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ジョニー・トー監督『奪命金』

2014-07-21 08:51:00 | ノンジャンル
 ジョニー・トー監督の'11年作品『奪命金』をWOWOWシネマで見ました。
 香港警察の警部補チョンは、老人レイが同じアパートに住む老人ヘイを襲った事件の捜査をしています。一方、銀行の投資信託係で営業の仕事をしている若い女性テレサ・チャンはこれまで堅実な資金運用をして来た60歳の女性クンから金を増やしてほしいと言われ、ハイリスクハイリターンの投資信託の商品を買ってもらいます。そこに訪ねて来た高利貸しのユンは1000万ドルを自分の口座から引き出しますが、顧客と携帯で話し、顧客が権利書を1通しか用意できないと知ると、そのうち500万だけを持って帰り、残りの500万は次回の来店時に入金伝票を作ってくれと言って、テレサに預けます。テレサはユンを駐車場まで追いますが、そこで見たのは車中で血まみれになって倒れているユンの姿でした。一方、クァン親分の誕生会の幹事を今年も務めたバウは、その誕生会で逮捕されたワーの保釈金を集めるため、レストランに居座り、また古紙回収業者に付きまとい、それぞれから金を巻き上げて、ワーを保釈させますが、ワーは別件で再び逮捕されます。また保釈金を集めなければならなくなったバウは、古くからの知人で投資会社の社長をしているロー・シウロンを訪ねると、歓待され、一緒に事業をしようと言われて、投資の仕方を習いますが、折り悪くギリシャ危機が起こり、血相を変えたローは「殺されるかもしれない」と言って、パソコンで数字の書き替えを行ない、大口の顧客のソンからの電話に出ません。ユンからの電話に出たローは、権利書が用意できたと言ってユンに借金の申し込みをし、バウは銀行の駐車場に停められたユンの車に侵入して、ユンが金を持って来るのを待ち伏せします。しかし、ユンは先に別の若い男に襲われ、ユンはその若い男を撃退するも、重傷を負って、運転席に座ると、バウに襲われる前に頭から血を流して倒れ、バウはユンの500万を持って立ち去ります。
 チョンは入院した父を見舞い、医師から父が重い食道ガンであることを知らされます。自分の妹が幼い娘を妻に預けて音信不通になったと聞いたチョンは、その娘を預かるか施設に入れるかの決断を迫られますが、妻は自分たちで育てようと言います。そして妻は銀行から金を借り、マンションの一時金を不動産屋に収めますが、ギリシャ危機で銀行から金が借りられなくなり、違約金を1万ドル払うように言われます。
 500万を手に入れたローとバウは、尾行して来た車から電話を受け、ソンに会うように言われます。一方、チョンはユンの殺害現場で、ユンを殺したのが26歳のクワン・ダッマンで、携帯を残して死んでいることを報告されます。クンの訪問を受け、30万ドルの損害だとクンに教えたテレサは、クンから「助けてほしい」と言われます。チョンはユンが死ぬ前に会っていたテレサに事情聴取をすると、テレサはユンが1000万ドルを持って帰ったと証言します。ローとバウはソンの前に連れて来られ、バウは「取りあえず500万を受け取ってくれ。後は何とかする」とソンに言いますが、相手にされず、バウが瓶を持って暴れるのを尻目に、ソンは「見せしめだ」と言って、ピックをローの左胸に刺し、「もしかしたら助かるかもしれないから、病院に連れていけ」とバウに言います。ローを担いで急いでその場を立ち去るバウ。
 チョンの元にはユンの殺害現場にいたダッマンの恋人が連行されてきます。彼女はユンの会社で働いていて、ダッマンと一緒のところも監視カメラに写されていましたが、自分は無関係だと言い張ります。バウの知り合いの医者を求めてローが運転する車は、行く先々で通行止めに会います。ガスボンベを持ってチョンとともにエレベーターに立てこもったレイの事件現場だったからでした。ローは医者に行く前に知人の投資会社に行って指数先物に投資するようにバウに言います。バウは投資会社から上げか下げかと聞かれ、さっき習った知識を駆使して上げと判断し、500万ドル全て投資します。車の中で下げろと念じるロー。下がり続けていた数字を見て絶望的になっていたバウでしたが、主要5ヶ国の財務相会談でギリシャ支援策が打ち出され、数字は上がり始め、最終的にバウは300万儲けますが、ローは 力尽き、路上で倒れます。チョンもレイからライターを取り上げて助かり、テレサは500万を手に入れ、上司に辞表を提出するのでした。

