先週の土曜日の朝日新聞の夕刊に、米民主党のリベラルの礎を作った人として、ジョージ・マクガバンの追悼記事が載っていました。記事を読み、この固有名詞は覚えておかなければならないなと思った次第です。
さて、先週の土曜日、桂川・相模川流域協議会&水源環境保全・再生かながわ県民会議が主催する「平成24年度 桂川・相模川流域協議会流域シンポジウム 水源環境保全・再生かながわ県民フォーラム『川の声を聞こうよ 桂川~相模川 ―絶滅危惧種 カワラノギクの保全― ―山梨・神奈川両県が共同して行う水源環境の保全・再生―」という、やたら名前の長いイベントに参加してきました。行なわれたのは、小田急線相模大野駅から歩いて10分の相模女子大キャンパスの大教室です。
まず、養老孟司さんによる基調講演「生物多様性を考える」。養老さんは無償でこの仕事を引き受けられたそうです。内容は「“生物多様性”という言葉は、アメリカの学者の造語であり、そもそも言葉とは“意識”が作り出したものである。しかし“意識”は科学の対象として、現在まったく議論されていないし、脳の構造と“意識”との間の因果関係もまったく解明されていない。“意識”の働きとは、言葉によって感覚をゲシュタルト化(差別化)することであって(とは養老さんは言ってませんでしたが、同じ意味のことを具体例を出して、おっしゃっていました。養老さんは、“意識”と“言葉”の働きについて書かれた本を読んだことがない、とおっしゃっていましたが、言葉の働きについては、ゲシュタルト心理学とソシュールの言語論で、言葉による“地と図の分離”についての説明がなされています)、素直に感覚に従えば、“意識=感覚”は多様化せざるを得ない。例えば、(『銃・病原菌・鉄』の著者として有名な)ジャレド・ダイヤモンドは、もともとは極楽鳥の分類学者だったが、現地人が全ての極楽鳥を既に言葉で区別していることを発見した。これは、感覚に素直に従えば、言語も多様化せざるを得ない典型的な例である。自然はすべてつながっているのであって、それを分けているのは、言葉でしかない。実際、人間も自然の一部なのであり、個人をその他のものと切り離して考えるようになったのは、つい最近のことである。そのいい例としては、近現代においても、主語がある言語は全世界で7つしかなく、以前、例えばラテン語などは、主語はなかった」とのことでした。(他にも、いろいろ面白い話をされていましたが、ここでは省きます。)
次に、相模湖の上流の川・桂川と相模湖の下流の川・相模川、それぞれの川の河原に自生していたカワラノグクを再生させる試みについての報告が、“カワラノギクを守る会”“NPO法人 愛・ふるさと”“相模川湘南地域評議会”の3団体からあり、そのまとめ役として、“さがみはら地域協議会”からボランティアへの参加が呼びかけられました。
そして最後に、桂川・相模川の流域である山梨・神奈川両県の行政レベルでの取り組みが発表された後、会場の参加者に配られたアンケート用紙の質問に即した意見が、4人のパネリストの方たちから述べられ、会場の参加者の意見も2、3発表されて、イベントは終わりました。
このイベントに参加して私が初めて知ったことは、カワラノギクは幾年かに一度の洪水で、他の植物が一掃され、土壌が肥沃化されることが、生育に必要であること、神奈川で利用されている水のほとんどは、山梨から流れてきている富士山の伏流水であること、したがって神奈川は水量には恵まれているが、水質には問題があること(人間が出す排水のうち、浄化施設で除けるのは有機物だけであり、窒素化合物やリンなどは、そのまま流れてしまうこと)、したがって、水質を向上させるには、行政に任せるのではなく、市民1人1人がライススタイルという段階で考える必要があること、行政レベルでは、山梨県と神奈川県が既に協定を結び、今年度から特別税を住民から徴集し、荒廃した民有林(間伐がされなくなってしまった人工林)を針葉樹と広葉樹が入り混じった森林にしたり、長期間放置された民有林を健全な里山林に誘導するなどの具体策が15年計画が実施され始めていて、こうした試みは全国初であること、などなどでした。特にカワラノギクの再生に向けて活動されている方々の熱気が、ハンパなかったことも、最後に付け加えておきたいと思います。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto
