

先ずは全体画像です。









垂直尾翼に書かれた「鷹-13」は、第523海軍航空隊である通称「鷹部隊」の13号機です。第523海軍航空隊は1943年(昭和18年)11月に開隊されましたが、翌年の1944年(昭和19年)6月に所有機の全機を失い解隊となりました。






この機体は彗星11型ですが、主なスペックは以下のとおりです。この彗星は零戦よりも速い艦上爆撃機ということで、海軍の期待は大きいものでした。

エンジン:液冷V12気筒・アツタ21型(1,200馬力)
最大速度:546.3 km/h(高度4,750 m)
上昇力:高度5,000 mまで9分28秒
航続距離:1,783 km(正規)~2,196 km(過荷)
武装:機首7.7mm固定機銃2挺、後方7.7mm旋回機銃1挺
爆装:250kgまたは500kg爆弾1発、翼下30~60kg爆弾2発
乗員:2名


続いて詳細です。先ずは機首の固定機銃用の照準器。戦闘機に用いられた光像式ではなく、望遠鏡のような眼鏡式です。



操縦席後方の、7.7mm旋回機銃。迫ってくる敵機を攻撃するためですが、特に装甲板もなく怖かったと思います。



続いて左右の機種部分。前述のとおりV12気筒ですから、左右それぞれ6本の排気管です。左側にはエンジンへの吸気口があります。






各務原に保存されている三式戦闘機「飛燕」と異なり、液冷用ラジエターは別展示でなく機体に収まっています。



プロペラ先端のスピンナには、大和ミュージアムの零戦同様に、回転方向の表示があるのが嬉しい限り。



プロペラには、製造メーカーの銘板付。



主脚部分や尾輪は、丁寧に復元されています。












複座席が素晴らしいです。



「ノルナ」「オスナ」の赤字注意書も再現されていますが、戦前ですから右始まりの「ナルノ」「ナスオ」では?です。



翼端灯のレンズは、明らかに現在のもの。



増加燃料タンクと翼下爆弾架ですが、戦争末期の増加燃料タンクは、金属節約のため木製だったと思います。



機体銘板です。



彗星に搭載されたアツタ21型エンジン。陸軍の三式戦戦闘機「飛燕」に搭載されたハ40(140)同様、ダイムラーベンツDB601のライセンス生産です。






黄色四角部分は過給機です。通常、ギアで回転数を変速しますが、ベースになったDB601同様に流体継手を使った無段変速でした。クルマのATと同じです。



1シリンダー・2プラグです。V型エンジンの片側6気筒に、12本のプラグが並んでいます。



このアツタエンジンですが、陸軍のハ40(140)同様に故障が多く、彗星の稼働率は低いものでした。要因はいろいろあるのですが、前述の流体継手の整備が難しいことに加え、冷却水(蒸気)漏れ。さらにエンジンの主要部品であるクランクシャフトのニッケルやクロムの成分が不足し、折れたり焼き付くという故障が絶えなかったようです。

それでも、陸軍のハ40(140)より故障が少なかったとか。これは海軍が、貴重なニッケルやクロムを少ないながらもメーカーに供給したからだそうです。もっとも最後は、陸軍の三式戦戦闘機「飛燕」が空冷の五式戦闘機となったように、彗星も33型からは空冷エンジン搭載となりました。

最後に、この彗星は復元機です。ヤップ島で発見された残骸から復元されました。



説明パネルで紹介されているとおり、復元の模様は日本TVで放送されました。私はダイレクトでTVで観ていましたが、薄い金属板をリベット打ちしながら復元されていたのが思い出されます。

ところで彗星は、海軍航空技術廠という「官」が設計しました。通常、軍用機は、陸海軍が要求性能を航空機メーカーに提示して設計開発するのですが、海軍自らが設計したものです。

このため性能追及が第一で、やたら新技術を取り入れ、生産性や整備性は後回し。こんなことも、彗星の稼働率を悪くした一因です。特に主脚の引き込みなどはモーターによる電気式を採用したのですが、戦前の日本の技術で特に遅れていたのが電気技術。その中でも絶縁を含む電設資材や真空管技術は、欧米と比べると大きく立ち遅れていました。このような中で電気式を採用したのは、無謀以外の何物でもありません。

