常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

今日の桜

2017年04月09日 | 


今年も桜の季節になった。鶴岡市で桜の開花が宣言された。蕾のころ、咲くのが待ちきれない気がするが、咲いてしまうと今度は散ってしまうのが心配である。これは花が無くなって寂しいという気持ちだけではない意味がある。平安時代のころから、鎮花祭が行われ、「やすらへ花よ」と歌いながら、花が散らないように念じながら踊った。これは、あまり花が早く散ると、稲の実りによくないと信じていたからである。桜が立派に咲き誇るのは、その年の豊作の予祝として人々に喜ばれてきたのである。そんな先人の気持ちを、現代に生きる我々も引きついでいる。

昭和7年の春、どうしようもない自分を清算するために、種田山頭火は九州へ行乞の旅に出た。そこで山頭火が出会うのは、木賃宿で親切にしてくれる老人であり、山里に咲く花々であった。花たちは山頭火へ、どのような予祝を与えたであろうか。

朝の山路で何やら咲いてゐる
すみれたんぽゝさいてくれた

さくらが咲いて旅人である  種田山頭火
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山菜の快楽

2017年04月09日 | 日記


里山にもキクザキイチゲが、宝石をまき散らしてように咲く季節になった。イチゲは高山で見るとより魅力的だが、里山でフクジュソウなどと一緒に咲いているのを見ると、春ののどかな日和の眼福である。もう里山には山ニンジンや花わさびが採れる季節である。先日採ってきた花の咲いたフキノトウの花芽をとって、葉と茎の部分を佃煮風に煮込むと、春の香りが口中に広がる。山菜の快楽を味わえる季節でもある。

昔切り抜いていたいた新聞のスクラップをめくっていると、昭和51年の日付けで、作家の宇野千代のコラムが見つかった。題して「私の快楽主義」。那須の山道で採ったタラの芽の話である。

「那須へ来てから初めて知った山菜だから、勿論、そんな食べ物があることなど、昔は夢にも知らなかった。私と同じような人もたくさんあるに違いないが、こんな旨いものを知らないとは、私は自分のことは忘れて、気の毒に思うのである。私はてんぷらにするのであるが、口の中にねっとりと残る、あのほろ苦い喩えようもない旨さ。」

と書き、タラの木の棘で手が血だらけになっても、この山菜を採るのを止めない。留守居の人たちにこの旨さを知らせてたいためである。山菜には、八百屋さんで売っている野菜では味わえない独特の味がある。日本人の先祖が、原始の時代から春の味覚として賞味してきた、まさに原初の味わいである。快楽というよりも、人間が春に元気を取り戻す食べ物として、体内に眠っている原初の記憶と言ってもいいのではないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする