お花見
2017年04月14日 | 花
桜は五分咲き、六分咲きがいちばん美しいと言った人がいる。確かに満開は華やかだだが、全体が白っぽくなってしまう。本来の桜色は、五分咲きのころが一番かも知れない。八重桜の方がきれいだという人もいるが、私の頭に書きこまれたイメージは、ピンクの一重である。一枚の花びらに切り込みが入っていて、路傍に散ったときもそのイメージが、そのままであるのがうれしい。
桜は老木になっても美しい花を咲かせる。花が咲いている間は、樹の傷みには目がいかないが、散って葉桜になったり、葉を落して冬木立になって、その痛々しさに気づく。桜の名所を長く保とうとすると、若木を植林していかなかればならない。名所の吉野では、麓で桜の苗を買い、それを山の上に納めていた。そのために、今日見られるような吉野山の桜となった。
昔たれかゝる桜のたねをうゑて吉野を春の山となしけむ 藤原 良経
「北国の春」で歌われたコブシの花は、この地でも春のシンボルのような花だ。街路に白い花を見かけると、ほとんどコブシである。大ぶりな花はモクレンでこちらは堂々として豪華だ。ピンクの紅コブシも、白いコブシに交じって庭に咲いているのを時々見かける。多分、その家の主人が気に入って植えたのであろう。青空のもとで咲くと、よく映える。
夏目漱石が愛でた木瓜の花である。鈴のような形をした咲きかけのときが美しい気がする。華やかさはないが、素朴さを漱石は好んだ。
木瓜咲くや漱石拙を守るべく 夏目 漱石
世渡りが下手なことを自覚しながら、それをよしとして節を曲げない愚直さ。そんな生き方を漱石は尊び、自らもその生き方に徹した。文部省から博士号を贈られる、と漱石は、頑固なまでに断り、そのことを文章にも認めた。