このため配属された部隊からは、「繊細して兵器にあらず」と揶揄されたものです。このあたりは、多少性能が悪くても稼働率が高く、必要な時に役立った、同時期のアメリカ海軍「SB2C ヘルダイバー」とは大きく異なるところです。

最後の方は少々手厳しいことを述べましたが、とにもかくにも世界で唯一現存する液冷タイプの彗星です。一見の価値は大いにあります。
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靖国神社・遊就館の零戦を観察する。

2022年03月26日 | ミリタリー
今回は、3/13に訪れた靖国神社・遊就館の零戦を観察しましょう。この零戦を初めて見たのは、今から18年前のこと。その時は初めて零戦を見た感激で、詳細まで確認することなく記念写真を撮って帰りました(^^)。今回は、あらためて詳細を見ていきます。

遊就館の展示スペースは狭いので、いろんな角度から撮影できませんでしたが、とりあえず全景です。












続いて詳細ですが、この零戦は三菱製の52型です。先ずはピトー管ですが、明らかに現在のパーツ。



主脚部分はブレーキ用の油圧配管など、丁寧に復元されています。しかし、格納部分が青竹色に塗られていないのが残念。



オイルダンパー部分に、何か銘板が付いています。



銘板部分の拡大。何とパーツメーカーなどの詳細が分かります。これは大和ミュージアムや鹿屋の零戦には付いていないもの。おそらく戦後、銘板が残っており復元時に付けられたのでしょう。



栄21型エンジンは別展示ではなく、零戦本体に搭載されています。



そして、よく見ると奥の方に銘板です。吸排気バルブの冷間時のバルブ・クリアランスや、点火順番まで記載されています。製造や修理年月日が刻印されていないのは、これも戦後に残っていた銘板が付けられたのでしょう。



20mm機関銃は、明らかに後付けパーツ。本物ではありません。それでも黄色四角の主脚確認棒があるのが嬉しいところ。



尾輪と着艦フックは、丁寧に復元されています。



昇降舵のトリムタブとフラップ部分上面に、赤字の「サワルナ」「フムナ」の注意書が無いのが残念。



推力式単排気管の奥の方は、ちゃんと2in1になっています。



補助翼(エルロン)操作ロッド部分は、大和ミュージアムの零戦同様にカバー付き。



少し開いていますが、搭乗員が零戦に乗り込むときに使う足掛棒のカバーです。このカバーが付いているのは、国内展示の零戦では遊就館だけだと思います。



光像式照準器まで、丁寧に復元されています。



この零戦の銘板です。



ここからは別展示の零戦のパーツです。先ずはエンジンと操縦席の間に設けられた防火壁の一部。



続いて操縦席。何らクッションはありません。もっとも落下傘をお尻の下に敷いていましたので、落下傘がクッション代わりです。



本物の20mm機関銃(九九式)ですが、ドラム弾倉式で100発搭載です。



この零戦の紹介です。ラバウルに残され、廃棄された零戦を1980年に入手。その後、20年もの歳月をかけて復元された零戦です。



さて総括というのも僭越ですが、遊就館の零戦は大和ミュージアムに展示されている零戦同様に、詳細まで復元された貴重な零戦と言えるでしょう。
今現在、国内で見れる旧日本軍用機の中で、最も当時の状態で保管されているのは知覧の四式戦闘機「疾風」ですが、あくまで遊就館の零戦は復元機。比較するのは酷なところ。それでも、ミリタリーマニアを十分に納得させる零戦でしょう。
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鹿屋航空基地・資料館の零戦と二式大艇を観察する。

2020年12月26日 | ミリタリー
今回は先日の鹿児島旅行で訪れた、鹿屋航空基地・資料館の零戦と二式大艇を観察しましょう。先ずは零戦からです。この零戦は52型です。

