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西伊豆への旅その1

2011-08-21 06:42:00 | ノンジャンル
 私事で恐縮ですが、8月16日から17日にかけて西伊豆に旅行した時のことを書かせていただこうと思います。
 今回の旅行を思い立った直接のきっかけは、南伸坊さんの著作『歴史上の本人』を読み、運慶が東上して最初に彫った像が伊豆・韮山にあることが知って、それを是非私も見たいと思ったからだったのですが、どうせ行くなら、ちょっと足を伸ばして、前から是非泊まってみたいと思っていた堂ケ島まで行って一泊し、そしてそれならついでに、これまた念願であった西伊豆のきれいな海でのシュノーケリングも楽しんでしまえ、と即決し、たまたま仕事の入っていなかった日に民宿の予約が取れ、実現に至ったのでした。
 朝6時30分に車で厚木を出発。国道129号で平塚へ南下し、西湘バイパスで小田原へ、そして箱根新道、国道1号、国道136号を経由して、運慶の像のある伊豆・韮山の願成就院に着いたのが、ちょうど参拝時間の始まる10時ちょっと前という順調な滑り出し。人気のない中、どこが受付なのかしばし迷った末、思い切って母屋を訪ねると、御住職が直々に出てきてくださり、無事に運慶作の像を見ることができたうえ、御住職の丁寧なご説明まで一人占めすることができました。その後、伸坊さんが絶賛していたその像を丹念に眺め、像の組写真も思わず買ってしまったのでした。(なお像の素晴らしさについては、伸坊さんの著作の247ページ、250~251ページを読むことをお勧めします。)
 次に向かったのは、ネットで見つけた西天城高原。牛が放牧されているその雄大な景色を味わおうと、国道136号と国道414号を南下した後、県道59号を西に進み、仁科峠に到着。阿蘇の草千里のような雄大な景色を味わうことはできましたが、放牧場と思われるところに牛は見当たらず。牛舎らしき赤屋根が点在する場所に行ってみると、牛糞の臭いはありますが、やはり牛も人影も見当たらず。あるのは誰も利用しなくなって廃墟化が進んでいる数々のコテージでした。(以前に伊豆を一周した時も感じましたが、伊豆ではこのような研修施設やレジャーランドの廃墟をよく見かけるように思います。)
 気を取り直して県道59号の少し先にあるはずの「大滝」へと至る遊歩道を目指しましたが、入り口がどうしても見つかりません。何度往復してもそれらしき場所がないので、半分諦めながらも地元の人に聞いてみると、「大滝レジャーランド」というのはあるとのこと。取りあえずそれを目指してみました。行き止まりにはキャンプ場と魚釣り場があり、車を停めて探索してみると、おっと、ありました、遊歩道! しかしそれは最近手入れされた様子もなく、やはり「廃墟化」していて、いくつもの倒木で塞がれているものでした。それでも強引に進んでいくと、ネットで見た「大滝」ではありませんが、それなりに雰囲気のある滝が出現! 道は先につながっていましたが、そこからは急な上り坂になっていて、不穏な雰囲気に包まれていたため、怖くなり引き返すことに。出発点に戻り、どうしても「大滝」が見たい私は遊歩道の反対側へ強引に車で突っ込もうとしましたが、そこへレジャーランドの関係者が現れ、「大滝への遊歩道は危ないので、あまりオススメできません」と言われました。ということは、やはりさっきの遊歩道がそれで、あの先に「大滝」があったのか、制止される前に、秘かに途中まで行って正解だったな、と思ったのでした。(明日へと続きます‥‥)

