どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

いよいよ弘前だぞ

2009年08月16日 | 日記
弘前駅に降り立って最初の印象は 都会だ ということだった

そう 想像以上だった

しかも 近代建築の宝庫という点で実に美味しい町でもある


翌日は閉館日なので 今日のうちに見ておこうと100円バスに乗る

観光案内所でもらった地図を頼りに小雨の降る中訪れたのは 青森銀行記念館(旧第五九銀行本店本館)

弘前の建築を語る上で重要な人物は 二人いる

一人は コルビュジェの弟子とまでいわれた前川國男

もう一人が この銀行を手がけた津軽藩お抱え大工の5代目 堀江佐吉である


なぜだかこの日は無料公開日ということで ちょっとラッキー♪

棟札というのだろうか 珍しいものだそうだが 棟上の時に記念として また竣工の無事を祈って作るものだ

それが展示されていた

棟梁 堀江佐吉という名が 輝いている


ルネサンス様式の重文

地味ながら 内部はなかなかのもの

独学で洋風建築を学んだ佐吉の作品は 他にもいくつかこの弘前に現存する

というグダグダした説明はさておき 今日こそはちゃんとした夕食を取ろうと早めにチェックインをする


食事処での地元の人との会話も楽しかったのだが さすがに今日は話疲れた

残りは明日以降ということで もうお仕舞にする

明日からはまた労働者 気持ちを切り替えねば^^

お付き合いくださった方 ありがとです
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小坂町

2009年08月16日 | 日記
飲みながら 続けます

今日を逃したら 明日から労働者の私 週末まで書けないだろうしね


次の日は ホテルから駅まで歩いた

今日はここからバスに乗って小坂町まで行く

雲行き怪しくなって コンビニで慌てて折り畳み傘を買う

高校があるためか 乗客のほとんどは男子高校生だ

バスは大型モールにも立ち寄る

似たような町に住む姉のことを思い出す


大館から小坂まで かつては小坂鉄道が敷かれていた

今はもう廃線である

バスはあっという間に山間を進み なんか不安^^

だが 廃線になった線路と何度も並走し 交差するのを見て 確かにこの先にはあるのだろうと信じた

40分ほどバスに揺られ そして あった


気持ちよく空も晴れてきている

小坂鉱山事務所 康楽館 そして保育園だった天使館

前述二つは 国の重文だ


此処では この町が鉱山町としていかに大きな町として存在していたか ということへの感慨に

勿論 建築そのものも素晴らしいのだが 私はそのことのほうに心が動いた


康楽館は 鉱山で働く人のための日本最古の芝居小屋である

それが必要なほど この鉱山に従事していた人がいた ということの証である

この町の歴史的メルクマール

複雑な思いが交差する

バス停で帰りのバスを待っている時 この付近に住む人の会話

最近 バス(の運行)も減ったと

今 この東京に戻り 相変わらず酔った頭で 漠然と思うことがある


さて いよいよ 弘前に入る

フリー切符の範囲に含まれていなかったら 視野に無かった町である

だがそれがわかってから 旅の半分は此処にあるだろうということは 察しがついていた

果たして その結末は

それは 酔いを醒ましてからです~
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杢目銅(もくめがね)と どっぷり悲惨な夕食