正面からと左斜め前から、






続いて推力式単排気管。機体色も含め、排気管も正確にレストアされています。



本当は多くの油圧・電気配管が、主脚格納部に配置されていたと思いますが・・・内部も若竹色に塗られていないのが残念です。



ピトー管は明らかに現在のものです。



着艦フックと尾輪は上手くレストアされています。私は多くの零戦の実機を見ましたが、着艦フックが付いているのはこの零戦と、上野の科学博物館の零戦ぐらいです。



主翼の操縦席に乗り込むところの「足踏」のペイントは初めて見ました。「ノルナ」の注意書きは、大和ミュージアムの零戦にもペイントされています。



鹿屋航空基地・資料館の零戦は、タラップを上がれば操縦席を間近に見ることができます。



綿密に再現されていました。



後方キャノピー内に収められた、二つの赤い円形パーツは何でしょうか。



水平尾翼のトリムタブ。本来であれば「サワルナ」のペイントがあったはずです。



主翼機銃後方の「主脚確認棒」(主脚が出ているか否かの確認棒)は、大和ミュージアムの零戦同様に再現されていました。



尾灯と尾輪。尾灯は明らかに新しく作られた雰囲気。尾輪もそうですが、実機もこのようにゴム製のソリッド・タイヤでした。



零戦に搭載された中島製(現、スバル)の栄エンジン。これほどキレイにレストアされた栄エンジンは初めて見ました。



栄エンジンは空冷星形二重14気筒エンジンですが、52型以降は推力式単排気管(2in1のエキゾースト・パイプ)ということで、外観上は9本のエキゾースト・パイプ・・・これは大和ミュージアムの零戦で確認済みですが、よく見ると1気筒で1本のエキゾースト・パイプもありました。「えっ?どうして?」と頭の中が混乱したものです。^^



こんな感じで栄エンジンは別展示ですから、零戦本体にはエンジンはありません。



スピンナには、エンジンの回転方向やスピンナの取外し方向が書かれたペイントがありませんでした。



この零戦ですが、鹿児島湾から引きあがられた二機の零戦の残骸を、三菱重工の協力の下に復元されたものです。



しかしながら、この状態で引き揚げられたことから、実機というよりも再生機です。ですから、どうしても他の現存する零戦とは違う部分が見受けられるのは、仕方ないところでしょう。私的には、大和ミュージアムの零戦が一番実機に近いと思います。



それでも、タラップを上がれば操縦席を身近に見れるのが嬉しいところ。全姿を撮るには展示室が小さいのが難ですが、実際にご覧になれば満足されるでしょう。

続いて、屋外に展示されている二式大艇です。唯一現存する二式大艇ということで、とても貴重な機体です。



先ずは、二方向からの画像です。






屋外展示用に車輪が付けられていますが、二式大艇は飛行艇ということで、水上から離着水。メンテナンス以外に使うことは稀だったでしょう。



敵機に攻撃された時に用いれた銃座です。二式大艇には合計5門の20mm機関砲が搭載されていましたが、発射速度が遅く弾道が曲がる20mm機関砲で、敵機を撃墜するのは大変だったことでしょう。









銃座のアクリル板は、意外と透明度が保たれていました。プラモデルの塗装で苦労する窓枠ですが、実機はこんな感じということで参考になるでしょう。


あちこち補強され展示されていました。もはや75年以上前の機体ですので、自立できないのでしょう。さらに台風などの強風時には、エルロン(補助翼)が勝手に動いたことがあると、自衛官の方が話されていました。



操縦席の窓には、日除けのカーテンが付けられていました。機内の日焼けを防ぐためでしょう。



正面下部の、船でいう船首の部分には長いエラが付いていますが、これは波消し装置(通称:かつおぶし)です。これは1号機のテスト飛行の離水時に、波がプロペラに当たり、プロペラが曲がり離水できなかったことから付けられました。



日本では数少ない、実用となった4発大型機です。ちなみに、同じ4発大型機であるB-17爆撃機を空中戦で撃墜したという逸話もあります。



反面、飛行艇でありながら着水時には浸水し、搭乗員がバケツで汲み出したようです。現在のように優れたシール材やコーキング材が無かった時代ですから、止むを得ないところでしょう。

