我、再び駆ける。

ADV150・MT-03・4D9マジェスティなどを購入したことから、これらのバイクについて紹介していくブログです。

北摂と丹波路を走る。(黒川小学校と丹波篠山)

2017年09月30日 | MT-03・ツーリング
今日は晴天の天気のもと、MT-03で出撃です。先ずは、先日にブロ友のグッチさんが新しいCBR250RRで来ていた呑吐ダムに・・・残念ですが、CBR250RRの残り香は感じられませんでした。^^

「道の駅 淡河」で、1回目の休憩。この先、トイレはコンビニぐらいしかないようですので、しっかり済ましておきます。(笑)



ナビどおりに進むと三田市に入り、神戸電鉄・三田駅が見えてきました。



目的地まで、後20分ぐらいでしたが、「道の駅 いながわ」が目の前となりましたので2回目の休憩です。



猪名川町のゆるキャラである「いなぼう」です。こいつはイノシシなんでしょうか。ブタなんでしょうか。よく分かりません。(^^)



やがて一庫ダム周辺のグリグリ道を走ると(そんなところで、バイクが一杯走っていました)、目的地が見えてきました。



その前に彼岸花を撮って、



入口前で記念撮影です。ここは川西市立黒川小学校です。現在は休校中で、黒川公民館として使われています。



黒川小学校については、下記のウィキの解説をどうぞ。私は新聞に紹介されていたことから、初めて知りました。明治時代に開校し、先の戦争中は疎開校として使われた歴史ある小学校です。

(川西市立黒川小学校)
川西市内最古の小学校。また、川西市内及び兵庫県内最東端の小学校である。
1873年に黒川、国崎、横路の住民の運動によって、甘露寺の建物の一角を借りて開校した。創立当時の児童数は16人、教職員は1人だった。東谷村では、東谷小学校しか他になかったため、生徒数は増加の一途を辿り、1904年には北校舎を改築した。
第二次世界大戦が始まると、大阪市や神戸市などの都会からそう遠くない事もあって、疎開する児童が増加。1945年に初めて児童数が100人を超えたため、1947年に南校舎を増築。終戦直後が児童数のピークだった。
しかし場所が非常に不便だった事や、川西市制開始による都市化の進行に伴い過疎化が進行。加えて1968年に一庫ダムの建設計画が持ち上がって、校区の一部が水没し地区外へ移転する世帯が出ることが決定された。
1977年3月31日を以て休校となり、最後の児童19人は東谷小学校に編入された。廃校や閉校の措置を取らず休校にしたのは、「いつか子どもが増えたときは再開してほしい」という地元住民の意思を、川西市側が尊重した結果だった。
休校後は黒川公民館として、一般に開放。貴重な木造校舎で、使い込まれた机・イス・教材が残されている事もあって、観光地としての地位も確立している。 なお川西市は2016年現在も廃校としていない。


公民館入口にMT-03を停め直し、



入口前に戻ると、石碑には「百年を回顧し 未来に生きよう」という元坂井兵庫県知事の書が刻まれています。



それでは中に入りましょうか・・・ですが、今日は何か料理サークルで使われている感じです。ほぉ~!と素晴らしい廊下を撮っていると、



女性の方が出て来られ、「今日は立入禁止です。どこから入られました?入口は閉めていたはずです」と厳しめの口調。今回も不審人物扱いです。(涙)

「斯斯然々で写真を撮りに来ました」と話すと、やっと分かって頂きましたが、ここって誰でも入れる公立施設では?入口は開いていたし、「写真を撮らしてください」と話そうにも事務所には誰も居なかったし・・・と少々カチン!と来ましたが、気を取り直して撮影しましょう。

で、裏側の校舎を撮りに行こうとすると、足が止まる注意書です。(怖!)



確かに私の嫌いなニュロが出そうな、ジメと湿気た地面です。こりゃ物陰にニョロが潜んでいても不思議ではない雰囲気。そんなところで、常に足元を注意しながら撮影しました。

それでは校舎の画像をどうぞ。その昔、多くの子供達が石積の階段を上がって校舎に入ったことでしょう。












朽ち果てそうな、渡り廊下のブリキの波板屋根が歴史を感じます。



その渡り廊下から校舎を・・・子供達も、同じように校舎を見たことでしょう。



最後に一枚撮って、校舎の撮影を終えました。校舎内を覗きましたが、確かに子供達が使ったと思われる古そうな机や椅子が見えました。キレイに整備すれば、見学者が多数訪れるでしょう。



ここは運動場だったところでしょう。縁石で囲まれたところは砂場だったと思われます。



それではお腹も空いてきたので、昼食にしたいところです。しかしながら、こんな山の中では、私の好きなお寿司が食べれるところは無いでしょう。しかしピンと来るところを思い付きました。

気持ちの良いR173を北上し、安田のローソン交差点からはR372を西進し「特産館ささやま」に到着です。



まだまだ11時過ぎでしたので、篠山の街中を少しだけ散策です。古民家を使ったお店を撮影し、









名産の丹波黒豆も並んでいました。



しかし、やっぱり名産はこいつでしょう。形が良い2本入りの左側下から2つ目のパックは、22,000円です。とても買えません(脅威の価格!)。本場の丹波の松茸が見れただけでも満足しましょう。^^



