マダムホーリーの毎日のご飯とぼやき日記

毎日作る料理をご紹介し、日々思うことをぼやいています。

昨日はピーマンの肉詰めをしました。

2018-06-27 10:10:49 | ぼやき日記

冷蔵庫に、ひき肉がたくさんありました。ハンバーグも良いのでしょうが、栄養を考えてピーマンの肉詰めをしました。

それから、夏野菜でラタトウイユ

これで十分なのですが、お味噌が体にすごく良いので鯵のなめろうを作りました。

ネットには色々なレシピがありました

私は中鯵2匹分(薄く切り刻む)に対して

すりおろし生姜大さじ1

刻んだ大葉3枚

みょうが1つ

オリーブオイル大さじ1

みそ大さじ1弱

白だし小さじ1

 

いりごまを混ぜても良いです。

 

お皿に盛りつけたら刻み葱をトッピングします。ご飯と食べる場合はもう少し味を濃くしても良いかもしれませんね。

 

浜田では、鯵はお刺身にします。

なめろうなんて活きが悪い魚でするものだと勘違いしているかもしれません。

だけど、なめろうは美味しいです。鯵以外のお魚やアボカド豆腐でもできそうです。

色々ななめろうにチャレンジしてみます。

 

高齢者は栄養が不足しがちです。母のためボリュウムのあるメニューを考えようと思っています。

不思議なスパイスとか変わった食材に抵抗がない母なので、助かります。

 

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山の辺の道をゆく5

2018-06-27 08:16:53 | ぼやき日記

 

画像は、纒向遺跡です。山のべの道は高台にあります。大和国は最初は、丘陵地にありました。奈良盆地と、大和三山、向こう側に二上山、葛城山、金剛山が見渡せる場所です。ここに纏向の宮がありました。奈良盆地は昔は湖だったという説があります。この後、都はもう少し南側の飛鳥に移ります。国の始まりはどんな場所だったのか、しっかり目に焼き付けることができました。

時間がゆっくり流れています。

箸墓古墳のところで断念しなくてよかったです。

この場所から、景行天皇陵を経て、長岳寺まで歩きました、最後は、柳本の駅のそばにある黒塚古墳に行きました。

三角縁神獣鏡が出土したところです。

真夏のように暑い日でした。

柳本駅についたときは、熱中症に近い症状でした。

でもなんとか予定通り山の辺の道の半分を歩くことができました。

 

奈良は、美しい風景や遺跡や古墳や古いお寺や仏像や神社があるから素晴らしいのではありません。

住んでいる人が、優しくて温かいから素晴らしいのです。

 

大和は国のまほろば 

私はしみじみと歌の意味を噛みしめました。日本人の心の故郷です。

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山の辺の道をゆく4

2018-06-27 07:25:46 | ぼやき日記

井寺池は山の辺の道から少し外れたところにあります。卑弥呼の墓とも噂される箸墓古墳はさらに西に行き、線路(桜井線)の向こう側にありました。

ここから、山の辺の道に復帰するには、1キロはありました。しかも緩やかですが坂道です。

纒向の駅のそばを通りかかった時、このまま帰ろうかと思いましたが、ちょうどお昼でもあったので、近くのカフェに行きました。

三輪そうめんを注文して、出された水を一気に飲み、おしぼりで顔を拭きました。

おじさんではなくおばさんで顔を拭く人間が珍しかったのでしょう、お隣のテーブルで食事をしておられたカップルの女性の方が、にっこり笑ってグラスにお水を注いでくださいました。

私はすでに、山の辺の道から離れて、箸墓古墳に行ったことを後悔していました。

「たくさん歩いたのですか」

男性の方も心配してくださいました。私は朝から歩いたルートを説明し、今書いている小説に出てくる場所を見に来たと話しました。

それからは、山の辺の道と奈良のことで話が盛り上がりました。

私は真面目に聞いてみました。

私「ここの場所は、日本の始まりの場所で、ありえない数の、遺跡や古墳があります。だけど地元の人は普通に穏やかに生活していらっしゃいますよね。私などは、来ただけでプレッシャー感じているのに、すごいと思います。いちいち気にしていたら生きていけないからでしょうか?」