二式大艇は4基の火星エンジンを搭載。当時の日本での大出力エンジンでした。鳥が巣を作らないように、金網で養生されていました。



二式大艇の説明パネル。前述のように、世界で唯一現存する機体です。戦後、アメリカに運ばれテスト飛行されましたが、その素晴らしい性能に米軍は驚嘆したとか。現在の新明和飛行艇US-2の御先祖さまです。



この二式大艇は、鹿屋航空基地・資料館の前に、お台場の「船の科学館」で展示されていました。私はお台場でもじっくりと見たことがありますので、今回は2回目のご対面となりました。

自衛官の方にお聞きすると、引退した自衛隊機など他の展示機は特にメンテナンスされないものの、この二式大艇だけは定期的に塗装し、機体内部の痛みも確認するなど大事にされているようです。それでも私的には、長く保存するために屋内保管場所が必要だと思ったものです。
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映画「ミッドウェイ」を観てきました。

2020年09月12日 | ミリタリー
今日は久しぶりに映画です。訪れたのはイオンシネマが入る、イオンタウン明石・ビブレです。

MT-03は乗る時にシートが熱くならないように、有料ですが屋根付きのバイク置場に停めました。^^



朝一番ということでお客さんは少なめかと思いきや、「ドラえもん」が上映されていましたので子供連れが多かったです。



スクリーン内はコロナ感染対策で、まるで市松模様のように座席が制限されていました。



で、こんな映画上映されていましたが、



観る映画は、真珠湾攻撃~ドーリットル空襲~ミッドウェイ海戦を描いた「ミッドウェイ」です。ミリタリー・マニアの私としては外せない映画(^^)。予告編をどうぞ。



映画の感想ですが、結構、史実に基づいたところ。「5分間」や「AFは真水が不足」等々詳しく紹介されていました。私的には★★★★☆としましょう。

映画も見終わり、「今はパンフっていくらかいな?」で売店を覗くと800円少々。う~ん、どうするか・・・で悩んでいると、隣に「ダンケルク」のDVDがバーゲン価格で売られていたので、こちらを購入。



ダンケルクとは、イギリスに撤退する連合軍をドイツ軍が追撃し、上空ではスピットファイアとBf109との空中戦となり・・・長くなるので止めておきます。(^^)

ミッドウェイに話題を戻しますが、ミッドウェイ海戦では最後まで孤軍奮闘した空母「飛龍」がお気に入り。息子が小学生の時には、夏休み工作で硬質発砲スチロール板で作ったぐらいです。80%ぐらいは私が製作したものですが(^^)、今も現存しています。



この空母「飛龍」を作るのにプラモまで買いました。適当な図面が無く、プラモを見ながら工作した方が手っ取り早かったからです。(笑)

ところで「ミッドウェイ海戦」ですが、ご存知の通り日本海軍機動部隊の4空母が撃沈され、太平洋戦争の転機となった海戦です。
いろんな書物やサイトには、暗号解読、兵力分散、索敵不足、複数攻撃目標など、日本海軍の敗因が解説されていますが、私的には慢心というかアメリカ海軍を軽視していたことが主な要因だと思います。

ミッドウェイ海戦の前に珊瑚海海戦があり、ここで初めて空母を有する日米機動部隊が激突しましたが、結果的には引き分け。しかし、この戦いで侮れないアメリカ機動部隊の力量が分かっていたはずです。
にもかかわらず、現場の声が届かなかったのか、初戦の勝利に酔った上層部はあまりに油断していました。

それにしても、当時、空母から戦闘機や攻撃機を発艦させ、敵地を攻撃できる機動部隊を有しているのは日本海軍とアメリカ海軍。それに規模が小さいですが、イギリス海軍ぐらいでした。
正に世界一位と二位が戦ったのです。日本海軍にとっては、あまりに分が悪い相手と戦ったと言えるでしょう。太平洋戦争を通じて日米機動部隊が戦ったのは計6回(珊瑚海海戦、ミッドウェイ海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦、エンガノ岬沖海戦)でしたが、結果的に引き分けとなったのが3回で、他の3回は日本海軍機動部隊の完敗でした。

