近所の公園に一本の百日紅の木がある。蝉の鳴くころ、花が咲くので、そろそろ咲かないかと思って見たのが一週間ほど前だ。その時は、花芽がふくらんでいたので、数日のうちにはと思って、つい失念してしまった。今朝、その木の前を通ると、花をたくさんつけている。やはり、この花も季節を知らせる花、と思いながら撮影していると、犬を連れた若い女性が声をかけてきた。「百日紅ですか?」と聞かれて、「そうです」と答えた。この花に何か思い入れがあるらしく、言葉を継ぎそうにして、思いなおすように無言で去って行った。
この花は、お寺の庭に植えてあることが多い。義母の墓のある寺にも大きな百日紅があって、お盆の墓参りでは、この花を見ながら墓参りをする。先刻の娘さんも、あるいはこの花から、実家の寺や墓を思い出していたのかもしれない。百日紅と書くのは、梅雨明けの頃に咲き始めて、炎天下に百日も咲き続けるからだ。
百日紅この叔父死せば来ぬ家か 大野林火
ウォーキングに買ったばかりのサングラスを着用している。真夏の太陽が裸眼に与えているストレスがかくも強いものか、サングラスを使用して初めて分かる。とにかく、日光の刺激を和らげて、気持ちが楽なのだ。辺りの景色も、やわらかに見える。畑仕事にも手放すことができない。山行の時は、もっといいだろうと想像しながら、いい買い物をしたと満足している。