青じそがたくさんありますので、明太スパゲッティを作りました。
麺を塩水で茹でている間に、シソを刻み、溶かしバターに明太子を腹から出してとかしておきます。
明太バターと茹でた麺を混ぜて、上にシソをトッピングしました。
青じそはまだ葉っぱが小さいために、香りも良くて、食感もゴワゴワしていなくてよかったです。
青じそがたくさんありますので、明太スパゲッティを作りました。
麺を塩水で茹でている間に、シソを刻み、溶かしバターに明太子を腹から出してとかしておきます。
明太バターと茹でた麺を混ぜて、上にシソをトッピングしました。
青じそはまだ葉っぱが小さいために、香りも良くて、食感もゴワゴワしていなくてよかったです。
青じそが雑草のごとく畑を覆いました。ほとんどが小さい葉っぱのままです。それで、抜けるだけ抜いて、浜田の料理仲間に分けて、あとは葉っぱだけ取って西宮に持って帰りました。6月2日の土曜日は、豚ひき肉、刻んだ青じそ、えのき茸、塩胡椒、刻みキャベツ少し、ごま油少々を混ぜて、ワンタンの皮を二つ折りの三角形にして、つつみ、あげました。小さいジャガイモも素揚げにしました。
ポン酢醤油で食べたのですが、あっさりして美味しいものでした。
6月3日に浜田に帰省して、畑仕事を終えて、6月8日に戻った翌日が、文学学校の日でした。この日は、他のクラスとの合同合評会がありました。他クラスの優秀作品と我がクラスの優秀作品について感想を言い合う会です。
他のクラスの方の作品は、田舎の小学生二人を描いた作品でした。この方の作品は、表現力が素晴らしくて、その表現力にまず圧倒されます。ところが最初のページに鶏小屋のシーンが描かれていて、私は田舎の農家で育っておりますので、農家が鶏をどのように飼っているかを他の方よりよく知ってるという自負もあり、最初のページのところに疑問を持ってしまいました。
飼い方などはその家々で違います。ただ、農家にとっての家畜も家族ですし、病気にさせないように、鶏などは美味しい卵を産んでくれるように、エサなどには神経を使うのです。
それで、私は、自分の実家がどんな思いで鶏を育てていたかを述べてしまいました。
まず、朝は祖母が菜っ葉とニラを丁寧に刻みます。そしてトウモロコシの資料を別々に与えます。何もかも餌を混ぜてやると鶏は食べません。いつも鶏小屋はこまめに掃除をし清潔にしていて、スクモ(籾殻)を敷きます。祖母は時間があるときは貝殻を槌で叩いて粉々にして食べさせます。殻を硬くするためです。そして食欲がなくなったり元気がなくなると、鳥のくちばしをこじ開けて、そこに唐辛子(鷹の爪)を無理やり喉の奥に押し込むのです。時々、隣の子が、御釜やおひつに残ったご飯をザルにとって、鶏にあげてとお使いで持ってきてくれることもありました。
中には間違った飼い方もあるかもしれませんが、経験的に得られたものです。
私にとっては、鶏を飼っていた記憶は、大切な思い出です。祖母の飼っていた鶏の卵は本当に美味しいものでした。
意見を言った後。作者の方に
筋とは関係ないですから
と言われて、細かすぎる指摘をしたことに気がつきました。
その後いつも近所で私のことを心配してくださる先輩が、
あなたと似たようなことを書いた記事を見つけたと 新聞の切り抜きをくださいました。6月9日の朝日新聞のB級言葉図鑑の記事でした。
筋とは関係ないけれど、人それぞれに気になるところがあるのよね。
と笑っておられました。
チューターから
ディテールは重要です。神はディテールに宿ると言われています。
同じクラスの方に
緻密なディテールで大ボラ吹きたいな
という言葉もいただきました。
そして作者の方は、一人一人の意見に耳を貸す方だそうで、あなたの意見も参考にされると思います
と言われて、救われました。
言葉を尽くして作品を作るという目的は同じです。より感動を与える作品を生み出すためにお互いに意見を言い合うということは素晴らしいことであると実感いたしました。
この日も孫にお弁当を作りました。