みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

年の初めの新聞各紙の社説/朝日・中日・毎日

2013-01-02 21:43:07 | ほん/新聞/ニュース
毎年1月2日はわたしの誕生日。

フランボワールのホールケーキと、ヒコ・ハヤシのショートケーキのプレゼント。



  



フェイスブックでお祝いのことばを届けていただいた皆さま、ありがとうございます。

  



新年会と誕生会をかねてにぎやかに、
持ち寄りのお昼ご飯とバースディケーキを食べました。

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二日は新聞がお休みなので、昨日どっさり届いた新聞の続きを読みました。

5紙とっているので、一日では読み切れません。

主な新聞の1月1日の社説を紹介します。


  社説:混迷の時代の年頭に―「日本を考える」を考える 
2013年1月1日(火)付 朝日新聞

 新年、日本が向き合う課題は何か、日本はどんな道を選ぶべきか――。というのは、正月のテレビの討論番組や新聞の社説でよく取り上げるテーマだ。
 でも、正月のたびにそうやって議論してるけど、展望は開けてないよ。なんかピントずれてない? そう感じる人は少なくないだろう。そこで、この正月は、そんな問い自体をこう問うてみたい。
 私たちが抱える、うんざりするような問題の数々は、「日本は」と国を主語にして考えて、答えが見つかるようなものなのか、と。
 領土問題がみんなの心に重くのしかかっていたせいもあるだろう。年末の選挙戦には「日本」があふれていた。
 「日本を、取り戻す。」(自民党)、「日本再建」(公明党)、「したたかな日本」(日本維新の会)……。
 でも、未来の日本についてはっきりしたイメージは浮かび上がらなかった。

■グローバル化の中で
 ちょっと寄り道して欧州に目を向けてみる。去年は財政危機で散々だった。ギリシャを皮切りにほかの国々も綱渡りを強いられた。ユーロ圏崩壊という観測まで出た。
 ようやく年末、一番ひどかったギリシャの長期国債の信用格付けが引き上げられた。楽観はできないけれど、最悪の事態が少しだけ遠ざかった。
 一息つけたのは「欧州人が深く関わった」から、と欧州連合(EU)のファンロンパイ首脳会議常任議長はいう。実際、EUと仲間の国々が総がかりだった。助ける国も助けられる国もエゴに引きずられはしたが、結局、国境のない危機の打開に国境はじゃま。主語を「ギリシャ」ではなく「欧州」としたからなんとかなった、ということだろう。
 統合を進めるEUに固有の話ではない。グローバル経済に振り回され、1人では乗り切れないのは日本も同じだ。
 成長は欧米やほかのアジアの景気頼み。雇用をつくるのは、日本の企業や政府だけでは限界がある。金融危機についても取引規制のような根本的な対策は、ほかの国々や国際機関との連携抜きにはできない。
 昨年9月末には、日本の国債発行残高のうち外国人が持っている率が9.1%に増えた。世界一の借金大国の命運もまた、その小さくない部分を国の外の投資家たちが握り始めている。

■高まる自治拡大の声
 一つになろうとしているはずの欧州には逆行と見える流れも根強い。最近もスペインのカタルーニャや英国のスコットランドで独立や自治権拡大を求める機運が盛り上がっている。いったい欧州の人たちは国境を減らしたいのか、増やしたいのか。
 実は出発点は同じだ。なんでもかんでも国に任せてもうまくはいかないという思いだ。
 経済危機に取り組むには国の枠にこだわってはいられない。でも、産業育成や福祉、教育など身近なことは国よりも事情をよく知る自分たちで決めた方がうまくいく――。自信のある地域はそんな風に感じている。
 同じような考え方は、日本にも登場している。
 たとえば大阪市の橋下徹市長は共著書「体制維新―大阪都」でこういう。
 「世界経済がグローバル化するなかで、国全体で経済の成長戦略を策定するのはもはや難しいと僕は思っています」
 問題意識は海外の流れとかさなる。国家の「相対化」である。国家がグローバル市場に力負けして、地方にも負担を引き受けろというのなら、そのかわりに自分たちで道を選ぶ権限も渡してほしいというわけだ。

■国家を相対化する
 「(国境を越える資本や情報の移動などによって)国家主権は上から浸食され、同時に(国より小さな共同体からの自治権要求によって)下からも挑戦を受ける」
 白熱教室で知られる米ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は17年前の著書「民主政の不満」でそう指摘していた。これから期待できそうなのは、国家が主権を独占しないで、大小の共同体と分け持つ仕組みではないかという。
 時代はゆっくりと、しかし着実にその方向に向かっているように見える。「日本」を主語にした問いが的はずれに感じられるときがあるとすれば、そのためではないか。
 もちろん、そうはいっても国家はまだまだ強くて大きな政治の枠組みだ。それを主語に議論しなければならないことは多い。私たち論説委員だってこれからもしばしば国を主語に立てて社説を書くだろう。
 ただ、国家以外にプレーヤーが必要な時代に、国にこだわるナショナリズムを盛り上げても答えは出せまい。国家としての「日本」を相対化する視点を欠いたままでは、「日本」という社会の未来は見えてこない。  