 3つの話が平行して進む、凝った構成の映画でした。

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金井美恵子『金井美恵子エッセイ・コレクション[1964-2013]1 夜になっても遊びつづけろ』

2014-07-20 09:32:00 | ノンジャンル
 今日はケネディ亡き後、アメリカのリベラルの象徴だったジョージ・マクガバンの生誕92年に当たります。改めて彼の存在を思い出したいと思います。

 さて、金井美恵子さんの'13年作品『金井美恵子エッセイ・コレクション[1964-2013]1 夜になっても遊びつづけろ』を読みました。
 「若者たちは無言のノンを言う」と題された文章の冒頭の部分を引用させていただくと、「若さとか青春と言うのは一体何なのだろう? この二つの言葉はわたしにとって禁句であり、とても恥ずかしくて口にしたり書いたりすることの出来ない言葉に属しているわけなのだが、おそらく、それが何であるのかあったのか理解出来るということは、若さや青春とわたしがおさらばする決意が出来た時のことだろう。
 ところで、わたしはアドレッセンスの後半に近い時点で、成熟の不可能性を夢見ながら現実には年をとって行く他、術がないようだ。青春の最中にあって、単に自分が年若いということのためだけに、未来の可能性を信じて勇気百倍的やるぞ見ておれ的これが青春だ的希望を胸にふくらませる若いのがいたとしたら、わたしはその単純さを、若さの特権だなどとは少しも思わない。このさい若さの特権という概念を、バラ色的人生観から徹底的にひっぺがしてしまうことこそ急務であると言いたいところだけど、わたしはそれ程あわてふためいているわけではない。最近の若いのたちを薄っすらと染めあげている、なんとなくうさん臭いダンダラ縞のハレーションを起している多様な虹色の風景は、性急にテンポラルな視点から結論づけてしまえる性(たち)のものではないし、そうした視点の常に持つ、一種の軽々しい割り切り方が、常に実に何も言ってはいないということを考えれば、おそらく風景をバックにしているわたしまでもが、あわてて結論を見つけたがる人たちの尻馬に乗ってみせることもない。
 戦後の風潮の一つなのだがいつの時代を見ても、その時々の若ものたちがマス・コミと大衆の好奇心の対象にされなかった時代はなかった。アプレから始まり、太陽族、あるいは1958年ごろからさかんに使われはじめたハイ・ティーンという言葉、六本木族、みゆき族、原宿族、フーテン族、とまあマス・コミは※※族を年中行事のように作り出して、少年少女たちのチンケな行動を期待している大衆に答えていたし、答えつづけるだろうとも言えるわけだ。そういう意味では、すべての※※族は半分はマス・コミの作り出した幻影にすぎないという認識を持つことも、無駄ではないはずである。フーテンの視覚的な異様さを無気味に感じるあなたたちのために、マス・コミはフーテン族のことを報道し(それが報道と呼べるならば)、今年の夏ももう終ったのだが、まだ終ってはくれない日々が漠然とわたしたちを待っている。
 他の※※族と、いわゆるフーテン族との決定的な相違は、おそらくフーテンたちの貧しさと非行動的なところにあるだろう。むろん、ここでフーテンと言ってみても、僕らの内容は千差万別玉石混淆様々雑多。何がフーテンなのだかそうでないのか皆目見当がつかない。
 世間には、若いころはあたしもフーテンだったのヨと、ひたすら物分りの良いシンパ小母さんたちというのがいて、小母さんを見ていると、アドレッセンス期のハシカというのがあるように思われて来る。小母さんは先輩らしい鷹揚な微笑を浮かべ、そりゃあ、あなたなんていったって若いうちよ! 若い時は何だって出来るのよ、盲蛇におじずって言うでしょう、などとむかしやがって、目尻に小ジワよせて無理算段の時流に遅れまいという決意も、見あげた心意気と言いたいところだが、やっぱり小母さんたちにはおひきとり願ってもらうことにしなくてはならない。あんたがたの時代とは時代の大勢が変わっているんだよ、と切りたくもない見得を切ってみせなくてはならないのは、もっぱら、小母さんたちが歴史を無視するところに由来している。あるいは、若さとは青春とかいうものに対する無批判的な彼女たちのアコガレに。‥‥」

