どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

工務店を決める 3

2016年05月26日 | 日記
結局 レコードも業者に来てもらい 引き取ってもらった

どれに幾らの値段がついたのかはわからなかったが 捨てるのも大変だったし 誰かに聴いてもらえるならと思うだけで 買い取り価格はどうでも良かった

その中に キース・ジャレットの「サンベア・コンサート」という10枚組のレコードがあった

地元工務店の社長が好きだと知っていたので 貰って下さるかどうか尋ねたところ 喜んでということだったので それだけは売らずに後日届けた

数日後 真空管アンプで聴いたら感動した と電話があった

とても熱い人なのだ


結局 材木屋工務店に心の中では決めていたが まだ断りの返事をしていない私は ついにその話をしに出かけた

信頼しているし 仕様なども問題は無かったこと

決めたのは こちらで採用している構造を私が避けた事を伝えた

相手はとても残念がって 必ずしもその工法を取り入れなくても良かったし 最近は 古い工法も見直して 匠とのコラボで新しい提案も始めたところだった

私には是非それを見て 知って欲しかったと言われた

決して険悪なムードではなく もっとお互いに話し合う時間があれば良かったのかもしれない

私も少し残念な思いがしたが 何しろ体調が悪く それどころでは無かったのだ


今からでも何とかならないかなぁ と言われたが 契約こそまだだが すでに解体を材木工務店に頼んでしまっているので それで施工を断るわけにはいかない

話を聞いていた女性事務員が でも 断るのにこんなに丁寧に話をしてくださる人なんていないですよ と社長に言う

小さな工務店だから仕事は欲しかっただろうし 私も小さな家でも喜んで引き受けたいという気持ちは嬉しかったし もっと話し合えたなら 面白い冒険もできたかもしれなかった

とても良い人だったので残念ではあるけれど 二つ家を建てるわけにはいかない

どちらが良かったのかは今もわからないが 決めなければならないことだった

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工務店を決める 2

2016年05月26日 | 日記
季節が待ちに待った春を迎える頃 私はその移ろいさえ楽しめないほどの状況だった

自分で外まで運べる限りのものは 何回かに分けて粗大ごみとして出した

何十点あっただろうか

下駄箱を出す時は へとへとになった

二階にあったお雛様を階下へ運ぶ時は 階段の途中で立ち往生した

ここで怪我をするわけにはいかない

自分では運べない箪笥や捨てきれない燃えないゴミ 重いマットレス 物置の工具などは 全て業者に依頼した

それに加えて いつものゴミも毎回忘れずに捨てていかなければならなかった


しかも 体調は最低ときている

引っ越しの準備も始めなければならない

毎朝 気持ちの悪い状態で起き 食欲は無く このまま本当に病気にでもなったらという不安がよぎり とにかく少しでも食べなければと ほとんど義務のようだった

中途半端に落ち着かない精神状態で 熟睡もできなくなっていた

そう 私は不安だったのだ

あらゆることが未経験で 知識不足で しかも 変化に対して臆病になっていた

何しろ 春休みが一番好きだという 根はぼんやりしているのが好きな人間なのだ


いかに今まで 親に甘えて生きてきたかを知った

そして こんなにも弱虫で根性なしの人間だったのかと 初めて自分を悟った

まだ起きてもいない未来の事を想像して無駄な不安を抱き それにおびえるなどは最低のやってはいけないこと

わかっていながら 抜け出せなかった

そして 病気になった母のことを思い出した

おそらく私と同じような心境だったことだろう

今は その時の母の気持ちがよくわかる

不安は考え始めたらきりがない

それにひとたび憑りつかれたら 最悪だとわかった

性格ではあろうけれど 経験を積んで強くなる必要はある


というわけで 家の事を考えるのもそのままにしつつ 最低の春を見送った

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工務店を決める 1

2016年05月26日 | 日記
家の近くの工務店に依頼しようと決めていた私だったが 結局 別のところにしてしまった

近くの工務店は 社長の人柄も 家づくりの方針も仕様も まったく申し分がなかった

しかし 最初のプラン図で提案された間取りは これで良いのかと思うようなものだった

しかも予算を最初に話してあるのにもかかわらず 2割近くも高かったのだ

私もこれといった希望があったわけではなかった

手のかからない家で 安全に暮らせて 最高でも30年もてばいい といった程度だったのだから


流行りの吹き抜けはやめてもらった

どうにも落ち着かない上に 独り暮らしでは色々と面倒そうだと感じた

そのうち 不要に大きなスペースは無駄だと感じるようになった

これから先 物は更に減らしていかなければならない

必要最低限の物で生活し 人生の質は向上させる

これが私の残りの人生の目標


そこで 今度は自分の希望の大きさを伝えてプラン図を作り直してもらったのだが 相手は必ず自分の新しいプランも加えてくる

良かろうと思ってのことだろうが どうもしっくりこない

そこで 別の工務店を訪ねた

そこは 最初に幾つか候補をあげたところのひとつだった

辞めた理由は なかなか客層が良くて 私のような貧乏人が依頼するのははばかれると感じたからだ

だが もう切羽詰っていた


社長が対応してくれ 私の無理難題のプランを 方眼用紙を前にして1時間半以上も ああでもない こうでもないと 幾つも書いては考えてくださった

図面を引くのが好きな人なのかもしれない

私にはそれが嬉しく この人をすっかり気に入ってしまった

今まで頭でっかちに 高気密高断熱だの 断熱材は何が良いかだの 結露だのと調べたことなど もうどうでも良くなっていた

元々は材木屋だったというこの工務店の社長は 二代目だそうだ

二度目の訪問の時だったか 丁寧に挨拶をして下さる高齢の男性社員が 会社所有の小さな畑に案内してくださった


私もここで家を建ててもらったんです

日本橋で長く勤めていたのですが 定年も過ぎて退職したところ こちらで声をかけてくださったので 再就職したのです

元は施主と施工者であった両者がこんな関係になるなんて 

都会の中の小さな畑は あまりに敷地が小さいため 畑に利用しているのだという

特別な栽培方法で 勿論無農薬だ

収穫した野菜はお客様に差し上げるのです といって見せられた畑はよく手入れされてあった

この老人も実にきちんとした方で 私はこの人も好きになった  


外装と内装は天然素材の塗り壁 使用する材木は全て無垢 これは両者に共通

大きく違う点は 構造と断熱材にあった

悩み抜いた私は 結果 ごく普通の在来工法を選んだ

理由は 出来る限り 今の家に近い建て方を望んだからである

それは 出来る事ならこの家に住み続けたかった私の 複雑な気持ちゆえだった


材木屋工務店の出してきた見積りは 私の希望にかなっていた

むしろ幾分安かったが 最初はこれくらいでちょうど良い

どうせ 少しはアップするものだし

それに 解体や外構 その他不慮に備えての資金や税金等々の分も計算しておかなくてはならない

贅沢は敵 なのだ
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