さて、先週の土曜日、桂川・相模川流域協議会&水源環境保全・再生かながわ県民会議が主催する「平成24年度 桂川・相模川流域協議会流域シンポジウム 水源環境保全・再生かながわ県民フォーラム『川の声を聞こうよ 桂川~相模川 ―絶滅危惧種 カワラノギクの保全― ―山梨・神奈川両県が共同して行う水源環境の保全・再生―」という、やたら名前の長いイベントに参加してきました。行なわれたのは、小田急線相模大野駅から歩いて10分の相模女子大キャンパスの大教室です。
まず、養老孟司さんによる基調講演「生物多様性を考える」。養老さんは無償でこの仕事を引き受けられたそうです。内容は「“生物多様性”という言葉は、アメリカの学者の造語であり、そもそも言葉とは“意識”が作り出したものである。しかし“意識”は科学の対象として、現在まったく議論されていないし、脳の構造と“意識”との間の因果関係もまったく解明されていない。“意識”の働きとは、言葉によって感覚をゲシュタルト化(差別化)することであって(とは養老さんは言ってませんでしたが、同じ意味のことを具体例を出して、おっしゃっていました。養老さんは、“意識”と“言葉”の働きについて書かれた本を読んだことがない、とおっしゃっていましたが、言葉の働きについては、ゲシュタルト心理学とソシュールの言語論で、言葉による“地と図の分離”についての説明がなされています)、素直に感覚に従えば、“意識=感覚”は多様化せざるを得ない。例えば、(『銃・病原菌・鉄』の著者として有名な)ジャレド・ダイヤモンドは、もともとは極楽鳥の分類学者だったが、現地人が全ての極楽鳥を既に言葉で区別していることを発見した。これは、感覚に素直に従えば、言語も多様化せざるを得ない典型的な例である。自然はすべてつながっているのであって、それを分けているのは、言葉でしかない。実際、人間も自然の一部なのであり、個人をその他のものと切り離して考えるようになったのは、つい最近のことである。そのいい例としては、近現代においても、主語がある言語は全世界で7つしかなく、以前、例えばラテン語などは、主語はなかった」とのことでした。(他にも、いろいろ面白い話をされていましたが、ここでは省きます。)
次に、相模湖の上流の川・桂川と相模湖の下流の川・相模川、それぞれの川の河原に自生していたカワラノグクを再生させる試みについての報告が、“カワラノギクを守る会”“NPO法人 愛・ふるさと”“相模川湘南地域評議会”の3団体からあり、そのまとめ役として、“さがみはら地域協議会”からボランティアへの参加が呼びかけられました。
そして最後に、桂川・相模川の流域である山梨・神奈川両県の行政レベルでの取り組みが発表された後、会場の参加者に配られたアンケート用紙の質問に即した意見が、4人のパネリストの方たちから述べられ、会場の参加者の意見も2、3発表されて、イベントは終わりました。
このイベントに参加して私が初めて知ったことは、カワラノギクは幾年かに一度の洪水で、他の植物が一掃され、土壌が肥沃化されることが、生育に必要であること、神奈川で利用されている水のほとんどは、山梨から流れてきている富士山の伏流水であること、したがって神奈川は水量には恵まれているが、水質には問題があること(人間が出す排水のうち、浄化施設で除けるのは有機物だけであり、窒素化合物やリンなどは、そのまま流れてしまうこと)、したがって、水質を向上させるには、行政に任せるのではなく、市民1人1人がライススタイルという段階で考える必要があること、行政レベルでは、山梨県と神奈川県が既に協定を結び、今年度から特別税を住民から徴集し、荒廃した民有林(間伐がされなくなってしまった人工林)を針葉樹と広葉樹が入り混じった森林にしたり、長期間放置された民有林を健全な里山林に誘導するなどの具体策が15年計画が実施され始めていて、こうした試みは全国初であること、などなどでした。特にカワラノギクの再生に向けて活動されている方々の熱気が、ハンパなかったことも、最後に付け加えておきたいと思います。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto