常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

木槿

2020年07月10日 | 日記
木槿も秋の花である。ここ数日で咲いているのを見かけるようになった。夕陽をうけて輝くように咲いているのを見て、つくづく美しいと思った。韓国の人たちが、この花を国花にする気持ちも分かる。ホテルの等級を示すのに、木槿の花の数でするとい話を聞いたことがある。畑では、トウモロコシの受粉が終り、実が大きくなり始めた。韓国の金尚鎔という詩人に「南に窓を」という詩がある。金素運の日本語訳が手元にあるので紹介する。

南に窓を切りましょう
畑が少し
鍬で掘り手鋤で草を取りましょう

雲の誘ひには乗りますまい
鳥のこゑは聴き法楽です
唐モロコシが熟れたら
食べにお出でなさい

何故生きるかって、
さあねー。

もう20年も前の話だが、NHKの講座で、ハングルを身につけたいと思ったことがある。テキストを買い、ハングルの成り立ちを解説した本も買った。いま覚えているのは、アンニョンハセヨという挨拶語ぐらいだ。隣国との摩擦は、心を痛くする。何故、難しい歴史認識などで対立しなければならないのか。木槿を愛し、トウモロコシを隣人や知人にふるまう、そんな人間らしい心の交流がなければ、理解し合うことは難しい。


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紅花

2020年07月09日 | 奥のほそ道
雨あがりに戸外に出ると、終りに近づいている紅花が咲いていた。『おくのほそ道』
の旅で、尾花沢で芭蕉が出会った花である。牡丹とかユリ、華やかな花に比べると花より、この花から採れる紅粉や紅花油などの原料として見る。紅粉はこの花の部分を摘むので、末摘花とも呼ばれ、源氏物語にも登場する。

まゆはきを俤にして紅粉の花 芭蕉

まゆはきをかんじすると眉掃き。顔に白粉をつけたあとの眉をはらう刷毛のことで、その形が紅花を連想するところから、芭蕉のこんな句が生まれた。芭蕉は尾花沢で鈴木清風を訪ねているが、清風はこの地方特産の紅花を商う豪商であった。尾花沢で芭蕉が見たものは、蚕飼いであった。

芭蕉が尾花沢に着いたのは、元禄2年の5月17日(新暦では7月3日)である。清風宅に21日と23日に泊るが、その他の日は、近くにある養泉寺で、風通しがよく、北に開ける景色のよさで旅の疲れを癒すもてなしを受けた。尾花沢で10泊でその間、2つの歌仙の興行が行われ、「すずしさの巻」、「おきふしの巻」の2巻が残されている。
紅花や養蚕という収入の道があったため、俳諧をたしなむ俳人が多数いた。
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返り梅雨

2020年07月08日 | 日記
今週に梅雨が明けるかも、という天気予報士のコメントがあった。現実は、明けるどころか、梅雨前線が居座って、大変な雨がもう一週間以上続いている。線状降水帯、大雨特別警報という言葉が、頻繁に飛び交い、洪水による大災害が九州に続いて岐阜でも起こっている。被災地の人々には、心からのお見舞いを申し上げる。

漱石の『三四郎』にお婆さんが「昔は雷さえ鳴れば梅雨があけるが、近ごろじゃそうはいかない」という話が出てくるが、明治の時代でさえ、梅雨が時代とともに変化していたらしいが、今日この頃では、雷どころか、大雨の大災害を経なければ梅雨はあけない。いつの時代でも、梅雨があけてさっぱりした青空を願うのは人間に人情というものだ。梅雨明けの大雨を、「送り梅雨」と呼んで、人々は梅雨明けを待った。

「梅雨明け十日」という言葉がある。梅雨が明けると、十日ほどは安定した晴天が続くということを表している。山登りをする人たちは、この日が来るのをひたすら待ち詫びる。これを待ちきれずに雨の中で沢登りをして流され、行方不明になった人がいる。洪水で大災害が起きているなかで、大雨の予報のなかを強行する山行は理解しかねる。返り梅雨というのは、梅雨明けの雨、送り梅雨のあとにぶりかえして来る梅雨である。今年は返り梅雨と言えるが、大きな災害を伴った前例のない返り梅雨である。
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七夕

2020年07月07日 | 日記

日帰り温泉の受付に大きな七夕飾りが出された。そういえば今日は七夕である。古来、祀られてきた七夕は、陰暦の7月7日であって、実は立秋を過ぎた秋の行事であった。乞巧奠(きっこうてん)という古代中国の行事では、7月7日夜になると、庭先に供え物をし、その前で女性たちが五色の糸を7本の針に通して、手先が器用になることを祈願した。機織りは女性の大切な仕事であった。糸を編んで布とし、衣服や夜具など生活の必需品をつくための女性の切実な願いであった。

日本に伝わって、竹笹に願い事を書いた短冊を下げる星まつりは、日本の風土の独特な風習となった。

七夕や昼あをあをと湯屋の澄み 秋元不死男

野には八丁とんぼが飛び、水辺に蛍が光る季節である。7月になったばかりなのに、季節ばかりが先を急ぐ。もう季節の先取りは止そうと思う。今日一日、そのなかのひと時、ひと時を大切に生きる。天才藤井7段の時間の使い方が、立派に見える。

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季節は進む

2020年07月06日 | 日記
桔梗は秋の七草である。季節を先取りするように早くも花をつけた。梅雨空が続き、雨が続く。熊本では、梅雨末期のような大雨となり球磨川が氾濫して、大きな災害となった。あの地震の傷も癒えていないなかで、再びの災害。これからも前線が停滞して、まだ大雨が降る予報である。被害の拡大しないことをひたすらお祈りする。加えて東京の繁華街を中心に新型コロナが不気味な感染拡大を見せている。テレビから流れてくるのは、暗いニュースばかりだ。

最近あまりテレビを見なくなったが、将棋の藤井壮太とサンドの博士ちゃんは気に入っている。昨日、人体博士ちゃんが登場した。藤井7段もそうだが、大人びた子ども博士ちゃんに、人間の未来の可能性が見えるような気がする。人体には、進化の痕跡があり、耳の小さな突起がかっての恐竜の耳の痕跡であることが興味深かかった。そんな博士ちゃんが人類の未来予想図を描いてた。頭でっかちで、手足は、太い神経で繋がっていた。

そんななかで本物の東大の博士が描いた人類の絵は2枚。一枚は今と変わらない人の絵、もう一枚は十字架がかかった墓場であった。飛行機が出来て100年と少し、その短い時間に人類は身体を進化させず、環境を生きるために変えてきた。わずか150年という地球の歴史からいえばわずかの時間に、多く文明を作り出してきた。そのことによって破壊した環境も数多くある。人類には未来はないかも知れないというのが、東大の博士の警告であった。

思えば、夏の猛暑、大雨、台風などは人間が快適に生きるための様々な技術革新がもたらした地球の温暖化の結果である。コロナの感染もこの人間の文明と大きく関連している。ある特定の地域にしかなかったウィルスが、これほどの勢いで世界中に拡散したことがかってあったであろうか。このような地球的な危機に、どのようなな叡智が出てきて人類を救うことができるのであろうか。子ども博士ちゃんにそんな期待を寄せるは、年寄りの浅はかというものだろうか。
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