  【社説】人間中心主義を貫く 年のはじめに考える 
2013年1月1日 中日新聞

 安倍自民党政権が船出しました。近隣に朴槿恵韓国大統領と習近平中国総書記。多難を思わせますが、新しい年を人間中心主義の始まりに-が願いです。
 多くの国民の要請でしょう、安倍晋三首相の最優先政策は経済再生でした。しかし、経済はだれのためのものか、それが問題です。
 本紙が「新しい人間中心主義」を訴えたのは、第一次安倍内閣の二〇〇七年の元旦社説でした。

若者、働く者に希望を
 〇二年からの「いざなみ景気」は「戦後最長の景気拡大」や「企業空前の高収益」とはうらはらに非正規雇用やワーキングプアを急増させ、死語だった「貧困」を復活させました。収益は労働者に配分されず、企業に内部留保されたり、株式配当に回ったのです。経済は大企業や富裕層のものだったのです。
 七十三カ月のいざなみ景気はジョブレス・リカバリー。賃金は下がり続け、労働は長時間化、一九九〇年に八百七十万人(全雇用の20%)だった非正規雇用は千七百五十六万人(同34%)に膨れました。人間中心主義の訴えは空回りだったといえます。
 それでも経済は人間のためのもの。若者や働く者に希望を与えなければなりません。まず雇用、そして賃金。結婚し、子どもをもち家庭を築く、そんな当たり前の願いが叶(かな)わぬ国や社会に未来があるはずがありません。それゆえ人間中心主義が訴え続けられなければなりません。
 脱原発への決断は再生可能エネルギーへの大規模投資と大量雇用を見込めます。医療や福祉は国民が求めています。農業や観光も期待の分野。経済の再生と同時に人を大切にする社会とネットワークの構築が始まらなければ。

自然と共生する文明
 近代思想の研究家で評論家の松本健一さんが大震災後の東日本の海岸を歩き、復興のあり方を考えた「海岸線は語る」(ミシマ社)を著しています。その復興構想「ふるさと再生」に共感しました。
 松本さんは大震災当日の三月十一日は内閣官房参与として首相官邸四階でした。一階の二百人の官僚たちは所属官庁の領域の対応に追われ、復興の全体構想を考える人物がだれもいなかったことから菅直人首相に復興ビジョン私案を提出しました。その二年前、「海岸線の歴史」(同)を出版、東北地方の海岸を調べていたことから私案が作成できたのです。
 松本さんによれば日本民族は民俗学の折口信夫のいう「海やまのあひだ」に住まいしてきた民族。海と山の豊かな自然が精神的細やかさや繊細な美的感覚を養い自然と共生する暮らしを選び続けてきたのですが、西欧近代思想を取り入れ発展するうちに自然と共に生きる日本人本来の思想を失ってしまった、というのです。
 西欧の近代は自然を制御、征服する思想。今回の大震災はその西欧の限界を示しました。巨大なコンクリートの人工堤防を簡単に破壊しました。人間は自然を制御できない。松本さんが復興を試みる「ふるさと」とは、人が生まれ、住み、死んでゆく人間存在の根の場所としてのふるさとです。
 近代思想や経済至上主義ではもう立ち行かない、自然と共生する文明のあり方を模索すべきではないかとも言います。近代文明を考え直す。そこに人間中心主義が連なっています。
 「外交問題の処理に最大の禁物は興奮と偏見である。公平を期する新聞でさえかなり不十分な報道をもって民間に無用の興奮をそそっている」
 これは一九三一(昭和六)年九月十八日の旧満州(中国東北部)・柳条湖事件を報じた新聞報道を批判した中央公論の巻頭言。現在の尖閣諸島や竹島の領土問題で新聞は冷静なのか、肝に銘ずべき切言です。
 日本の新聞の歴史で最も悔やまれ、汚名となっているのは満州事変を境にしてのその変節です。それまで軍を批判し監視の役割を果たしていた各紙が戦争拡大、翼賛へと論調を転換させたのです。国民を扇動していったのです。
 その中で時流におもねらず敢然と戦ったジャーナリストといえば東洋経済新報の石橋湛山でした。帝国主義の時代にあって朝鮮も台湾も満州も捨てろと説いた「一切を棄(す)つるの覚悟」や「大日本主義の幻想」は百年を経てなお輝く論説です。イデオロギーではない戦争否定の理念、ヒューマニズム、学ぶべきリベラリストでした。

非武装、非侵略の精神
 満州事変から熱狂の十五年戦争をへて日本は破局に至りました。三百万の多すぎる犠牲者を伴ってでした。湛山の非武装、非侵略の精神は日本国憲法の九条の戦争放棄に引き継がれたといえます。簡単には変えられません。


