常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

落花

2017年04月24日 | 日記


花筏は散った桜の花びらが、流水に流れていくさまを言う。写真のようなお濠にたまった落花を何と呼べばよいのか。それにしても桜は、咲きはじめから散りぎわまで、見る人を楽しませてくれる。今日の気温が21℃、明日は23℃が予想されているので、残花から葉桜へと確実に変わっていく。

「花より団子」という言葉は、使い古された言葉だ。食欲旺盛な若い世代にこそふさわしい。飽食の時代を経て、高齢者の仲間入りをした身には、花が散っていくのが殊更惜しく思われる。この爛漫の春をあと何回迎えられるだろうか、という考えがふと頭をよぎる。昔読んだ小説に、胃がんで死んで行く妹を、姉が見取るシーンがあった。病室の枕元には、花の咲いた一枝の桜があった。夫が飾ってくれた桜をうれしそうに眺めているのだが、死が迫っている妹の姿が姉にはひとしお哀れにうつった。

夫婦とて死は別別に花吹雪 山畑 禄郎
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桃源郷

2017年04月24日 | 日記


本来桃の花は桜よりも前に咲く。だが、北の地域では、花期は桜とほぼ同時になる。桃の花が太陽に向かって大きく花弁を開くさまは、快活な人が口を大きく開けて笑っているようにも見える。桃の花を見ると何か元気を貰えるように感じるは私ばかりだろうか。この付近では、福島市が桃の生産で有名だ。米沢を過ぎて福島県に入ると、桃の木にピンクの花が咲いているのが見える。

中国では桃の花に霊力があると信じられてきた。3月3日の重陽の日に、桃が飾られるのはこうした信仰に基づいている。ユートピアを表す桃源郷は、陶淵明が詩を作ってさらに有名になった。桃源郷の入口には、桃の花が咲いていた。川で魚をとる漁師が、ある春の日、舟で川を遡っていた。淵明の『桃花源の記』によると、

「いつの間にか、甘いかおりを一ぱいただよわせて、雲か霞かと見まごうばかり今を盛りと咲きにおう桃の林の中に迷いこんでいた。空のみどりに映える谷川を挟んで両岸数百歩の間は、ただただ桃の花ざかり。その下には名も知らぬかぐわしい草花が五彩の色を織りなして咲き乱れている。」

やがて漁師は山にあるほら穴を見つけて、そこから桃源郷に入りこむ。犬が吠え鶏が鳴く声がのどかに聞こえてくる。そこで人々は、楽し気に行きかい、農作業に余念がない。そこは、わずらわしい俗世界と絶縁した平和そのものの別天地であった。人々は珍しい来客を家に上げ、鶏をつぶし酒をしつらえてもてなした。聞けば秦の時代の戦乱の世を嫌って移り住んだ人々の子孫であった。すでに時代の移り変わりすら知らずに平和に暮らしているのだ。陶淵明はそれを桃源郷と言った。



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