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北尾トロ『駅長さん! これ以上先には行けないんすか』

2011-08-20 06:14:00 | ノンジャンル
 ポール・W・S・アンダーソン監督の'10年作品『バイオハザード? アフターライフ』をWOWOWで見ました。アンブレラ社が開発したT-ウイルスの蔓延によって壊滅した地球。怪物化した人間たちに囲まれて、ロスの刑務所の中に立てこもっていた人々を発見したアリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は、健康な人々が集結していると思われる、近海に浮かぶタンカーに向かって、彼らとともに進んでいきますが‥‥という話でしたが、怪物化した人間たちの造形が、その動きとともに前作などよりも凡庸になっていて怖くなく、ラストのボスキャラとの対決も『マトリックス』のあからさまなイタダキ(しかもこちらも凡庸)で、かなりガッカリしました。続編をほのめかす終わり方でしたが、次作もあまり期待しない方がいいかもしれません。

 さて、北尾トロさんの'11年作品『駅長さん! これ以上先には行けないんすか』を読みました。終着駅がどこともつながらない鉄道に乗り、そのレールの最終地点の様を確認し、またその終着駅の置かれた立場や状況を考えるという紀行文です。
 トロさんの旅のお伴を務めたのは、今年53才になるトロさんの2回りほど年下のフリー編集者・宮坂さん。彼がカメラ撮影と旅のスケジュール立案を担当して、二人の珍道中(?)が展開されていきます。先ず乗ったのは、関東屈指の人気を誇る観光鉄道・わたらせ渓谷鐵道。足尾銅山の鉱石を運ぶために作られた同線は、現在では360度の大自然パノラマが楽しめ、クルマのドライブでは望めない迫力を得られる一方で、鉱毒で禿げ山となった山肌も見てとることができるそうですが、『足尾銅山観光』という足尾銅山の歴史を説明する施設は期待外れだったことが語られます。その後も、名物のマーボチャーハンがめちゃくちゃおいしいという茂木が終点の真岡鐵道、進むにつれて里山の気配が濃厚になってくる久留里線、終点の常陸太田駅の商店街が町起こしに熱心な水郡線など、全部で21本の「行き止まり」の鉄道が紹介されています。
 気楽に読める読み物としての魅力の他に、旅のマメ知識として、未知の土地で何か食べる時は、蕎麦やうどんに外れが少ないこと、夏の袋田の滝は水量が少なくて避けた方がいいこと、鉄道の駅があるということは地元にとって安心できる一方、バスでしか繋がっていないというのは、いつ廃止になってもおかしくないという不安があり、鉄道ほどの安心感を地元は得られないこと、旅といってもその大半は日常の延長なのだから、旅先という理由だけで羽目を外さなきゃとか、金を使わなきゃとか、好奇心を全開にしなきゃとか、考える必要はないこと、などなど、結構知って得する情報も盛り込まれていました。特に、最近徳島へ2泊3日の旅行をしてきたばかりの私としては、最後の「旅は日常の延長」という「教訓」は胸に響くものがあり、実際、金もないのに無理して地元の高級な食材を食べることはないし(ちなみに私は夕食は2晩とも『餃子の王将』でがっつりおいしく頂きました)、努力して感覚を研ぎすませなくても、旅先の刺激的なものというのは自然に体に響いてくるものだと実感しました。
 気軽に読める紀行文をお探しの方には、特にオススメしたい本です。公共図書館ではあまり入れていないようなので、是非書店で手にしていただきたいと思います。