この建物は、篠山市立歴史美術館です。まるで大社駅のような雰囲気です。元は1891年に建てられた、日本最古の木造裁判所である篠山地方裁判所です。



で、待望の昼食です。このお店に入ります。



出てきました。蕎麦と鯖寿司とのセットです。鯖寿司一切(200円)を追加して1,100円です。



鯖はトロサバでした。あまりに美味しくて、持ち帰り用に一本(1,500円)買ったぐらいです。



それではお腹も大きくなったので、帰路としましょうか。帰路は走り慣れたR372~R175で帰宅です。今回、高速は全然走りませんでした。黒川小学校へは、阪神高速・北神戸線~中国道で行けば速いのですが、ETC割引でも片道2千円近い高速代がバカらしく、全て一般道としたものです。
もっとも、現在、阪神高速は「ETC乗り放題パス」があります。上手く使えば安く行けるでしょう。下記のサイトを参照です。
「阪神高速ETC乗り放題パス」
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生野の銀谷まつりに行ってきました。(その2:クルマと秋花編)

2017年09月25日 | お出かけ
前回の志村喬記念館を後にして、最後にクラシックカーの見学です。メイン会場とは別に、HONDA・N360やMAZDA・キャロルが並んでいます。

ミゼットが並ぶ車列の中で、ひときわ目立つBMWのコンパクトカー。メーサーシュミットのように3輪ではなく、ちゃんと4輪です。



エンブレムです。BMW・イセッタ250です。



このクルマ、何と前から乗ります。^^



ハンドルはドア側に付けられ、ドアの開閉のためハンドル・シャフトが曲がるため、ボール・ジョイントで接続されています。



オーナーさんにお聞きすると、エンジンは強制空冷OHV単気筒250cc。後輪へはチェーン駆動です。バイクの駆動ユニットを、そのまま移設された感じです。こんなスペックでも、100km/h近く出るそうです。(しかし怖いだろうな)



オーナーさんに交換パーツのことをお聞きすると、およそ60年前のクルマにもかかわらず、何と在庫があればBMWが出荷するそうです。恐るべきアフターケアのBMWです。

ダイハツ・ミゼット。TV「やりくりアパート」で、大村昆さんが「ミゼット!ミゼット!」と連呼していたCMをご存知の方は、今や少数でしょう。






クラシックカーのメイン会場です。



行きの市川SAにも停まっていた、HONDA・S500がズラリと、



ピカピカのエンジンルームに納まるDOHCエンジン。バイクにも転用しようとしたのか、大きく傾いたエンジンです。京浜の4連キャブです。



クラシックと呼ぶには、まだまだ新しいクルマ達。先ずはMR2、



初代(円盤)コスモ。マツダ初のロータリー・エンジン(10A)搭載車です。



やっぱRX-7は、初代のグリーンメタがいいです。(こいつは12A)



117クーペ。



何故か新旧のNS-Xまで停まっていました。(笑)






人通りも多くなったので、ボチボチと帰りましょうか。



駐車場近くでは、早くもコスモスが咲いていました。季節は完全に秋です。






生野を後にして播但道~中国道を走り、加西ICで降りてしばらく走ると「がいな製麺所」の駐車場に到着。彼岸花がキレイです。



先日の城崎温泉駅の帰りも、高速から田んぼの畔に咲く真っ赤な彼岸花が見えていましたが、やっと撮影することができました。






到着したのは12時半ぐらいでしたので、ある程度の行列は覚悟していましたが、予想を超える行列!(涙)



それでも20分ぐらいで食べれました。私は毎度のバター釜玉です。



「がいな製麺所」の後、最後に立ち寄ったのは久しぶりの「いっぷくせんべい」で、



これだけ買って帰りました。もっとも真ん中の2袋はサービスです。「いっぷくせんべい」の後は、加古川BP~第二神明で帰宅となりました。



最後に、私が生野で買ったお土産を・・・手芸人形の金太郎です。auの三太郎の中でも、金太郎がいい感じです。^^



これで2回に分けて紹介した、生野・銀谷まつりの模様を終わります。私的には銀谷まつりは3回目ですが、見学販売にプラスして生野の皆さんの「ウェルカム」の笑顔が嬉しく・・・正に「おもてなし」です。こんなところで、来年も行きたいと思っています。
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生野の銀谷まつりに行ってきました。(その1:レトロ編)

2017年09月24日 | お出かけ
今日は家内とジュークに乗って出撃です。目的は生野の銀谷まつりです。播但道・市川SAにジュークを停めると、隣はフェラーリです。

フェラーリの隣はランボルギーニ(LP400かな?)という、豪華なスポーツカーが並んでいました。



さらにTOYOTA・S800にHONDA・S500という、日本の往年のスモール・スポーツカーが停まっていました。これらのクルマは、銀谷まつりに花を添える展示車です。



会場駐車場に到着です。隣はまたもフェラーリです。^^



銀谷まつりは10時からですが、まだ9時半なので周りをウロウロと・・・こんな石碑が建っていました。



以下の説明パネルのとおり、「生野義拳碑」ということで生野代官所跡に建っています。時代は1863年ということで、早過ぎた決起であり孤立無援でした。せめて後3年遅ければ、討幕派と一緒に戦えたことでしょう。



銀谷まつりはレトロな生野の街並みを見たり、懐かしのグッズを目にすることが出来るまつりですが、早速、懐かしの雑誌が並んでいます。



さらに鉄針の蓄音機。



生野からの銀の馬車道ということで、こんなのが置かれ「どうぞ乗ってください」と言われても、この歳では・・・です。(笑)



