どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

がらんとした家

2016年05月25日 | 日記
昨日 最後の粗大ごみを引き取ってもらうために家に帰った

箪笥や机を動かし 掃除をする

解体する家ではあっても 出来るだけ綺麗にしておきたかった

全てが無くなった家はがらんとして もう生活臭は無い

かつてはここも新築だったわけで 二人の子供を連れ 今と同じようにこのがらんとした家に引っ越してきた両親のことを思った


両親が亡くなってしばらくしてから 私はここを捨てようと決め 誰にでもそう言ってきた

退職後 家の整理を始めてからも その気持ちに変わりは無かった

だが いよいよとなって 私は土地の半分を売って家を建てると決めた

その決断が正しかったかどうか 今はまだわからない


ただ その計画を進める中で ひとつはっきりとわかったことがあった

私はこの家に住み続けたかったのだ

こんな大事業をやりたくない めんどくさい という気持ちもあるけれど もっと深い部分の 十分納得しているはずなのに駄々っ子のように割り切れていない心

どこに居ても家族の記憶の片鱗が漂うこの家は 庭の手入れや老朽化という現実を無視したくなるほど 私にとっては大事で快適なものだった

多大なる喪失感が押し寄せ 自分の無力を嘆き やりたくない事に向かわねばならない私にとって 大きなストレスになるのは当たり前のことだった

両親だけでなく 多くの人が夢を抱くマイホームは 私にとって何だろうか

私は これからここでどんな人生を送ろうとしているのだろうか

独り者で無職となった私が 大げさに言えば自分の死までの時間を自分でプロデュースし 演じていかなければならないと悟った瞬間だった

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ハイハイを覚え始めた赤子

2016年05月24日 | 日記
昨日 仮住まいへの引っ越しをした

朝8時からの引っ越しだったので4時半に起床

午前中でしかも月曜の引っ越しは安くできるということ また午後を有効に使えるので 生活できるように新居を整えるのも楽だということから 今日になった

10時前には終わり ネットや電話も無事に移設完了

荷ほどきをし 食料の買い出しをし 夕方からひとり乾杯をしたあと熟睡してしまった


私は3か月近く 日記を書かなかった

書けなかった と言ったほうが正しい

大変ではあったけれど 格別時間に追われていたわけでも 労働がきつかったわけでもない

おそらく これをストレスと呼ぶのだろう

自分でも 引っ越しと解体が終わればまずは一区切りになるだろうと思っていた

それから先は もう突っ走るだけだから

そして やっとこの日を迎えられた


あれから熟睡できない日々が続き 食欲は衰え 3キロ以上やせた

と文字にすると相当すごい事のように思えるけれど それなりに大変な日々だった

そして 自分自身と その奥底にある心情についてもはっきりとわかった

ここまで生きてきたら しんどいと思う事は何度か乗り越えてきている

それでも 今回はかなりの大きな出来事となるのは間違いないの無いこと

あまりにも大きな変化の波と 未知の世界への恐怖に飲み込まれそうだった


情けなくなるほどのダメな自分を時に鼓舞しようとし 時にリラックスさせようとし 文字を漁り 耳を大きくしたが 簡単なことではなかった

肉体と精神はまさしく一心同体で どちらが先なのかはわからないが 精神から肉体を壊すなんていうのは避けたかった

望むのは 肉体が壊れても精神を心地よく保持できること

ほとんど義務のように取る食事は 不味かった

そして 解体日も決まり 近隣挨拶も済ませ 引っ越しの日が前日となったら 呪縛から解けたように これは決してオーバーな表現ではなく 自分でも不思議ではあるのだけれど 前を向いている自分が居た

すでに書いたように この時期がひと段落になるだろうとは想像していた

畑を耕し 種や苗を植えるようなものだ


何が大変だったのか どんな自分を知らされるはめになったのかは おいおい書いていく

何度か日記を書こうとしたが それは今では無く 今を振り返る時にしたいと思い ここまで時間が経ってしまった

この間 熊本では大きな地震があったが 誰もが心の奥底に持つ自分だけはあらゆる災難を避けられるという盲目的信仰が覆される時 そのストレスは如何ばかりかと思い もしも私が当事者であったら生き延びられるだろうかと思い そんな状況の中でも明るく強く前を向いて歩ける人は本当に素晴らしいと感じ 自分の現状のあまりの軽さも知った

心配してくださったのか メールや電話を頂いたりしたし ここでのコメントも返せなかったが 徐々に元気な声をお聞かせできるだろうと思う

不死鳥のよう とはとてもいかないが ハイハイを覚え始めた赤子のように
コメント (8)
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