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アラン・レネ監督『二十四時間の情事』その2

2011-08-19 05:46:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 ヒロシマの夜景。川面の光の反射を受けながら、食堂でビールの入ったコップを手に持って男と向かい合い、恋人の死後、頭を丸刈りにされて、父に地下室に閉じ込められ、自らの血の味を覚えたと語る女。時間に癒され、やがて人生に立ち戻る一方、彼との記憶が失われていくのが怖かったとも女は語ります。彼が死んだ日の記憶が甦り、彼の死の記憶へのめり込んで行く彼女にビンタを張って、彼女に正気を取り戻させる男。あの日も正気を取り戻すと、母はすぐに彼女に金を持たせてパリに旅立たせてくれたと彼女は語ります。
 「今夜のこともいずれ忘れる」と女は言いますが、男の問いかけに対し、元恋人のことは今の夫には話したことがないと女が言うと、男は喜び、彼女を抱きしめます。忘却の、そして恐怖の恋の物語として、将来、君のことを思い出すだろうと語る男。
 女は男と別れた後、ホテルの自室に戻り、男に元恋人のことを話すことによって、元恋人の死を認めてしまった自分に腹を立てる一方で、男とヒロシマに残りたいとも思い、気持ちが揺れ動きます。夜の町を徘徊する女は、故郷の街並を思い出します。
 雨が降り始め、やがて広島駅へ。男は追ってきますが、女は心の中で「こんな恋は捨てて、故郷に帰ろう」と言います。タクシーで深夜喫茶に向かう女と、それを追う男。
 そして夜が明けます。結局女はホテルの自室に男を入れてしまいますが、女は「すべて忘れる!」と絶叫した後、男に「あなたの名はヒ・ロ・シ・マ、ヒロシマ」と告げ、男も「君の名はヌベールだ」と言い、映画は終わります。

 マルグリット・デュラスの脚本がすばらしく、またジョルジュ・ドルリューとジョヴァンニ・フスコによる音楽も印象的で、総体的には、全92分のうち、女性の顔が現れるまでの冒頭の15分が特に素晴らしいと思いました。ひたすら岡田英次が女を口説き続ける場面は冗長でしたが、夜の食堂で川面のきらめきの反射が二人の姿を浮出たせるシーンや、ドライヤーやブレッソンを思わせる、映画撮影現場での看板や垂れ幕の行進を仰角で撮ったシーンなどは忘れがたい名場面だったと思います。まだ見ていない映画好きな方がいらっしゃるようでたら、必見の映画です。

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アラン・レネ監督『二十四時間の情事』その1

2011-08-18 03:44:00 | ノンジャンル
 昨日無事に、西伊豆への1泊2日の旅から帰ってきました。宮田珠己さんの言葉を借りれば「うりゃうりゃ」感に満ち溢れた、野趣に富んだ旅でした。機会がありましたら、旅の模様はまたそのうち、こちらで書かせていただこうと思っています。

 あて、アラン・レネ監督の'59年作品『二十四時間の情事』をスカパーの洋画★シネフィル・イマジカで再見しました。
 現代音楽っぽいクラリネットとピアノ、フルートの音楽をバックにタイトル。そして抱き合う男女のザラザラとし肌。それはやがて光を増し、すべすべとした肌へと変容します。男の背中に回された女の手に「君は広島で何も見ていない」という男(岡田英次)の声が被さり、それに反論する女の声とともに、女が見たと言う病院や博物館の映像が移動撮影の形で提示されます。被災現場の再現映像。「私も広島の運命に泣いたの」と女。「違うな。君が何に泣けるんだ?」と男。焼け野原の景色のパン。ニュース映画の映像。「すべて知っている」と女。「君は何も知らない」と男。現在の広島の映像。スピード感のある前進移動の映像とともに「私はあなたに出会った。あなたは誰? 私を夢中にさせた人。ここは恋の町だったのね。あなたと出会えるなんて。素敵な人。あなたには分からない、突然のやすらぎ。お願い。私を醜く壊して。それにしてもあなたはなぜ似ているの。」そしてふいに背中の映像から女性(エマニュエル・リヴァ)の顔にパン。「あなたね!」「僕だよ!」と言い合って笑い出した二人は、お互いに自分のことを語り出します。
 浴衣に着替えた女性は、まだうつ伏せに寝ている男の手に、射殺された元恋人の姿を一瞬重ねます。平和をテーマにした映画の撮影のためにヒロシマを訪れたフランス人女優である女と、建築士の男。明日はフランスに帰ると女は打ち明けます。「また会いたい」という男に「ダメ」という女。
 二人は一旦別れますが、映画の撮影現場にいた女を男は訪ね。残ってくれと延々と女を口説き続けます。仰角で撮られた、映画の撮影で行進する垂れ幕や看板の数々。妻は雲仙に行っていると言って自宅に女を招く男。女も夫がいることを告げると、二人はまた布団の中で裸の状態で語り合います。バックに流れるテーマ曲。男に聞かれ、戦争中ドイツ兵と恋に落ち、彼と密会し、そしてやがて彼がレジスタンスに射殺されたことを語る女。「君のことが分かってきた」という男に、女は急に「(ドイツ兵との初恋の場所であった)故郷のヌベールに帰りたい!」と叫びます。(明日へ続きます‥‥)