イベント本部でパンフを頂き、



これは播州地方の秋祭りで、道路沿いに並ぶ紙垂のミニチュア版です。



豆炭(炭かな?)を使った「あんか」が置かれたGoodな感じの玄関先があったので、つい撮影しました。^^



山草の葉が赤く色付いて美しく・・・です。



こんな古い建物が目に付きました。この建物は明治時代の診療所です。






内部はこんな感じ。



説明パネルで紹介されている、天井の「花鳥風月」です。多くの患者がこの天井を見ながら診察を受けたことでしょう。






踏込み部分の天井には、鷹(かな?)が描かれていました。あまりに貴重な建物なので、生野だけではなく全国的に募金を集めて保存する動きがあるそうです。



会場であるストリートは、お客さんが増えてきました。



そんなところで、空いた馬車道跡に沿って歩きます。^^



昔の馬車道は、こんなに広かったようです。



水の流れがキレイです。









昭和11年(1936年)頃には、こんな川遊びがされていたようです。現在と違い、時間がゆっくり流れている感じです。



志村喬記念館に到着です。



銀のインゴットや鉱石が展示されていましたが、



NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の時に、官兵衛役を演じた岡田准一さんがここに来られたとのこと。岡田准一さんと同じ場所に座り、岡田准一さんの温もり(もう残っていないか)を感じて満足げな家内です。^^



この後も銀谷まつりを楽しんだのですが、画像が多くなるので続きは次回に紹介しましょう。
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最後の夏休みで、竹野~城崎ツーリングです。(その2:日和山海岸と城崎温泉)

2017年09月23日 | MT-03・ツーリング
前回の「はさかり岩」の後、歯をくいしばりながら、アップダウンと激しいコーナーが続く海岸線沿いの県道(されど絶景!)を走って到着したのは日和山海岸です。

8ヶ月前は激しい雪と風の中、カニを食べに行った金波楼(ホテル)と城崎マリンワールドです。後、3か月もすれば、また雪景色でしょう。



ここでも青い日本海を眺めます。






乙姫さんが住む竜宮城を撮って、



城崎温泉駅に到着です。



駅近くの駐輪場にMT-03を停めて、



城崎のメインストリートです。



観光パンフに登場する、典型的な城崎温泉街を撮って、



この日のメイン目的地に到着です。ベニズワイカニ漁が始まったので、「すけ六」のかにちらし寿司を食べるのが目的です。



11時半からの開店ですが、暖簾が掛かっておらず・・・何やら出前が多くお店の大将は大忙しでお昼が提供出来ないそうですが、かにちらし寿司なら出せるとのこと。

かにちらし寿司が出てくるまで、店内を撮影。座敷は20人ぐらい、カウンターは6席です。






メニューです。この時期の人気は、やはり青枠のかにちらし寿司です。



出てきました。かにはベニズワイカニです。このお店は冷凍かには使わないので、ベニズワイカニの漁期(9月半ば~5月半ば)だけ食べることができます。



ピンボケの画像で申し訳ないのですが、かにの身は1cmぐらいの厚みです。(至福の満足感)



目的達成後、城崎の街中を散策。城崎温泉駅に向かう途中、目に付いたお店に到着。



ここは城崎温泉のホテルや旅館で、定番のお茶菓子として出される「だんじり太鼓」を製造・販売するお店です。このお店からホテルや旅館に「だんじり太鼓」が卸されます。



店内での撮影は控えましたが、歴史を感じるお店でした。砂糖や小豆の大きな袋があり、練機や包装の機械が置かれていました。

お店の方と談笑したのか、1個サービスで付けていただけました。^^



これが「だんじり太鼓」です(帰宅後、撮影)。城崎温泉に宿泊した方なら、「そうそう、このお菓子」とお分かりでしょう。粒餡を平たくし、両面が軽く焼かれています。



続いて家内からのミッション達成のため、海産物店です。



宿泊客が買いあさったのか、茹ベニズワイカニは一匹しか残っていませんでした。



それでも家内からのミッションである、赤イカの切身を買えました。竹野の地醤油である「花房」でいただきましょう。竹野の地醤油といえば「磯の香」が好きですが、「花房」も城崎温泉のホテル・旅館で使われるなど、負けず劣らず美味しい刺身醤油です。



最後に城崎温泉駅に立ち寄り・・・やはり改札口に駅員さんがおられるのは、いい感じです。自動改札で、ピッ!とICカードをタッチするのはあまりに味気ないです。



奥の方に停まっているのは、京都行の特急「きのさき」でした。京都駅まで2時間半ぐらいという、素晴らしく速い特急電車です。



目的は全て達成したので、帰路としましょう。円山川沿いの国道を走り、日高神鍋高原ICから高速に乗り込むと、城崎から明石まで2時間40分で到着です(休憩を含む)。やはり高速が伸びた分速いですね。走行距離は320kmぐらいでした。

この日は但馬海岸の東側しか周れなかったですが、実は夕方に会社からの呼び出しがあるかも?ということがあったからです(そんなところで、15時半頃帰宅)。もし何もなければ、香住~鎧~餘部の西側も行ったことでしょう。このあたりは次の機会に・・・です。
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最後の夏休みで、竹野~城崎ツーリングです。(その1:但馬空港と竹野海岸)

2017年09月22日 | MT-03・ツーリング
昨日は、最後の夏休み(我社は7~9月の間で6日)を取ってツーリングです。第二神明・加古川BPの大渋滞をバイク専用レーンで通過し、播但連絡道に入り「フレッシュあさご」で一回目の休憩です。

道路脇に設置された気温計は、大体、20℃前後・・・Tシャツに春・秋ジャケットで、ちょうどいい感じです。和田山の料金所で竹田城を撮影し、



延長された北近畿豊岡自動車(八鹿日高道路:八鹿氷ノ山IC~日高神鍋高原IC)を最後まで走ります。延長された部分はLEDで照らされたトンネルばかりでした。それでも、上村直己冒険館の少し東まで高速が伸びたことは嬉しいものです。

