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フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』その2

2018-12-15 05:56:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
「リンドバーグに関しても、歴史家アーサー・シュレジンジャーは、1940年、一部の共和党政治家たちがまさに彼を大統領選に担ぎ出すことを検討していたという事実を指摘している。実はロスも、2000年12月、シュレジンジャーのそうした指摘に行きあたって、『もし本当にそうなっていたら?』と考え、この本の執筆を思いついたと語っている。
 また、1930年代においてすでにアメリカで反ユダヤ思想やファシズムがそれなりの脅威だったことを示す傍証として、1935年刊のシンクレア・ルイスの小説『イット・キャント・ハプン・ヒア』(ここではそんなことは起こりえない)を挙げることができる。これは、1936年大統領選という、刊行時から見てすぐ先の未来に、バーゼリアス・〈バズ〉・ウィドリップなる煽動的政治家が勝利を収め、全体主義的、反ユダヤ的政策を推し進めるという設定の小説である(中略)。政治を正面から扱った小説の代表例として、今日でも時おり引合いに出されるし、またフィリップ・ロスの父親ハーマンの愛読書でもあった。ロス自身の小説『アメリカン・パストラル』(1997)でも、登場人物がこの本に言及している。
 とはいえ、当時そのように反ユダヤ主義や全体主義の脅威が現実にあったという事実が、この『プロット・アゲンスト・アメリカ』の作品としての質を保証するわけではないことは言うまでもない。史実に適合していようがいまいが、じわじわ迫害され丸腰にされていくロス一家の恐怖感を我々がどこまで生々しく共有できるかがこの本の鍵であり、それが実に見事なストーリーテリングとも相まって、本書を非常に読み応えのある一冊にしている。
 特に、まだ幼いフィリップ少年が、言語・意識レベルではファシズムやヒトラーの脅威がいかなるものなのかいまひとつ理解していないにもかかわらず(彼にとってはヒトラーの動向より自分の切手コレクションの方がはるかに大事なのだ)、家族が徐々に崩壊していくなか、彼が頭より肌で感じている心細さ、寄るべなさがひしひしと伝わってくる点が、この本の一番大きな魅力であり愛すべき点だと個人的には思う。先達の『イット・キャント・ハプン・ヒア』との違いもそこにある。大人の安定した視点から語られるせいでどうしても戯画的な感じがしてしまう『イット・キャント……』とは異なり、『プロット……』は子供のナイーブな感情と大人の語りの効率性がきわめて巧みにブレンドされていて、読む者を終始惹きつける。『プロット……』を書評したJ・M・クッツェーも、『子供だった自分への成人男性の愛情というものを語りうるとすれば、幼いフィリップに対する作家の情愛と敬意こそこの本のもっとも魅力的な側面のひとつである』と述べている。
 フィリップのみではない。階下に住む、フィリップに付きまとって彼を辟易(へきえき)させる(そういう子供同士の感情が後半では物語を大きく動かすことになる)セルドンや、フィリップの兄サンディ、いとこのアルヴィン等々、この小説に出てくる子供や若者は、みなそれぞれ劇的な形で、ファシズムの擡頭(たいとう)によってその生を損なわれていく。1940年のアメリカという舞台は個別的でも、そのように傷つけられていく若い生の痛みは普遍的である。だから、二十一世紀の日本に生きる我々の胸にも訴えるものをこの本は持っている。
 語りの効率性ということに触れたが、これについては、訳していて何度もつくづく見事だと思った。一部をさりげなく象徴的に語って全体を感じさせるとか、書き連ねていくうちに曖昧さがますます増殖していくとかいった技巧ではない。むしろ、(現代文学の常識からすればそんなことが可能なのかと思いたくもなるのだが)作品世界を過不足なく思い描き、描写すべき事物や心理をきっちり描写していく、serviceable(実用的な)と呼びたいたぐいの見事さである。この作品に限らず、近年のロスの文章で一番光っているのもこの点だと思う。(中略)
『プロット・アゲンスト・アメリカ』は、2013年に刊行された本格的なロス伝『ロス・アンバウンド』(著者はクローディア・ロス・ピアポント、血縁にあらず)によれば、ロスがシュレジンジャーの私的に出会った2000年12月が終わらぬうちに早くも書きはじめられた。タイトルは、1946年に発行された、本書でもある章で大きな役割を演じる政治家バートン・K・ウィーラーを攻撃した政治パンフレットの題名を借用したという。そのパンフレットでは文字どおり『反米陰謀』という意味だったわけだが、この小説でもそういう反米陰謀としての『ファシズムの脅威』の意を基調にしつつ、そこに小説の『筋書き(プロット)』の意味も重ねられているし、また、反ユダヤ主義者がでっち上げた『ユダヤ人による反米陰謀』も念頭に置いているだろう。」(また明日へ続きます……)