男性「ああ、確かにね、わしも広い土地を持っているけれど、駐車場にして何も上に建てないことにしとる。少し掘っただけで何か出てくる場所なんでね。でもここは住みやすくて良いところだから、なーんも考えんと生きていけるんよ。」

女性「そうよ。奈良はいいところよ。私は大好き。歴史のことは何にも知らん。呑気に、のほほんと暮らしとる。それで、お話は書けそう?」

私「話に出てくる場所を見たからと言って、書けるものではないということに気がついています。」

女性「主人公が、奈良で私らにあったことを書きなさいよ。呑気に楽しく暮らしている私らと出会って話をしたことを。ええやろ?」

私「そうですね。主人公がホッとするシーンになりますね。ありがとうございます」

途中で断念しようと思っていたのですが、私はお二人に元気付けられ、美味しい三輪そうめんを堪能し、山の辺の道に復帰して、先に進むことができたのでした。

本当にお二人のこと、お話に書いていいのでしょうか?

 

 

 

 

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山の辺の道をゆく3

2018-06-27 07:05:16 | ぼやき日記

大和は国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 大和し 美し

倭健命(ヤマトタケルノミコト)

この石碑は、桧原神社の近くの井寺池の真ん中にあります。かつて石碑を作る時に、川端康成がこの歌と、石碑の場所を決めたそうです。大和三山と三輪山、金剛山、葛城山、二上山を見渡せる場所を希望しました。

倭健命は、死ぬまで戦い続けました。西から東まで。最後は故郷の地を踏むこともなくなくなりました。死ぬ前に詠んだ歌が上です。

石碑はそんな倭健命の思いを理解して作られたものだったのです。

ここまでは比較的元気だったのですが、5キロ近く歩くと、1キロごとに休憩しないと歩けなくなるのです。

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山の辺の道をゆく2

2018-06-27 04:12:27 | ぼやき日記

山の辺の道は、かつて伊勢本街道の一部でした。

南側の桜井市には、海石榴市という場所があり、日本最古の市があり、賑わっていたそうです。この辺りには宿場もできてたとのこと。平安時代には紫式部が、伊勢詣でで通ったと言われています。

ここから北へ向かうと

大神神社(おおみわじんじゃ)があります。大和地方の一宮です。なんと後ろにある三輪山がご神体です。山そのものが神様なんて驚きでした。

ここから桧原神社に向かいました

 

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山の辺の道を行く1

2018-06-27 03:24:59 | ぼやき日記

6月24日の日曜日に一人で山の辺の道を歩きました。今書いている小説に出て来る場所なので、行く必要がありました。

山の辺の道のスタート地点から六百メートルぐらい離れた、大和川のそばに、磯城嶋金刺宮跡地があります。

大和朝倉駅から十分ちょっとの場所でした。

日本書紀では、552年 欽明天皇の時代に、百済聖明王より、仏像と経典が送られました。欽明天皇の磯城嶋金刺宮があった場所が、仏教伝来の地となり、石碑が建っております。

そしてこの横に柿本人麻呂の歌碑がありました

ピントがあっておりません。

しきしまの大和の国は 言霊の さきはふ国ぞ まさきくありこそ

意味は

日本の国は言霊が幸をもたらす国です。どうかご無事でいて下さい。

ということです。

 

この場所から旅立ったり、帰って来たりしたのでしょうね。

飛鳥時代までは、大和川を遡り、奈良まで船で行き来ができたと言われております。

欽明天皇は、継体天皇の子です。継体天皇の前の武烈天皇の時に、世継ぎがなく、天皇家は存続の危機を迎えました。何代かさかのぼって、家系図を辿り、越前(福井)から迎えられたのが継体天皇で、武烈天皇の姉と結婚して生まれたのが欽明天皇です。

仏教が伝来し、大和朝廷が新しい王権に生まれ変わったのが欽明天皇の時ではないかと思っています。ですからこの場所は日本にとって重要な場所なのです。

それにしても、奈良の方は優しい人ばかり声をかけてくださいました。だけど、私はこの場所に立っただけで興奮してドキドキしたのですが、地元の方は、普通にしておられるので驚きました。あちこちに山ほど、重要な遺跡や古墳や、神社仏閣があるわけですから、いちいち気にしていられないのかもしれません。

山の辺の道はここから始まります。

 

 

 

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