それでも日本海軍といえば、海軍兵学校で用いられた「五省」(ごせい)と呼ばれる五つの訓戒が好きです。現在も海上自衛隊幹部候補生学校で用いられていますので、紹介しましょう。日々の教訓としても十分に通用するものです。

五省
一、至誠に悖もとる勿なかりしか
  (真心に反する点はなかったか)
一、言行に恥はづる勿なかりしか
  (言動に恥ずかしい点はなかったか)
一、氣力に缺かくる勿なかりしか
  (精神力は十分であったか)
一、努力に憾うらみ勿なかりしか
  (十分に努力したか)
一、不精に亘わたる勿なかりしか
  (最後まで十分に取り組んだか)
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ホームステイということで、パンサー戦車です。

2020年05月16日 | ミリタリー
アマゾンから荷物が到着。

中身は、タミヤの1/35スケールのパンサー戦車です。14日に緊急事態宣言は39県で解除となりましたが、我が兵庫県は継続。そんなところでのホームステイということで、10年ぶりぐらいにプラモデルでも作りましょう。^^



箱のサイドは、1/35スケールの他のプラモの紹介。懐かしい!と思われた方は私と同年代です(笑)。左からロンメル(ヤークト・パンツァー)、キングタイガー(ティーガーⅡ)、ハンテイングタイガー、タイガー(ティーガーⅠ)、Ⅲ号戦車です。私が子供の頃から箱絵は変わっていません。



箱の中身はこんなところ。結構、パーツが多いです。



戦車のプラモとしたのは、パーツが比較的少なく、塗装も使用するカラーが少なくて済むこと。さらに完成後も壊れにくいことです。これに反するのが、零戦などの飛行機モデル。半年もすればプロペラと主脚は折れ、スクラップ寸前の状態となります。(爆)

組立説明書は、英語と日本語の2種類が入っていました。



で、組立説明書です。高齢者にとっては厳しい文字の大きさ。^^



事前に用意した、プラニッパー、金ヤスり、耐水ペーパー(#600と#1200)、それに接着剤です。プラモファンの方なら、「えっ?これだけ?」と思われるでしょうが、基本、暇つぶしのプラモデル製作。最低限度です。



さて、準備も出来たのでいよいよ組立ですが、その前にパンサー戦車の紹介です。先ずは実車の画像です。






戦時中の画像です。



1941年に独ソ戦が開始されると、ドイツ戦車隊はソビエト戦車(T-34他)に対してⅢ号・IV号戦車では苦戦を強いられることになったことから、パンサー戦車は開発されました。
避弾経始を取り入れた傾斜装甲を採用し、幅広の履帯(キャタピラ)を採用したことで、柔らかい土の上での機動性を向上させています。

重量は約45tということで、カテゴリー的には中型戦車となりますが、後に登場した第二次世界大戦での最強戦車と言われるキングタイガーよりも機動性に富み、ドイツ軍の中心戦車として最後まで活躍しました。
日本軍の戦車では歯が立たなかった、アメリカのM-4シャーマンやソビエトのT-34戦車でパンサー戦車を撃破することは困難でしたが、逆にパンサー戦車は搭載された75mm砲でM-4シャーマンやT-34を軽々と撃破しました。
一台のパンサー戦車を撃破するには5台のM-4シャーマン戦車が必要だったと言われているほか、戦後、フランス軍がパンサー戦車の部隊を有していたことからも、優秀さが分かります。

欠点は、ガソリンエンジンを搭載していたことから炎上し易かったこと。また戦時中のドイツ兵器の共通として故障が多く、稼働率が低かったと言われています。

蛇足ですが、前述のキングタイガーとM-4シャーマン戦車です。



キングタイガーは厚い装甲と強力な88mm砲を搭載していましたが、パンサー戦車と同じパワーユニットにもかかわらず、重量は25tも重い約70t・・・エンジンにも負荷も大きいことから走行性能に劣り、故障が多い戦車でした。
キングタイガーといえば、アルデンヌの戦い(映画:バルジ大作戦)で連合軍を蹴散らしたイメージがありますが、実際には参加車両は少なく、主力はパンサー戦車でした。

