今日は晴天の天気のもと、MT-03で出撃です。先ずは、先日にブロ友のグッチさんが新しいCBR250RRで来ていた呑吐ダムに・・・残念ですが、CBR250RRの残り香は感じられませんでした。^^
「道の駅 淡河」で、1回目の休憩。この先、トイレはコンビニぐらいしかないようですので、しっかり済ましておきます。(笑)
ナビどおりに進むと三田市に入り、神戸電鉄・三田駅が見えてきました。
目的地まで、後20分ぐらいでしたが、「道の駅 いながわ」が目の前となりましたので2回目の休憩です。
猪名川町のゆるキャラである「いなぼう」です。こいつはイノシシなんでしょうか。ブタなんでしょうか。よく分かりません。(^^)
やがて一庫ダム周辺のグリグリ道を走ると(そんなところで、バイクが一杯走っていました)、目的地が見えてきました。
その前に彼岸花を撮って、
入口前で記念撮影です。ここは川西市立黒川小学校です。現在は休校中で、黒川公民館として使われています。
黒川小学校については、下記のウィキの解説をどうぞ。私は新聞に紹介されていたことから、初めて知りました。明治時代に開校し、先の戦争中は疎開校として使われた歴史ある小学校です。
(川西市立黒川小学校)
川西市内最古の小学校。また、川西市内及び兵庫県内最東端の小学校である。
1873年に黒川、国崎、横路の住民の運動によって、甘露寺の建物の一角を借りて開校した。創立当時の児童数は16人、教職員は1人だった。東谷村では、東谷小学校しか他になかったため、生徒数は増加の一途を辿り、1904年には北校舎を改築した。
第二次世界大戦が始まると、大阪市や神戸市などの都会からそう遠くない事もあって、疎開する児童が増加。1945年に初めて児童数が100人を超えたため、1947年に南校舎を増築。終戦直後が児童数のピークだった。
しかし場所が非常に不便だった事や、川西市制開始による都市化の進行に伴い過疎化が進行。加えて1968年に一庫ダムの建設計画が持ち上がって、校区の一部が水没し地区外へ移転する世帯が出ることが決定された。
1977年3月31日を以て休校となり、最後の児童19人は東谷小学校に編入された。廃校や閉校の措置を取らず休校にしたのは、「いつか子どもが増えたときは再開してほしい」という地元住民の意思を、川西市側が尊重した結果だった。
休校後は黒川公民館として、一般に開放。貴重な木造校舎で、使い込まれた机・イス・教材が残されている事もあって、観光地としての地位も確立している。 なお川西市は2016年現在も廃校としていない。
公民館入口にMT-03を停め直し、
入口前に戻ると、石碑には「百年を回顧し 未来に生きよう」という元坂井兵庫県知事の書が刻まれています。
それでは中に入りましょうか・・・ですが、今日は何か料理サークルで使われている感じです。ほぉ~!と素晴らしい廊下を撮っていると、
女性の方が出て来られ、「今日は立入禁止です。どこから入られました?入口は閉めていたはずです」と厳しめの口調。今回も不審人物扱いです。(涙)
「斯斯然々で写真を撮りに来ました」と話すと、やっと分かって頂きましたが、ここって誰でも入れる公立施設では?入口は開いていたし、「写真を撮らしてください」と話そうにも事務所には誰も居なかったし・・・と少々カチン!と来ましたが、気を取り直して撮影しましょう。
で、裏側の校舎を撮りに行こうとすると、足が止まる注意書です。(怖!)
