息子の同級生に、生まれつき骨の病気で、歩行を補うため専用の器具はめて、杖を使っている子がいました。その子と息子は幼稚園から小学校まで一緒でした。
歩行以外にも、病気のせいで、発熱もあり、時には一週間上続くこともありました。病気の程度は人によって様々な症状があるので、どうサポートして良いかは、一緒に生活する中で、周りが理解していく必要がありました。小学生低学年には、気を配ることは難しいことで、一つ一つが勉強でした。
その子のお母さんとは、二十年以上経過した今でも友人として親しくさせていただいています。先日、久しぶりに長電話をしました。当時のことを振り返りながら、子育てのことについて話をしました。
子供が何かしたいと思った時、親はできるだけ実現させてやりたいと思うものです。それはハンディがある子の親の場合も同じです。
例えば、 プール、遠足、運動会の徒競走 などいろいろ
でも、その度に、予想される事故などを考慮して、学校側と事前の打ち合わせが必要でした。それでも、子供のためなら、そんなことは苦労ではありません。友人はできる限りのサポートをしていました。
だけど、「状況によっては、諦めてください。ここは、普通の学校ですから、教師にはできることとできないことがあります。その時はわきまえてください」
と言われることもありました。
それを言われると、子供は、本人が自分が何かしたいと言うことが、人に多大な迷惑をかけてしまうと思い始め、よほどのことがない限り、「やりたい」とか「助けてください」とか言わずに我慢するようになります。友人は常にそれを心配していました。境遇に関係なく、のびのびと育てたい、自分が興味を持つことはチャレンジさせてやりたいと言い続けました。
お母様方や先生方の中には、
「特別な境遇で生まれてきたのだから、いつまでもサポートする親はいないから、本人が早く自立して、なんでも自分でできるように心がけ、強くならなければ生きてはいけない。だから、周りが甘やかしてはいけない。手伝ってもらいたければ、自分で頼むぐらいでないとだめ」
こんな風に思っている人もいらっしゃいました。
そのため、友人は、子供のために、いろいろなことと戦いました。おそらくは、友人のことを過保護な親で、クレイマーと勘違いされていたかもしれません。
困っている人に、気軽に声をかけたりすることは、それはハンディのある人だけではなく、誰に対してもそうすることが大切であり、また人にサポートを気軽にお願いできる周りの雰囲気づくりも大切であることを力説していました。障害などを全く意識しなくてすむ社会が理想です。
ハンディのある子は、人一倍の努力をすべきとする考えにも違和感を示しました。自立させるために、あえて助け舟を出すべきでないという考えも本末転倒です。
友人はぶれることなく、バリアフリーについて研究者や専門家の意見を整理して、周りの人に、バリアフリーの意味を伝える努力を続けました。バリアフリーは物理的な問題というよりも、単に心の問題でした。
理詰めで説明しても、相手に届かないこともありましたが、その一方で、一生懸命サポートをしてくれる人々にも出会いました。大事なところで、手を差し伸べる人の存在はありがたかったと話します。
辛いことがいくつかありましたが、その中で今でも心に影を落とす思い出があります。
友人の子は、普段は友達が多く、いつも楽しく遊ぶのですが、球技や縄跳びなどのスポーツ行事があるときは、学校の長い休憩時間に子供達は皆チャイムがなると練習のため真っ先に校庭に行ってしまうのです。一人でポツンと置いていかれることが続きました。二階の教室から外に出るには、誰かのサポートがなければ出られませんでした。
そのことを参観懇談会で、親から一言ずつ言う時に、涙ながらに訴えました。一人でポツンといるときは声をかけてやってほしいと。ところがその次のお母様は、訴えを無視し、明るい声で自分の子供の様子を嬉しそうに話して、次のお母さんにバトンタッチ、どのお母さんも、その大事な訴えを無視し、まるで友人が透明人間であるかのように扱いました。
私の順番が来た時に、
「クラスメートに、彼がいることは、優しさとはどういうことかを学ぶことができると思います。だけど、皆子供だから、十分な配慮ができず、辛い思いをさせてしまったことは申し訳なかったです。私は、家に帰り、今回の訴えを家族と話し合います。そして今後は、辛い思いをしなくて済むようにできたらと思います。どうぞ皆様も重く受け止めてください」
と話しました。
そして次のお母さんもその次のお母さんも、ニコニコ笑って、自分の子供の成長ぶりを披露して終わりました。
一体なんだったんだろう。友人と私は透明人間で終わりました。司会のお母さんのみが、
「先ほどの意見は重く受け止めて、皆で考える必要があります。ただとても大きな問題ですからすぐに自分なりの意見を言うのは難しいことです」
と最後にまとめて終わりました。
友人は、実は事前に校長先生に相談を持ちかけていました。
「私から何か話すより、皆様に直接訴えてはいかがでしょうか」と校長先生に言われて、訴えたのです。しかし予想外の状況に、校長先生は黙っておられたそうです。ただ、「一人でも、あなたの訴えをまっすぐ受け止めた人がおられて良かったです」と言われ、友人は、そのことを私に話してくれました。私も事前に聞いていたら、もっと他の方の意見を引き出すことができたのではと少し後悔しました。
そして状況は思わぬ方向へ行きました。
これほど重要な問題をなんでほっておいたのか、そして、懇談会で訴えがあるのなら、事前に知らせて欲しかったと、担任を糾弾する声が上がりました。そして担任の先生が、翌年は持ち上がらず、違う先生と交代することになりました。ひとりぼっちにさせた責任は先生にあり、指導力不足にして、多くのお母さんは自分の子供の非を認めず、守ろうとしたのです。
友人は、誰かに責任を取ってもらうのではなく、気がつかなくて、思いやりが足りなくてゴメンなさい、みんなで楽しむことを考えますと言ってもらうことだけを望んでいたので、ショックを受けました。私もショックでした。
人が一生懸命に訴えていることに、何も反応せず無視することは、決してすべきではありません。すぐに返答するのがむずかしければ、
「大切な問題ですから、家で話し合います」
とか
「かわいそうな思いをさせてゴメンなさい。今はそれしか言えません」
で十分です。
何も言わずに、深刻な顔をしている人の前で笑いながら自分の子供の話だけするのは人を傷つけます。意見を求めている人を無視するお母さんは決して良いお母さんではないと思います。あの時のお母さん方はどうしておられるかわかりませんが、今、秀才でも利己的な人が目につくのは、親のあり方に問題があるように思います。心の中では人なんかどうでも良い、自分が一番大事と思っている、表面だけは綺麗な言葉でつくろう態度は、心根の美しい人間を育てることはできません。
広島選出の国会議員のK夫妻は、公職選挙法に違反をして起訴が決まっても、未だに辞職することなく、国会議員にい座り給料やボーナスをもらい続けています。それが議員の特権であるとしても、ありえない行為です。私が親なら、言って聞かせ、殴っても辞めさせると思います。勝てば官軍という考え方で育つとこういうことになる良い例です。
ちなみに、
過保護だと言われ続けた友人の子供はどうなったと思われますか? 友人は、なんでも納得が行くまでゆっくりやればいいと言い続け、いつまでも寄り添ってサポートをしていくつもりでいました。決して、自立しなさいとか、強くなれなど言わずに育てました。
友人の子は、弁護士になりました。今は、親元を離れ、独り立ちし、県外でしっかり、地に足をつけて人々のために働いています。
友人は
「いろいろなことがありましたけれど、今は息子に関わった全ての人たちに感謝したいです」
と話します。
画像は、家ランチです。ぶりのあらの照り焼き定食にしました。ランチを和風にするのは珍しいことです。
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