ウォーキングに向いているのは、川の土手などにつけられた道だ。車が走らないのが一番である。そして、川の流れに沿って自然な曲線を描いている。そのまわりには樹木があり、日陰の役割も果たしてくれる。川の匂いに敏感だったのは、長く川の辺に住んだ幸田文である。春先の若葉の匂いが、そこに佇んでいる幸田文を包み込んでいる。「匂うのは若葉のうちの短い期間であり、それも朝早い時間である。夜来の雨が上がって快晴の早朝、並木の下を通ると、ほんのりと柔かい匂いがうごく。」(『ふるさと隅田川』幸田文)
石狩川の辺で育った私は、川の匂いを勘違いしている。上流にパルプ工場ができ、そこからの廃液が薄められて独特の匂いを放つ。子どもであった私には、それが川の匂いであると、刷り込まれてしまったのだ。最近、清流の傍を歩くようになって、幸田の言う川の匂いが理解できるようになった。川すじに咲く木槿の白い花。石狩川のあの黒い流れとは、およそ違った風情がある。
最近の雨の降り方は、長い歴史のなかでも記録されないような大雨が降る。九州や四国などのような氾濫は起きていなが、最上川の支流でも、蔵王などの山中で降った雨が、清流を濁流へと変える。この地方でも、線状降水帯のような現象が起きれば、いつ川の大氾濫が起きても不思議ではない。鮭川村を流れる鮭川が氾濫したのも、つい昨年のことだ。