確かに私の嫌いなニュロが出そうな、ジメと湿気た地面です。こりゃ物陰にニョロが潜んでいても不思議ではない雰囲気。そんなところで、常に足元を注意しながら撮影しました。
それでは校舎の画像をどうぞ。その昔、多くの子供達が石積の階段を上がって校舎に入ったことでしょう。
朽ち果てそうな、渡り廊下のブリキの波板屋根が歴史を感じます。
その渡り廊下から校舎を・・・子供達も、同じように校舎を見たことでしょう。
最後に一枚撮って、校舎の撮影を終えました。校舎内を覗きましたが、確かに子供達が使ったと思われる古そうな机や椅子が見えました。キレイに整備すれば、見学者が多数訪れるでしょう。
ここは運動場だったところでしょう。縁石で囲まれたところは砂場だったと思われます。
それではお腹も空いてきたので、昼食にしたいところです。しかしながら、こんな山の中では、私の好きなお寿司が食べれるところは無いでしょう。しかしピンと来るところを思い付きました。
気持ちの良いR173を北上し、安田のローソン交差点からはR372を西進し「特産館ささやま」に到着です。
まだまだ11時過ぎでしたので、篠山の街中を少しだけ散策です。古民家を使ったお店を撮影し、
名産の丹波黒豆も並んでいました。
しかし、やっぱり名産はこいつでしょう。形が良い2本入りの左側下から2つ目のパックは、22,000円です。とても買えません(脅威の価格!)。本場の丹波の松茸が見れただけでも満足しましょう。^^
この建物は、篠山市立歴史美術館です。まるで大社駅のような雰囲気です。元は1891年に建てられた、日本最古の木造裁判所である篠山地方裁判所です。
で、待望の昼食です。このお店に入ります。
出てきました。蕎麦と鯖寿司とのセットです。鯖寿司一切(200円)を追加して1,100円です。
鯖はトロサバでした。あまりに美味しくて、持ち帰り用に一本(1,500円)買ったぐらいです。
それではお腹も大きくなったので、帰路としましょうか。帰路は走り慣れたR372~R175で帰宅です。今回、高速は全然走りませんでした。黒川小学校へは、阪神高速・北神戸線~中国道で行けば速いのですが、ETC割引でも片道2千円近い高速代がバカらしく、全て一般道としたものです。
もっとも、現在、阪神高速は「ETC乗り放題パス」があります。上手く使えば安く行けるでしょう。下記のサイトを参照です。
「阪神高速ETC乗り放題パス」
「道の駅 淡河」で、1回目の休憩。この先、トイレはコンビニぐらいしかないようですので、しっかり済ましておきます。(笑)
ナビどおりに進むと三田市に入り、神戸電鉄・三田駅が見えてきました。
目的地まで、後20分ぐらいでしたが、「道の駅 いながわ」が目の前となりましたので2回目の休憩です。
猪名川町のゆるキャラである「いなぼう」です。こいつはイノシシなんでしょうか。ブタなんでしょうか。よく分かりません。(^^)
やがて一庫ダム周辺のグリグリ道を走ると(そんなところで、バイクが一杯走っていました)、目的地が見えてきました。
その前に彼岸花を撮って、
入口前で記念撮影です。ここは川西市立黒川小学校です。現在は休校中で、黒川公民館として使われています。
黒川小学校については、下記のウィキの解説をどうぞ。私は新聞に紹介されていたことから、初めて知りました。明治時代に開校し、先の戦争中は疎開校として使われた歴史ある小学校です。
(川西市立黒川小学校)
川西市内最古の小学校。また、川西市内及び兵庫県内最東端の小学校である。
1873年に黒川、国崎、横路の住民の運動によって、甘露寺の建物の一角を借りて開校した。創立当時の児童数は16人、教職員は1人だった。東谷村では、東谷小学校しか他になかったため、生徒数は増加の一途を辿り、1904年には北校舎を改築した。
第二次世界大戦が始まると、大阪市や神戸市などの都会からそう遠くない事もあって、疎開する児童が増加。1945年に初めて児童数が100人を超えたため、1947年に南校舎を増築。終戦直後が児童数のピークだった。