日高神鍋高原ICで降りると、こんな道路案内です。



北近畿豊岡自動車道は、どこまで伸びるのでしょうか。延伸工事が進められていました。



ナビのとおり最初の目的地に向かっていると、何やら以前に訪れた場所の雰囲気が・・・但馬空港でした。^^



現在は伊丹空港便しか運行されていませんが、羽田直行便が運航されれば1時間半ぐらいで到着でしょう。



大きな飛行機が置かれているなあ~と思いきや、YS-11でした。



こいつは、はて???で説明パネルを見ると、エアロコマンダー 680FLという飛行機でした。



ついでにターミナルビル内に・・・JALのブースを見るのは久しぶりです。神戸空港では、もう何年も前にJALは撤退しました。(涙)



しかしヘルメット片手に、バイクウェアでターミナルビル内をうろうろするのは場違い!警官が私を目で追っていました。(明らかに不審人物)

ターミナルビル内に「伊丹空港行きの搭乗を開始します」というアナウンスが流れ、外に出るとサーブ 340がゆっくりと近付いてきました。



但馬空港を後にして、続いて到着したのは竹野駅。ホームや駅名標を撮りたかったのですが、先を急ぎます。



やっと最初の目的地に到着です。ここは竹野海岸の「はさかり岩」です。「はさかり岩」ですが、ウィキによれば下記のように解説されています。



はさかり岩(はさかりいわ)は兵庫県豊岡市の竹野海岸切浜にある岩。山陰海岸国立公園および山陰海岸ジオパークに属する。
但馬海岸は竹野海岸切浜の波触岩礁地帯の海岸線に位置し、その地質は新第三紀中新世の北但層群(約500万年~200万年前)の辻礫岩層に相当する。
その地層に沿って形成された海食洞の天井の岩が落ちて洞側壁の岩に挟まった状態、すなわち洞崩壊の途中の姿を留める奇岩である。
山陰海岸国立公園および山陰海岸ジオパークに属し、兵庫県指定天然記念物に指定されている。


それでは「はさかり岩」の全景です。



あえてモノクロで、



「はさかり岩」の真ん中の丸い岩が落ちそうで落ちないことから、竹野の旅館やお土産屋さんでは、「はさかり岩」のストラップが受験のお守りとして販売されているそうです。^^

遠くに見える砂浜は、切浜海水浴場です。青い海と白波とのコントラストが、いかにも日本海です。



「はさかり岩」を後にして海岸線沿いを走ると、これまた日本海らしい岩島です。



この後は城崎温泉に向かったのですが、画像が多くなるので次回に紹介しましょう。
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映画で観る昔の鉄道・・・行くことになりました。

2017年09月16日 | 鉄道
今日は雨。そして明日は台風と、全くお出かけ気分になりません。そこで普段から観ているHuluからのネタです。私がHuluで観るのは昔の映画が多く、そんな映画で観られる昔の鉄道を紹介しましょう。今回は昔ネタであり鉄道ネタです。興味の無い方はスル~してください。(笑)
先ずは、今も変わらない松竹映画のスタート場面です。

最初は、松本清張原作の「張込み」という映画です。1958年公開の映画です。この映画ですが、最初の7分間ぐらいは、主人公の二人が夜行急行「さつま」で横浜駅から佐賀駅までの鉄道場面が続くという、異色の映画です。
「鹿児島行」という行先標が映り、横浜駅です。今から60年前の横浜駅です。






客車は自動ドアではないので、主人公の二人は動き出した車両に飛び乗ります。現在では危険なので、場面として使えないでしょう。



蒸気機関車が急行を牽引しています。ここは、何と山陽本線の塩屋あたりです。並行するのは国道2号線。沖合の淡路島の景色は現在と変わりません。






やがて広島駅に到着。



激走する日本最大の旅客用蒸気機関車であるC62です。



ホームでは、ワゴンを押す売り子のお姉さんが・・・冷凍ミカン(ご存知ですか?)が懐かしいです。電車(客車)の窓が開かなくなり、こんな風景は消えました。中央上方の売店の「売」の字が「賣」という字で???です。^^



「日本国有鉄道」の扇風機が超懐かしく・・・それでもローカル線のキハ40系気動車あたりには、「Japanese National Railways」のイニシャルである、JNRマークを見かけることもあります。



現在は山陽・九州新幹線の駅となり立派になった博多駅ですが、60年前はこんな感じです。



三等客車である「Ⅲ」のマークが素晴らしく・・・今ではホームに立つ駅員さんは見かけなくなりました。



佐賀駅に到着です。



主役のお二人を演じたのは、若い方は大木実さんで、もうお一人は宮口精二さんです。大木実さんは8年前に亡くなりましたが、東映映画や水戸黄門シリーズに脇役として出演されていました。
もう一方の宮口精二さんは説明不要かと・・・「七人の侍」など黒澤作品に数多く出演されました。もう亡くなられてから32年となります。

次の映画は、同じ松本清張作品である「ゼロの焦点」です。1961年公開の映画です。行方不明となった夫を探しに主人公は金沢を目指します。日本海側の親不知のあたりを激走するC57です。



金沢駅に到着。西側から撮影されたと思います。奥の白い建物は金沢鉄道管理局の入った建物です。私が学生時代の頃は現存していました。



主人公は、やがて能登半島の羽咋駅に・・・これは北陸鉄道能登線の羽咋駅です。北陸鉄道能登線は1972年に廃線となりました。車両は、前に荷物や自転車を乗せるためのデッキ付です。



