どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

バングラデシュ救済コンサート

2005年12月03日 | 日記
追記に書いたレコード 聴いた覚えが無いわけだ 好みじゃなかったみたいで^^

お耳直しが欲しくて 無料のネットTVでバングラデシュ救済コンサートの回顧フィルムを見てしまった

出演者達の 当時を振り返った今のコメントもあった

ビートルズの中ではまずポールが好きになった私だが 解散の頃からはジョージに変わっていた

高校の頃は下敷きケースに彼の写真を入れていたっけ

何故チャリティーコンサートをする気になったか それは 友達に頼まれたから

記者会見で彼はこう答えている

その簡潔な理由にジョージらしさを感じた

この手のコンサートの先達になるとは その時は彼も思わなかっただろうに

先日来日したレオン・ラッセルも若く 30年程前に彼のコンサートに行ったことも思い出した

最後まで出演が危ぶまれたクラプトンは ロックシーンの変動期にあって活動を停止中だった

ジミヘンやジャニスが亡くなり 70年代は60年代とは違った様相を呈していた

それでも友の心意気に打たれて直前にニューヨークにやってきた

リハーサルは無かった

あの時のセミアコのギターが合っていなかったと述べている

確かに(笑)

解散後で表舞台に立つことを好まないジョージが 友達の 祖国を助けて欲しいという言葉だけで

一ヶ月も電話をかけまくり 出演依頼をし あのコンサートを成功させたなんて 

当時の私はそこまでは知らなかった

ディランは事の重大性とスケールの大きさに尻込みしたようだ

だがジョージは 僕だって初めて一人でやってきたんだ 君の方が一人は慣れてるだろうって

それで 彼はあの夜ステージに上がった

世界を救えるなんて思っていない 困惑している友達に手を貸したかっただけと

そしてこれが 今日数多くある救済コンサートに先鞭をつける事となったのだ

ジョージ! 控えめで温和で考え深げだったジョージ! 

ところでこれは映画にもなり 私も映画館で見た

ラヴィ・シャンカールのところで眠ってしまった記憶があるが 誰と見に行ったのかは忘れてしまった
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追記

2005年12月03日 | 日記
家事のお供の 音 書き忘れた!

今日の従者の一番は レコードから選択

テッド・カールソンなんてある

ドルフィー参加アルバムだけど 聴いてないなぁ これあんまり

ヘントフのライナーノーツもあるじゃないの!!

で 決め!

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日常の小さな闘い

2005年12月03日 | 日記
定期券を改札口に入れて

通り抜けようとするその瞬間

開いていた出口の扉がバタンと閉まって

腿を打たれることがある

すぐにまた開くけれど

侘びの言葉は一切無い

機械の反応より私のほうが早いのだろうが

許せん!

時々 通り抜けてから扉が閉まって

再び開く時がある

勝った!ニヤリである

アカンベーをしたくなる

小さな小さなくだらない闘いを 面白がってやっている
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