マダムホーリーの毎日のご飯とぼやき日記

毎日作る料理をご紹介し、日々思うことをぼやいています。

岩手の旅7 地元グルメを総括してみました

2019-07-24 09:36:06 | ぼやき日記

岩手で美味しいものはたくさんあります。南部牛追歌があるように、牛がいるんですね。一日目の旅館んで食べたのは、前沢牛のしゃぶしゃぶでした。撮影するのを忘れたのですが、最後に出てきた、野菜がたっぷり入ったすいとんがお肉より美味しかったです。それと、海藻と大根の釜飯。夢中で食べて写真に撮り忘れたのが残念でたまりません。

それから、一関の和風餅セット。餅がとにかく柔らかくて美味しいのです。

でも岩手の名物は、やはりこれでしょうね

わんこそばです。このお店は平泉駅のすぐそばの芭蕉庵。横に女性がいて、次々入れてくださって、蓋をするタイミングを忘れると、必死で食べないといけなくなるスリリングなものではなく、自分のペースでゆっくり味わって食べることができます。

以前に盛岡に行った時に食べた椀子そば店では、五歳の長女は、どんどん入れてくる女性をすごい目で睨みつけていました。そんなことを思い出しました。

 

盛岡では冷麺を食べました。スイカが入っているのが特徴です。麺にコシがあって最高です。

 

二つ前の投稿で紹介しています。宮沢賢治記念館のそばの、山猫軒のホロホロ鳥のチキンカツ定食です。こちらのお店は、他にも美味しそうなものがありましたが、胃袋が一つなので断念するしかありません。

岩手のお米が、石見のお米よりも少し粘りがあります。そして、ご飯のお供もたくさんあり、ついついたくさん食べてしまいます。

今回はお伝えしませんでしたが、東北には温泉もたくさんありました。一日目は平泉温泉、二日目には、日帰りで、花巻温泉のバラ風呂に入りました。三日目はなんと駅前のビジネスホテルの最上階に大風呂があり、朝入りました。なぜか得した気分になりました。

関西からは、空路を使えば、東北は遠くないことに気がついたので、今度は別の場所に行ってみようと思っています。

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岩手の旅6 花巻で出会ったもう一人の偉人 新渡戸稲造

2019-07-24 08:48:46 | ぼやき日記

南部藩に使えた新渡戸家は、昔から、高潔な人格を誇りとして生きた来た方々です。そんな中で生を受けた新渡戸稲造は、日本の素晴らしさを理解した上で、太平洋の橋渡しをすべく尽力します。

まさか、花巻で、この人のことを知るとは思いも寄らず、訪れた記念館でした。

明治維新によって日本は近代化を推し進めたのですが、その中で新渡戸稲造は、農業技術を学びながら、英語力を鍛え、海を渡りました。

日本の素晴らしさを、海外に伝えるとともに、国際人とし活躍しました。

彼の著書 武士道は様々な言葉に翻訳されて、世界中の人に読まれました。

 

学ぶということは何を意味するのか、

我々は学んでいくとともに、心を鍛えているだろうか? 頭でっかちになっていないだろうか? 私利私欲に走っていないだろうか?そんな子供を自分たちが育てていないだろうか?

立ち止まって考える必要があると感じました。

彼は、人より多くのことを学んだ後、経済的な理由で学業を断念せざるを得ない人たちのために、夜学の学校を開きます。アメリカ人の奥様も協力を惜しみませんでした。

 

今の日本は格差が広がりつつあると皆は心配していますが、当時はもっとひどい格差社会です。しかも世界的にも日本は認知されていない国でした。そんな中にあっても、やる気のある人には等しくチャンスを与えようと動いた人たちも数多くいました。

それを思えば、今の方が、やる気になればなんでもできる気がします。

 

私の年代は、日本はダメな国だから戦争に負けた、アメリカは自由で素晴らしい国だから、見習うべきところがたくさんあると育ちました。何かにつけて、日本はこんなところがダメと行ってしまう傾向があります。

日本はダメじゃない。有史以来培われた、日本人の心は素晴らしいものであることを、新渡戸稲造は認識していて、それを世界に広めたのです。

 

日本が、満州事変により、大陸に進出を果たし、世界の中の立場が悪くなったことを心配して、新渡戸稲造は奔走しています。最後は会議で訪れたカナダで体調を崩し客死することになりました。

あの時、何人もの有識者は、アメリカとの開戦は避けるべきだと主張していたのに、なぜ開戦に至ったのか、胸が痛みます。もう少し彼が長く生きていたら、避けられたのでしょうか?そんなことを、帰りの飛行機の中で考えておりました。

 

 

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岩手の旅その5 花巻・宮沢賢治記念館

2019-07-24 08:31:18 | ぼやき日記

東北は雲が覆っており、天気が思わしくないので、最終日は八幡平の方面は断念し、花巻の宮沢賢治記念館でゆっくり過ごしました。宮沢賢治は、多才な人で、文学の才能も芸術の才能があります。しかも農業学校で学んで農業技師としても真面目に取り組み、地元の人のために貢献しました。しかも宇宙にも鉱物にも詳しく、宗教も熱心に勉強していたようです。

本人が演奏していたチェロ、イギリス海岸(北上川の河原)の写真、自身が作った曲やイラスト、そして絵本の自筆の原稿、目の形に設計した庭のイラストなど、独特の幻想的な世界が見て取れました。

そんな中私が最も気に入ったのは、電信柱の絵でした。原画が記念館に展示されていました。上の画像は、絵本・月夜のでんしんばしらとして出版された、別の方が原画を見て描かれたイラストです。でんしんばしらのなんとも言えない物悲しさが原画にはありました。

同じ敷地内には、注文の多い料理店に出てくるあのレストランがありました。なんと創業は昭和五十八年だそうです。

孫と私は歓迎されるべき客です。

ホロホロ鳥のチキンカツ定食を食べてみました。中にとろけるチーズが入っていて柔らかくてあっさりしておりました。

この後はまた驚く発見がありました、続きは次の投稿で

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岩手の旅その4 平泉・中尊寺と 江刺藤原の郷

2019-07-24 08:21:20 | ぼやき日記

毛越寺から中尊寺に向かいました。私はどうしても一番に気になるのが、松の枝ぶりです。本堂が後ろに隠れてしまいました。

中尊寺で詠んだ芭蕉の句碑もありました。

そして、撮影はできませんが、見事な金色堂を孫に見せることができました。下に藤原氏の遺体が保管されているお墓の意味があるというと、ミイラが出てくるのかそればかり心配しておりました。

金色堂は、雨ざらしの状態になった後、外を覆うお堂が作られました。主に仙台藩が保護に努めたようです。以前に金色堂を覆った建物です。

その後訪れたのは、大河ドラマのロケ地として使われている、江刺藤原の郷です。平安時代や室町時代のロケに使われています。

トリックアートもあります。孫はこちらの方を喜んでおりました。

そして日本庭園の中の池には鯉がおり、餌をあげることもできました。こちらの鯉は、ものすごく食欲旺盛なのか、普段餌をもらってないのかわかりませんが、陸に上陸してまで食べようとするので孫は、建物よりそちらの方を喜んでおりました。

 

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岩手の旅その3 平泉・毛越寺

2019-07-24 07:13:26 | ぼやき日記

バルセロナオリンピックの年に、東京から車で、家族の三泊四日の東北旅行に行きました。その時のスケジュールはタイトすぎて、みんなヘトヘトでした。娘は年中、息子は1才でまだ離乳食が必要でした。

三日目は、朝、小岩井牧場で遊んで、お昼に盛岡でわんこそばを食べた後、平泉まで85キロほど東北道を南下して、三時前に中尊寺に着き、金色堂をみました。この時点で、すでに午後四時を回っておりました。それで私は毛越寺に行くの断念すべきだと主張して、すぐに仙台に向かうように主人に進言しました。それは正解で、秋保温泉の宿に着いたのは八時近くでした。

しかし、そのあと、主人はあの時にお前のせいで毛越寺に行けなかったと何かにつけてぼやきました。我々はいつか行けるだろうと思いながら、主人は他界しました。

それで、おととい、行けなかった主人の代わりに毛越寺に行ったのです。

 

地元のガイドさんにお願いして、説明を受けました。丁寧でわかりやすくて勉強になることばかり。

 

中尊寺と毛越寺は円仁という人が開いた、立派なお寺です。毛越寺は残念ながら火事で消失していたので、本堂は最初にあった場所とは違うところに再建されました。奥州藤原氏は、当時、金によって繁栄し、それで得た財を、武力強化には費やさず、地域のために使っていたそうです。仏教保護にも力を注ぎ、二つのお寺は立派なものでした。毛越寺は極楽浄土をこの世に作ろうとしたものであり、寺の伽藍の前に池を作りました。池は、発掘されて、当時の姿のままあります。池の敷石もそのままです。建物があった場所には、柱があった場所に石が置かれていて、遺構を見ることができました。

境内には、奥の細道で訪れた松尾芭蕉の句碑もありました。

 

 

雨混じりでしたが、池を歩いているときは止み、池に周りの景色が映ってとても綺麗でした。私は主人の写真を出して、みてもらいました。

「これで長年の思いを果たせましたね。きっとご主人は喜んでくださっていますよ」

ガイドさんが言ってくださいました。

毛越寺のシーンを二年前の小説にも書いています。やはり実際に行ってみないとわからないことが沢山あります。来て良かったです。 

 

 

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