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蓮實重彦『映画への不実なる誘い 国籍・演出・歴史』その2

2011-08-16 03:06:00 | ノンジャンル
 オリヴィア・ニュートン=ジョンのライヴを見て、さっそく彼女のベスト・アルバムを入手し聞いたところ、彼女がイギリスのレーベルでデビューし、そのキャリアの大半をジョン・ファーラーというプロデューサー兼ソングライターとともに築いたことを知りました。また『フィジカル』で一皮むけたのが、あの80年代に入ってすぐだったことも再認識しました。

 さて、昨日の続きです。
 最後の歴史については、ゴダールが1940年代から60年代初めにかけて自らに影響を与えた映画について語った『映画史』を、女性という切り口から語るという試みがなされていて、アンリ・ラングロワの盟友だったメリー・メールソン、ロッテルダム映画祭の運営を支えるなどしたモニカ・テゲラールの名前から始まり、ハリウッドのメジャーな撮影所が危機に陥った頃、それまでのスターの地位を捨て、自ら監督として独立プロでB級映画を撮り始めたアイダ・ルピノ、商品化された女性の典型としての『ギルダ』におけるリタ・ヘイワース、『バンド・ワゴン』において感動的なダンスを見せるシド・チャリシー、ゴダールが19世紀の病であるヒステリーとの類似を見た『東への道』におけるリリアン・ギッシュ、『無防備都市』のアンナ・マニアーニらについて語られ、ロッテ・アイスラーに教えられて時代に遅れて見ることができたムルナウの『サンライズ』の市街電車、アルドリッチの『カリフォルニア・ドールズ』の女性の身体性、『捜索者』でのナタリー・ウッドなどにも言及した後、『映画史』のラストに現れる黄色いバラ、そこから想起されるチャップリン、そしてやはり『映画史』のラストに現れる、オーソン・ウェルズとも結婚したことのあるシュザンヌ・クルーティエの映像を謎として提示して、講演は終わります。

 今まで様々な場で先生が断片的に語られていたことが、とても整理されて語られているので、映画に対する見方という点で大変勉強にはなったのですが、一方、ゴダールもかくやと思われる相変わらずの強弁ぶりは、読んでいて思わず笑ってしまうほどでした。中でもイングリッド・バーグマンに向けられた「悪意」は相当なもので、先生を前にしてはバーグマン為す術なしといった感じでしたが、私は先生が敢えて無視していると思われる『ヨーロッパ1948』など忘れがたい映画もバーグマンにはあったことを付け加えておきたいと思います。
 私は東京大学に通っていた頃、先生と数々の確執を生み、その際、先生には大変ご迷惑をおかけしてしまったのですが、今冷静になって先生の本を読んでみると、私が一見してスゴイと感じ、すぐにDVDに焼き付けて保存した『サンライズ』における市街電車や、溝口の『鶴八鶴次郎』などに先生が触れられていることで、改めて先生との縁を感じたりもした本でした。この本で言及されていた、ジャン=ピエール・リモザンの『NOVO』や溝口健二の『マリヤのお雪』、アイダ・ルピノの『重婚者』は、今後機会があれば是非見てみたいと思います。59ページに掲載されている『マリヤのお雪』のラストシーンのショットを見るためだけにでも手に入れる価値がある、そんな素晴らしい本でした。

 さて私事で恐縮ですが、本日から1泊2日の予定で西伊豆へ行ってきます。ということで、明日はこちらのアップはお休みさせていただきます。もし読まれている方がいらっしゃいましたら、ご了解のほど、宜しくお願いいたします。

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