どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

お墓参りとマロニエの木

2015年05月03日 | 日記
待ち望んでいた連休がついにやってきた

やってきたというのは正しくは無い

時というものはそうして流れていくものなのだから

だが 今年のGWはただの連休とは違う

労働者としての最後の連休であり これが過ぎればあと3か月ほどという道標の一つ 


私の連休の過ごし方は毎年そう大きく変わることは無い

庭掃除 お墓参り 衣替えなど夏に向けての準備などでほとんど終わる

天気に左右されることばかりなので 計画はそれを見てのこととなる

昨日の連休初日はピーカンの日になるということだったので まずはお墓参り(掃除)に行くと決めていた


予報通り 朝から暑い

いつもの姿で出かけ 何も変わらない多磨墓地の中を日陰を探しながら歩き 帰省した人のように「今年も来たよ~」と

毎回 毎回 無残やな という姿にがっかりするやら闘志を燃やすやらだったのに 今年はあっけないほど 誰かが来て掃除をしたのかと思うほどにすっきりしていた

我が家の庭と同じで 4月の花冷えのせいかもしれない

いつもなら根本近くから伐られた百日紅が それでも懸命に 好き放題に枝を伸ばしているというのに 今年は根元に青々とした新芽をつけているだけのあまり目にしたことの無い姿であったことにも 少し拍子抜けだった

前回枝を伐った時に これでもかとばかりに幹という幹に十字の切り込みを入れたことが良かったのかとも思ったが 今はこの小さな小さな枝とも言えないものがやがてはぐんぐんと成長するのかもしれない

可愛いという気持ちを捨てて この小さな若葉たちもすべて取り除いた

秋にどうなっているかが楽しみと同時に恐怖でもある


荷物を広げ 一人墓参なので貴重品は置いていけないため(霊園からも貴重品に注意というアナウンスが何度も流れているし) ザックを背負ったままバケツ二つを持って水を汲みに行く

帰り道 ふと だれも居ない霊園の広い道をカメラに収めたくなって道路の真ん中に立っていたら 自転車に乗った女性が私のそばを通り過ぎてすぐに 声をかけてきた

ねぇ だったか と思う

道路の真ん中に立っていては危ないじゃないの と言われるのかと思い一瞬身構えたのだが すぐそこを行ったところに○○通りってあるでしょ? と

墓参で何度も来ているし 道に名前があることは知っているのだが その名前も場所も知らないことを伝えると 彼女は自転車の前につけているカバーのついたかごから花を取り出した

これ マロニエの花なのよ

とても大きな木があって そこに綺麗に咲いていたの

マロニエって なにかロマンティックな感じがしててどんな木だろうって思っていたら すぐそこにあったの

調べてみたら これ「トチノキ」のことなんですって

これから家に帰って写真を撮ったら デイサービスの人たちにも見せようと思って・・・


自転車を止めてまで私に報告したのは もしかしたら私がこの霊園の自然を撮影している人間に見えたのかもしれない

私よりも年上で まだ老人とまでは行かない年齢の女性は嬉しそうにそれだけ話すと 自転車に乗って走り去っていった

私は彼女が言ったデイサービスという言葉にひっかかり 果たして彼女の家族がお世話になっているのか それとも彼女自身が働いているのかと どうでもよいことを想像しながら バケツ二つを持って戻った


湿度を除けば夏かと思うような太陽の下 Tシャツ一枚になった私の腕は次第に赤くなり 気づかずして汗がぽたぽたと落ちる

そうひどい状態でも無かったのに 道草をしたせいかいつもとさほど変わらない時間に終わった

縁石に腰をかけ 半分凍らせてきたビールで乾杯し 親との会話

休日に来るのも もうこれが最後だからね と報告する


あの世の存在も 霊などというものも怪奇現象も一切信じてはいない

それなのに こうしてお墓を綺麗にして眠っている人に報告をする

虫が飛んで来れば親の化身が来たのかと思ったり 一瞬ぎらぎらとした太陽の光が雲にさえぎられたりすると 天から親が覗いたのだろうかと思ったりするのは 実に不思議なことと苦笑する

片付けをして また来るからと告げて家に帰る


帰ってから荷物を片付け お風呂につかった後で ゆっくりと飲みつつマロニエを調べてみた

セイヨウトチノキ マロンというのはこのマロニエを語源とし 昔はマロングラッセにこの実を使ったという

これが日本でいうトチノキとまるで同じというわけでは無いようで 近縁種といったところらしい

彼女が持っていたのが 果たしてマロニエの花だったのか トチノキの花だったのかは私にはわからない

それでもあの女性がロマンティックと思っていた木を生まれて初めて目にし 幸せそうにその花を持って帰ったことを思い出すと 本当は何であったかなんて些細なことだと思えてくる

勘違いであろうとも 信じてもいないくせに空想してしまうのも だれも傷つけることが無ければそれでいいじゃん って思いつつ 気持ちよく酔ってそのまま眠ってしまった



連休の多磨霊園の朝

コメント (2)
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