我、再び駆ける。

ADV150・MT-03・4D9マジェスティなどを購入したことから、これらのバイクについて紹介していくブログです。

終わりの紫陽花と天丼チェーン店です。

2021年06月27日 | お出かけ
昨日は、家内とライズに乗ってお出かけ。到着したのは、こんな草土の駐車場。^^

ここは、明石市魚住町の住吉神社です。



目の前は海岸です。皆さんが釣糸を垂れていますが、この時期はベラかな?です。



遠くに見えるは、二見町の人口島。三菱重工やパンパースのP&G。それに三矢サイダーや烏龍茶を製造するアサヒ飲料の工場があります。



で、住吉神社の目的は紫陽花。家内のリクエストで来ました。



住吉神社は藤棚でも有名ですが、さすがにこの時期は・・・です。(^^)



それでは、紫陽花の画像をどうぞ。既にピークを過ぎ、色あせていました。さらに花も大きく開いているのも多く見かけました。もう終わりの紫陽花でしょう。















お二人のご婦人がおられ、お一人の方が「+1だと、こんな感じ。-1だと、こんなに変わります」とレクチャーすれば、もうお一人の方は「はい。先生分かりました」とのこと。そうなんです。カメラ教室が開催されていました。+1とか-1とは露出補正のことですね。色調を上げるのに私も使います。^^

と、エラそうに語りましたが、正直、私はお花の撮影は得意ではないところ。こんな感じで、ハードな被写体をモノクロで撮るのが好きです。



紫陽花の撮影の後、早めのランチで到着したのは、JR大久保駅北側の天丼チェーン店。私も家内も、数日前から天丼が食べたくなりました。^^



メニューです。こりゃ吉野家の牛丼よりも安価では?という値段設定。この中で青枠の「海老天丼」としましょう。



このチェーン店は、代金前払いの食券制。こちらの券売機で買い求めますが、SuicaなどのIC系交通カードや、auペイなどのスマホ決済が使えないのが不便。現金のみでの支払いです。



店内は、テーブル席とカウンター席の構成。



テーブルには、福神漬と追加のタレが置いてあるのは嬉しい。天丼の場合、大抵、タレが足りません。



出てきました。追加で海苔味噌汁を付けました。内容は値段相応。それでも熱々の天ぷらが美味しく、野菜類(カボチャ、レンコン、ナス、シシトウ)は吟味されているのが分かりました。



希望としては、テーブルにスプーンというかサジを置いて欲しいところ。牛丼でも海鮮丼でも、お箸で食べるよりもスプーンの方が食べやすいのです。スプーンだと、最後の一粒までご飯を残さず食べれます。
それでも、店内に天ぷらを揚げる臭いがしないのは見事でした。某天ぷら定食専門のお店は、入店した途端に油の臭いで酔いそう。さらにテーブルや椅子は、何となく油でベト付いているのが分かるのです。^^

食後、最後に立ち寄ったのは西明石のマックスバリュー。このマックスバリューの場所は、その昔、国鉄アパートでした。1968~70年度は、ここで過ごしたものです。今や一部が取り壊され、巨大なマンションとマックスバリューに変りました。






で、家内がマックスバリューでお買物中、私はこちらの方へ。会社の部下が接種応援で来ていましたので、陣中見舞いです。



この日のお出かけの、真の目的は最後。私自身は7月に2回接種の予約となりましたが、腕が痛く上がらなくなるとか。う~ん、何か嫌な感じです。(^^)
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VINO(ビーノ)で、近所をお散歩です。

2021年06月26日 | VINO(ビーノ)
昨日は疲れが溜まっているので、早めの夏休み。そんなところで、VINO(ビーノ)に乗って自宅の近所をお散歩です。到着したのは、明石海峡大橋が一望できる展望広場です。

ここでVINO(ビーノ)入れての記念撮影。PCの壁紙に使いましょう。^^






せっかく展望広場に来たので、昼休みに歩いているウォーキング・コースの紹介です。目標は遠くに建っている赤い灯台。往復すると、大体、2千歩弱歩きます。私の数少ない日常での運動。(^^)