2009年08月16日 | 日記
ありきたりの土産物屋を冷やかし半分で覗いていた時 センスの良さそうな一軒をメインストリートの奥に発見

地元工芸品を ちょっと違った切り口で紹介していた

そこで目にしたのが 杢目銅(もくめがね)という金属工芸だった

指輪以外の一切のアクセサリーを持たない私だが 一目で虜になった

江戸時代の初期に秋田に伝えられ 刀剣の鍔(つば)や小柄にこの技法が用いられたという

長く途絶えたまま 明治以降復興したのものの 継承者難で再度消滅しかけたのだったが

近年になってまた新たなかたちで蘇ったというものだ

赤銅 銅 銀の板金を交互に重ね 熱を加えながら鍛接し 色々な文様を彫り出すというもの

ここにはアクセサリーといった比較的小さく安価なものしかなかったが 大きな作品はなお一層素晴らしい


かつての秋田は 院内や阿仁に豊富な産出量を誇る鉱山があった

今回は断念したが そこにも素晴らしい建物が今もまだ残っているのだ

そして この後に行くことになる小坂町も 鉱山の町として繁栄した歴史を持っている

今では第一人者といってもよい 千貝弘さん率いる千貝工房作品のネックレスを 姉のお土産に買った


此処にはもう用は無い

秋田まで新幹線で行き 男鹿線に乗ってみることにした

男鹿半島はここから先 鉄道の通らない場所こそが絶景なのだが 今回はこれも割愛

海とも言えない海を見て 再び秋田に戻り「かもしか号」で大館まで行く

特急にもかかわらず ひどい列車だ

フリー切符に色気を出して 特急も新幹線も自由に乗れるぜ と思った私がバカだった

だいたい 自由に乗れるというほどの本数ではないのだ

このくらいのお得感がなければ なかなか列車の旅はしてもらえないかもしれない 
 

到着した時には すでに外は夜の闇

ホテルの場所はネオンサインから見当はつくのだが なにせ道は真っ暗

一直線に進めそうでもないので ここもタクシーを使った

そして 此処に宿を取ったことを後悔した

周りに食事をする場所がほとんど無かったのだ

マズイ!昨夜より更に悲惨な状況になっている

向かいの回転寿司もけっこう人気ですよ とタクシー・ドライバーからのアドバイスに

仕方ないか と行ってみたが なんと席が空くのを待っている客がいるという

さして食べたくも無い回転寿司を なんで待ってまでと店を出たまではよいとして・・・

ホテルの自販機に向かうしかなく・・・ 

更に東京にいる甥から 地震があったけれど大丈夫かというメール

さぁ 秋田にいるからわからない と返信した

心配ではあるが今更帰れないし 帰る気もなく まっ 大丈夫だろうと思い切ることにした

明日は美味しい夕食 絶対に食べるぞと固く誓って寝た

しかし テンション下がるよなぁ~・・・ 
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超レトロな昔のコンビニ「イオヤ」

2009年08月16日 | 日記
翌日 6:45から始まるホテルの朝食バイキングに一番乗り

勿論 冴えない前日の夕食とも呼べない夕食のせいでお腹がすいているということもあったが

何しろ 電車の時刻に合わせて早朝出立しなければならない

今日の目的地は いささか観光イメージの強い城下町 角館だ

駅から歩くこと15分ほどで西宮家に到着

あまり興味も持てないまま路地のあちこちをキョロキョロしているうちに ウシシシシ ここでも発見!

石積みの建物だぁ~~

伊保商店 イオヤ とある

いい顔してるよね~~

丁度 開店の支度をしていた年配の女性に声をかけて 写真を撮らせてもらう

昔のコンビニ よろずやさんの店内は超レトロ

彼女に少し質問をしてみた

彼女の曾祖父の方が大正末期に建てられたそうで 85年になるという

使われているのは大谷石

栃木採掘のものが有名であるが このあたりのものだと説明してくれた

この場所にこれが建った時は 相当御洒落だったのでしょうね と言うと

自分の家から出火しては大変だというので 石造りにしたようですと

中は大丈夫ですか 文化財として残すという話はありませんか と尋ねると

彼女は恥ずかしそうに笑って いえいえ けっこう傷んでいるし私の代で終わりでしょう

そんな話でもあれば良いですけれど と 

いささかお腹イッパイになりがちな武家屋敷や蔵が立ち並ぶ町に こういう近代建築があると

より一層 景観が良くなる

博物館としての町ではなく生きた町の顔が見えるのは 観光地であっても大事な魅力の一つとなるだろう

なんとしても残したい 残って欲しいなぁ~と思うところである


たっぷり汗をかき 喉もカラカラになったので 春には土手沿いの桜が見事だという川のそばの喫茶店に入った

そこで お店の若い女性にイオヤの事をきいてみた

伊保商店と言ったら さっぱりわからない顔をしている

ほら 石の素敵な建物 と言うと ちょっと考えてから イ オ ヤ?

そうそう それそれ 素敵な建物ねぇ~と言うと・・・ 

それは全く気がつかなかったといった顔つきで イオヤならよく行きますよ~ 

おそらくあまりにも生活に馴染んでいるせいで 当たり前の顔になっているのだろうなぁ


お決まりの観光コースである武家屋敷通りを一応歩いてみたが 結局どこも見学しなかった(有料だしね~)

もう一つ ここでは素敵なものと出合ったのだが それは朝食後に 
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