 全500ページを超える中で、30ページ弱読んだだけで、先を読むことを断念しました。やはり私の理解力を超えた文章ばかりでした。

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チャールズ・チャップリン監督『ライムライト』他

2014-07-19 15:40:00 | ノンジャンル
 チャールズ・チャップリン監督・原作・脚本・音楽・共同編曲・主演、ロバート・オルドリッチ助監督の'52年作品『ライムライト』をスカパーのイマジカBSで再見しました。病気から絶望し自殺しようとした娘を売れなくなった芸人が助け、歩けなくなったと思い込む娘をバレリーナに復帰させ、最後はその娘が用意してくれた舞台で亡くなるという物語で、舞台監督をヒッチコックの『逃走迷路』で悪役を演じたノーマン・ロイドが演じ、ギャグは主人公が舞台で芸としてやるものに限られ、ということはストーリーの中ではギャグが一切ない、チャップリンの唯一の映画であり、遺作でありました。
 また、ロバート・オルドリッチ監督の'62年作品『何がジェーンに起ったか?』もWOWOWシネマで再見しました。ネズミの料理を出されたジョーン・クロフォードが車椅子でグルグル回るところが真上からの俯瞰で撮られていたこと、隣の奥さんがジョン・フォードの『わが谷は緑なりき」にも出ていたアン・リーだったこと、ジョーン・クロフォードの最期の表情が鬼気迫るものであったことを再認識しました。
 また、ウディ・アレン監督・脚本の'12年作品『ローマでアモーレ』もWOWOWシネマで見ました。4つのエピソードが平行して描かれていて、それはローマに観光で来たニューヨークの娘が地元の若い弁護士と知り合い、婚約し、娘の両親が弁護士の両親に会いにやって来て、娘の父である引退したオペラの演出家(ウディ・アレン)が、弁護士の父がシャワーを浴びながら見事な歌声でアリアを歌うのに目を付け、オペラの舞台でシャワーを浴びせながらアリアを歌わせ、弁護士の父が世間の絶賛を浴びる話、田舎で結婚しローマで暮らすために上京した若いカップルのアントニオとミリーのミリーの方が美容室を探して歩いているうちに、映画の撮影現場に行き当たり、憧れの有名男優と出会ってホテルまで行きますが、そこで強盗に会い、またそこにやって来た有名男優と別居中の妻をごまかすために、ミリーと強盗がベッドに入って男優の妻をやり過ごし、男優も去った後、ミリーが強盗と寝る一方、ホテルでミリーの帰りを待っていたアントニオの許に間違えて娼婦のアンナ(ペネロペ・クルス)がやって来て、そこにアントニオの叔父叔母が現れたために、アントニオはアンナを婚約者として叔父叔母に紹介することとなり、アンナとパーティーに出ると、アンナの多くの客にアンナは囲まれ、パーティーの後、アントニオはアンナにセックスの手練手管を教えてもらい、ホテルで再会したミリーにその実践を試す話、有名なアメリカ人建築家が昔住んでいた家を訪ねて、今そこに住んでいるカップルと会いますが、そのカップルの妻の友人である売れない女優が泊まりに来て、やがて夫と女優が恋に落ち、女優に映画の仕事が入り、去っていく話、ヒラのサラリーマン(ロベルト・ベニーニ)がある日突然テレビ局に連れていかれ、そこでインタビューを受けて時の人となりますが、やがて1人の記者の気紛れで別の人物へと世間の興味が移るという話でした。軽快な音楽と思い切った省略、赤茶けた画面が印象的だったと思います。
 また、マーク・フォスター監督・共同総製作の'13年作品『ワールド・ウォーZ』もWOWOWシネマで見ました。咬まれると感染し人間を襲うゾンビとなる病気が蔓延し、フィラデルフィアから大西洋に浮かぶ国連の空母に家族と避難した元国連調査員(ブラッド・ピット)がウイルスの専門家を護衛して韓国に旅立ち、そこからイスラエルを経由してWHO研究所に至り、そこで致死性の病原体を注射することによって、ゾンビから攻撃されないで済む方法を発見し、家族と再会するまでを描いた物語で、これまでのゾンビと違ってゾンビの動きが早く、またCGを使ったゾンビのモブシーンも見せ場になっているゾンビ版パニック映画でした。
 また、山根貞男さんが推薦していた、ジョン・ヒルコート監督の'12年作品『欲望のバージニア』もWOWOWシネマで見ました。禁酒法時代、片田舎で密造酒を作る、不死身とあだ名された長男を始めとした三兄弟と冷酷な捜査官との戦いを描いた映画で、血で血を洗う残酷さと絵に描いたようなハッピーエンド、陰影に富んだ画面が印象的な作品でした。

