どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

ザワザワする問題が山積

2018年11月18日 | 日記
このところ『日本が売られる』という本が ラジオの幾つかの番組で取り上げられている

例の水問題から始まって 医療・農地・食の安全・労働力など日本の将来を不安視せざるを得ない兆しが あちこちにあることを知らされる

私の関心事はもっぱら「入管法」(移民法だろうと言う人も)と「水道事業の民営化」にあるのだが ラジオでは専門家やコメンテーター 知識人などがこれだけ慎重論を唱えているというのに どんどんと決められそうな予感だ 

国ってものは政財界に生きる人のためだけにあるのか って思っちゃうのは私の僻み?

まあ国民でさえこの程度なのだから 単に安い労働力の担い手としてやってくる外国人をそれ以上のもの 私たちと同じに人生を生きる生身の人間として見ないのも 仕方がないことかもしれない

暖かく迎えられ 優しく接してもらえる場所ばかりとは限らない

勿論 そういう職場や人に恵まれることもあるだろうが 意思疎通や相互理解ができないまま 誤解や偏見を受けて日本を嫌いになる人も増えるだろうし 結果 お互いにとって良くない感情しか残らないということにもなりかねない

日本人にしても その誰もが文化の違う異国の人を大きな心で迎え入れるほどにはまだ成熟していないように私には思えるし ヨーロッパ諸国を見てもその難しさはよくわかるはずだ

貧すれば鈍することもあり 孤独は悪を生むこともある

そもそもどこの国の人であっても 労働の対価はそれに見合った十分なものであるべきだと私は思う

労働力が足りるようになった時 あるいは不況で労働力が余った時 その人たちに国に帰れというのか

ここで暮らした時間が そのひとの生活と人生を作り上げてしまっているというのに

まあ 何やらザワザワする問題が(外交にしても)山積しているけれど 若い人はどうしたって目先のことや自分とその周囲の出来事で手一杯だし(傘が無いことのほうが問題となるわけ) 老人はどうせもう先は短いのだからと諦めてしまう

今決めてしまう事が日本の将来の運命を左右するというのは さんざん歴史で学んできたことだったはずなのに 

そして 私も含め どうなろうとも誰も責任は取らない  
コメント (4)
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