どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

GWの中間報告

2009年05月04日 | 日記
GW初日は衣類の整理と部屋の片付けに追われた

こざっぱりとした部屋を見るのは実に心地よい

ワードローブも夏用に様変わりし 心が軽くなる思いがする


二日目は 下り坂の天気の前にと 再度の庭掃除

わずか1.5メートル四方の地面を草1本無いようにするだけで かなりの時間がかかった

開墾とはこういうものなんだろうか と思いながらの作業で 庭全部をやるとしたら・・・

毎週末2時間やったとして・・・2ヶ月はかかるかな・・・

しかもその間にも 先週やったはずの場所にはもう草が生えているはずだし・・・

取らぬ草の本数算用だ^^


うんざりもするが そう嫌いな作業でもないなと やっているうちに気がつき始める

殊に今頃の季節は最高で 里山ハイクの気分が味わえる(なんとリーズナブル)

土を掘り返せば何かの幼虫が現われ 寝ていたミミズがにょろり

前回には無かったのに ひとが掃除をした後にしっかりと残していったらしき猫のうんち(ギャフン!)

大きな蜂が一匹 何が御気に召したのか ある1本の木の周りを念入りに調査(フィールドワーク)している

お~い ここに巣なんか作るなよ~~

無生産に土と戯れる時間も そう捨てたものでもないな 

玄関付近が見違えるように奇麗になった事にだけは満足


今日は 日頃なかなか出来ない家庭用品の買出し

以上 GWの中間報告(って 誰にしてんだ?)
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ぼくの好きな先生

2009年05月04日 | 日記
随分前になるが 恩師と呼べる人を作らなかったことを残念に思っている という内容の日記を書いたことがある

だが勿論 記憶に残る先生はいる

その思い出も書いた

「ぼくの好きな先生」

まさに あの曲のイメージにぴったりの!


先生との出会いは小学生の頃で 曲を聴いたのは高校生の時

曲自体はリアルタイムだったが その中でダブる先生のイメージは すでに過去の人だった

一方「ぼく」のイメージは 過去にはその片鱗は一切無かったのに 当時のリアルタイムの私に近くなっていた

一応の進学校で 教師も生徒も真面目

探せば恩師にも出会えたかもしれなかったが 

その代わりとして 本を読み 音楽を聴いていたような気がする


当時 多分 あらゆる不満と不安を抱えていた のだろう

若さと未熟さゆえ とも言えるし ある意味甘ったれでもあった

言い訳でもなく それに何の意味も無いことは知っているが 今でも当然と思える理由も無論多少はあった 


この曲は大人が絶対的価値を持っていた幼少期から それが崩壊し始めるという青春前期までの私の心の変遷を

一瞬にして想起させる曲なのだ

ある日 ある時代 ある瞬間と重なる曲というものがある

同じ曲であっても 水面に水平に石を投げた時のように 飛び飛びの時を生きる曲もある

だが この曲はそういったものとは全く別の類のもの


洋楽一辺倒だった私は 和製ロックやフォークを全く耳にしなかったと言えば大嘘になるが

格別惚れこんだ人はいない

大枚はたいて買うレコードは 僅かにジャズ数枚を除いては 全て外国人アーティストのものだった(それは今も)

この曲にしても しじゅう聴きたい曲というわけではない

反省とほんのちょっぴりの後悔と 愚かさとイノセントと それゆえの恥ずかしさを思い出すから

だが 決して忘れることの出来ない一曲であることは間違いない

おそらくは鬼籍の人となっているであろう日下先生ともども ご冥福を・・・
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