主人公は三明駅で鉄道から降り、バスに乗換えます。三明駅も北陸鉄道能登線の駅ですが、羽咋駅同様、1972年に廃線となりました。北陸鉄道能登線は羽咋駅から三明駅までの間で、約25km・13駅の路線でした。



この映画の主役を演じたのは、久我美子さんです。現在もご健在です。私生活では、東宝のゴジラ映画や戦争映画に数多く出演された平田昭彦さんと結婚されました。

撮影の合間に、三明駅でバスの車掌さんと一緒に撮影されたものでしょう。



現在の三明駅跡です。当時の面影は何も残っていません。



北陸鉄道能登線は、私が学生時代に金沢に在住していた頃は既に廃線となっていました。それでも当時であれば駅舎が残っていたかも?行けば良かったと思っても「後の祭り」です。(涙)

しかし「後の祭り」でも、やはり三明駅跡に行きたくなりました。日程は10月の三連休(7~9日)として、天候を見ながら何時でもMT-03で行けるように、金沢のホテルを予約(3連泊)したのですが、急遽、ジュークでの家族旅行となりました。
日程・行程は10/8,9で、一日目は千里浜~羽咋駅~能登金剛~三明駅跡。二日目は私がガイドとなり、金沢市内を家族への観光案内です。MT-03で行けないのは残念ですが、やはりジュークの方が楽ちん(笑)。それに天候に左右されないのが嬉しいところです。^^

実はもう一つ大きな目的が・・・やっとこいつを間近に見れて撮影できます。




PS.
しかし、3連休の金沢でのホテルのお値段に超驚き!もう京都並のお値段ですね。北陸新幹線の開通で、関東方面の方にとっては、古い街並みにが残る金沢は京都と同じなのでしょう。
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給油がてら、霞ヶ丘周辺をブラリと・・・

2017年09月09日 | MT-03・ツーリング
今日は、先日の片上鉄道・湯郷温泉でお腹が空いたMT-03に給油です。しかしピ~カンの晴天・・・そんなところで、給油を兼ねて近くをブラリです。先ずはJR朝霧駅からR2に出て、

明石海峡大橋をパチリです。長らく明石海峡大橋を渡っていませんね。この秋に徳島方面を目指しましょうか。



霞ヶ丘南の交差点で左折すると、



こんな坂道です。この坂道はJRに乗っていると見えますが(ちょうど電車が走っています)、高校の時には原付バイクでよく走った道です。今でも電車の車窓から坂道が見える度に懐かしく見ています。



やがて、これまた懐かしの山陽電車・霞ヶ丘駅です。中学の頃は友人と一緒に、この駅からよく山陽電車に乗ったものです。



しかし、何か駅舎の雰囲気が違う感じ。ウィキで調べると、阪神淡路大震災で被災し、建替えられたそうです。これが私がよく利用していた頃の、霞ヶ丘駅の駅舎です。



特に電車に乗ることもないのですが、ついでにホームに行ってみましょうか。先ずは入場券を買い求め、



改札口を通り・・・その昔は、駅員さんがおられました。



上下線の連絡通路やホームへの階段には、地元の学校(霞ヶ丘小学校・幼稚園、愛徳学園)の子供達が描いたと思われる、絵(ペイント)がありました。






ホームです。島式の4線ということで、1~4番線です。通常、普通電車しか停まらない山陽電車駅のホームは対面式の1,2番ホームが多いのですが、霞ヶ丘駅は特急の通過があるので4番線まであります。



駅名標は2種類です。霞ヶ丘駅は愛徳学園の子供達(小、中、高等学校)も利用するので、子供向けの駅名標もあるのでしょう。






ホームの端まで来ると、法面にグッチさんの好きな五色塚古墳の案内看板があります。^^



ちょうど普通電車が到着しました。私は山陽電車というか私鉄車両には詳しくないのですが(旧国鉄車両ファン)、この車両は新しそうですね。



そして阪神電車の特急の通過です。阪神電車と山陽電車は相互乗り入れ(梅田~姫路間)しています。ブレブレですが動画でどうぞ。



鉄分も補給し、今日の目的地に到着です。



ここは「絵葉書資料館」です。個人の収集家の方が、自宅で資料館を開設されています。






館内は撮影禁止でしたが、無理をお願いしして一枚だけ撮らしていただけました(ありがとうございます)。約1,000枚の絵葉書が展示されているそうです。



個人宅での展示のためビッシリと展示されていましたが、絵葉書というかハガキサイズのアートの世界でした。やはり外国の絵葉書は芸術性が高いですね。
日本のものでは、江戸時代末期から明治~大正~昭和時代の街並みの写真に目を奪われたものです。

お土産にレプリカの絵葉書を買い・・・神戸在住の方なら、どこの写真かお分かりでしょう。昭和40年(1965年)の三宮駅の南北の様子です。よく見ると、そごうには「万国博覧会 大阪開催決定」の垂幕があります。






30分ほどで見学を終え、次に向かうは「愛徳の坂」と呼ばれる、愛徳学園東隣の急坂道です。まるで奈落の底に落ちるような急坂道で、その昔、原付バイクであえぎながら登った記憶がある坂道ですが、ありゃ?進入禁止の標識があり下りの一方通行です。



「う~ん、記憶間違いだったのか?それとも一方通行となったのか?」と止む無く大きく迂回し、坂道の頂上からパチリです。



MT-03のエンジン駆けっぱなしで停めて撮影していると、愛徳学園のシスターさん(愛徳学園はカトリックミッションスクール)が出て来られ、「どうされました?クルマの通行が多いので危ないですよ」と優しくクレームです。^^
カトリックミッションスクールには、MT-03の排気音は場違いでした(さらに明らかに不審人物)。「坂道の写真を撮ったらすぐに出発します」とシスターさんに説明し、3速のエンブレでダラダラと「愛徳の坂」を下って行きました。(およそ40年ぶりに走りました)

