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川上未映子『さみしさは、言葉としてやってくる。』etc

2018-12-04 05:00:00 | ノンジャンル
 11月13日の東京新聞に「安倍政権『徴用工』→『労働者』 歴史曲げる呼称言い換え 『応募した人』と言うが……『実態 国策の強制労働』」という見出しの記事が載っていました。記事は「日本政府は韓国最高裁が出した韓国人元徴用工訴訟判決を巡り、原告に対して従来、使ってきた『徴用工』呼称を言い換え、『労働者』と言い立て始めた。原告が自ら労働に応募したとして、強制性を薄める狙いがみられるが、『歴史を曲げる行為だ』と批判が噴出している」という文章から始まっています。
 安倍首相はアメリカのメディアからは「歴史修正主義者」と紹介されているほど、近代・現代の歴史に無知(あるいは知らないふりをしているのかもしれませんが)であり、日本会議と同じく、明治時代の薩長独裁政治を経て太平洋戦争に負けるまで、軍部が持っていた歴史観(日清戦争や日露戦争、そして太平洋戦争は欧米諸国の支配からアジアを解放するための戦争であり、中国も日本がアジアをリードするのに適していない「後進国」と捉えて、中国を支配下に置くことを正当化した)をどうも持っているらしいということです。
 1910年の韓国併合以来、日本が朝鮮人の方々を強制的に日本に移住させ、炭鉱などで過重な労働を強いたことは、学校の教科書にも書かれている歴史上の事実であり、1965年の「日韓請求権協定」も、国と国との賠償権が消滅すると言っただけで、民間の賠償にも及ぶものではないことは、2007年の日本の最高裁でも認めていることです。
 韓国や北朝鮮の慰安婦の方々だった人たちへの賠償問題も、元徴用工の方々への賠償も日本の企業がしっかりと行なう責任が現在でも存在しているのです。一日も早く両問題の解決がなされることを、心より祈っています。

 また、11月21日の朝日新聞の夕刊に「憲法ソング 小1が大賞」という記事が載っていました。茨城県に住む尾池ひかりさんが作ったその詩を、そのまま転載させていただきます。
「わたしはせんそうをしらない。
 おかあさんもしらない。
 おばあちゃんもしらない。
 でも、ひいばあちゃんはしっている。
 えきでへいたいさんをみおくったかえり、
 ひこうきがとんできて
 『きじゅうそうしゃ』でやられそうになったって。
 はしってはしってはしってようやくにげたって。
 ひいばあちゃんがいきたから
 おばあちゃんがうまれ、
 おかあさんがうまれ、
 そしてわたしがうまれた
 へいわをまもるけんぽう
 いのちをつなぐけんぽう
 わたしがおおきくなっても
 このままのけんぽうであること
 それがわたしのねがい」
 素晴らしい詩だと思いました。


 さて、ホンダの機関誌『Honda Magazine』2018年秋号に、川上未映子さんによる文章『さみしさは、言葉としてやってくる。』が掲載されていたので、こちらに転載させていただきます。

「歩くことが、だんだん好きになっていると思う。知ってる道もいいけれど、知らない道だと、なおいいような気がする。しかし出不精で、日々の生活の活動圏内を移動するので精一杯のわたしは、ふだんなかなかそんな道に出会うことはない。だから見知った道をゆきながら、歩いたことのない道、そしてこのさきもぜったいに降りたつことのないだろう道を、想像してみたりする。実在する道もあれば、しない道もある。小説や映画でふれたイメージと現実の記憶がまじりあって、本当にある道なのか、まったくのフィクションの道なのか、どちらかわからなくなっている道もある。
 いつも最初に頭に浮かぶのは、言葉としてやってくる道だ。
『まっすぐな道でさみしい』
 この句を作った山頭火(さんとうか)が、じっさいにどんな道を見たのかはわからない。でも、この句がよぎるとき、わたしにもはっきりとみえる道がある。それは、見渡すかぎり何もない、田舎のあぜ道━━というのとはちょっと違っていて、家も人の行き来もある、ごく普通の町の道。でも、そんないろんなものの動きとはべつに、その道だけはどこまでもまっすぐ伸びている。そして立ち止まってその道を見つめる人に、世界には、自分には、物ごとには、こちらとあちらというものがあり、時間というものがあり、登場したからにはいつか退場しなければならない━━そんなことを一瞬の体験として了解させるような、そんな道。

 齢を重ねたことと、歩くことが好きになってきたことに、なにか関係はあるのだろうか。若い頃は、歩くのが怖かった。頭に浮かぶ、まっすぐな道を見つめるのがやっとだった。でも今は、もしそんな道に出会えたら、ゆけるところまで歩きたいと思う。」
素敵なエッセイ、というよりも素晴らしい長文詩だったと思います。

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時の生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山先生、福長先生と私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。)