どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

新生活のこと

2016年05月29日 | 日記
前の家は スーパーまで徒歩2分足らずだった

真夏でも 買ったアイスが溶けることは無い

仮住まいの今 4分ほどかかる

大型店で 一応生活に必要なほとんどのものは調達できるのだが 私にはこの4分でさえ遠く感じる


引っ越しにあたって食品の多くを減らし あるいは使い切り あるいは捨ててきたので ドレッシングや調味料なども含めての買いだしにでかけた

ところが あまりに広く また何がどこに置いてあるのか把握しきれていないので うろうろするばかり

お気に入りだった品物が無かったり 生鮮食品などもけっこう違うもので あっちの方が良かったと思うものもあれば こっちの方が好きだと思うものもある

私は 何事にも浮気性では無いため こうした変化に順応するのにも ちょっとした諦めと勇気が必要になる

昨日は 部屋干しをするための洗濯物干しも買ったので 文字通り両手に荷物となり 肩にも袋を一つかけているので この4分の道のりは長く感じた 


切り干し大根と ひじきの煮物を作った

こうした料理を作るのは久しぶりのような気がする

しかし 毎食の食事の支度って けっこう大変でもある

外食をすることはほとんど無いし 出来合いのものもどちらかといえば苦手だし 家にいる限り 毎回作らなければならない

誰でもしていることなのだろうけれど 両親がよく 何食べる と相談したり それでちょっとした言い合いになったりしていたのを思い出す

毎日 洗濯や買い物 そして食事の支度や後片付けをしていた母の楽しみは何だったのだろうか


最後の粗大ごみを捨てに家に戻った時 本箱の下段の引き戸のところに 残しものがあった

小学校のアルバムと1冊の本だった

確認して良かった

本は『かくれた次元』(エドワード・ホール著 みすず書房)

文化人類学の本である

すでに50年前の著作で 今は古典とされながらも 廃版にも絶版にもならずに今も出版を続けているようだ

買い出しから戻り 煮物を作り終えた私は メモを取りながらこの本を読みなおし始めた

昨年来からの家の整理という大きな仕事のおかげで 私は 仕事の喪失感をそう感じることも無くきたけれど いや 喪失感というのとは少し違うけれど 暇な時間が出来るにつれ 人生の目標を再構築しなければならないと感じるようになった

遊んで暮らせるほどの余裕は全く無い

能力の範囲でできる仕事をするのは 社会とのつながりの為にも悪くない

同時に 無報酬での仕事をするのも 大事な何かを得られるかもしれない

何をするにしても 退屈は 最大の敵なりということらしい

コメント (4)
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