常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

秋空

2020年10月17日 | 日記
北からの冷たい高気圧に覆われると、真っ青な秋の空が見える。朝の気温が下がった分、天がくれるご褒美か。随分、しばらくぶりにみたような気がする。智恵子の見た安達太良山の上の、「ほんとの空」だ。昨日、千歳山の上で見た。ナナカマドの赤い実が、この青い空にはよく映える。一転して、今日の空には雲が広がって青空が見えない。明け方、雨が降った跡が見える。鶴間池での紅葉を見る登山は、明日に延期。秋空のもとで、鳥海山麓の紅葉はどんな姿を見せるか、想像しただけで気分が高揚する。

むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。(高村光太郎『智恵子抄』より)

秋が短くなった。あれほど暑かった9月から、ほんの2週間で、高い山には冬が来た。北海道で雪、月山で初冠雪。日本は四季の国から、冬と夏に二季の国に変じたようだ。それだけに、秋空はだんだんと貴重になる。光太郎の時代は
東京を離れれば、福島の山の近くに行けば、いつでも秋空を見ることができた。今は、本当の秋空を見るのは、僥倖といえる。

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寒い朝

2020年10月16日 | 日記
寒い朝になった。6時の気温が6.8℃、この秋一番の冷え込みである。朝日を受けたカエデが、紅く輝いて見えた。朝、蒲団のなかが恋しい。目覚めても、もうしばらくまどろんでいたい、という欲求を抑えがたい。夜明けが遅くなると、人間の身体も、活動を始める準備がそれの合せる。年をとると、目覚めが早いというが、それは春から夏のことで、この季節は朝方の眠りは、老人にも心地いい。

濃紅葉や生きてゐしかば刻のうち 岡本 眸

人生初めてインフルエンザの予防接種を打った。めったにインフルエンザに感染することがないので、その必要性を感じなかったからだ。今年は事情が違う。インフルエンザとコロナの初期症状が似ているので、発熱があると、コロナが疑われる。そんな、疑いを持たれないためにも、早めに予防接種を受けた。行きつけの近所の医院は、開業したばかりで来る患者も少ない上に、コロナの影響でさらに来院者は少ない。注射を打ってから、医院をでるまで、次々と来院の人が来る。予防接種は、来院者の少なくなった医院にとっても助けになっている。

終末は雨を避けて、鳥海山の麓近くの紅葉の名所へ出かける。3時間ほどの山歩きになる。今年の山紅葉の見納めになるのだろうか
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広場

2020年10月15日 | 日記
スペインでもコロナウィルスは大変なことになっている。地中海に突き出すイベリア半島の国で、今月の9日からの1週間で28000人、死者は195人を数える。フランスでもパリでも、ここにきて第2波の感染が拡大中である。アメリカでも、感染の終息まだまだ見えてこない。アジアに比べて、欧米でけた違いの感染者の差があるのは、何か特別の理由があるのか、いまだ解明されていない。堀田善衛に『日々の過ぎ方』という随想がある。1980年代にスペインで過ごした日々の追想である。そこで体験したものにバルセロナの広場がある。

日本になくてスペインにある広場。アパートの前の長方形の広場には木立に囲まれた長方形に広がる広場にはベンチが置かれてある。そのベンチには、毎日決まった時間に指定席のように決まった人が坐り、静かな時間を秋ならば陽ざしを受けながら時間を過ごす。ある日少年が一人で座ってしくしく泣いているのを見た。別のベンチにいた人が少年に近づいて、泣いている理由を訊ねる。すると少年んはいっそう激しく泣きじゃくる。要するに、少年は親に叱られて家を追い出されたのだ。広場を代表する人物が、少年の家を訪れ、少年の非を認め許しを乞う。長年の間に培われた、子どもを躾ける広場の作法である。

