どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

絶不調顛末 2

2016年01月09日 | 日記
もうひとつ 心配していることがあった

昨年の12月くらいからだろうか

まだその頃は食事は美味しく食べていたけれど 動悸が激しくなったり 胸が詰まったりするようになった

一日中ということは無いのだが 頭の片隅から問題が離れないせいなのだろうか

家の整理もそこそこ進み あとは捨てる作業と自分の持ち物整理といったところまで来て いよいよこの土地と家の始末を考える段になってからのことだと思う


会社を辞めた時がちょうど健康診断の前だったので 私は今年の検診はしていなかった

具合が悪くなるにつれ 初めはこれもストレスのせいでじきにおさまるだろうと踏んでいた

けれども 話が次第に進むうちに全ての調子が悪化し始め それは一日中ということでは無く ふとした時に感じる程度ではあったが 2キロ痩せた時点で 大きな事に着手する前に病気が見つかったとなると話は更に複雑になると思い 病院行きを考え始めた

ちなみに身長152センチで39キロ台の人間が37キロ台となってしまうと この辺が限界である


そして今日 病院に行ってきた

両親の最期を看取ってくれた先生である

体調不良で検診も受けていないことを話して 心電図と肺のレントゲンをとってもらった

心電図は不整脈も無く まったくの正常ということだった

遺伝的にも心臓が悪い人は居ないはずだし そう長寿の家系でもないが かなりの人は平均寿命程度は生きていた

ただし 母は76歳ということもあり 私は自分を80前後が相場であり それでラッキーだと思っている

胸のレントゲンは 年相応 というか それよりも良い状態だと言われ 貧血も動脈硬化も見られないとのことだった

この時点で心配していた二つの問題は一応クリアした


甲状腺が腫れているかもしれないと言われたので 血液検査をする

結果は 後日だ

体調不良にあたって 最近大きなストレスを抱えていることを話した

すると 先生(65歳)がこんな話を始めた


私は実家が三重県なのだけれど 両親はもう亡くなっていて実家が残っている

田舎なので広大なものがあるのだが 近所の人から空き家にしておかれると火事になるかもしれない(放火だろうか) 

そうなったらどうしてくれる と言われたという

また侵入者が入ったりと物騒だったり 事実泥棒にも入られたのだそうだ


地方の空き家問題が深刻になっているのはニュースにもなっているが 身近に話をきくことになった

そこで先生は全部処分したけれど それはやはりものすごいストレスだったという

折衝の段階で悪いことも言われるし色々とあったようだが そこに行けばまたあの人たちと会えるという楽しみに変えることで何とか回避したと言う


そこで私も 病気ではなくてストレスだとしたら 将来に向かって楽しいことをしているのだと考えるようにはしているのだと話した

ストレスは問題が解決したり 時間が流れれば消えるものも多く また 頭の中で作られるものだということもわかっているけれども 目下 食事がとれなくなると全身の健康に影響することが一番困っていることだと説明した

先生もその通りだということで 結果薬に頼ることにした

常用性は無いし 服用したりしなかったりしても良いとのことで 食事が美味しく食べられるようになったらもう必要は無いだろし この先の問題がするすると解決していけば良いだけのこと

しかも 私は自分のストレスの内容も どこが弱点かも十分に知っている

問題をクリアしていくたびに 経験を積み 強くなっていくことも体験している


今回のことでは もしかしたら病気かもしれない(しかも考えるのは重篤なものばかり)という懸念が 更にストレスを強めたのだと思っている

不安は早めに原因解明をし解消することが大事だと 感じた

先生に その薬はビールを飲んでも問題ありませんかと 恥ずかしげも無く尋ねたら 前々問題ありませんから そうぞ飲んで下さいと言われた

さっそく午後 キャベツとひき肉の炒め物とマグロのお刺身でビールを飲んだ

全身を検査したわけではないし どこかに病気が潜んでいるかもしれない

特に老齢ともなってくれば 何も無いほうが珍しいということになる

これを 怖いと思うか そんなものだと受け入れるかで貴重な時間の過ごし方も大きく変わるだろう


久しぶりに気持ちよく飲んで寝た

私としては 病気ではないかという懸念が消えたこともかなり影響していると思うが 薬の効果もあったのかもしれない

精神力 体力 知力 この三つが人の能力であり どれが欠けても相互に影響するが 同時にどれかが欠けても互いにそれを補おうとするものでもあると信じている

どこまで何がやれるのかわからないが 自分のためでなく 親のためにやり抜こうと思う

だって だれかのためにやる方が ずっと勇気が湧いてくるもん

コメント (13)
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