お腹が空いてきたので昼食としましょうか。第二神明の高丸ICを横目に見ながら多聞通りを走ります。そして垂水警察の交差点に到着です。



続いてコストコの前を走り、恒例の「はま寿司」に到着です。



「はま寿司」に来たのは、会員登録するとこんなメールクーポンが来るからです。



その無料の「あおさみそ汁」と。50円引きの「うにと湯葉の茶碗蒸し」です。お寿司は2皿で十分。(まだまだ夏バテで食欲無し)



とりわけ「うにと湯葉の茶碗蒸し」が絶品でしたね。超お勧めです。



昼食後、行き付けのGSに到着です。



先日の片上鉄道・湯郷温泉ツーリングでの燃費は、こんなところ・・・行き帰りの高速で、結構、エンジンを廻したので、こんなもんでしょう。



給油の後はタイヤのエア補充して、今日のミニ・ツーリングは完了。ガソリン満タンで空気圧もバッチリ・・・次の週末は播州支部の定例ツーリングかな?です。
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この秋最初のツーリングは、片上鉄道と湯郷温泉です。(その2:湯郷温泉の昭和館)

2017年09月05日 | MT-03・ツーリング
片上鉄道を後にして、再びR374を北上すると30分ぐらいで湯郷温泉に到着です。もっとも湯郷温泉に来たのは温泉に浸かるのではなく、レトロなおもちゃを見るためです。^^
目的地である「てつどう模型館 レトロおもちゃ館」に到着です。

改札口ようなところで、入場券である切符を買い求めます。






館内は大きな鉄道模型のジオラマが広がっています。さらに湯郷温泉街のジオラマも置かれていました。






駄菓子屋のコーナーもありましたが、私は映画「海底軍艦」のポスターに目が行きます。(もちろん観ました)



いろいろと展示されていましたが、展示されているおもちゃにはピンと来ず・・・それほどレトロではなかったです。そんな中、私の好きなミリタリー飛行機で和みます。(笑)



それよりも本物の鉄道グッズでしょうか。紐付きの革ケースに入っているのはタブレットです。タブレットは単線での運行で、上下線が正面衝突しないようにタブレットを用いてレールの切替を行っていました。つまりタブレットがなかれば運行出来ない大事なものです。



姫新線や津山線の駅舎の写真も展示されていましたが、私の播但線と同じように「好きな方がいるんだな~」と感心しきりです。^^



オーナーさんと少々お話もしましたが、レトロなおもちゃで一杯の赤穂玩具博物館のことをお話しすると、すぐ近くに昭和館という古いおもちゃが展示されているところがあるそうです。

そこで湯郷温泉オリジナル灰皿で一服して、昭和館を目指します。



すぐに昭和館に到着しましたが、オーナーさんに駐車場というか単なる空スペースにMT-03を停めるように指示されました。^^



これが昭和館です。まんま赤穂の玩具博物館と同じ雰囲気です。(入館料400円)









定番のマツダ・キャロルとスバル・B360が置かれていました。



それでは展示物をどうぞ。懐かしのホーロー看板にブリキのおもちゃ。






バルタン星人やウルトラマンのソフビ。



TV「なんでも鑑定団」の北原さんが高額の鑑定結果を出しそうな、鉄人28号のブリキのおもちゃ。



中庭にはブリジストンのバイク(ブリジストンのバイクってご存知ですか?)が置かれていました。



こんな自転車による販売は、さすがの私でも僅かな記憶でしかなく・・・はったい粉(これまた、ご存知ですか?)売りのおっちゃんは憶えています。



さらに小松崎茂さんの原画が、



小松崎茂さんと聞いてもピンと来ないかもしれませんが、この画像を見ればお分かりでしょう。プラモの箱絵を描かれる方です。昭和館のオーナーさんは、小松崎茂さんと懇意だそうです。



さらに1970年に開催された万国博覧会グッズです。(小学校の時に遠足でも行きました)



戦争資料室なんてのもあり、



本物の軍服や、



当時、郵便局に置かれていた「のぼり」です。「新東亜建設」という文字が世相を表しています。



戦争末期、金属不足から考案された陶器製手榴弾・・・ここまでして戦争継続を考えていたことが分かります。



引揚証明書です。この方は満州のハルピンで終戦を迎え、昭和23年10月3日に舞鶴に引揚げられたことが証明されています。写真の右側には、舞鶴で渡されたグッズ(毛布など)が書かれています。



この昭和館ですが、大体、赤穂の玩具博物館の5倍ぐらいの展示物でした。正直なところ、半分ぐらい見たところでお腹一杯になったぐらいです。(笑)
ちなみにオーナーさんですが、湯郷温泉の来られる前は、何と我家から徒歩圏にお住まいの方でした(驚!)。そんなところで、見学後の談笑も盛り上がったものです。^^

ボチボチとお腹が空いたので昼食としましょうか。昭和館のオーナーさんに教えていただいた観光案内所に行きましたが、どうもメニューはイマイチ・・・とりあえず湯郷温泉に来た証でパチリです。



止む無く、美作ICから中国道に乗り込みます。行きは山陽道でしたので、帰りは中国道としました。



シューン!と気持ちよくMT-03のエンジンが吹けるので、ついついオーバー・スピードで私と同じようなツーリング・バイクを何台も追い越し(笑)、到着したのは馴染の安富PAです。