最初は、両サイドに柵と防波堤がありますが、



半分ぐらい歩くと、片側の柵が無くなりますが、



このあたりは、釣舟への乗降歩廊になります。



最後は、両サイドには何も無くなります。それでも、これだけ幅があれば海に落ちることはないです。



灯台まで到着しました。



ちょうど目の前に、海上保安庁・第五管区の巡視船が通りました。船舶の往来が激しい、明石海峡の安全確保のために活躍しています。



この灯台は、昭和40年に建った東側灯台。海上保安庁の注意書は、荒波で洗われるのか消えかかっています。






西側は、こちらの白い灯台。東西で色分けされるのは、何かルールがあるのでしょう。



ちなみに撮影した灯台の裏側は、こんな感じ。1m少々しかなく、バランスを崩すと海に転落します。ウォーキングの時は、毎度、ここまで歩きますが、ここに来るとお尻の穴がムズムズします。^^



ここはジェノバラインが出航する様子が間近で見れる、最高のビューポイントです。動画でどうぞ。



動画からの切り出し静止画。バイクが乗せれる「まりん・あわじ」は、現在、点検中で(車検かな?)「まりーんふらわあ2」です。バイクは乗せれませんが、自転車なら大丈夫。



出港して15分ぐらいで、もう明石海峡大橋の下まで到達していました。実質、25分ぐらいでの、明石~淡路島(岩屋)への船旅です。



この後は、明石駅前バイク置場にVINO(ビーノ)を駐車。原付50スペースはたくさんあり、満車にならないのが嬉しいところ。しかも駐車料金は、ADV150とはこれだけ違います。(^^)






ランチは、JR明石駅ピオレ内の「すし道場」。



こちらの「お昼のサービス」の中で、上盛合せとしました。



コロナ状況を表す貼紙。この「すし道場」は、明石では数少ない「昼飲み」できるお店ですが、非常事態宣言中は休店していたようです。やはりお酒の売り上げが大きいのでしょう。



出てきました!赤だしにジュンサイが入っているのが嬉しいところ。イカは、今が旬のアオリイカでした。^^



ランチの後は、散髪して帰宅。なかなか有意義な一日でした(^^)。ADV150で遠乗りもしたいのですが、最近の午後は突然の土砂降り。午後のお出かけは鬼門です。

さて遅くなりましたが、VINO(ビーノ)の走りのインプレです。最初は「やっぱり50だな」でしたが、アクセルワークに慣れてくると「ん?意外と走るやん!」というところ。平地だと、スグにメーターを振り切る勢い!まるで元気な子犬のように走ります。

されど、あくまで子犬というか原付50。サラブレッドのようには走りません(^^)。それでも制限速度の30km/hを無視すれば、60km/h巡行も可能では?と思ったほどです。おそらく、HONDA最後の50ccスクーター。そのフィナーレを飾る走りです。

乗り心地やブレーキは、原付50として標準的なところ。ブレーキはHONDA得意の「コンビブレーキ」が付いていますが、リアブレーキだけを効かしても、フロントブレーキも効くのが分かります。

ところで前回記事では、女子高生がVINO(ビーノ)に乗るアニメを紹介しましたが、今回も同じように女子高生がバイクに乗るアニメを紹介。^^
「スーパーカブ」というアニメです。画像はジブリ作品のように美しく、ストーリーは「ほのぼの」する内容。初めてバイクに乗った時の、新鮮な気持ちを思い出すかも?です。



どうでしたか。面白かったですか?続きは、amazonプライムビデオでどうぞ。動画の終わりの方にスーパーカブがガス欠となり、燃料コックを「ON」から「RES」に切り替える場面がありますが、これってインジェクションのバイクしか乗った方は分からないでは?このブログをご覧の方は、もちろんご存知ですね。^^
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YAMAHA・VINO(ビーノ)が納車となりました。

