どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

手紙でも書いてみるか

2016年02月06日 | 日記
今朝 木曜日に受けた血液検査の結果を聞きに再び病院に行ってきた

肝臓が心配だったからである

結果 γGTPはギリギリの数値だったが それ以外は全く問題無かった

安心はできないけれど まあ善しということか


検査を受けた日 先生は以前話した実家のことに触れ 全て売ってしまった もう帰るところは無い とても後悔していると話された

すでに人生の半分以上を東京で過ごしているはずなのに 実家を失うということはそんなにも喪失感を感じるものなのか

私が ギリギリの選択の中で厄介な道を選んでしまったのも その喪失感のようなものを薄々感じたせいかもしれない

たまたま 両親は病院では無く この家で終わりを迎えた

それは 両親にとっても望んだことでもあった

ここに魂が眠っているとは全く思わないが それでもここを去って簡単にマンションに移って良いのかと自問自答した

もしかすると その方が親も安心したかもしれない

母はきっとそんな大変なこをして体でも壊したら 元も子も無いでしょ と言うだろう

父は 悪くない考えだから頑張れと言うような気がする

 
ここ数日 整理ばかりの日が続く

ゴミ袋はすでに廊下では足らず 部屋に置いてある

自分の部屋のものも 次第に減ってきた

ひゃ~ こんなものまだあったのかというものも出てきたけれど これも良い機会だったかもしれない

仮住まいの間にも もう少しは捨てられるだろうと思う


まだメールなど無かった時の友人と 若い頃に交わした手紙が何通も出てきた

今も親しくしている友人とのものがほとんどである

夢を追い 時に挫折し まあいいかと過ごしたり チャレンジがあったり 読んだ本や見た映画の話 健康状態 不満や愚痴など 多岐にわたって書き綴っている

おそらく私もそうだったのだろう

時間は確実に過ぎた

そして 私たちはどれほど成長したのだろう

成長したかどうかはわからないが 確かに何かはわかってきたように思う

あの頃 将来は全く見えなくて それでもやりたいことに向かって必死にもがいていた

その頃を思い出して 久しぶりに友人に手紙を送ってみようかな

メールとはまた違う手ごたえを感じるような気がしている
コメント (4)
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