何にしても、パンサーやキングタイガー戦車は空からの攻撃には極めて弱く、多くが連合軍戦闘機からの銃爆撃の餌食となりました。このあたりは戦艦大和の最後に近いところがあります。

それでは前置きが長くなりましたが、いよいよパンサー戦車の組立を・・・なんですが、こいつは次回以降(かな?)に紹介します。(^^)
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鶉野飛行場のレプリカ紫電改を観察する。

2019年06月13日 | ミリタリー
今回は6/9から公開となった、鶉野飛行場のレプリカ紫電改を観察して行きましょう。先ずはいろんな角度からの紫電改です。






























続いて詳細です。フラップ部分には、何度も見た零戦の実機同様、「フムナ」の注意書きが書かれていました。



続いて20mm機銃。内側200発。外側250発の携行弾数ですが、銃口がラッパのように広がっています。このあたりは、九九式二号20mm機銃を正確に再現されています。



「足掛」「手掛」などの文字が見受けられますが、このあたりは見学者に分かり易くするため、あえて書かれたのでしょう。実機には書かれていないと思います。



銘板です。「紫電二一型」(21型)とは紫電改の正式名称で、改良前の「紫電」は11型でした。10の桁の「2」は、機体としては二番目のタイプ。1の桁の「1」は、搭載するエンジンの一番目のタイプ(つまり最初のタイプ)を表しています。これは海軍機統一の型式の付け方です。



エンジン・カウルから見えるのは、搭載された「誉」エンジン。一度の本物の「誉」を見て触ったことがありますが、空冷用の冷却フィンは1mmあるか無いかの薄さで、ビッシリと並んでいました。そこまで忠実に再現する予算がなかったのか、はたまた単に省略されたのでしょう。



風防前面。実機の前面ガラスは、20mmのアクリル板の3枚重ねでした。ガラス面の奥は、実機の場合、98式式射爆照準器1型という照準器でした。



操縦席内部は丁寧に再現されているようです。






「潤油槽入口」とは、エンジンオイル注入口です。



レプリカ紫電改で一番気になったのが、引込脚部分。先ず機体内部が若竹色に塗られていません。また赤四角のスプリングは何???この細いスプリングでは、重い主脚を上げれないでしょう。さらに増槽タンクに懸架金具が細く、これでは250L(だったかな?)の増槽タンクを支持できないと思います。それでもブレーキ用の油圧ホースは再現されていました。



車輪カバーの青・黄・赤色のラインは、機体の荷重状態を知る目安です。赤色のところにカバーが重なれば、重荷重。青色であれば軽荷重であることが分かります。



レプリカですので、排気管は真新しく・・・スピンナー部分は、実機では回して外せるようになっていたはずです。(プロペラ点検のため)



昇降舵(エレベーター)の赤四角部分は調整用のタブですが、実機では赤文字で「サワルナ」と書かれていたことでしょう。



翼端灯は点灯されていました。



レプリカ紫電改の製作状況が分かる、パネルが展示されていました。



外観だけでは分からない部分の詳細写真です。



操縦席の計器類も再現されているようです。



実機のタイヤも展示されていました。



以上で、レプリカ紫電改の紹介を終わります。総括というのも僭越ですが、とにもかくにもレプリカといえでも紫電改を間近で見れるのは嬉しいものです。後半は何か「アラ探し」になっていましたが、十分に満足できるものでした。
ちなみに、レプリカ紫電改の製作費は1,500万円。この限られた予算で枕頭鋲まで採用し、再現されたことに敬意を表します。
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国立科学博物館の零戦21型を観察する。

2018年06月23日 | ミリタリー
今日は天気が悪いし、息子が千葉から帰ってきて忙しく・・・そんなところで今回は遅くなりましたが、「東京へ家内と旅行です。」の最終編ということで、東京・上野恩賜公園にある国立科学博物館で展示されている、零戦21型を紹介しましょう。

先ずは、いろいろな角度からの全体です。









こんな紹介パネルが置かれています。



紹介のとおり、ニューブリテン島沖の海底から引き揚げられた零戦です。さらに「数機の部品を合わせて作られており、偵察用として2座席に改造されている」と紹介されています。
ここでのキーワードは「ラバウル」です。ラバウルとはラバウル航空隊(基地)のことで、緒戦から1943年頃までは海軍航空隊(一部、陸軍航空隊)の一大勢力でした。しかしガタルカナル島やニューギニア方面の戦いで、機材・搭乗員とも消耗します。