2021年06月19日 | VINO(ビーノ)
今日、雨の降る中、ビーノが納車されました。本当は晴天の大安吉日としたかったのですが、梅雨の真っ最中ですから無理なところ。濡れたビーノを拭くため、タオルを用意してバイク屋さんの到着を待っていました。^^

それでは外観をどうぞ。レトロな雰囲気で買ったものの、正直、「可愛い」です。(笑)








自分のバイクらしくするため、今年は優勝か?の阪神タイガースのステッカーと、ブログタイトルのテプラを貼りました。






続いて詳細ですが、先ずはメインSW・ONでのメーターの様子を動画でどうぞ。



小さいながらも液晶モニターが付いていて、燃料計と時計が表示されます。



モードボタンを押すと、時計はオドメーターとトリップメーターに切り替わります。






アイドリング・ストップSWが付いていますが、私は使いません。



左側のトランク内には、DC電源(12V・1A)があります。こいつはナビ電源に使えそう。まるで私にツーリングに行け!という装備です。^^



リアブレーキのレバーには、ブレーキストッパーが最初から付いています。こりゃアディオ製かな?です。



給油は辛そう。給油口は、腰が痛くなる位置です。^^



灯火類は全てバルブ仕様。流行りのLEDは使われていません。






社外品ですが、サイドスタンドを付けました。



マフラーはステンレスマフラーに交換したいのですが、気に入ったのが見つかりませんでした。当分、ノーマルで乗ります。



ホイールは、鉄板の曲げ物。かってのコムスター・ホイールを思い出しました。



シート下トランクは、原付50としては少し大きめ。



YAMAHAのVINO(ビーノ)ですが、HONDAからのOEM供給のため、パーツには「HONDA」の表示があります。



YAMAHAファンの私からすれば、やはり落ち着く音叉マーク。



続いて走りのインプレとしたいところですが、さすがに新車をいきなり雨の中で走らせるのは止めました(^^)。後日、紹介したいと思います。

ところで、YAMAHAのVINO(ビーノ)のサイトにはこんな画像が、



親父的には「ん?何だこりゃ?」ですが、TVアニメ「ゆるキャン△」です。主人公がVINO(ビーノ)でキャンプツーリングするアニメ。やっぱりVINO(ビーノ)に乗る方は、こんな感じかな?です。動画でどうぞ。



「ゆるキャン△」とは「ゆる~いキャンプ」の略かな。しかし小さなVINO(ビーノ)に、多くのキャンプ道具が積めるのか?という、親父的なツッコミは止めておきましょう。(^^)
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原付50の終焉もあり、YAMAHA・VINO(ビーノ)です。

2021年06月12日 | VINO(ビーノ)
前回記事の終わりの方に、「レベル「中」の悪巧みです」と紹介しましたが、その悪巧みの正体とはこいつ。YAMAHA・VINO(ビーノ)です。






昨年、MT-03とBW'S125の2台持ちから一台のADV150としましたが、やはり近所をチョロチョロ走るのは原付50が便利!ということで、再び二台持ちとなります。^^

ADV150一台で困ったのは、明石駅前のバイク置場。126以上のバイク駐車枠は5台分しかなく、さあ停めようとすると満車状態(涙)。その点、原付50の駐車枠は一杯あるのです。
さらに会社の駐輪場も一杯で、ADV150を出すのに苦労するのが度々。またクルマの免許しかない家内でも、原付50なら通勤で使えるということも理由でした。

最初は安価なJOGの予定でしたが、あまりにシンプルというか質素な感じ(^^)。さらにコロナの関係で、今現在、発注不可だそうです。



ちなみに、SUZUKI車を除く現在の原付50スクーターの入荷状況ですが、HONDAのタクト・ジェルノ、YAMAHAのJOGはオーダーすら入れられない状況。全く入荷しないそうです(涙)。そして、数少ないオーダーを入れれるのがビーノでした。もっともビーノが欲しかったので、正直、ほっとしたところ。^^

