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深作欣二監督『新仁義なき戦い』その1

2014-06-30 08:51:00 | ノンジャンル
 深作欣二監督の'74年作品『新仁義なき戦い』をWOWOWシネマで見ました。
 「この物語はフィクションである」という趣旨の字幕。“昭和25年9月 広島県呉市”の字幕。“呉 浅田組組長 浅田広人”を傷痍軍人の格好をした“呉 山守組々員 三好万亀夫”(菅原文太)が襲い、“山守組々員 坂上元”(田中邦衛)が逃がす。隠れ家で三好に「浅田はまだ生きている」と言う“山守組組長 山守義雄”(金子信雄)は、「浅田をもう一度狙い、首を取って自分で始末をつければ男になれる」と言って、「そうなれば毎日神棚に三好のことを拝む」とも言う。そこへ“山守組若頭 青木尚武”(若山富三郎)と“同組員 難波茂春”が訪ねてくると、山守は敵だと思って腰を抜かす。青木は弾の込めてある拳銃を新たに三好に渡し、しばらくここで辛抱しろと言う。三好は結局警察に捕まり、懲役8年を岐阜刑務所で過ごすこととなる。その時、朝鮮戦争による特需景気で日本は高度成長をし始め、山守組も繁栄し、それが内部抗争の原因となる。タイトル。
 “昭和34年10月 岐阜刑務所”。山守の妻(中原早苗)は青木が組を分けようとしていると三好に訴える。28年に青木はヒロポンを取り上げられて自分を狙った若い者を残虐に殺していた。青木の本当の狙いは組の乗っ取りで、反対する者は皆殺すつもりで、今は難波が狙われ、次は三好が狙われると山守は言う。三好は訪ねてきた青木に、親父と腹を割って話してくれと頼むが、青木は自分が親父の罪を被って刑務所に入っている間に女を取られたと言い、ろくな外道じゃないと言う。
 “昭和34年11月 山守組々員 三好万亀夫 仮釈にて出所”。しかし居住地は名古屋に制限され、山守建設名古屋支店次長と刑務所の中で兄弟盃を交わした“三好舎弟分 北見登”(渡瀬恒彦)が迎えに行った。青木を取ると山守が吹きまくってると北見は言う。“山守建設名古屋支店長 山守健二”(山城新伍)は不景気だと言って三好に月給1万2千円を渡すが、三好は呉は景気がいいと聞いていると答える。青木とは兄弟分だと言う三好に、山守からの届け物だと健二は拳銃を渡すが、三好は「あの腐れ外道、ケツの毛までむしり取ったる」と言い、ナイトクラブにいる健二を訪ねると、北見と一緒になって健二から金を巻き上げる。
 青木は山守に「三好に会いに行くらしいが、なぜ自分に秘密にしてる?」と詰め寄ると、山守は三好の放免祝いに行くと答える。話が違うと言う青木に、お前らでいい具合にせいと言う山守。三好の許には山守も青木も一緒にやって来る。「ややこしいことになった」と三好。山守は三好に「1日も早く戻って来い」と言い、青木は山守に「ここの店を三好にやったら?」と言うが、山守は「今でもちゃんと世話してる」と答える。青木「ム所で話した銭を親父からもらったか?」三好「まだだ」山守「お前ら皆がかわいい」坂上「後は皆で話そう」山守「ここの払いは皆の割り勘で」青木「親の務めを言っとるんじゃ!」。青木は暴れる。山守の妻は三好に十万を渡し、青木を取るように言うが、三好はそんなこと考えたこともないと言って断る。三好は青木に「金は突き返した」と言い、青木は「お前の面倒を見てやる」と言う。三好「だったら親父と仲良くしてくれ。何のために務めてきたのか分からん」。
 三好は青木に紹介された女(池玲子)に「一緒にならんか」と言う。そこへ北見が現れ、広島で難波が取られたと報告する。青木がやらせたと山守から電話があったと。“昭和34年11月26日 広島・海津組 表”。青木への牽制として難波は海津組に接近していたが、青木は先制攻撃を仕掛け、難波に代わり“広島・海津組組長 海津卯之吉”に後ろ楯になってもらい、これは三好に衝撃を与えた。三好は北見に東京でプロレス興行をやっている知人の許へ行けと言い、自分は鑑札所の許可をもらって四国へ旅すると言う。北見は「青木はろくなことせん。取りましょうか?」と言うが、三好は「そんなに簡単にはいかない。刺し違えたらこっちがもったいない」と答える。そこへ青木から電話があり、「明日呉に出て来い。銭はやる」と言ってくる。「遠慮する」「難波はわしじゃない」「後で返事する」。電話を切り、「電話の向こうで構えとる。青木の外道」北見「あの女を連れて行ったら? 向こうも安心します」「そりゃええ考えじゃ」。(明日へ続きます‥‥)
 
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