やがてアメリカ軍は反撃に転じ、ラバウル航空隊(基地)を通過しサイパン方面に進出。ラバウルは前線から後方に取り残された状況になり、機材の補給が止まるようになります。
そのような中、故障機や廃棄された機体から部品を集め、ラバウルの現地で造られたのがこの零戦です。ですから三菱や中島で正式に製造された機体ではありません。(主たるベースは中島飛行機製で、製造番号は31870とか)

零戦を紹介する、短いビデオも観ることができます。



それでは細部を見ていきましょう。ベースは初期の21型です。空母のエレベーターに乗せるため、主翼先端(50cm)が折り畳めるようになっています。これは21,22型の特徴です。



空母着艦時に用いる、着艦フックが付いています。大和ミュージアムの零戦62型には付いていませんので、現存する貴重な着艦フックです。



増槽。いわゆる増加燃料タンクです。容量は確か330L。最初の頃はアルミ製でしたが、戦争も終盤となると物資不足のため、ベニヤ板を曲げた木製となりました。勤労奉仕で女学生が作っている記録フィルムを、TVで観たことがあります。



補助翼(エルロン)の操作ロッドは外されています。



主脚から主翼の格納部分を見たところ。機体上面色もそうですが、どうも色目が私のイメージとは違うところです。機体上面色は、海軍機の暗緑色よりも陸軍機の暗緑色に近い感じ。主脚格納部分は若竹色ですが、これは白っぽい感じです。プラモのモデラーならお分かりでしょう。



スピンナとプロペラ、それにピトー管は新しいので、他の飛行機から流用されたか、新たに作られた感じです。






零戦は枕頭鋲と呼ばれる空気抵抗の少ないレベットが使われていますが、青四角部分はオリジナルの枕頭鋲で、黄色四角部分は復元の時に用いられた、現在のタッピングビスでしょう。



尾灯は、明らかに現在のアクリル板で造られた復元パーツです。



九九式20mm機銃の銃口です。カセット式弾倉でしたので、搭載弾数は60発でした。



主脚です。ブレーキ用油圧パイプや「くの字」のショックアブソーバーは復元されていますが、ご覧のように曲がっています。零戦自身はワイヤーで天井から吊られており、もはや主脚では機体を支えられないのでしょう。



最後にエンジンである「栄12型」を見ていきましょう。先ずは「栄12型」のスペックです。

製造社:中島飛行機(現、スバル)
形式:空冷2重星形14気筒
弁機構:OHV
ボア×ストローク:130mm×150mm
排気量:27.86L
全長:1,313mm
直径:1,150mm
乾燥重量:530 kg
圧縮比:7.2
燃料供給方式:キャブレター式
過給機:遠心式スーパーチャージャー1段1速
離昇馬力:1,000HP / 2,550 rpm
公称馬力:980HP/ 2,500rpm(高度3,000m)


「栄12型」エンジン全体を左側から見たところ。



オイルクーラー(上部)とエンジン吸気口(下部)。エンジン吸気口の右上は、左側集合排気管。



エキパイは前列と後列との2in1。



赤丸は点火栓(プラグ)。各気筒シリンダーヘッドの、細かい空冷フィンが美しいです。



右側集合排気管。21型ですから、52型以降の推力式単排気管ではありません。



前側の星形7気筒の間から見える、後側の星形7気筒です。



たくさんの写真を撮ったのですが、このあたりで・・・さて総括というのも僭越ですが、個人的には「大和ミュージアムの零戦62型の方が、丁寧に復元されているなあ」でした。もっとも回収時の痛み方が違うので、単純には比較できないところです。
それでも大和ミュージアムの零戦は上からも見れますので、ミリタリー航空機ファンには嬉しいところ。ただ国立科学博物館の零戦21型は、貴重なラバウル改造機ですので、そういう意味では一見の価値は十分にあります。
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