ビーノは、一般的には女性向きの可愛いスクーターですが、私的にはレトロなスクーターに見えます。イメージ的には、子供の頃に見かけたラビットやベスパでしょうか。






どうですか?近い雰囲気だと思いませんか。そんなところで、ラビットやベスパに近いカラーリングを選んだものです。ビーノの納車は来週ぐらい。また詳しく紹介させていただきます。^^


<閑話休題>
現在の原付50スクーターですが、始まりは1976年のロードパルだったと思います。そしてファミリーバイク(ソフトバイク)なんてWordも、ここから始まりました。






YAMAHAは、パッソル・パッソーラでしたね。



それから約50年が過ぎ、原付50が終わりの時を迎えようとしています。その原因は、新たな排ガス規制です。さらにABSの標準化。こうなると、原付50と言えども25~30万円のお値段にならざるを得ないとか。
さらに原付50は、日本だけのローカル規格。正にガラケーのバイク版。利益が少なく販売台数が低下した原付50は、各メーカーも販売を止めたいのが本音。こんな状況では、新基準の原付50は出さないでしょう。

その前兆は、YAMAHA原付50がHONDAで製造されていることや(OEM供給)、既にビーノやJOGは紙ベースのカタログすら無いことで表れています。
この度のビーノが、自身としては最後に新車で買う原付50となるでしょう。原付50の排ガス規制他の新基準適用は4年後の新車からですが、「コロナのこともあり、現行車種も、何時、生産を止めるか分からない」とバイク屋の大将は語っていました。


PS.
原付50終焉のニュースは、下記のリンク先にも紹介されています。
「原付バイクが消滅に向かう“2つの理由”」
「目前に迫った50ccバイクの滅亡」
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浄土寺で紫陽花の撮影です。

2021年06月11日 | お出かけ
紹介するのが遅くなりましたが、6/8(水)は前週の土日が頑張ってのお仕事だったので、代わりの休日。R175を北上します。

そして到着したのは、こんな駐車場。



ここは、小野の浄土寺です。



先ずは国宝の本殿を撮りましたが、



目的は紫陽花の撮影です。



それでは紫陽花の画像をどうぞ。思ったよりも咲いていなくて、正直、撮影の気持ちは一気に下がりました。^^









止む無く他の被写体を求め、菖蒲(かな?)を撮ったり、



お地蔵さんの撮影です。(^^)



この浄土寺の面白いところは、お寺の境内に神社があること。



黄色四角の狛犬さんは、「何か用か?」と私に話しかけている感じ。^^



それでは家内の御朱印のために、浄土寺を後にしましょう。御朱印は、少し離れたこちらでいただきます。



家内が御朱印をいただいている間、



私はキョロキョロと・・・ん?蓮の花が咲いているではないですか。



そんなところで、蓮の花の撮影です。






無事に御朱印もいただきました。左側は書置きです。



こんな「おみくじ」も買いました。住職さんが、粘土から一つ一つハンドメイドで作ったもの。中のおみくじは「小吉」でした。



それでは昼食に向かいましょう。到着したのは、小野市役所南側の「カフェ ムーンローズ」です。









店内は、こんな感じ。まだまだ新しいお店です。






メニューです。この中で、日替わりをオーダー。



出てきました。この日のメインは海鮮ニラ玉ということで、あんかけオムレツの中はプリプリのエビとイカが入っていました。もうお腹一杯。^^



さらにドリンクとデザート。きな粉がかかった白玉が超美味しい!下側はバニラアイスでした。



ランチの後は「道の駅みき」に寄ったぐらいで、所用のため早々に帰宅。そしてADV150に乗り換え、所用の場所である行き付けのバイク屋に到着。^^



レベル「中」ぐらいの悪巧みです(^^)。また、後日に紹介させていただきます。

それにしても、この日は暑かったですね。エアコン無しでは走れないところ。この暑さでは、もうバイクで走るのは無理かな?なんて思ったものです。


PS.
家内撮影の画像もどうぞ。女性は虫を捉えるのが上手です。^^






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浜田省吾の「ON THE ROAD」です。

2021年06月05日 | 日常の出来事
今日から火曜日まで超多忙のため、今回はストックしていた記事の予約投稿です。^^

非常事態宣言中+お疲れモードということで、またもアマゾンからの荷物の紹介。

中身は浜田省吾の「ON THE ROAD」という、1982年に先ずはLPレコードで発売されたCDです。押入の奥深くにはLPレコードがあるはずですが、探すのが面倒なので中古CDを買いました。