いつもの案山子さんから、「また走ってきたんけ」と播州弁で挨拶を受け、



安富定食(980円)でお腹を満たしました。



中国道からは播但道~姫路・加古川BP~第二神明で一気に帰れるのですが、高速代節約と初めてのスマートIC体験のため、夢前スマートICで中国道を降ります。
初めてのスマートICでしたが、ETCでも一旦停止の後、しばらくしてからゲートが開きました。はて?ETCでも、なぜ一旦停止???よく分かりません。



県道沿いには、早くも播州地方の秋祭りの準備である赤色のぼんぼり(正式名称はなんでしょうか?)が並んでいました。



県道を右折しJR播但線・溝口駅方面に向かうと、このあたりは緑色のぼんぼりが並んでいます。地区により色分けされているのでしょう。



溝口駅からは勝手知ったる福崎~加西~加古川を走り、加古川BP~第二神明で帰宅としました。走行距離は、画像のとおり266.1Km。片上鉄道や湯郷温泉は意外と近いです。



こんな感じで、この秋最初のツーリングは終わりました。しかし、涼しいと疲れ方が全然違います。やはり秋はツーリングのシーズンですね。
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この秋最初のツーリングは、片上鉄道と湯郷温泉です。(その1:片上鉄道)

2017年09月04日 | MT-03・ツーリング
いよいよ9月となりました。暦の上では秋です。さらに月の第一日曜日は某イベントが開催され・・・そんなところで、自宅を7時ぐらいに出発。最初に到着したのは姫路BP・姫路SAです。

ZZR1400さんと談笑の後(とってもMT-03が気になるようでした)、姫路西ICから山陽道に乗り込みます。



そして、和気ICで山陽道を降ります。全く暑くないどころか、涼し過ぎる高速走行でした。^^



和気ICからはR374を北上しますが、



吉井川の巨大な河口堰が目に入ります。ダムカードが好きのT2さんなら、間違いなく立ち寄ったでしょう。^^



吉井川は大きく蛇行しながら流れていました。なかなか見事な大きな川だな~と眺めながら走っていると、和気ICから40分少々で最初の目的地に到着です。



ここは廃線となった片上鉄道の吉ケ原(きちがはら)駅です。冒頭の第一日曜日のイベントとは、第一日曜日のみ、片上鉄道保存会の皆さんが吉ケ原駅から列車を動かし乗車出来るイベントです。



片上鉄道とは、正確には同和鉱業片上鉄道です。柵原鉱山で産出される硫化鉄鉱を瀬戸内側の片上港まで輸送する目的で建設され、先ず1923年1月に片上 - 和気間で開業ました。
後には旅客営業も行われましたが、鉱石の輸送はトラックが中心となったことや、利用客数の減少で1991年に廃線となったものです。(ウィキによる)

それでは昭和9年に建てられた駅舎の内部を・・・漆喰の壁に木製建具です。



待合のベンチは、もちろん木製。



改札口(ラッチ)はコンクリート製。



改札口には、こんな注意札がぶら下がっていました。



ここが切符の発券窓口だったのでしょう。



何時頃の運賃表でしょうか。東京まで2,620円。大阪まで720円とは、現在では考えられない運賃です。



沿線図です。和気で山陽本線。片上で赤穂線と、それぞれ国鉄(JR)と接続していたようです。



こちらでイベントの乗車券を販売するようです。以前は手荷物・小荷物取扱所ですね。



これが乗車券です(300円)。乗車券というか、一日会員となることで何度でも乗車できます。



それではホームに・・・駅名標とホームの全景です。






こんな時刻表で、昨日は運行されていました。



乗車するキハ303が試運転を終え、ホームに入ってきました。



ちゃんと行先標(サボ)も付けられています。



車内です。感動のレトロ感満点!シートはあちこち穴が開き、「吊革は古いので引っ張ると切れます。持たないでください」と注意されたのもご愛嬌です。(笑)



床は、これまた感動の油引きされた木製です。



窓は開閉しましたが、つまみの窓ロックが子供の頃を思い出させます。



ロール式のブラインドも、ちゃんと動きました。



エアコンなどある訳もなく、ナショナルのマークが付いた扇風機が付いています。



運転席です。左側の丸いハンドルは、出入口ドア開閉用のハンドルです。出発前にクルクルと回してドアを閉めていました。



車内にも路線図と、キハ303の解説がありました。昭和9年製ですね。






さて運転乗車ですが、隣の黄福柵原駅までの2分弱でした。必死に動画撮影していたのですが、やたら人が写り失敗(涙)。とりあえず黄福柵原駅に到着。



駅舎やホームよりも、このベンチに目が行きました。「肩こり不眠症 頭痛・神経痛にナショナル健康器」と書かれています。どんな健康器か、とても気になります。(今でもあれば欲しい)



3分ぐらい停車の後、吉ケ原駅に戻ります。今度は最前部に陣取り、バッチリと動画撮影できました。保存会の多くの皆さんの努力で運行されているのが分かります。



再び黄福柵原駅に向かうキハ303です。後ろ姿の女性駅員さんは、てんてこ舞いの忙しさでした。



反対側のホームに停まっている客車を見に行きましょう。反対側のホームに行くには跨線橋は無く、こんな階段で線路に降りて向かいます。(昔の播但線も、こんな感じ)