広場にはもう一つの顔がある。決まった週に市場が立つ。台の上に道具類や衣類が並べられ、特に新鮮な野菜、魚介類、チーズ、バターなど食欲をそそるものが売られる。鮮度がよく驚くべきはその値段の安さ。大きな蟹がワサワサと動いている。よく見ると蟹を売る屋台の傍に湯が沸かされていて、そこで茹でて赤くなった蟹を木づちで割る台が用意されている。大勢の人が集まって、週に一度の市場で、美味しいもの買い、食べて楽しむ。日本のお祭りのような風景が市場の立つ日には見られる。

この本が書かれて半世紀がたつので、こんな日常の過ぎ方にも変化があるだろう。しかし、人々の生活を楽しむ、という基本に変化はあるまい。人々のコミュニケーションのとり方と感染症の拡大には、何かしらの相関があるのだろうか。
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熊出没

2020年10月14日 | 日記
柿の実がたわわに生った。山里では採る人もなく放置されたままになっている柿の木がたくさんある。冬眠のためにたくさん食べて、身体に脂肪をつける必要のある熊が、この柿を目指して人里に現れる。今年の特徴は、コロナ禍で、人の姿が少ないため、市街地に近い場所でも熊が目撃されている。先日のニュースで工場で作業中の人が背後から熊に襲われた。テレビが映しだした子連れの熊は、人か近くの杉林で、木登りして子熊を遊ばせていた。人家の辺りがもう熊の生活の場になりつつある。

熊は学習能力のある動物である。かって、熊を獲ることを生業とするマタギが山で活躍した時代は、人間は熊にとって恐怖の対象であった。人間の姿を見ると一目散に逃げるのが熊の習わしであった。だが、狩猟が少なくなった昨今では、もはや熊は人を見て怖がるということはない。山中に食べものが少ない年は、農家の作物や餌を狙って出没を繰り返す。秋田ではタケノコ採りの人が熊に襲われて命を落とすという事故が続出した。もはや、人が熊を見て怖がるという逆転現象が起きている。

山登りをする人々が熊除けのスプレーを持参することが多い。我々の山仲間でも、グループでひとつ熊スプレーを持参している。使いなれないスプレーを、目の前に現れた熊に有効に使用できるか、疑問は残るが、安心のために持参している。

熊の行動にを調べた研究がある。行動の目的はひとつ、食料を探すためだ。山中にクルミやブナの実が標準的な場合は40㌔㎡。メスで30㌔㎡、オスで50㌔㎡。子連れのメスの場合は20㌔㎡と狭くなる。山の食料が不作であれば、行動範囲は広く、50、60㌔㎡である。アメリカのアメリカ熊は、平均で170㌔㎡である。これはアメリカの植生がアメリカトドマツの単純なもので、食物となる植物が広く薄く存在しているためだ。日本はそれだけに、熊にとって住みやすい環境であるいうことが分かる。食物の豊富のな年は生殖も盛んで生まれる子熊の数も多い。熊の頭数が増えれば、不作の年はより多くの熊が里に下りてくる。学者の人が語っていたが、熊が人里に近づかない方法は、餌を採り難くする。柿の実を放置しておくなどは論外である。捕獲した熊には、数日犬に吠えたたせるなどして、恐怖体験をさせて山へ放つ。熊の学習能力を利用する方法である。
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深まる秋

2020年10月13日 | 日記
今日は平年並みの気温だったが、散歩道で萩の花が散り、金木犀が道を金色に染めていた。気の早い桜がもう葉を落とし始めている。あれほど盛んに咲いていた曼珠沙華も、花の終りを告げている。この頃気づいているのは、南の方に住んでいる方の花だよりの時期にあまり差がなくなった。台風が妙な動きをして、日本列島に秋が深まったということか。

三日月やこの頃萩の咲きこぼれ 河東碧梧桐

ベランダのアサガオの蔓を刈った。来年まで、アサガオともお別れである。朝起きから始まる一日をせかせるものは秋。高い山にはもう冬の便りが届き始めた。
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