しかし場所が非常に不便だった事や、川西市制開始による都市化の進行に伴い過疎化が進行。加えて1968年に一庫ダムの建設計画が持ち上がって、校区の一部が水没し地区外へ移転する世帯が出ることが決定された。
1977年3月31日を以て休校となり、最後の児童19人は東谷小学校に編入された。廃校や閉校の措置を取らず休校にしたのは、「いつか子どもが増えたときは再開してほしい」という地元住民の意思を、川西市側が尊重した結果だった。
休校後は黒川公民館として、一般に開放。貴重な木造校舎で、使い込まれた机・イス・教材が残されている事もあって、観光地としての地位も確立している。 なお川西市は2016年現在も廃校としていない。
公民館入口にMT-03を停め直し、
入口前に戻ると、石碑には「百年を回顧し 未来に生きよう」という元坂井兵庫県知事の書が刻まれています。
それでは中に入りましょうか・・・ですが、今日は何か料理サークルで使われている感じです。ほぉ~!と素晴らしい廊下を撮っていると、
女性の方が出て来られ、「今日は立入禁止です。どこから入られました?入口は閉めていたはずです」と厳しめの口調。今回も不審人物扱いです。(涙)
「斯斯然々で写真を撮りに来ました」と話すと、やっと分かって頂きましたが、ここって誰でも入れる公立施設では?入口は開いていたし、「写真を撮らしてください」と話そうにも事務所には誰も居なかったし・・・と少々カチン!と来ましたが、気を取り直して撮影しましょう。
で、裏側の校舎を撮りに行こうとすると、足が止まる注意書です。(怖!)
確かに私の嫌いなニュロが出そうな、ジメと湿気た地面です。こりゃ物陰にニョロが潜んでいても不思議ではない雰囲気。そんなところで、常に足元を注意しながら撮影しました。
それでは校舎の画像をどうぞ。その昔、多くの子供達が石積の階段を上がって校舎に入ったことでしょう。
朽ち果てそうな、渡り廊下のブリキの波板屋根が歴史を感じます。
その渡り廊下から校舎を・・・子供達も、同じように校舎を見たことでしょう。
最後に一枚撮って、校舎の撮影を終えました。校舎内を覗きましたが、確かに子供達が使ったと思われる古そうな机や椅子が見えました。キレイに整備すれば、見学者が多数訪れるでしょう。
ここは運動場だったところでしょう。縁石で囲まれたところは砂場だったと思われます。
それではお腹も空いてきたので、昼食にしたいところです。しかしながら、こんな山の中では、私の好きなお寿司が食べれるところは無いでしょう。しかしピンと来るところを思い付きました。
気持ちの良いR173を北上し、安田のローソン交差点からはR372を西進し「特産館ささやま」に到着です。
まだまだ11時過ぎでしたので、篠山の街中を少しだけ散策です。古民家を使ったお店を撮影し、
名産の丹波黒豆も並んでいました。
しかし、やっぱり名産はこいつでしょう。形が良い2本入りの左側下から2つ目のパックは、22,000円です。とても買えません(脅威の価格!)。本場の丹波の松茸が見れただけでも満足しましょう。^^
この建物は、篠山市立歴史美術館です。まるで大社駅のような雰囲気です。元は1891年に建てられた、日本最古の木造裁判所である篠山地方裁判所です。
で、待望の昼食です。このお店に入ります。
出てきました。蕎麦と鯖寿司とのセットです。鯖寿司一切(200円)を追加して1,100円です。
鯖はトロサバでした。あまりに美味しくて、持ち帰り用に一本(1,500円)買ったぐらいです。
それではお腹も大きくなったので、帰路としましょうか。帰路は走り慣れたR372~R175で帰宅です。今回、高速は全然走りませんでした。黒川小学校へは、阪神高速・北神戸線~中国道で行けば速いのですが、ETC割引でも片道2千円近い高速代がバカらしく、全て一般道としたものです。
もっとも、現在、阪神高速は「ETC乗り放題パス」があります。上手く使えば安く行けるでしょう。下記のサイトを参照です。
「阪神高速ETC乗り放題パス」