水色の客車(ホハフ2004)と、奥の方に小さく写っている茶色の客車(ホハフ3002)が停まっていました。









先ずは茶色の客車から。これまた感動のレトロ感一杯です。1947年(昭和22年)製造の車両です。



JNL(日本国有鉄道)のマークが付いた灰皿。懐かしいですね。この車両は国鉄からの払い下げです。私が子供の頃は、電車内でのタバコは極ありふれた光景でした。



続いて水色の客車です。布張りもなく板張りのシート背もたれが、時代を感じます。吊革も付いていますので、近郊用の通勤車両でしょう。



見学も一通り終わり、MT-03のところに戻ろうとすると、ホームではたらいに氷を入れてジュースが販売されていました。懐かしのビンのHI-Cです。まだ販売されていたんですね。



昔の噴水型ジュース自動販売機のような味のHI-Cを飲んで、次に向かうは湯郷温泉ですが、画像が多くなったので次回に紹介しましょう。
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今季最後の甲子園は、逆転勝利で終わりました。

2017年09月02日 | 阪神タイガース
昨日は午後から仕事を休んで、家内と阪神タイガース応援のために甲子園です。昨日で、今季最後の応援です。今季は6試合分のチケットを入手しましたが、最後の試合となりました。先ずは阪神・甲子園駅前のイオンで、お弁当や飲物のお買物。

リニューアル工事のため、地下2階の食料品売場だけで営業されていたイオン甲子園も、ついに10/1をもって完全閉店となります。



つい数か月前までは雑貨などのテナントで賑わっていた1階も、今やシャッターが降り、テーブルと椅子が並べられたイート・インの場所として提供されています。



試合前は、阪神ファンで賑わった地下2階の食料品売り場も見納めでしょうか。



何10メートルも並んだレジ待ちも見納めかな?です。



甲子園球場に到着。昨日の対戦相手は中日でした。






鳥谷選手の、2千本安打カウントダウンのボードが置かれていました。2千本安打となれば「名球会」入りとなります。(投手は200勝)



昨日の試合は、「ファンクラブ応援デー」でした。



阪神タイガースのファンクラブ会員証を提示すると、



こんなピンバッジがもらえます。昨日は2試合目ということで、金本監督の特製バッチが余分にいただきました。ちなみに黒い袋の中は、原口選手のピンバッチでした。



昨日の試合は、いつものライト側外野席ではなく1塁側アイビーシートです。



さすがに外野席の2倍の料金のことがあります。選手がよく見えます。反面、ボ~と見ているとファール・ボールが飛んできます。実際、試合中に10mほど離れたところにファール・ボールが飛んできて、年配の方に当たったのか、ガードマンさんと一緒に医務室に向かっていました。



試合前の練習が始まりました。



家内は、カメラ片手に最前列に向かって行きパチパチと・・・家内が応援している梅野選手です。(梅ちゃん。女性ファンが多い)



やたら背が高くスラリと長い脚の選手は、やはり藤波晋太郎でした。球出しなど練習の手助けをしていましたが、ファンの私とすれば、ブルペンで1球でも投球練習をして欲しいところ。^^



野手では、今季から左の中谷選手を応援。4月頃から「大きな体の選手がいるな~」と、ライト側外野から見ていました。久々の生え抜き長距離バッターです。



スターティングメンバーの発表。問題は阪神・先発の青柳投手です(赤枠)。前述のとおり、今季はこの試合で6試合目でしたが、なんと6試合の内5試合が青柳投手の先発という奇遇。しかも結果は、1勝4敗という散々な成績です。何か悪い予感がします。(極めて不安)



試合前、審判団立会いの下で両監督によるベンチ入りメンバー(選手)表の交換です。既にベンチ入り選手の名前はスコアボードで紹介されていますので、ある意味、セレモニーでしょう。



試合が始まりました。少ないながらも♪お前が打たなきゃ誰が打つ! 阪神倒せ!♪と熱心な中日ファンの応援。



中日の攻撃の時は暇なので、中谷選手をパチリと、



阪神の攻撃となりましたので、またも中谷選手。



続いて鳥谷選手。この二人を撮ったのは、およそ2時間後の歓喜を予言したのでしょうか。



試合が始まった頃はガラガラでしたが、1時間もすればライト側は満席となりました。(熱心な阪神ファンが多い。私もその一人)



さて試合の経過ですが、大山選手とまさかの青柳投手のタイムリーで阪神が2点先行。



されど、やはり青柳くんはやってくれました。またも得意のデッドボールと、北条選手のエラーで3点入れられ逆転。(涙)



7回の裏、阪神ファンは必死の風船上げ、



しかし無得点となり、風船上げを終えた淡白な阪神ファンが、甲子園を後にする姿が目に付き始めます。

それでも残った熱心な阪神ファンのために、勝利の女神は微笑みました。中谷・鳥谷選手の連続ホームランで一気に逆転。もう甲子園は大興奮!バンザイ!の大歓声が銀傘に響きました。



最後はドリス投手が締めて・・・160km/h弱の速球を連発です。こりゃ簡単には打てません。



試合が終わりました。



ベンチは選手を迎えます。



そしてハイタッチですが、またも藤波晋太郎の姿が・・・早く帰って明日からの練習に備えて欲しい。難しいかもしれませんが、阪神の逆転優勝の鍵は藤波晋太郎の投球にかかっていると思います。



ヒーローインタビューは中谷選手と鳥谷選手ですが、大山選手も頑張っていました。



それでは試合終了後の六甲颪をどうぞ。六甲颪を歌っているのは、NMB48山本彩さんです。



スコアボードに映し出される、「みんなで六甲おろし2017 NMB48山本彩Ver」です。阪神ファンのタレントさんもメガホンを持って登場します。



こんな感じで、私の今季の甲子園は終わりましたが・・・いや、まてよ、クライマックシリーズ進出は決まりですので、ひょっとしたら日本シリーズがあるかもしれません。(大きな希望)
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