どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

「迷惑固定足跡に対して」に対して

2005年03月13日 | 日記
今日のカフェには 朝から興奮したね~

私は はっきり固定と判る方の足跡は 即削除させていただいております

数少ない友達のIDを消したくはないもので・・・

マーキングなのでしょうか

犬でも縄張りってものがあるでしょうに・・・

ある程度心通じ合う者同士ならば 固定も許されるでしょうがね

そう 固定にも二通りあるのですよ

人として認め合ったことが一度でもあれば それはそれで好いのですがね~

しかも 訪問されたこともお忘れで―それはそう 日記もプロフも見てはいないのですからね―

足跡返しに行って戻ってくると・・・しばらくして見覚えのある足跡が・・・

トホホ・・・です

ま 私の場合ランキングなんて一切無視ですからね~

でも コメントが何も無いなら不必要な定型足跡を残すこと無いでしょ

そもそも 訪問したことになってないし~

確かに素通りも自由と書いてありますけどね 私の扉には・・・

でも 塀にいたずら書きはいただけない

モニターの向こうに人がいるってこと わかっていないのでしょうね

私には 彼ほどの体力も時間も無いので

今後も固定型(あるいは固定系・・・渋谷系みたい!)の方々の足跡は無視するだけですけどね~

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凡庸

2005年03月13日 | 日記
「生涯、凡庸に徹して生きよ」詩人の森崎和江さんが がん末期の父親に言われた言葉だそうで

「凡庸」ってどういうことだろうか と考えた

普通 あまり肯定的には使われない言葉だが・・・

それは 仕事や個性や能力について言及したわけではなく 人のあり方を語ったのではないかと思う

「自殺する数日前に実家に戻っていた弟の言葉の深みがわからなかった・・・」彼女は語る

「生活を通して教える言葉を持っていなかった」とも

人の心に寄り添う魂を育てるのに必要なものは この凡庸さに潜む美しさにあるかと思う

家族や友人や隣人に対する愛 労働の喜び 人として当然あるべき喜怒哀楽の感情 

自然に対する敬意と畏怖 美に対する賛美・・・

すべて普通のことが普通に・・・

人は普通のことを見失い 普通のことに不満を抱き 普通のことに退屈するものだが

「徹する」という言葉を使っていることから 我が身を諌めてそうあるべきだということなのだろう

今日は極めて凡庸な頭で ブルースを聴きながらこんなことを・・・

それにしても やっぱりロイ・ブキャナンのギターはかっこいい~
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