社説:2013年を展望する 骨太の互恵精神育てよ
毎日新聞 2013年01月01日 

 2013年は、戦後日本の生き方が、二つの意味で試される年になるのではないだろうか。
 一つは、日本経済の底力だ。経済政策には、全体のパイをどう増やしていくか、という側面と、それをどう分配するか、と2通りある。民主党政権は後者の分配政策を重視、子ども手当、高校授業料無償化、農家への戸別所得補償といった形で若年層、第1次産業に手厚く予算を配分した。これに対し安倍政権は、前者の成長政策を前面に押し立て、デフレ脱却の名の下に大胆な金融緩和と公共投資の必要性を唱えている。

 ◇若者へ所得移転を
 確かに、全体のパイが大きくなれば誰もがハッピーになるはずで、のっけからくさすつもりは毛頭ない。ただし、指摘すべきは、バブル崩壊後の20年余り、歴代政権は何もしてこなかったのではなく、金融政策としてはゼロ金利や量的緩和、財政政策としては公共事業を中心とした数次に及ぶ緊急経済対策を打ってきた。いわば類似政策を積み重ねてきた結果が、1000兆円にものぼる借金財政を生んだ、という事実だ。
 成長できない背景には、少子化による人口減と高齢化、新興国の台頭、資源・エネルギーの環境制約があるのだが、安倍政権にはこういった構造的要因にも手をつけてほしい。
 特に、すでに4人に1人が65歳以上となっている世界最速の高齢化には、腰を据えた対策が必要だ。若い人たちが自分たちの子どもを産み育てることのできる環境を整備するためには、限られたパイの中で、豊かな高齢者層から雇用も所得も不安定な若年者層へのより明確な所得移転が必要になるのではないだろうか。
 その際に心がけたいのは、互譲と互恵の精神である。相手に譲ることで自らが恩恵を受ける、豊かになる、それを相互に繰り返す、そういった心の持ちようだ。若い人たちを生かすことが社会全体の活力につながり、めぐりめぐって高齢者層の利益になる。全体のパイが増えなくてもそんなプラスの分配サイクルはできないか。民主政権では踏み込めなかった政策をぜひ前に進めてほしい。
 戦後軽軍備・経済重視路線を堅持する中で、為替危機、石油ショック、バブル崩壊などいくつもの激変を乗り切ってきた日本経済である。今こそ、その底力を発揮して成熟経済対応にギアチェンジする時である。
 互恵の精神は、世代間対立だけでなく、国と国との関係にも応用できる。二つ目に試される日本政治の平和力とも関わってくる。
日本外交の当面の最大の課題は、台頭する中国とどう向き合うか、にある。尖閣諸島をめぐる対立は、中国側の領海、領空侵犯で武力紛争の可能性まで取りざたされるに至っている。戦後67年間一回も戦争をせずにこられた我が国の平和力を今一度点検し、どうすれば最悪の事態を回避できるか、国民的議論が必要だ。
 戦後の平和を支えてきたのは、あの戦争に対する反省からきた二度と侵略戦争はしないという誓いと、現実的な抑止力として機能する日米安保体制であろう。係争はあくまでも話し合いで解決する。もちろん、適正な抑止力を維持するための軍事上の備えは怠らない。そのためには、日米安保体制の意義、機能を再確認しておくことが大切だ。そのうえで1920年代の歴史から学びたい。

 ◇あくまで国際協調で
 日本で初めて2大政党が定着し大正デモクラシーが高らかに宣言された時代である。だが、結果的に政党政治は平和を守り切れなかった。関東大震災や世界恐慌で経済が混乱し中国大陸に対する帝国主義的な領土拡張競争が激化する中、排外主義的対外強硬路線の大声が、妥協主義的国際協調路線の良識をかき消し、軍部独走、大政翼賛政治が私たちを無謀な戦争に追いやった。領土や主権をめぐる争いは双方がどちらも譲歩できないことにより、いたずらに対立がエスカレートするのも歴史が教えるところである。
 安直な排外主義を排し、大局的な国際協調路線に立ちたい。尖閣を巡る一連の経緯を振り返ると、棚上げされてきたはずのこの問題に対して、力による現状変更を仕掛けてきているのは明らかに中国側であり、日本はあくまで対話と法理で問題解決を図ろうとしている。こういった日本の立場と主張をアジア諸国を中心に世界に対し粘り強く丁寧に説明し理解を得て仲間を作る。決して孤立化しないことだ。
 中国との間では、戦略的互恵路線がいかに両国関係にメリットをもたらしたかを改めて確認したい。まずは、強硬路線の悪循環を排し現状維持の緊張に耐え抜くことだ。そして、対話と妥協の機をうかがう。例えば、中国は公船の派遣をやめる。日本も外交問題はあることまでは認め話し合いのテーブルにつく。両国首脳の知略と勇気に期待したい。
 パイの配分と平和の継続。時代は互譲の裏付けのある骨太な互恵精神を求めている。戦後の歩みを振り返ると、私たちにはその時代の要請に応える力は十分に備わっているように思える。実現に汗をかくのは一義的には政治家だが、彼らにそういう仕事をさせるのは、私たち国民であることを改めて胸に刻みたい。  


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