マダムホーリーの毎日のご飯とぼやき日記

毎日作る料理をご紹介し、日々思うことをぼやいています。

絶品の 泉州水なす  バカの私が言いたいこと

2019-07-30 08:48:10 | ぼやき日記

娘が大阪泉州の水ナスを買ってきてくれのぬか漬けにした。水々しい。最高!

ある方の発言である。

最近の学生は、一流大学に在籍していても、自分の頭で考えられないバカばっかりとおっしゃっている。

本当に?

だいたいバカの定義ってなに?

 

勉強を怠けていて、物を知らない人?

常に前向きに知識を得ようと努力できない人?

知識を身につけることばかりに偏り、考えようとしない人?

 

一体どんな人がバカなんだろう?

卒業大学の偏差値ランクを考慮すると、

おそらく私はバカの部類

ということは

本来の意味では、偏差値の低い学校を出ている人?

 

バカの定義は難しい。どんな人がバカなの?

 

過去に

お前たちはバカだ。だから頑張れ。

色々な人に言われたけれど、腹が立たなかった。なぜなら、それは全くの真実で、本当に自分は未熟で物事を真剣に見つめず、努力もしていなかったからだ。頑張ってほしいと言う気持ちの現れだった。バカにされたのではなく、未熟さを指摘されたと捉えた。

ただその一言から、自分のバカさと向き合った気がした。色々な方にバカを脱するお手伝いをしていただいた。昔は、それが愛情表現だった気がする。

 

バカでなくなるのはいつなのか?

これは難しい。誰にも判断なんてできないと。もちろんバカと向き合う私はまだバカのまま。

 

最近20代の若い方と知り合うことができたのだけど、みんな私より立派である。何がすごいって、まずプライベートと仕事をきっちり分けて、仕事は仕事と捉えて、淡々とこなしているところ。極端な、パワハラやセクハラは除外して考えると、仕事の上では、上司や職場に多くを求めることをせず、今の環境を受容して、仕事に向かうのだ。プライベートは、自分の趣味の時間に使う。

今は文学という同じ趣味でお付き合いしている人が多いのだけど、若い方は個性が光っている。文章がみずみずしくて、発想も面白い。そして合評のコメントも、隅々まで真面目に読んでくださっていて、鋭い指摘をしてくれる。たまたま出会った人がそうなのかもしれないけれど、バカなどと呼ぶのはとっても失礼である。むしろ尊敬に値する。

母が参加させていただいた、注文を間違えるレストランを担当してくださった学生さんも、計画から実行に移すまで、畳み掛けるように、アイデアを出し、地域の協力を募り、自分たちの力を出し尽くす。これを誰がバカと呼ぶだろう。

3年寝たろうはずっとバカだと思われていた。でも実はそうではなかった。寝ている間に実力をつけ、力を溜めていたのだ。

バカに見えても、実際は思慮深く、考えをめぐらしているために、無反応に見えることもあるかもしれない。見えないところで、色々な活動をして学んでいる可能性もある。

 

一部の人の、その時に出会った時の印象だけで、バカと呼んで良いのだろうか?

一部を見ただけでは、その人のことの全てがわかるわけではない。

 

だけど簡単に、ある集団を総称して、偉いとかバカだとか冷ややかに言うのは間違っている。

おそらく、それをいう方々は、自身の持論を展開するために、一部の学生がバカでなくてはならないのだ、と私は認識している。

 

では、バカとは一体誰のことだろうか?

私は

バカとは、人をバカ呼ばわりする人のことだと思う。

 

昔の人も言ってました。

バカ言うもんがバカ

 

 

 

 

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夏のすき焼き

2019-07-30 07:52:56 | ぼやき日記

すっかり定番になった夏のすき焼き、今回は割下を作ってみました。国産牛が100グラム168円、みてごらんの通り、価格通りの味ですが、でも元気になりました。高いお肉は母が戻って来てから食べることにします。

熱は下がっていますが、咳が残っております。私の場合、急に喘息のような咳が出るのです。昨日は咳のしすぎで身体中が痛みました。

 

文学学校も夏休みに入っております。昨年は、文校ロスになりました。今年は、色々身の回りに起きたので、ロスになる暇がないようです。

昨日は小学校の規律を守らせる教育法を心配する著書が出ていると新聞記事を出して問題提起されたのを受けて、全てではないけれど、規律は何か理由があって始まったものの可能性が高いと発言しました。最初投稿者の記事の掲載意図がはっきりわからず、質問したのですが、噛み付いたように見えたかもしれません。

子供を統率するために、規律で縛るのはよくないですが、規律正しいことは悪いことではないと思います。

学校は安全に子供を見守る責任がありますから、廊下で静かにするとか、走らず歩くように求めるのは事故を起こさないためです。

気持ちいい挨拶は、一日が幸せになりますし。校舎に登下校時に挨拶するのも大事なことのように思います。私も、アスリートは必ず競技場に一礼して入るのを見たことありますし、実家にある自分のキッチンに入る時は一礼します。良いことのように思います。

 

履物を揃えるとか姿勢を正すとか、お茶碗にご飯粒を残さないとかそういう細々したことは、本来は家庭で行うしつけの範囲です。それを学校で実施すると窮屈すぎて学校に行きたくないと言う子供をどう指導すべきなのでしょうか。しつけの部分も、学校が担うのであれば、先生のご負担は相当なものでしょう。

規律で縛るとのびのびできないことを心配されていますが、しっかり褒めることをすれば心配ないと思うのは乱暴なのかなあ?

私の場合は、夫婦で子供を縛っていましたから、学校よりも家が厳しくて、学校の方がのびのびできたようですが。そういえば、あまり褒めてやらなかったです。悪い親ですね。

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