曲目はこんなところ。赤線の曲が特にお気に入りです。^^



新品でも購入可能でしたが(2,500円ぐらい)、中古で送料込みで千円ぐらいでしたので、こちらを購入。パンフの痛みもなく中古でも十分。どうせスグにPCのiTunesでiPadに同期させるので、再生するのは一度だけです。(^^)



ところで、皆さんは浜田省吾ってご存知でしょうか。TVなどのメディアなどには、ほとんど出演しない方ですが、武道館のチケットは完売というアーチストです。浜田省吾の経歴を、ウィキから箇条書きで紹介です。

・1952年 広島県竹原市生まれ
・父は戦前特高警察官。1945年8月6日、広島市への原爆投下直後に救援隊として広島市に入り二次被爆。
・高校の時、自衛隊違憲を演説したり川上弾薬庫の弾薬運搬反対デモなど、学生運動にも積極的に参加。
・1973年、音楽活動にのめり込み大学中退。下宿を引き払う日、大学構内で他校から来たセクトとの激しい内ゲバが発生。火炎瓶が飛び交い、傷ついた学生達がキャンパス内に転がり、多くの死傷者を出した暴動を朝まで見ていた。
・広島に戻り、「広島フォーク村」の音楽仲間と共にロックバンド「愛奴」を結成。
・1974年1月 単身で上京。愛奴のオーディションには、吉田拓郎らが集まった。吉田拓郎の1974年ツアーのバック・バンドに「愛奴」が起用される。
・1975年5月 「愛奴」としてアルバム『愛奴』とシングル「二人の夏」でレコード・デビューしたが、全く売れず。他のグループとのライブでは、「お前らみたいな軟弱なロックは帰れ!」などと野次られ、生卵やらトマトが飛んで来る。ウェイターなどのアルバイトもしていた。就職雑誌を眺めることもあった。
・1976年4月 アルバム『生まれたところを遠く離れて』とシングル「路地裏の少年」でソロデビュー。生ギター1本のスタイルで全国ライブ巡業を開始。
・矢沢永吉のフィルムコンサートの前座を務めた。また、アイドル歌手時代の竹内まりやとジョイント・コンサートも行う。
・歌わせてもらえる所ならレコード店の店頭はもちろん、スーパーマーケットの催し、演歌の流しのようにバーのカウンターの中でも歌った。
・この頃の全国巡業での観客は数十人から数百人程度で、描いた夢には程遠かった。同年12月に「愛奴」は解散。
・1979年7月 カップヌードルのCMソングとして書いたシングル「風を感じて」が、初のスマッシュ・ヒット。
・1982年1月 日本武道館での初コンサートを開催。当時の浜田の動員力では無謀とまで言われたが、結果は即完売で大成功。
・同年2月、そのときの模様を収録したライブ・アルバム「ON THE ROAD」を発売し、初のトップ10入りを記録。

まだまだ経歴は続くのですが、長くなるのでこのあたりで。上記の経歴を読めば苦労人であることが分かり、父親の原爆体験や学生運動のことから、単なるラブソングではなく社会的な歌詞も多いのが特色です。(“明日なき世代”や“僕と彼女と週末に”かな)

それでは長々と文章が続きましたので、浜田省吾のライブの模様をどうぞ。この時の浜田省吾は58歳。まだまだエネルギッシュです。私らの年代でしたら、涙が流れる名曲です。



PS.
冒頭のとおり超多忙ですので、コメントを閉じています。動画をゆっくりお楽しみください。
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