‘16年2月に刊行された短編集『ラヴレターズ』に所収された、川上未映子さんの作品『桔梗くんへ』を読みました。
最後に会ったのはいつだろうと数えてみて、それが二十四年もまえだということを知って驚きました。
わたしは名簿で人の名前を見るのが好きで、桔梗くんの名前を見つけたときにぴんときて、それから話すようになって、好きになりました。中学一年生の夏から高校二年生の冬まであなたのことが好きでした。当時の中学生は付きあうといっても「付きあってる」という言葉以上のことは何もなく、わたしと桔梗くんもお互いの気持ちを電話で確認してからほんの二ヶ月くらい「付きあった」だけで、よくわからないままに、すぐに自然消滅してしまいました。けれどわたしはそのあともずっと桔梗くんのことが好きでした。
でも、それからわたしは桔梗くんのことをだんだん忘れていきましたが、一年に一度桔梗くんの夢をみるのです。場面はいつもおなじ、中学校の三年校舎の廊下です。もうすぐ卒業だ、これで本当にお別れだという春の初めごろのある日、誰もいない廊下で、桔梗くんとすれちがったのです。もう本当に最後だから何か言わなければと焦るのだけれど、あなたはわたしを無視して、いつも一瞬でいなくなるのです。
ある日、あなたの妻だという女性からメールが届きました。今から六年前の当時、ブログに公開していたアドレスに届いたそのメールには、わたしへの罵詈雑言がしきつめられており、わたしを激しく非難し、そして怒りをぶつけていました。必ず返事を出すように、とありました。どう対応すればよいのか不安に思っていると、数日後にさらにひどいことが書かれた二通目のメールが届きました。そして返事がない場合には、こちらにも考えがあると書かれていました。考え? わたしはさんざん迷ったあげく、たしかにわたしと桔梗くんは同級生だったけれど、中学を卒業してから音信不通でいっさいの関係がないこと、何かの間違いではないだろうかというような内容の短いメールを書いて送信しました。そして数日後に、わたしは騙されないから、とだけ書かれたメールが届き、それが最後になりました。
メールの内容から、おそらくテレビか新聞かでわたしを偶然に目にした桔梗くんが、中学時代のなんてことないエピソードを彼女に話したことで妄想が生じた、というのがだいたいのところなんじゃないかと思います。わたしはそのメールのやりとりをしてから数ヵ月、面白いほどに体調を崩し、ほとんど外出できないくらいに沈んだ日々を過ごすことになりました。
彼女の書いていたことはすべて事実無根でしたが、その怒りは本物でした。そして、その怒りが今もまだわたしに向けて放たれていることを、ひしひしと感じるのです。もしかしたら彼女は、わたしが今でも桔梗くんの夢をみていることに怒っているのではないだろうか。ふと、そんなことを思うのです。
まだ生きているのだから可能性としては絶対とは言えないのに、けれど、もう二度とは会うことのないだろう人にむけて手紙を書くというのは、あんがい不思議なものですね。そして、どこかにたしかに存在しているのに、でも、もうどこにも存在してはいない人に向けて手紙を書くというのもやっぱり不思議なものですね。桔梗くん、どうぞ、お元気で。川上未映子
「~だけれど」という彼女独特の文体に、ここでも会うことができました。不思議な味わいのある短編だったと思います。
最後に会ったのはいつだろうと数えてみて、それが二十四年もまえだということを知って驚きました。
わたしは名簿で人の名前を見るのが好きで、桔梗くんの名前を見つけたときにぴんときて、それから話すようになって、好きになりました。中学一年生の夏から高校二年生の冬まであなたのことが好きでした。当時の中学生は付きあうといっても「付きあってる」という言葉以上のことは何もなく、わたしと桔梗くんもお互いの気持ちを電話で確認してからほんの二ヶ月くらい「付きあった」だけで、よくわからないままに、すぐに自然消滅してしまいました。けれどわたしはそのあともずっと桔梗くんのことが好きでした。
でも、それからわたしは桔梗くんのことをだんだん忘れていきましたが、一年に一度桔梗くんの夢をみるのです。場面はいつもおなじ、中学校の三年校舎の廊下です。もうすぐ卒業だ、これで本当にお別れだという春の初めごろのある日、誰もいない廊下で、桔梗くんとすれちがったのです。もう本当に最後だから何か言わなければと焦るのだけれど、あなたはわたしを無視して、いつも一瞬でいなくなるのです。
ある日、あなたの妻だという女性からメールが届きました。今から六年前の当時、ブログに公開していたアドレスに届いたそのメールには、わたしへの罵詈雑言がしきつめられており、わたしを激しく非難し、そして怒りをぶつけていました。必ず返事を出すように、とありました。どう対応すればよいのか不安に思っていると、数日後にさらにひどいことが書かれた二通目のメールが届きました。そして返事がない場合には、こちらにも考えがあると書かれていました。考え? わたしはさんざん迷ったあげく、たしかにわたしと桔梗くんは同級生だったけれど、中学を卒業してから音信不通でいっさいの関係がないこと、何かの間違いではないだろうかというような内容の短いメールを書いて送信しました。そして数日後に、わたしは騙されないから、とだけ書かれたメールが届き、それが最後になりました。
メールの内容から、おそらくテレビか新聞かでわたしを偶然に目にした桔梗くんが、中学時代のなんてことないエピソードを彼女に話したことで妄想が生じた、というのがだいたいのところなんじゃないかと思います。わたしはそのメールのやりとりをしてから数ヵ月、面白いほどに体調を崩し、ほとんど外出できないくらいに沈んだ日々を過ごすことになりました。
彼女の書いていたことはすべて事実無根でしたが、その怒りは本物でした。そして、その怒りが今もまだわたしに向けて放たれていることを、ひしひしと感じるのです。もしかしたら彼女は、わたしが今でも桔梗くんの夢をみていることに怒っているのではないだろうか。ふと、そんなことを思うのです。
まだ生きているのだから可能性としては絶対とは言えないのに、けれど、もう二度とは会うことのないだろう人にむけて手紙を書くというのは、あんがい不思議なものですね。そして、どこかにたしかに存在しているのに、でも、もうどこにも存在してはいない人に向けて手紙を書くというのもやっぱり不思議なものですね。桔梗くん、どうぞ、お元気で。川上未映子
「~だけれど」という彼女独特の文体に、ここでも会うことができました。不思議な味わいのある短編だったと思います。