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G・ヤノーホ『カフカとの対話』

2014-07-18 08:51:00 | ノンジャンル
 デイヴィッド・クロネンバーグ監督の'12年作品『コズモポリス』をWOWOWシネマで見ました。ほとんどの時間をリムジンの中で過ごす若い大富豪が主人公で、ワンシーンだけジュリエット・ビノシュが出演し、ほとんどのシーンで主人公が他者と会話し、暗い深みのある画面が印象的な映画でした。

 さて、山田太一さんがアフォリズムが満載されていると言っていた、G・ヤノーホの'68年作品『カフカとの対話』を読みました。
 冒頭の部分から引用させていただくと、「1920年3月末のある日、夕食の席で父が、明日の午前中に役所に訪ねて来るようにと言った。
『お前がよく学校をずるけて市の図書館へ行くのを、私は知っている』そう父は言った。
『ともかく、あす私のところへおいで。身なりを整えて来るがいい。人を訪ねるのだ』
 私は、二人でどこへ行くのかとたずねた。
 父は私の好奇心を楽しんでいるのではないかと思われた。しかし彼は一言も教えてはくれなかった。『いいから』と父は言った。『訊きたがるんじゃない。不意打ちのほうがいい』
 翌日の正午少し前、労働災害保険局の四階にある彼の事務所にはいってゆくと、父は私を頭の天辺から足の先まで注意深く見まわした後、事務机の真中の抽斗をあけ、花文字でグスタフという銘のある緑色の帙(ちつ)をとり出し、前においたまま、私をながい間見つめていた。
『なにを立っている』しばらくして父が言った。『掛けなさい』私の緊張した表情が、いたずらっぽい様子に軽く彼の瞼をすぼめさせていた。『心配しなくていい。叱りつけようというのじゃない』彼はやさしく語りはじめた。『私はお前と友達同士のように話したい。父親ということを忘れて聞くがいい。お前は詩を書いているね」彼は請求書をつきつけるように、私を見つめた。
『どうしてそれをご存じ?』私は口ごもりながら言った。『どうして分かったのです』
『なんでもないことだ』と父は言った。『毎月電灯料がたいそうかさむ、私は使用量が増えたわけを調べてみて、お前が夜更けまで灯りをつけていることが分かった。おそくまでお前がなにをしているかが知りたくて、私は見張っていた。そして、お前が一心に書いていること、書いては破り書いては破り、かと思うと、そっとアップライトの底に隠していることを確かめた。だから、ある朝、お前が学校に行っている間にあれを見てしまった』
『それだけ?』
 私は唾をのみ込んだ。
『それだけさ』父は言った。『「体験の書」という表題の黒いノートが見つかった。これには興味を覚えたけれども、お前の日記だと分かったのでよけておいた。お前の魂を掠め取ろうとは思わない』
『でも詩を読んだではありませんか』
『ああ、詩は読んでしまった。「美の書」という題の黒っぽい紙挟みのなかだった。私に分からぬところが多かった。あるものはどうしても馬鹿げているとしか思えない』
『なぜあれを読んだのです』
 私は17歳だった。だから少しでも触れられることは、神聖冒涜を意味した。
『なぜ私が読んではいけない。なぜお前の作品を知ってはいけないのだ。いくつかの詩は私の気に入りさえしている。私はできればその道の人から、専門的な批評を聞きたいと思った。それで速記をとり、役所のタイプライターで写しをこさえた』‥‥」

 全部で400ページ弱のうち、30ページほどを読んだところで、先を読むのを断念しました。理由は単純に内容に興味が持てなかったからです。それは実際にカフカとの対話が始まってからも同じでした。

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チャーリー・チャップリン監督『サーカス・サウンド版』その4

2014-07-17 08:46:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 「お願い、やめて」と娘が言うと、チャーリーを吊ってる針金が配電盤に触れ、チャーリーは感電します。道化「タイツを忘れてる」「出番だ!」チャーリーは舞台に出ていきます。針金に吊られ、腕だけでするすると縄を登っていくチャーリー。綱渡りを始めようとすると、猿が果物を投げつけ、それを受け取ったチャーリーは客席にそれを投げてしまい、それが頭に当たった男性客は激怒します。謝るチャーリー。いよいよ綱渡りを始め、針金に吊られて逆立ちをしたりしますが、やがて針金を付けたベルトが外れてしまいます。不安定になったチャーリーに、猿たちが襲いかかり、ズボンが脱がされ、頭に猿が貼り付き、頭に空中ブランコが激突し、ついに縄にしがみついて、向こうの場所に辿り着きます。自転車に乗って地面に到達すると、勢いがついて雑貨屋に突っ込んでしまい、そこの店主を粉まみれにしてしまいます。サーカス小屋に戻って来ると、団長が娘を突き飛ばしていて、チャーリーは団長の尻を蹴り上げ、殴り、馬乗りになります。小屋から放り出されるチャーリー。娘は泣き、顔にあざのできた団長は「出て行け!!!」と怒鳴ります。フェイドアウト。
 “その夜”の字幕。チャーリーが野宿をしていると、娘がやって来て「サーカスから逃げ出したの」「2度と戻らないわ」「私を連れていって下さる?」と言います。いや、ダメだとチャーリーが言うと、娘は泣き出し、チャーリーはしばらく考えた後、「いい考えがある」「ここにいたまえ」と言って去ります。フェイドアウト。
 団長は「マーナを見たか?」とレックスに言って去ります。そこへやって来たチャーリーは「彼女は逃げた」「僕は彼女に何もできない」「ひとつだけ方法がある」と言って、レックスに指環を渡します。「彼女は向こうに?」と言うレックスを説得するチャーリー。やがてレックスが「彼女のところへ行こう!」と言うと、チャーリーは彼に抱きつき顔にキスをします。顔をぬぐいながらチャーリーと出発するレックス。フェイドアウト。
 “朝が来て”の字幕。教会から腕を組んで出てきたレックスと娘に米を振りかけるチャーリー。娘とチャーリーは抱き合います。娘を真ん中にして腕を組む3人。“出発の用意をしたサーカス”の字幕。3人は団長の前にやって来ます。団長「戻って来たのか?」レックス「あんたが話してる人は僕の妻だ!」。驚く団長に結婚証明書を見せるレックス。チャーリーは団長を殴ってやると娘にジェスチャーで示します。団長はレックスと握手し、チャーリーと娘の方に歩を進めると、チャーリーが手を差し出しますが、団長に突き飛ばされ、団長は娘と握手します。団長はレックスと娘に「サーカスは続けるか?」と尋ねると、娘は「彼を雇ってくれたら」とチャーリーを指差します。団長はチャーリーとも握手し、「君は一番後ろの馬車だ」と言います。馬車にレックスと乗った娘はチャーリーに「私たちと一緒に」と言いますが、チャーリーは遠慮し、その場に留まります。サーカスの一団は出発し、最後の馬車も行ってしまいます。木箱に腰掛けたチャーリーは、目の前に落ちていた破れた星の紙を拾い上げますが、やがてそれをクシャクシャにすると、足で後方に蹴り、画面の奥の方にヒョコヒョコと歩き出します。その逆光の姿にアイリスアウトして映画は終ります。

 細かいギャグはあらすじの中では到底書き切れるものではなく、また綱渡りをしていて猿が顔に貼り付き、尻尾が口に入り込むシーンなど、どのようにして撮影したのか理解することすらできない、奇跡のようなシーンでした。道化のコントやレックスが失敗するシーンで大喜びするチャップリンの姿も印象に残りました。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/